8月3日。昨日に引き続き、英語は1限目。家族から逃げるように部屋を出たのち、自転車を走らせ、私はいつも通り7時50分に学校に着いた。
半袖ブラウスと肌の間に汗がにじみ気持ち悪かった。ハンドタオルで首元や額の汗をぬぐいながら、3階まで階段を上って教室に向かう。その途中のこと。
「お、八月朔日。早いなぁ」
「あ、木下先生」
ひとつ階段を上った先、職員室前の廊下に出たところで、木下先生と遭遇した。「おはようございます」と挨拶だけを交わし、会釈をして再び階段を上ろうと背を向ける。すると、
「あー、待て待て八月朔日」
思いだしたように呼び止められた。1段目に片足を乗せたまま立ち止まり、はい と身体を半分だけひねって振り返る。
「相馬は怖い奴じゃないから、仲良くしてやってくれ」
「へ?」
「誤解はされやすいけどなぁ……補習も毎日来てるし、面白い奴だぞ」
「いや、えっと……?」
突然相馬くんの話題を振られ、私は困惑した。
相馬くんと何か親密な関係……とかなのだろうか。木下先生が相馬くんを気にかける理由が、どこかにあるのかもしれない。言われなくても、ここ2日で相馬くんが悪い人ではないことは十分わかった。目を見て話してくれるし、名前も覚えてくれている。けれど、私と相馬くんが特別仲良くなったりすることはないような気もするのだ。
補習が終わって、あっという間に夏を越えたら、きっとまた元通り。
「相馬を相馬のまま受け入れてくれる人がいてくれたらって思うんだよ。俺のエゴだって分かってても、な」
そう思っているのは──…私だけ、なのだろうか。
「意味が……よくわかりません」
「ははっ、まあ、そうだよな。こんなこと急に言われてもって感じだなぁ、すまんすまん」
「いえ、あの…」
「でも、悪い奴じゃないのは、八月朔日はなんとなく分かってくれてると思ったから。まあ、聞き流してくれてもいいさ。暑い中、朝から毎日ご苦労さんね」
そう言って木下先生は名簿を持ったままの右手を軽く上げると、給湯室へと入って行ってしまった。モーニングコーヒーでも淹れるつもりなのだろう。珈琲の苦みを美味しいと思う年にはまだなれていない私は、音を立ててしまった扉を見つめながら、炭酸キメたいな、とそんなことを思った。