陽向との時間を重ねれば重ねる程彼についての知識が増えるものの、依然として陽向の中に陽光の存在を感じる自分がいる。初めて陽向と邂逅した純喫茶で受けた衝撃は私の見間違いでもなければ、勘違いでもなかったらしい。


彼の何処からどんな風に陽光を感じるのかはまだ上手く説明できないし、ひょっとするとこれからも明確に表現できる事はないのかもしれない。

自分でも奇怪に思っている。どうして私の本能的直感は、陽向と云う人間から陽光と云う人間を見出しているのだろう。



「変だと思うけど聴いて欲しいの。陽向がね、時々陽光に見えるの。何故か分からないけれど、陽光の存在を確かに感じるんだよ。」



脳が都合の良い錯覚を見ている訳でもなさそうで、益々謎は深まるばかりだ。



誤解して欲しくない事は、私は断じて陽向の中に陽光の存在を感じると云う理由で彼と仲良くしている訳ではないと云う事だ。一人の人間として陽向に魅力を感じているし、一緒にいて楽しいと思える。そして何より彼といると心が安らぐから陽向と時間を共にしたいと思った。



「機会があれば、陽光にも陽向と会って欲しいな。…それよりも先に就活と卒論を突破しなくちゃならないだろうから、私がどうにか乗り切れる様に見てくれる?陽光が見ててくれるなら、頑張れるから。」



貴方みたいに器用な人間ではないから、就活と卒論のダブルパンチに頭を抱えている自分の姿がすぐに想像つく。そうか、来年になると私は大学四回生になるのか。


「就活」と「卒論」なんて聞いただけで辟易とする単語だけれど、陽光の分も人生を歩むとおばさんと約束した以上は手を抜くつもりなんて毛頭ない。



「どんどん陽光と年が離れていっちゃうね。こんな感じであっという間にオバサンになってお婆さんになっちゃうのかな。」