すっかり上達した包丁捌きで手早く食材を切り終えて調理にかかる。魚の臭いが鼻を突いた刹那、胃がムカムカして気分が悪くなった様な気がした。完成間近の味噌汁から昇る湯気が鼻腔を通過するとまたも胃から何かが込み上げてくる様な妙な感覚がした。
可笑しい。体調が変だ。私は怪訝な顔を浮かべた。いつにも増して倦怠感が強いし、身体が火照っているみたいに熱い。発熱でもしているのだろうかと思い手を額にくっ付けてみても至って普通だった。
単なる私の気のせいかもしれない。そう思い直した瞬間、玄関扉が開けられた音がして、すぐに「ただいまー」と愛おしい人の声が耳を擽った。コンロの火を止めて駆け出した私は、玄関で靴を脱いでいる華奢な背中に抱き着いて彼のお腹に手を回す。
「お帰りなさい、陽向。」
「ふふっ、ただいま。祈ちゃん。」
脱ぎ終えた靴を並べて振り返った相手が、正面から私を受け止めて包み込む。大好きな彼の甘い香りと雑踏を抜けてきたであろう香りとが染み込んでいるコートに顔を埋める。目線を合わせ、私が踵を上げるとそれを分かっていたかの様に彼が腰を折る。
吸い寄せられるみたいに重なった唇と唇は、すぐに別れを告げて離れ離れになる。唇に残る彼の余韻と云う名の熱は、今日も今日とて愛おしい。