オートロックを解除してエントランスホールを抜けエレベーターに乗り込み、もう見なくても正確に押せるようになった階数の表示があるボタンを指で突く。エレベーターを降りれば同じ玄関扉が並ぶ廊下があり、その一番奥の角部屋で足を止めた私はバッグを漁って取り出した鍵で開錠した。
ドアノブに手を掛けて玄関扉を引く。ガチャリと音が鳴る。いつ来客が見えても良い様にと頑張って掃除をしている甲斐あって、靴一つない綺麗な玄関を見る度に自己満足だけれど気分が良くなる。
「ただいまー。」
愛しい人の残り香が漂う真っ暗な廊下に自分の声が溶けていく。返事が来る事はないと頭では分かってはいるつもりなのに、やっぱり心は寂しさを感じてしまう。ヒールを脱いで靴箱に仕舞い、食料品の入ったエコバッグと仕事用のバッグを肩に担いでやっとの思いでリビングに辿り着く。
一人ではどうしても広く感じるリビングでは、エコバッグが食卓テーブルに置かれた音と私の長い溜め息がやけに大きく響いた。手探りで照明を点けて、洗面所へ手洗いうがいをしに行ったついでに買った食料品を冷蔵庫に詰める。
グラスに麦茶を注いでグビグビと飲みながらリビングのソファの上で溶けた液体の様に身体を沈めたところで、壁に掛かっている時計を一瞥した。時刻は夕方の六時半を過ぎたばかりだった。
「疲れた…。」
あっという間に空になったグラスを、ここに引っ越す際に彼と一緒に選んだ白いテーブルの上に預ける。手を伸ばしたついでにそこに置かれている卓上カレンダーを取った。
三月を知らせるカレンダーには何の予定も記入されていないけれど、22日の日付だけ赤いペンでハート型に囲われている。それを見ただけで疲れを忘れてしまうし、忙殺されて死んでいた顔にも自然と笑みが浮く。