「りゅうのすけ、ほら、早く見て!」

 あまりにも頑なに見なかった俺の首を、ジェナは力づくでねじりだした。

「痛い痛い」

 結局は負けてしまい、言われるまま海を眺めた。

 だけどそこには波が寄せてる以外何もなかった──と、次の瞬間、黒い背びれが海から出てきて、何かが泳いでいるのが見えた。

「えっ!」

 俺はびっくりして、崖に近寄り、身を乗り出してしまった。

 まさか本当にクジラなのだろうか。

「りゅうのすけ、危ないから少し下がって」

 ジェナに引っ張られた。

「あれは一体」

「キラウエール! キラウエール」

 ジェナが大喜びで、何度も「キラウエール」と連呼した。

 そのうち跳ねるように海面から出てきて、あの独特の黒と白のボディが見えた。

 シャチだ。

 その周りにも何頭かいて、次第に集まって並んで泳ぎだした。

「すごい」

 俺は慌ててスマホで撮影しようとしたが、間に合わず、崖の下のごつごつした岩の向こうにあっという間に行ってしまった。

 一瞬の出来事だった。

 でも確かにこの海でシャチが泳いでいた。

 水族館でしか見たことなかったが、シャチって本当に海を泳いでるんだ。

「りゅうのすけ! やったわ。私たち、キラウエールを見たのよ!」

 ジェナが俺に抱きついて、飛び跳ねて喜んでる。

 確かにクジラの一種には間違いないだろう。

 イルカもシャチもクジラも、同じ種類の動物扱いで、体の大きさで名前を区別してるだけだという。

 クジラを見たいというジェナの思いが通じて奇跡が起こったんだ。

 ジェナはさっそくシャチの絵をスケッチブックに付け足した。

 それが終わると、ジェナは自分のサインを入れ、俺にも同じようにサインしろと鉛筆を渡した。

「私たちの合作だね」

 ほとんどジェナが描いたけども、その絵は最高にめちゃくちゃで、最高に楽しい仕上がりになっていた。

 でも描き終わった後、言葉が出てこなかった。

 目的を全て果たしたことで、俺たちの旅は終わった。

 俺たちは寄り添って一緒にシャチが泳いで行った海を眺める。

 暫く余韻に浸っていた。

 いろんな感情が入り乱れて、一言で言い表せない思いが海の返す波のように押し寄せる。

 寂しい気持ちをぐっとこらえて、深く前を見つめている俺に、ジェナは囁いた。

「りゅうのすけ、なんか変わった。とってもクール」

「そうかな」

 俺は海の向こうの日本の事を考えていた。

 これから帰るんだという覚悟を持っていたかもしれない。

 新たな気持ちに、身を引き締め、これからが大変だとしっかり頭に叩き込んでいた。

 俺は一体何ができるだろう。

 アメリカを知った後で、日本を見たらどう思うのだろう。

 いいところも悪い所も両方見てやる。

 そう思えるようになっただけでもよかった。

 ジェナに会わなければ、日本に帰ったとたん、アメリカに被れまくって、驕り高ぶってたことだろう。

 それが嫌われる行為であるとわかっていても、自分が正しいと思ってやってしまう。

 色んな国の人と出会って、世界を見たという自信がついて、気持ちが大きくなりやすいのだ。

 それでも、自分が経験したことによって育んだ、ある程度の矜持も大切だと思う。

 それを糧に踏ん張れる事もあるから。

 だけど、持ち過ぎは『スマッグ』になるのだろうけど。 

「ジェナ、日本に来いよ。俺が案内してやる。それまで英語で紹介できるように色々勉強しておく」

「そうだね。りゅうのすけの住んでる所見てみたい。日本の事いっぱい知りたい」

「待ってるから」

 ジェナの目がそう容易く悪くなってたまるものか。

「りゅうのすけも、またオレゴンに来るでしょ。ロッククライミングの聖地『スミスロック』や、アメリカで一番深い湖『クレーターレイク』だってまだ見てないんだから」

「まだ見どころがあるのか」

「毎日がホットスポットなんだから」

「また面白い変なものが増えてるんだろうね」

 次来ることがあったら、俺はアウトドアにチャレンジしてみたい。

 それまで体も鍛えておかなくっちゃ。

 そのことをジェナに言えば、一緒にハイキングに行こうと喜んでくれた。

 これで終わりじゃない、俺たちはまだまだ繋がっている。

 それを感じ取ると、俺たちはどちらから言ったわけでもなく、岬を後に歩き出した。

 途中、サーフボードを持った人たちとすれ違い、お互い目が合ったので「ハーイ」と挨拶した。

 ジェナが思い出したように、振り返りその人たちの後ろから声を掛けた。

「キラウェールがいたよ。私たち岬で見たの」

 思いっきり自慢していた。

「本当かい。それはすごい。まだいるかな」

「もしかしたら見られるかも。グッドラック!」

「サンキュー」

 彼らもシャチを見られるといいけど、サーフィン中に襲われないかなと俺は心配してしまった。

 そんな事を考えているうちに、そろそろ駐車場が近づいて来た。

 これでお別れだと思うと、足が急に重くなって前に進むのが辛くなった。