2
この後どうなるのだろうというところで、話は終わった。
絵本を子供に読み聞かせするように、ジェナは丁寧に俺に過去に描いた絵を見せてくれながら、その物語を綴った。
絵本作家になりたいのだろうか。
この先、大学でアートを勉強したら可能性はあると思う。
童心に返って、俺は結構面白い話だと思った。
でもその話は何かと被る。
ジェナが俺をジャックと呼んだ理由。
時々、ジェナの話がわからなかったのは、この物語をベースに俺が勝手にジャックのロールプレイをさせられていたからだ。
ジェナは俺をこの物語のジャックに仕立て上げていた。
「そっか、これでわかった。なぜ俺がジャックなのか。俺と旅行したいと言ったのも、この話の続きだったんだ」
「そう、自分の作った話を現実にしてみたかった」
「なんかこれですっきりした」
「りゅうのすけ、怒った?」
「怒ってなんかないよ。俺だってジェナと旅行できて楽しかったし、随分色んな事教えてもらってものすごく充実だった。将来はさ、その話を絵本にしみたら? なかなかよかったよ」
「これは、そんな話じゃないから」
「でも絵も上手いし、話も作れるし、ジェナならそういう職業目指せるよ」
決してお世辞ではなかった。
でもジェナは悲しげに首を横に振る。
「私にはできない」
「なんで、そこでネガティブなんだ。やってみなくちゃわかんないじゃないか。これだけ才能があるんだからチャレンジすればいい」
「そんな簡単には行かない。だって私にはずっとそばにいてくれるジャックはいない」
「えっ?」
俺が帰るから、そう言ってるのだろうか。
「ジャックはいないの……」
やるせなく、ジェナはメガネのブリッジを押し上げた。
「だったら、いつまでも俺の事ジャックって呼んでくれてもいいよ。俺がジャックでいいじゃないか」
「違う、あなたはりゅうのすけ、ジャックじゃない。この話に出てくるジャックもいずれ女の子から去って行くのが決まってるの」
「でも物語では、女の子が名前を付けたら、ずっと離れないっていう設定だったじゃないか」
「彼女の不安をとりのぞくためにジャックは嘘をついていたの。目が見えない女の子があまりにも可哀想だから、ずっと側にいる口実を作って、嘘を言ったの。本当は名前を付けられてもジャックは女の子に拘束されないの。女の子はそれをいいことに、ジャックを引っ張り回すの。時々我が儘もいったりした。でもジャックはいつもいつも優しかった。時々、ジャックが女の子に黙って夜中に一人でどこかへ出かける事を知って、ジャックの嘘に気が付くの。これ以上ジャックを縛り付けたらいけないって、そこで、女の子も嘘のルールを作るの。ジャックの本当の名前を呼んだら、ジャックはまた自由になって、女の子の前からいなくなるって」
俺はジェナが何を言おうとしているのかわかった。
「だから女の子はジャックの本当の名前をこっそり調べるの。そしてそれが分かった時、その名前を呼ぶの、ジャックとさよならするために」
「本当の名前を呼ばれたジャックは、女の子が作ったルールの通りに女の子の前から姿を消す……」
「そう、そういう結末」
ジェナが俺を『りゅうのすけ』と呼んだ理由。
俺をジェナの束縛から解放し、自由にするためだ。
そこでお別れっていう意味だ。
「でも、ジャックは女の子と一緒にいたいはずだ」
「ううん、女の子にはちゃんとわかってるの。それができないって。もう自分のために利用したくないって。例えジャックがそうしたいといっても、それは無理してるってわかってるの」
レストランで俺に気持ちをぶつけたのも、不安定な感情がそうさせた。
俺が一緒にいる事ができないとわかっていたから、気持ちをぶつけた後は別れの準備に入ってたんだ。
本当は本心から俺を困らせようとはしてなかった。
自分で無理難題を言っていると自覚するためだ。
そこで踏ん切りをつけて、旅の終わりを告げたんだ。
全てはジェナの作った話に沿って起こっていることだった。
理由を話し終えたジェナの瞳に涙が溜まって行く。
ジェナはメガネを外し、目じりを拭った。
手元のメガネが俺の視界に入り、俺はなんだか急に違和感を覚えた。
ジェナの話は、ジェナが作り上げたものだ。
俺は、ジェナが想像したジャックに勝手にさせられたが、そうするとその物語に出てくる女の子がジェナじゃないとおかしくなる。
ジャックが俺、女の子がジェナ。
ジェナの作った話に沿った俺たちの出会い。
ジェナは俺を自殺したのではと見せかけ呼び寄せ、しゃがんだ時、適当にメガネを地面に転がしたのだろう。
だけど、もし俺がそこで壊さなければ、この旅は始まらなかった。
だからジェナは『わざとかもしれないし、偶然だったかもしれない』と言った。
俺はこの数日間を振り返る。
何か大事なことを見落としているような気がしてならなかった。
ジェナと話して良くわからなかった会話や、ジェナのおかしな発言や行動、首を傾げた事。
なぜそんな風に違和感を抱いて、俺は困惑したのか。
ざっと思い出せる限り思い出してみた。
──積極的なジェナなのに、日本においでと言っても「実現するかな」と消極的になったこと。
──時々悲しそうな目をして風景を見ていたこと。
──オレゴンの景色を忘れたくないといいながら、オレゴンを去るわけでもなかったこと。
──自ら学ぶ事が好きなくせに、大学へ通うことを不安に思い悲観的なこと。
──日系強制収容の資料館で『シルバーライニング』の言葉にとても反応し、「どんなにつらくても希望はどこかにあるって信じて頑張るってことだよね」と言ったこと。
──ポートランドの景色を見ていて感情が高ぶって、「だから私は大好き。歴史も含めて、この風景、街並み、この景色、全てを忘れたくない」と言ったこと。
──「それは、学校で習う事以上の事を習いたかったから。もっと自由に、できるだけ沢山の事を」「でも、そうせざるを得なかっただけなの」とホームスクールを選んだ理由が矛盾してた事。
──「ジャックは、私の事もっと知ったら、絶対に私から離れないはずよ。だってジャックなんだもん」と強気に言い切った事。
──絵が上手いし、大学でアートを勉強するのに「私にはできない」と芸術分野の職業を目指してない事。
ジェナは何かの問題を抱えているに違いない。
だから、ジャックという存在に救いを求めるあの話を作った。
作ったのは中学生くらいだと言っていた。
その頃に何かが起こった。
小学生までは学校に通っていたと言っていたから、ホームスクールもきっとその頃に始めたんだ。
それからずっとジャックを探して、助けを求めていた。
そして、俺があの場所に現れたことで、それが現実と奇妙にリンクした。
だから、ジェナは物語の女の子と同じ行動をした。
でもその物語の女の子は目が見えない……
順序立てて考え、その意味に気が付いて俺がはっとしたとき、ジェナはスケッチブックを閉じ、ふっと息を吐いて、吹っ切るように立ち上がった。
「これでこの物語は終わり」
「それ、女の子はジャックがいなくなってからどうするんだ?」
「どうもしないよ。普通の生活に戻るだけ」
「目の見えない生活?」
「そうだよ」
ジェナはやるせなく笑って、ベッドに座ってる俺を見下ろしている。
「なんでそんな物語を作ったんだ?」
「それは……」
「それはジェナが目の病気を患ってるからか?」
「あっ」
ジェナはハッとして俺を凝視する。
「もしかしてジェナはこの先目が見えなくなるのか?」
俺が恐る恐る聞いた。
俺の考え過ぎでいてほしい。
でもジェナはその通りだと頷いた。
俺は石で殴られたようにショックで、喉の奥から声が突っかかる。
ジェナは俺に気を遣い、少しだけ口元を上向きにさせて、大したことではないと装っている。
その事実を知り、言葉を失ってしまった俺をジェナは茶化した。
「何を深刻になってるの? りゅうのすけが心配することじゃないの。私はすでに覚悟ができてることだから」
そんな軽く言わないでほしい。
ジェナの目が見えなくなるなんて知ったら、やっぱり辛いじゃないか。
ブルーの透き通った美しい瞳。
それが光を失うなんて俺には耐えられない。
俺はいたたまれなくなって、無我夢中でジェナを抱きしめた。
この後どうなるのだろうというところで、話は終わった。
絵本を子供に読み聞かせするように、ジェナは丁寧に俺に過去に描いた絵を見せてくれながら、その物語を綴った。
絵本作家になりたいのだろうか。
この先、大学でアートを勉強したら可能性はあると思う。
童心に返って、俺は結構面白い話だと思った。
でもその話は何かと被る。
ジェナが俺をジャックと呼んだ理由。
時々、ジェナの話がわからなかったのは、この物語をベースに俺が勝手にジャックのロールプレイをさせられていたからだ。
ジェナは俺をこの物語のジャックに仕立て上げていた。
「そっか、これでわかった。なぜ俺がジャックなのか。俺と旅行したいと言ったのも、この話の続きだったんだ」
「そう、自分の作った話を現実にしてみたかった」
「なんかこれですっきりした」
「りゅうのすけ、怒った?」
「怒ってなんかないよ。俺だってジェナと旅行できて楽しかったし、随分色んな事教えてもらってものすごく充実だった。将来はさ、その話を絵本にしみたら? なかなかよかったよ」
「これは、そんな話じゃないから」
「でも絵も上手いし、話も作れるし、ジェナならそういう職業目指せるよ」
決してお世辞ではなかった。
でもジェナは悲しげに首を横に振る。
「私にはできない」
「なんで、そこでネガティブなんだ。やってみなくちゃわかんないじゃないか。これだけ才能があるんだからチャレンジすればいい」
「そんな簡単には行かない。だって私にはずっとそばにいてくれるジャックはいない」
「えっ?」
俺が帰るから、そう言ってるのだろうか。
「ジャックはいないの……」
やるせなく、ジェナはメガネのブリッジを押し上げた。
「だったら、いつまでも俺の事ジャックって呼んでくれてもいいよ。俺がジャックでいいじゃないか」
「違う、あなたはりゅうのすけ、ジャックじゃない。この話に出てくるジャックもいずれ女の子から去って行くのが決まってるの」
「でも物語では、女の子が名前を付けたら、ずっと離れないっていう設定だったじゃないか」
「彼女の不安をとりのぞくためにジャックは嘘をついていたの。目が見えない女の子があまりにも可哀想だから、ずっと側にいる口実を作って、嘘を言ったの。本当は名前を付けられてもジャックは女の子に拘束されないの。女の子はそれをいいことに、ジャックを引っ張り回すの。時々我が儘もいったりした。でもジャックはいつもいつも優しかった。時々、ジャックが女の子に黙って夜中に一人でどこかへ出かける事を知って、ジャックの嘘に気が付くの。これ以上ジャックを縛り付けたらいけないって、そこで、女の子も嘘のルールを作るの。ジャックの本当の名前を呼んだら、ジャックはまた自由になって、女の子の前からいなくなるって」
俺はジェナが何を言おうとしているのかわかった。
「だから女の子はジャックの本当の名前をこっそり調べるの。そしてそれが分かった時、その名前を呼ぶの、ジャックとさよならするために」
「本当の名前を呼ばれたジャックは、女の子が作ったルールの通りに女の子の前から姿を消す……」
「そう、そういう結末」
ジェナが俺を『りゅうのすけ』と呼んだ理由。
俺をジェナの束縛から解放し、自由にするためだ。
そこでお別れっていう意味だ。
「でも、ジャックは女の子と一緒にいたいはずだ」
「ううん、女の子にはちゃんとわかってるの。それができないって。もう自分のために利用したくないって。例えジャックがそうしたいといっても、それは無理してるってわかってるの」
レストランで俺に気持ちをぶつけたのも、不安定な感情がそうさせた。
俺が一緒にいる事ができないとわかっていたから、気持ちをぶつけた後は別れの準備に入ってたんだ。
本当は本心から俺を困らせようとはしてなかった。
自分で無理難題を言っていると自覚するためだ。
そこで踏ん切りをつけて、旅の終わりを告げたんだ。
全てはジェナの作った話に沿って起こっていることだった。
理由を話し終えたジェナの瞳に涙が溜まって行く。
ジェナはメガネを外し、目じりを拭った。
手元のメガネが俺の視界に入り、俺はなんだか急に違和感を覚えた。
ジェナの話は、ジェナが作り上げたものだ。
俺は、ジェナが想像したジャックに勝手にさせられたが、そうするとその物語に出てくる女の子がジェナじゃないとおかしくなる。
ジャックが俺、女の子がジェナ。
ジェナの作った話に沿った俺たちの出会い。
ジェナは俺を自殺したのではと見せかけ呼び寄せ、しゃがんだ時、適当にメガネを地面に転がしたのだろう。
だけど、もし俺がそこで壊さなければ、この旅は始まらなかった。
だからジェナは『わざとかもしれないし、偶然だったかもしれない』と言った。
俺はこの数日間を振り返る。
何か大事なことを見落としているような気がしてならなかった。
ジェナと話して良くわからなかった会話や、ジェナのおかしな発言や行動、首を傾げた事。
なぜそんな風に違和感を抱いて、俺は困惑したのか。
ざっと思い出せる限り思い出してみた。
──積極的なジェナなのに、日本においでと言っても「実現するかな」と消極的になったこと。
──時々悲しそうな目をして風景を見ていたこと。
──オレゴンの景色を忘れたくないといいながら、オレゴンを去るわけでもなかったこと。
──自ら学ぶ事が好きなくせに、大学へ通うことを不安に思い悲観的なこと。
──日系強制収容の資料館で『シルバーライニング』の言葉にとても反応し、「どんなにつらくても希望はどこかにあるって信じて頑張るってことだよね」と言ったこと。
──ポートランドの景色を見ていて感情が高ぶって、「だから私は大好き。歴史も含めて、この風景、街並み、この景色、全てを忘れたくない」と言ったこと。
──「それは、学校で習う事以上の事を習いたかったから。もっと自由に、できるだけ沢山の事を」「でも、そうせざるを得なかっただけなの」とホームスクールを選んだ理由が矛盾してた事。
──「ジャックは、私の事もっと知ったら、絶対に私から離れないはずよ。だってジャックなんだもん」と強気に言い切った事。
──絵が上手いし、大学でアートを勉強するのに「私にはできない」と芸術分野の職業を目指してない事。
ジェナは何かの問題を抱えているに違いない。
だから、ジャックという存在に救いを求めるあの話を作った。
作ったのは中学生くらいだと言っていた。
その頃に何かが起こった。
小学生までは学校に通っていたと言っていたから、ホームスクールもきっとその頃に始めたんだ。
それからずっとジャックを探して、助けを求めていた。
そして、俺があの場所に現れたことで、それが現実と奇妙にリンクした。
だから、ジェナは物語の女の子と同じ行動をした。
でもその物語の女の子は目が見えない……
順序立てて考え、その意味に気が付いて俺がはっとしたとき、ジェナはスケッチブックを閉じ、ふっと息を吐いて、吹っ切るように立ち上がった。
「これでこの物語は終わり」
「それ、女の子はジャックがいなくなってからどうするんだ?」
「どうもしないよ。普通の生活に戻るだけ」
「目の見えない生活?」
「そうだよ」
ジェナはやるせなく笑って、ベッドに座ってる俺を見下ろしている。
「なんでそんな物語を作ったんだ?」
「それは……」
「それはジェナが目の病気を患ってるからか?」
「あっ」
ジェナはハッとして俺を凝視する。
「もしかしてジェナはこの先目が見えなくなるのか?」
俺が恐る恐る聞いた。
俺の考え過ぎでいてほしい。
でもジェナはその通りだと頷いた。
俺は石で殴られたようにショックで、喉の奥から声が突っかかる。
ジェナは俺に気を遣い、少しだけ口元を上向きにさせて、大したことではないと装っている。
その事実を知り、言葉を失ってしまった俺をジェナは茶化した。
「何を深刻になってるの? りゅうのすけが心配することじゃないの。私はすでに覚悟ができてることだから」
そんな軽く言わないでほしい。
ジェナの目が見えなくなるなんて知ったら、やっぱり辛いじゃないか。
ブルーの透き通った美しい瞳。
それが光を失うなんて俺には耐えられない。
俺はいたたまれなくなって、無我夢中でジェナを抱きしめた。