俺たちは何事もなかったように食事を終え、店を出てからずっと黙ったままだった。

 車に乗り、シートベルトをして、俺がエンジンを掛けようとしたとき、やっとジェナが口を開いた。

「ディナーをありがとう。とても美味しかった。またこのレストランに来られてとても嬉しかった」

「どういたしまして。俺も美味しい料理を食べられてよかった。ここの料理、ジェナが言った通り、すごかったよ。サービスも洗練されてたし、アメリカにこんな美味しいものがあるなんて、びっくりだった」

 ジェナは明らかに何かを気にして、気まずくなっている。

 俺が、あの時の返事をしなかったから怒ってるのかもしれない。

 このままうやむやにして良い訳じゃない。

 だけど、返事ができないのだ。

 どう答えていいのかまったくわからない。

 ジェナも俺も会って間もないし、まだどちらも学生だ。

 はっきりしても、曖昧でにごしても、結局は離れることが決まっている。

 そんな状況で、ジェナの側には絶対にいてやれない。

 でも一緒にいたいという気持ちはないという訳でもない。

 反対にこれが日本で起こった事ならば、例え相手に強く興味を持ってなくても、きっとその言葉を利用するように簡単にいい返事を返していたことだろう。

 自分が去っていく、無理な状況での告白は、簡単に会えない距離のせいで容易く受ける事はできなかった。

 いずれ自然消滅の予感がすると自分でも先が読める。

 ジェナだって、この状況に飲み込まれて、気持ちが高まっただけだ。

 できるだけ冷静に、はっきりいわずとも、自分の言いたいニュアンスが通じるように、俺が去っていく現実だけを考え俺は話し出した。

「えっと、レストランでジェナが言ったことだけど」

 ジェナの肩がピクッと反応し、恐る恐る俺に視線を向けた

「俺、嬉しかった。俺も、その、このまま一緒にいられればって思う」

「だったら、一緒にいて」

「でも俺は日本に戻らなければならない」

「そんなのわかってる。でも約束はできるでしょ。またここに戻ってくればいいだけじゃない」

「ジェナも、俺だって、まだ学生だ。学校にいかなくっちゃならないし、簡単にそれができない事わかるだろう」

「離れてる時間が長くなると、私にはもう会いたくないの?」

 その言葉は俺の思う的を射ていて、ドキッとしてしまった。

「そんなことない」

 ──ほんとにそんなことはないんだ。

 ──だけど距離があるという事はいずれ自然とそうなってしまうんだ。

 俺の心の声は言葉にできなかった。

「だったら、私たち、離れててもずっと繋がる事ができるはず」

 ジェナの意味することは、遠距離恋愛ということなのだろうか。

 それも最初の内はありかもしれないが、俺もジェナも縛り付けて、会えない時を無駄にするなんてただしんどいだけじゃないだろうか。

 ジェナだってこれから、大学で俺よりももっといい奴に出会えるチャンスが一杯ある。

 完璧に英語を操れない俺は、この先不利な点を一杯秘めている。

 ジェナはかわいいし、好かれれば素直に嬉しいが、欲望のままに先を考えない結論をすぐ出してもよいものなのか、俺自身が納得いかない。

 俺が黙り込んだその時、ジェナの目がきつくなって俺に感情をぶつける。

「ジャックは、私の事もっと知ったら、絶対に私から離れないはずよ。だってジャックなんだもん!」

 まただ。

 上手く彼女の英語がしっくりと理解できない。

 俺は何かを聞き逃している?

 しかも、ジェナはどこか駄々をこねる子供のように、俺にジャックを押し付ける。

 一体ジェナのジャックって何なんだ?

 ダメだ、これ以上俺は彼女と話し合えない。

 でも彼女がここまで俺に執着を見せるなんて、何かがおかしいようで、違和感を覚える。

 それは、押し付けるように、俺を縛り付けようとして、それを俺に実行してほしいと願ってるような──もっと違う別の理由。

 無理難題とわかっていながら、わざと気持ちをぶつけて、俺を困らせている。

 今夜の特別なディナーのせいで、俺がジェナを刺激させてしまったに違いない。

 ジェナはそれに甘えて、引っ込みがつかなくなっただけだ。

「とにかく、ジェナ、落ち着こう。今日は少しロマンティック過ぎて、ちょっと気持ちが高ぶったかもしれない」

「……」

 ジェナは何も答えない。

 でも瞳だけは黄昏の薄暗い中で虚ろに俺を見ていた。

 それから目を逸らし俺は車のエンジンを掛けた。

 車はゆっくりと動き出し、宿へと向かった。

 沈黙をごまかすように、俺はラジオのスイッチを入れたが、気にいらない曲だったのか、ジェナがそれをすぐに消してしまった。

 余計に気まずくなり、俺は追い詰められていく。

 最後は居た堪れなくなり、俺は弥縫策を講じる。

「もう少し、オレゴンにいるから」

 ほんの少しだけ先延ばしになったところで、何も解決しないだけなのに、そういうことしかできなかった。

 ジェナは無言だけど、頭の中では色々と考えを巡らせていたと思う。

 時々、何かを伝えようとしながら、それを飲み込むようにジェナは体を震わせていた。

 宿について自分の部屋のドアに手を掛け、俺に振り向き「グッナイッ」と小さくあいさつした。

 同じように俺も「グッナイッ」と返す。

 無理して寂しそうに微笑むジェナは、仕方がないとどこかで諦めているようだ。

 部屋に入る前に声を絞り出すように小さく俺に言った。

「ジャック、明日は『ティラモック』に行って、そしてジャックが行きたがっていた『キャノンビーチ』に行こう。それでこの旅も終わりにしましょう」

 あっさりと終わりを告げられ、俺の方が辛くなった。

「わかった……」

 そういうだけで精いっぱいだった。

 俺がよかれと演出したことが裏目に出てしまった。

 あまりにもあっけない、なんとも後味の悪いそんな雰囲気が俺は嫌でたまらなかった。