「ジャック、ここは!?」

 優しい仄かなペパーミント色の外壁。

 少し紫がかった明るめのあずき色のドア。

 洗練されたビクトリア調のシンプルな一軒家。

 白いフェンスに囲まれ、周りは草木と花の色のコントラストが美しい。

 ポーチのところに、ドアと同じ色をしたレストランの名前が書かれたオーバルシェイプのサインが掲げてあるが、ここがレストランだと知らなければ素通りしてしまいそうに、控えめに、だけど威厳溢れる感じに、それは建っていた。

 驚いているジェナの隣で俺も「ここが本当にレストラン?」と半信半疑だった。

「私がこのレストランの名前を言ったから、ここに来たの?」

「うん、すごく興味が出た」

「でもここ、本当に高いよ。他の所に行こう」

「だけど、すでに予約いれてるから」

「ええ!」

 躊躇っているジェナの腕を引っ張り、俺は玄関のポーチへ続く階段に足をかけ、そのまま二,三段上った。

 ここは紳士に徹してドアに手を掛け、それをゆっくり開けると、先にジェナに家へと入ってもらう。

 スマートに俺もその後を続き、背筋を伸ばした。

 案内係はドアの付近でスタンバイして、落ち着きを払った態度で歓迎してくれた。

 一軒家らしく、入るとすぐに二階に続く階段が目に入った。

 一部の壁を取り除き、部屋を改造して空間を広げ、テーブルが置かれている。

 落ち着き払った色合いのコーディネートが高級感を出していた。

 すでに何組かの客が来て食事をしていた。

 予約を入れてると言うと、微笑んでスムーズに二人掛けの席へ案内してくれた。


 照明をぐっと落とし、テーブルには小さなろうそくが灯って、可愛らしい花がアクセントに置かれていた。

 庭に咲いていた花に違いない。

 案内係に椅子を引かれ、ジェナはそろりと座った。

 俺が座っても、そわそわとジェナは落ち着かず、心配の眼差しでじっと俺を見ていた。

 大丈夫だから、と微笑んで、ウエイターからメニューを受け取った。

 それを見ている間、ウエィターがグラスに水を注ぎだした。

「お飲み物はいかがいたしましょう」

 ワインのお薦めをされたが、ジェナは未成年、俺も車を運転するので、断った。

 ソフトドリンクは何があるか聞いたら、ホワイトグレープソーダを薦められた。

 それなら見かけはシャンパンで、お酒のような雰囲気だけでも味わえそうだ。

 それを頼むと、ウエィターは用意しに奥へ引っ込んだ。

 飲み物を持ってくる間、俺たちはメニューを見る。

 他の店と比べたら高いと言えば高いが、日本円に換算したら決してそんなに高いと思わなかった。

 日本の値段設定より若干安い感じがしたのは、日本のフレンチコースの値段が高めだからだろうか。

 ワインを飲んだり、キャビアを頼めばそれは高くなるけれど、俺はなんとかなりそうだと余裕の笑顔を見せた。

「無茶するんだからジャック」

「俺だって、折角アメリカに居るんだから、美味しいもの食べたいし、今日は俺に付き合って下さい」

 ジェナは遠慮がちに小さくうなずいて、微笑んでくれた。

 ろうそくの光は揺らいで仄かに俺たちを照らす。

 アメリカ人は、こういう薄暗い光を演出するロマンティックな雰囲気が好きらしい。

 俺には暗過ぎて、ちょっと電気つけて! って言いたくなってしまった。

 ジェナもちょっと光が足りなかったのか、メニューを見るのに苦労してる様子だった。

 メニューは、ミソ、シイタケ、ユズなどところどころに日本の食材の名前が目についた。

 英語で料理を説明してるが、全然想像がつかない。

 何か質問あるかとウエィターに訊かれても、何をどう質問していいのかもわからなかった。

 5種類の料理を選べるコースにしたが、適当に指を差して選んだ。

 ジェナがこのレストランを薦めた限り、何が来ても美味しいだろう。

 周りのテーブルを遠目に見ても、見た事もない盛り付けで、いかにも豪華な感じがしていた。

 後は来てのお楽しみ。

 格式ばったレストランで、少し背伸びした俺たちは、運ばれてきたノンアルコールの飲み物を手にして、少し照れながら「チアーズ」とグラスを重ねた。

 薄暗い光の中では、ベールに包まれたように空間が狭く感じた。

 奥行きがはっきりとみえないからかもしれないが、目の前のジェナしか見えなくなる。

 ジェナも同じなのか、俺だけを見ている気がした。

 俺たちはその演出に見事に飲まれている。

 幻想的に照らされるジェナの可愛らしい笑顔に、俺はドキドキが止まらなかった。

「今日もとても楽しかった」

 俺が言えば、ジェナも「私も」と答える。

 妙に話題がなくて、言葉が出てこない。

 ひたすら笑ってごまかすというそんな初々しさがあった。

 ウェイターが料理を運んでくると気がそらされ、緊張感が和らいだ。

 テーブルの上に乗せられた料理に暫しくぎ付けになり、その間ウェイターが説明している。

 それはよくわからなかったが、妙にでかいお皿の真ん中に、ちょこんと料理が乗っているその様は、何かの芸術作品のようにそれは素晴らしかった。

 見て驚き、食べて驚きと、ジェナが言った通り、それは美味だった。

「美味しいね」

「うん、美味しい」

 そればっかりの会話が続いた。

 ゆっくりと時間が過ぎ、料理も決して急がず、ゆったりと目の前に運ばれてくる。

 まさに、優雅な一時を俺たちは過ごしていた。

 この雰囲気に乗り、俺はジェナに質問した。

「ねぇ、ジェナはなぜ俺をジャックと呼んだの?」

 ナイフとフォークを持って、お肉を切っていたジェナの手が止まった。

「それは、ジャックだって思ったから」

「だから、ジャックって誰なんだ?」

「だからあなたがジャックと思ったから。そう呼んじゃった。もしかしてジャックって名前嫌だった?」

「そんな事ない。実はすごく気に入ってるんだ。そんな風に呼んでもらえて嬉しかったくらい」

 そう、俺はジャックという名前がとても気に入った。

 俺の長ったらしく言いにくい名前を、アメリカ人によって言いやすいようにもじってつけられたニックネームよりもずっといい。

 ジェナの中では何かが反応して、俺にぴったりだと思ってくれたのなら、有難いことだ。

 俺はこのまま、ジェナの思うジャックでありたいと願う。

 ジェナが俺をジャックと呼んでくれたことで、俺の冒険が始まり、俺の中の何かが変わったような気がする。

 アメリカ留学の最後の時を、さらに忘れられないものへと変えてくれた。

 人生で一番きままで楽しい旅。

 仄かに照らされた優しい暖色の光は夢の中にいるようだった。

 俺の向かいに、かわいらしいアメリカン少女。

 俺は英語で彼女とデートをしている。

 俺自身もなんてすごい事だろうと気が大きくなって行きそうだった。

 優越感とでもいうのか、男としての矜持に酔いしれるというのか。

 ジェナは一体こんな俺の事をどう思っているだろう。

 少しばかりまたスマッグ──自惚れ、独りよがり──になってしまう。

 俺がもしこのままジェナの近くにいたいと言ったら、ジェナはその時なんて答えるのだろう。

 でも俺は首を振る。

 ジェナと一緒に長くいた事で、もしかしたら好かれているのかもと、俺は調子に乗ってしまっただけだ。

 俺がもうすぐ日本に帰ることはジェナも承知だ。

 そんな去っていく男の事を真剣に考える事もないだろう。

 お互いどこかで割り切って……

 そんな事を考えている俺をジェナはじっと見ていた。

「どうしたのジャック? 真剣な顔になってる」

「いや、もうすぐジェナともお別れだと思うと、寂しくなったのさ」

 ジェナの表情が強張った。

 ジェナは俺をじっと見つめ、震える唇で呟いた。

「ジャック、行かないで。私の側にずっといて」

「えっ」

 ジェナの瞳が潤んでいる。

 まさか、ジェナの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。

 俺はなんて言っていいのか、自分のそうしたい気持ちと、それは無理だと言う事実がぶつかり合う。

 ジェナのストレートなその言葉が俺を縛り付ける。

 この場合どういう答え方が一番ベストなのだろう。

 そうしているうちに、デザートが運ばれ、ウエィターが説明している間、ジェナはわざとそのデザートに喜んだフリをする。

 俺の答えを待たずに、ジェナは食べだした。