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焦っている俺の目の前で、彼女はまっすぐ俺を見てさらりと言った。
「仕方がない。あなたは私と一緒に行かなければならない」
はっ?
突然のことに意表をつかれ、言葉にならず、俺は頭の中が真っ白になっていた。
頭に疑問符を沢山浮かべて、かなり間抜けに突っ立ってたと思う。
これでは俺が何も理解していないと思われてるかもしれない。
落ち着け、落ち着け。
俺はもう一度自分の足元を見てから彼女を見つめた。
目の前の彼女は、愛想よくニコニコと俺に微笑んでいる。
俺がこんなことしたのにありえない。
やっぱり、聞き間違えたのだろうか。
でも彼女は確かに
『It can't be helped. You have to come with me』
と言った。
訳は間違ってない。
これくらいの英会話なら問題ない。
何が理解できないのかと言えば、俺は彼女のメガネを踏みつけ壊してしまい、どうしていいか放心状態になっているところに、そう言われたからだ。
メガネの弁償のために、どこかに連れていかれるのだろうか。
そういえば、まだ俺は謝ってなかった。
とりあえず言うべきことはこれだ。
「アイムソーリー」
この場合、非は自分にある。
責任を取るつもりで俺は謝った。
しかも日本人の習慣で頭まで下げてしまった。
「What do you mean by that?(それ、どういう意味)」
どういう意味って、言葉はわかる、頭の中でちゃんと英語は理解している。
でも謝ってなぜそう言われるのかわからない。
「だ、だから、俺がメガネを踏んだ」
この場合『壊した』と言えばいいのだろうか。
『stepped on』または『broke』、簡単な表現はすんなり自分の言語として身についてる。
彼女の英語も俺の頭ではすんなりと日本語のように理解できている。
でもなんかチグハグしていた。
「それなら、私と一緒に行くことはOK?」
彼女としては、メガネを壊されたことは二の次に、一緒に行くことを断られたと思ったらしい。
なんだそっちか。
「そ、それは大丈夫」
あまり深く考えず、ポロッと答えてしまった。
その後で我に返る。
えっ、俺、本当に一緒に行くことを承諾してしまったのか。
一体どこに連れて行かれるのだろう。
俺はこの時、彼女の意図がまだ見えてなかった。
それにしても、空はどんよりと雲がかかり、目の前に広がっている水平線は、冬の海のように銀色でいかにも寒そうだった。
それを背景に、彼女と俺は崖っぷちに立って、サスペンス番組の一シーンのように冷たい風を頬に受けていた。
季節は初夏だと言うのに。
そもそも、なんでこうなっているか。
一年の語学留学を五月下旬に終えた俺は、日本に帰るまで一人旅をしていた。
北カリフォルニアから海岸沿いのハイウェイ101号線を車で北へと進み、オレゴンに北上してきた。
このままカナダまで行ってもいいかなと思っていたくらいで、特にこれといって計画していた訳ではなかった。
オレゴン州にも全然興味がなかった。
そんな時に、あと数時間走ればワシントン州に届くくらいのオレゴンの北西、緑に囲まれた何もないロードで、ぽっかりと穴が開いたように駐車場だけが突然現れた。
てっきり、トイレ休憩のための場所と思い、俺はそこに入って車を停めた。
その駐車場の端に、茶色のシンプルな建物があり、近づけばやっぱりそれはトイレだった。
そこで用を足し、飲料水が売ってる自動販売機がないか辺りを見回せば、ごちゃごちゃと何かが貼られた案内板が目についた。
パッチワークのように色々ありすぎて何を見ていいかわからない中、やっとここの場所の名前を見つけた。
『オズワルド・ウエスト・ステイトパーク』
州の自然公園でハイキングコースがあるらしい。
一見何もなさそうなところなのに、その案内板の裏側にはショート・サンズ・ビーチへ続くトレイルが隠れていた。
ちょうどサーフボードを持った男性が、俺の後ろから現れ、その案内板の裏へ進んで、森の茂みへと消えてった。
サーフィンができるのか。
俺はどんな海があるのか気になって、後をつけるように足を向けた。
幅の狭い小道に沿って小川が流れている。
枝が絡んで水がせき止められているところを見れば、とてもそれは透き通っていた。
周りは木々に囲まれ、まるで緑のトンネルを歩いているようだった。
前にサーフボードを持ってる男性以外、あまり人がいない、かなりマイナーな場所らしい。
暫く歩いたところで、木々の間から光がまぶしく反射して、それが海だと気が付いた。
海へと合流しようとしている小川の河口に小さな橋が掛かっていた。
それを渡ったその先に、ビーチへと下りられる道とまだその先の上を行く道に分かれていた。
俺はさらに上を目指した。
後で思えば、なぜそうしたのかわからない。
ただ何かに導かれるように、行った方がいいと直感で思った。
緩やかな坂道を上り切ったところで、急に視界が開け、そこが岬だと気が付いた。
左には小高い山があり、低く雲が下りて、頭のてっぺんが被さっていた。
ビーチのところがアーチ状の湾となって、小さく奥に入り組んだ地形だった。
岬の先は崖っぷち。
その気になれば飛び越えられそうに、そこへ近寄るのは怖かった。
辺りは腰くらいまでくるような茂みになって、人が通った部分が道になっていた。
人が居ないと思ったが、よく見ればその崖の先に一人の少女が立っていた。
俺の気配を感じ取り、一度振り返ったが、その後いきなり俺の視界から消えた。
その時、俺は彼女が崖から飛び降りたのではと驚いた。
その後は体が反応して咄嗟にそこへ向かっていた。
だが、俺は早とちりしただけで、彼女はただしゃがんでいただけだった。
それでも、何か起こってたら大変だと無意識に体が彼女の方に近づき、その時グシャと踏んづけたのだ、彼女のメガネを。
気が動転している俺と違い、彼女は落ち着いて『仕方がない。あなたは私と一緒に行かなければならない』と穏やかに笑みまで添えて、それを言ったのだった。
彼女はまるで俺を知っているかのように、慌てず深くじっと見つめる。
そして、変な流れから、一緒に行く事を何も考えずに口先だけで承諾してしまったということだった。
そうなると少女のペースに俺は飲み込まれた。
「あなたの名前は?」
彼女に訊かれて、自分の名前を言うも、長ったらしく言いにくい俺の名前は敬遠され、露骨に顔を歪ませ、発音するのが嫌そうな顔になっていた。
アメリカ人は表情が大げさで、感情がすぐ顔に出やすい。
表情に乏しく、感情をあまり表に出さない日本人の俺は、消極的に怯んでそれを見る。
少女は俺をじろじろみながら、確信したように鋭く俺に問いかけた。
「ねぇ、ジャックって呼んでいい?」
「ジャック?」
「私はジェナ。お会いできて嬉しいです」
ジェナは俺に手を出してきた。
英会話の授業で出てきたお手本のような形式ばった挨拶。
俺は拒むことなく、むしろそうしなければならない圧迫を感じて、彼女と握手する。
そして俺は成り行き上、彼女から勝手にジャックと認定されてしまった。
焦っている俺の目の前で、彼女はまっすぐ俺を見てさらりと言った。
「仕方がない。あなたは私と一緒に行かなければならない」
はっ?
突然のことに意表をつかれ、言葉にならず、俺は頭の中が真っ白になっていた。
頭に疑問符を沢山浮かべて、かなり間抜けに突っ立ってたと思う。
これでは俺が何も理解していないと思われてるかもしれない。
落ち着け、落ち着け。
俺はもう一度自分の足元を見てから彼女を見つめた。
目の前の彼女は、愛想よくニコニコと俺に微笑んでいる。
俺がこんなことしたのにありえない。
やっぱり、聞き間違えたのだろうか。
でも彼女は確かに
『It can't be helped. You have to come with me』
と言った。
訳は間違ってない。
これくらいの英会話なら問題ない。
何が理解できないのかと言えば、俺は彼女のメガネを踏みつけ壊してしまい、どうしていいか放心状態になっているところに、そう言われたからだ。
メガネの弁償のために、どこかに連れていかれるのだろうか。
そういえば、まだ俺は謝ってなかった。
とりあえず言うべきことはこれだ。
「アイムソーリー」
この場合、非は自分にある。
責任を取るつもりで俺は謝った。
しかも日本人の習慣で頭まで下げてしまった。
「What do you mean by that?(それ、どういう意味)」
どういう意味って、言葉はわかる、頭の中でちゃんと英語は理解している。
でも謝ってなぜそう言われるのかわからない。
「だ、だから、俺がメガネを踏んだ」
この場合『壊した』と言えばいいのだろうか。
『stepped on』または『broke』、簡単な表現はすんなり自分の言語として身についてる。
彼女の英語も俺の頭ではすんなりと日本語のように理解できている。
でもなんかチグハグしていた。
「それなら、私と一緒に行くことはOK?」
彼女としては、メガネを壊されたことは二の次に、一緒に行くことを断られたと思ったらしい。
なんだそっちか。
「そ、それは大丈夫」
あまり深く考えず、ポロッと答えてしまった。
その後で我に返る。
えっ、俺、本当に一緒に行くことを承諾してしまったのか。
一体どこに連れて行かれるのだろう。
俺はこの時、彼女の意図がまだ見えてなかった。
それにしても、空はどんよりと雲がかかり、目の前に広がっている水平線は、冬の海のように銀色でいかにも寒そうだった。
それを背景に、彼女と俺は崖っぷちに立って、サスペンス番組の一シーンのように冷たい風を頬に受けていた。
季節は初夏だと言うのに。
そもそも、なんでこうなっているか。
一年の語学留学を五月下旬に終えた俺は、日本に帰るまで一人旅をしていた。
北カリフォルニアから海岸沿いのハイウェイ101号線を車で北へと進み、オレゴンに北上してきた。
このままカナダまで行ってもいいかなと思っていたくらいで、特にこれといって計画していた訳ではなかった。
オレゴン州にも全然興味がなかった。
そんな時に、あと数時間走ればワシントン州に届くくらいのオレゴンの北西、緑に囲まれた何もないロードで、ぽっかりと穴が開いたように駐車場だけが突然現れた。
てっきり、トイレ休憩のための場所と思い、俺はそこに入って車を停めた。
その駐車場の端に、茶色のシンプルな建物があり、近づけばやっぱりそれはトイレだった。
そこで用を足し、飲料水が売ってる自動販売機がないか辺りを見回せば、ごちゃごちゃと何かが貼られた案内板が目についた。
パッチワークのように色々ありすぎて何を見ていいかわからない中、やっとここの場所の名前を見つけた。
『オズワルド・ウエスト・ステイトパーク』
州の自然公園でハイキングコースがあるらしい。
一見何もなさそうなところなのに、その案内板の裏側にはショート・サンズ・ビーチへ続くトレイルが隠れていた。
ちょうどサーフボードを持った男性が、俺の後ろから現れ、その案内板の裏へ進んで、森の茂みへと消えてった。
サーフィンができるのか。
俺はどんな海があるのか気になって、後をつけるように足を向けた。
幅の狭い小道に沿って小川が流れている。
枝が絡んで水がせき止められているところを見れば、とてもそれは透き通っていた。
周りは木々に囲まれ、まるで緑のトンネルを歩いているようだった。
前にサーフボードを持ってる男性以外、あまり人がいない、かなりマイナーな場所らしい。
暫く歩いたところで、木々の間から光がまぶしく反射して、それが海だと気が付いた。
海へと合流しようとしている小川の河口に小さな橋が掛かっていた。
それを渡ったその先に、ビーチへと下りられる道とまだその先の上を行く道に分かれていた。
俺はさらに上を目指した。
後で思えば、なぜそうしたのかわからない。
ただ何かに導かれるように、行った方がいいと直感で思った。
緩やかな坂道を上り切ったところで、急に視界が開け、そこが岬だと気が付いた。
左には小高い山があり、低く雲が下りて、頭のてっぺんが被さっていた。
ビーチのところがアーチ状の湾となって、小さく奥に入り組んだ地形だった。
岬の先は崖っぷち。
その気になれば飛び越えられそうに、そこへ近寄るのは怖かった。
辺りは腰くらいまでくるような茂みになって、人が通った部分が道になっていた。
人が居ないと思ったが、よく見ればその崖の先に一人の少女が立っていた。
俺の気配を感じ取り、一度振り返ったが、その後いきなり俺の視界から消えた。
その時、俺は彼女が崖から飛び降りたのではと驚いた。
その後は体が反応して咄嗟にそこへ向かっていた。
だが、俺は早とちりしただけで、彼女はただしゃがんでいただけだった。
それでも、何か起こってたら大変だと無意識に体が彼女の方に近づき、その時グシャと踏んづけたのだ、彼女のメガネを。
気が動転している俺と違い、彼女は落ち着いて『仕方がない。あなたは私と一緒に行かなければならない』と穏やかに笑みまで添えて、それを言ったのだった。
彼女はまるで俺を知っているかのように、慌てず深くじっと見つめる。
そして、変な流れから、一緒に行く事を何も考えずに口先だけで承諾してしまったということだった。
そうなると少女のペースに俺は飲み込まれた。
「あなたの名前は?」
彼女に訊かれて、自分の名前を言うも、長ったらしく言いにくい俺の名前は敬遠され、露骨に顔を歪ませ、発音するのが嫌そうな顔になっていた。
アメリカ人は表情が大げさで、感情がすぐ顔に出やすい。
表情に乏しく、感情をあまり表に出さない日本人の俺は、消極的に怯んでそれを見る。
少女は俺をじろじろみながら、確信したように鋭く俺に問いかけた。
「ねぇ、ジャックって呼んでいい?」
「ジャック?」
「私はジェナ。お会いできて嬉しいです」
ジェナは俺に手を出してきた。
英会話の授業で出てきたお手本のような形式ばった挨拶。
俺は拒むことなく、むしろそうしなければならない圧迫を感じて、彼女と握手する。
そして俺は成り行き上、彼女から勝手にジャックと認定されてしまった。