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「ここね」

 シスターはいつになく嬉々とした顔で、ある建造物の前に立っていた。
 それは都内──録本貴(ろっぽんぎ)にある美術館。
 ゾンビを屠りながら移動してきた目的地はここだったようだ。悪魔としては志部谷のスクランブル交差点でテンションが上がっている彼女を見て、観光気分だと思っていたのだが、またしても予想を裏切られた。

「まったく君の行動原理は理解不能ですね~。もし僕と賭けをしていたら……、そうだな、六十五敗ぐらいは負けていたかも?」

「ふーん」とシスターはいつになく素っ気ない。いつもならもっと気の利いたジョークを口走りそうなものだが……。
 悪魔は彼女の行動にやや眉をひそめた。

「なら、私の求めていた物がこの美術館にあるかどうか賭けない?」

 珍しい提案に、悪魔は今度こそ怪訝そうにシスターを見つめた。
 彼女の魂が濁った様子はない。その前兆も皆無だ。
 やはりこの金髪の美しい女の考えは全く分からない。しかし、賭け事なら悪魔の大好物だ。提案されたら快諾する。
 たとえ分が悪い賭けであっても、いくらでも言いくるめられるし、膨大な力を使うが時間を巻き戻すことだって可能なのだ。人間からしたら反則でしかないだろうけれど、それは悪魔が知ったことではない。

「ええ、良いですとも。何を賭けます? 僕が勝ったら、貴女から愛の言葉を頂戴するとか。一緒にダンスを踊る……いえ、せっかくです。一夜を共にしてもらうなんて──」
「いいわよ」
「え?」
「私が賭けに勝ったら──、私の故郷に連れて帰って欲しい、かしら」

 シスターは今までで一番の笑顔を悪魔に見せた。初めて見る少女のような可憐な笑みに悪魔は見惚れ──固まった。なにより彼女が悪魔の要求を認めたのだ。驚くもの無理はない。

「え……シスター、熱でもあります?」
「なに、喧嘩売ってんの?」

 スッと身構えるあたり彼女らしい。
 なによりいつものシスターの反応に、悪魔は安堵した。

「いえいえ。いつもなら僕の戯言に……こうなんていうんです? 絶対零度の目を向けていたので、変なモノでも食べたのかなと」
「つくづく失礼な悪魔ね。ニンニクを口の中に詰め込むわよ」
「それ効くの吸血鬼であって、悪魔()じゃないですからね!?」
「知ってる。物理的に口を塞ごうとしているだけ」
「酷い!? どうせ塞ぐならシスターの口づけの方が──」

 彼女は問答無用で常備していたニンニクの塊を、三つほど悪魔の口の中に詰め込んだ。「むぐぐぐっ」と間抜けな悪魔は、浮遊しながらもがいたのだった。

 ***

 美術鑑賞は静寂さが大事だ。
 様々な巨匠たちの傑作が集う奇跡の空間。
 時代を超えて残る人類の遺産。
 人間の魂に訴える絵画は人を救う事すらある。

「……終末美術展? えっと……。古今東西の黙示録から人類終末をモチーフにした絵画を結集。……あの、シスターこれは?」
「見て分かるでしょう? 絵画よ」
「いや、それは分かりますよ。ここに貴女の求めるものが本当にあるんですか? 賭けとかする気ないんじゃないです?」

 シスターは美術フロアーに着くと、二人分の入場料を置いてさっさと奥へと進んでしまう。そういうところは相変わらず律儀だ。

 赤い絨毯に白を基調とした美術フロアーは質素だが気品があった。人による手入れがされていないようだったが、それでも空調などは生きているのか黴臭さや埃っぽさはあまり感じなかった。
 ただ悪臭というか腐臭がする。想定通り、ゾンビの姿があった。
 来館者だったモノたちだろう。
 シスターは躊躇なくガスマスクを装着すると、催涙弾と煙幕弾を床に放り投げた。あっという間に美術鑑賞には不釣り合いな騒がしい空間へと変貌する。

 轟く銃声と硝煙。
 壁の色を赤銅色に染める鮮血。
 いつもなら一撃離脱(ヒットアンドアウエイ)の戦術なのだが、今回は向かう場所があるため退くという選択肢はない。シスターは苦手な射的を使ってまで、展示室の奥へと足を進める。