二〇××年十二月二十四日 志部谷。
人間の世界が秩序を失い混迷を極めたため、修復しようとした天使と更なる堕落を誘う悪魔の代理戦争が激化し、地上が煉獄へ早変わりした。
もっともその引き金を引いたのは人間であり、より状況を悪化させたと言われている。
その結果、人は罪を犯すと、その肉が腐り落ち、身も心も腐敗した存在──腐った死体が誕生し、世界に溢れた。
有象無象。際限なく溢れるのは、人間が罪深い存在なのだろう。それを狩るために構成された組織は《必要悪》と呼び、そこで修練を積んだ者は《派遣執行官》の称号を得て、ゾンビの殲滅に勤しむ。
「神々の試練? いや、別にただ単に面倒ごとを押し付けられただけじゃないですか。そう思いません? ね、シスター」
堂々と言い切った男は三十過ぎだろうか。深緑色の癖のある髪、褐色の肌で目鼻立ちが整っており中々の色男だ。服装は「英国紳士の嗜み」とかで白の燕尾服を着こなしており、ゾンビに追われるシスターを傍観しつつも追いかける。
話しかけられたシスターは、この悪魔に一言言ってやりたい気持ちを抑えて、すぐ傍の敵を見据えた。
漆黒の修道服を身にまとう修道女は金色の美しい髪を靡かせ、躊躇なく手榴弾を幾つも放り投げた。
「Amen!」
別段、神の力──奇跡などではなく、十字架にロゴが入っただけの軍事特化型手榴弾である。オレンジ色の爆炎が連続して爆ぜた。今ので大方追手を倒しただろう。
「そのアーメンって、使い方が間違っているような……。なんだいその『たまやー』『かぎや』みたいな言い方……」
「気分よ」
「気分なのか……。僕的には宗教的な何か意味合いがあるのかと思ったよ。呪い的な?」
「信仰心はあるけれど、そんなんじゃないわ。口にした方が気分が晴れるから……かしら」
男は笑った。
世が世なら魔女と断罪されかねない発言だ。それを平気で口にして、あまつさえ無慈悲にゾンビたちを殺していく。あれも元は人間だったというのに。
「いいね。やっぱり君たち人間は面白い。どの時代だろうと僕の好奇心をくすぐるのはいつだって君たちだ」
「五月蠅いわね。……だいたい、アンタいつまでついてくるのよ」
「そりゃあ、どこまでも。君といると退屈しないからね。それにいざとなったら、悪魔と契約してくれるかもしれないじゃないか」
シスターは心底哀れんだ──嫌どちらかと言うとゴミを見るような、が近いかもしれない。
「悪魔なんかと契約したら、それこそゾンビの仲間になっちゃうじゃない」
「冗談じゃない。人間がゾンビになるのは僕らのせいじゃないさ。もちろん、クソ真面目な天使のせいでもない。魂の練度に合わせて肉体は維持している。魂が穢れれば自然とああなる訳で、昔映画館で見た『噛まれたらゾンビになる』──なんてのも嘘っぱちだからね」
子供のように悪魔はぷりぷりと怒っている。「というか悪魔が映画館に行くのか」とシスターは思ったが、ツッコまなかった。
かつて栄えた東の国は灰色の高層ビルが立ち並び、ギリギリ人間の生存範囲を保っていた。だが、それでも昼間から出歩くような命知らずはおらず、みな安全な隔離空間で生活をしているのだろう。
隠れていればいつかゾンビが一掃される──などと楽観視しているとしたら実に羨ましい思考だ、とシスターは思った。こんな世界にしたのは人間が招いたことだというのなら、人間が解決しなければいつまで経っても変わらないだろう。
もっともシスター自身、「自分が解決する」などと高尚かつ傲慢な考えはない。ただ何か目的があって旅を続けている、というのは悪魔にもなんとなく察していた。でなければ世界の裏までやってこないだろう。