お母さんの声がする。
「日向、ごめんね?」
 ドアの前。
 立ち止まって、もう一度、お母さんのほうを振り返る。
 半身を起こしてベッドに座っているお母さん。
 その横に立って、こちらを向いている三条くん。
 ふたりに、さらにギギギと音がしそうな笑顔で言う。
「ええっと……、うん。ちょっとお話してて。お母さんをお願い。聖弥くん」
「ああ」
 トンと閉じたドア。
 その音に繋がって、耳の奥でトクトクと音が聞こえた。
 あたしも『聖弥くん』なんて言っちゃった。
 そうよね。
 お母さんの前で『イチゴ』なんてあだ名で呼べないもん。
 そういうとこ、やっぱ大人だよね。彼って。
 それにしても、あたしが『聖弥くん』って返す必要なくない?
 なにをやってんだろ、あたし。
 ここは、この辺りでは一番大きな総合病院。
 通路は壁も天井も、とっても品の良い薄緑色。
 その柔らかな薄緑で気持ちを落ち着けながら、お母さんの病室がある二階からゆっくりと階段を下りた。
 明るいエントランス。
 売店は総合案内所の横を奥へ進んだ先。
 車椅子でも楽に通れる堅さの清潔感のあるタイルカーペットが、ずっと奥まで続いている。
 売店は、あの耳鼻咽喉科の向こうだ。
 そしてちょうど、その耳鼻咽喉科の待合室の前まで来たとき……。
「なにが『様子を見ましょう』よっ! 分からないなら分からないって正直に言えばいいのよっ! このヤブ医者ぁぁ!」
「ちょっと、いい加減にしてくださいっ! 警察呼びますよっ?」
 突然聞こえた、覚えのあるアニメ声の絶叫。
 うわ、これはまさかっ!
 ガタガタッと激しい音がして、耳鼻咽喉科の受付横の扉が乱暴に開いた。