あたしの言葉に重なって、顔のすぐ横を彼の声が通り過ぎてゆく。
 その声を追ってそっと顔を上げると、もう彼は出入口の取っ手に手を掛けて、顔をこちらへ向けていた。
「先生も、俺が誰だか知ってるんなら、俺の親の話も聞いてるだろ。担任に絶対連絡するなって言っておいてくれ」
「あのねぇ、そういうわけにはいかないのよ。まぁ、あんたがそこまで言うなら、一応、担任の若宮先生には話しとくけど」
 先生の言葉に、小さく頭を下げた彼。 
 そして、顔を上げた彼の瞳はチラリとあたしに向いたあと、すぐにゆっくりと閉じられた戸の向こうに消えた。
 思わず下唇を噛む。
 あたし、どうしたらいいの?
「先生……、お母さんに言わないほうがいいですか?」
「うん? 宝満さんは、ちゃんとご両親に言ってよね。ちゃんと両方によ? 片方の親にしか伝わらなかったことまで学校のせいにされちゃうことがあるんだから」
「そんなことあるんですかっ? えっと、でも、うちはお父さんは居ないんで、お母さんにちゃんと伝えます」
「あ、ごめんね? こういうことがあるから、生徒には『保護者』としか言うなっていつも言われてんのに。許して。そういえば自己紹介してなかったね。私は養護教諭の(みず)()。よろしくねぇ」
「先生、本当にすみませんでした。今度、翔太を連れてきます」
「あはは」
 翔太の事を思い出して、また大声で笑い出した水城先生。
 あたしは先生に深々とおじぎをして、それから行儀よく保健室を出た。
 廊下はもう、朱色一色。
 いつの間にか、窓の外では今日も一日頑張ったお日さまが帰り支度をしていた。
 ぴょんと伸び上がって、肩のバッグを掛け直す。