「俺、聖弥くんの監視役だったんだよ」
 監視役?
 山家さんがあたしに見せたのは、カラーで印刷されたちょっと品のいい名刺。
『株式会社三条建設 建築デザイナー 山家健人』
 ええ?
 待って、どういうこと?
 山家さん、在宅で仕事しているなんちゃってデザイナーだって……。
「日向ちゃんには悪いけど、三条くんが日向ちゃんと仲良くしていることも、ずっと報告してた」
「報告っ? 誰に?」
「聖弥くんのお母さん、つまり、俺からすれば社長夫人だ」
 遠くで聞こえ始めた、ザーっと重たい雨の音。
 土間の外、開け放たれたドアの向こうのコンクリート通路の色が、みるみるうちに濃い灰色に変わっていく。
「えっと、ちょっと急すぎて、よく意味が分からないんだけど」
 あたしがポカンとして板張りにゆっくりと座り込むと、山家さんはドアの外へ目を向けたまま、独り言のように言葉を続けた。
「俺、大学卒業してからずっと、三条建設で建築デザイナーやってんだ。このアパートは三条建設の持ち物で、社宅代わりに住まわせてもらってる」
「聖弥くんが、俺の隣の部屋に通い出したのは、去年の春。社長からは、『お前の隣を勉強部屋として使わせるからよろしくな』って笑って言われた。でも、そのあと、社長夫人から別に呼ばれて、命令だって言われて」
『山家くん、あなたの隣の部屋が聖弥の勉強部屋になるから、あなたは聖弥に「悪い虫」が付かないようにちゃんと監視するのよ? そして毎日、聖弥の様子を必ず私に報告するの。いいこと?』
「そりゃ、抵抗があったよ。スパイみたいなもんだからな。でも、不思議だろ。家はすぐそこなのに、なんで通いの勉強部屋が要るのかって」