伸ばした手を女も握り返したけれど、女は海の底へ男を引っ張っていく。男は女を助ける為に、海面へ腕を引っ張っるが、女は拒絶していく。息が苦しくなっていく。
女に言葉は届かない。男に気持ちも届かない。
 女は、男の安っぽい愛の言葉など聞きたくなかった。ただ、ただ、信じていたのに。
男は、意識が遠のいていくのを感じて、無意識に、――女を掴んでいた手を離した。
握って離さないと、誓いながら。
女も満足そうに微笑み、海の底へと沈んでいった。
 陸にあがり、ぼんやりと微かにある意識の中で、男は離した右手を見つめた。何故、離してしまったのか。女は最期に試してくれたのに。
 男は、女と共に果てる事なく、一人で生きる事を選んでいた。
愛しいと女に愛を囁きながら、女の為にと弓の腕をあげながら、それが揺るぎない、男の現実であった。
 長く絡み合う艶やかな髪、高貴で鮮やかに薫る荷葉の薫り。
 一度だけ重なった身体は、溶け合う様に二人の心を一つに染み込ませていったのに。その妖艶で、しっとりとした、月もない夜の逢瀬。それさえも海の藻屑となり、心に染み込んだ雨の海の泡となって消えたいく。
残ったのは、記憶に残る薫りだけ。
キミに触れた時間の、薫りだけ。