もう始まる時間だ。ここは貸し切りだし二次会もするから、時間がずれても多少なら融通が効くのだけは幸いだった。
雨がしとしとと濡れる。溢れだした、零れ落ちた時間の隙間から雨が降り出して、二人の間に小さな水たまりができていく。
「思い出したの」
「何を?」
「雨が止んだら、貴方は私を捨ててしまう」
「貴方じゃなくて、名前を呼んでよ」
 こんなに感情の起伏が激しい人では無かったのに。
音楽の教師として高校でずっと働いていたし、切れ長の大きな瞳に薔薇色のぷっくりと誘うように大きな唇。誰もが振り返るような、綺麗な姉は僕の自慢だった。
「秀一、私ね、思いだしたのよ」
「何? 父さんと母さんが事故で死んだあの日?」
「違う。貴方と私の馬鹿みたいなかくれんぼ」
 クローゼットから出て来ない彼女は、嗚咽交じりで泣いている。外の、空の天気と同じように。
「秀一」
「ん?」
「私、雨の日はいつも機嫌が悪くなったりしないわよ」
「そうだっけ?」
 軽く流そうとした僕に対し、千姫は黙った。その沈黙は、全てを悟ってしまったんのだろうか。
「一体、いつの話をしているの?」
「いつの話?」
 今度は僕が首を傾げなければいけない番だった。
「思い出したの、昔昔の御伽話を」
 千姫の退屈な時間旅行が始める。
僕は一眼レフを首から御下ろして、スタッフが並べていた三段ボックスの化粧道具を蹴飛ばしてそこに置いた。そのまま、煙草に火と付けて、小さく煙を吐きだした。煙草の煙は愛おしくて好きだ。苦い思い出を蘇らせてくれる。
「で、いつの話?」
 僕が静かに聞くと、千姫は語りだした。
「貴方が初めて私を捨てた、あの戦いの日」