クローゼットが、漸くゆっくりと開かれた。中から現れたのは、アイメイクが涙でボロボロになった姉の情けない姿だった。目元が、アイラインでパンダのように真っ黒になり、アイシャドーのラメでキラキラと輝いている。せっかく姉さんは綺麗なのに、その姿は台無しだった。
「いいの? せっかく有名なフラワーデザイナーが作ってくれたブーケが台無しじゃないか」
 真っ赤な薔薇が咲き乱れていただろうブーケは、ボロボロになった花束に成り果てている。
これでは全然美しくない。姉さんに相応しくなかった。
「そうね。……酷いわよね、これ」
 ため息を吐いた姉さんは妖しく笑う。
「でもね、大丈夫。有名なフラワーデザイナーなんて嘘よ。私が自分で作って持ち込む為に言った嘘。貴方がこのブーケに触れないように私が考えた只の嘘よ」
 騙されたわねと笑う。口元に手を当てて上品に笑うが、ネイルは所々剥げていて酷い有り様だった。
「何度も何度も繰り返していく内に、貴方は名前を呼ぶのも適当になっていたわよね。秀一」
「だから、僕はそんな夢物語には興味が無いってば」
「どうせまた繰り返すからでしょ?」
 冷たい瞳で姉さんは冷ややかに言う。どうやら簡単には引き下がらないらしい。
「秀一よ。貴方は秀一」
「そうだね、千姫」
 クスクスと笑うと、姉の目は冷たくなっていく。
「命が惜しくなったら貴方を思い出すと言う。じゃあ、何故私が貴方を思い出したのか――理由は分かるわよね?」
 その冷たい声に、僕は目を見開いた。けれど、姉さんの気持ちはもうとっくに決まっていたのだろう。その両手に持っていた、花弁がボロボロに落ちてしまっているブーケから小さなナイフを取り出した。
「私は、逃げてしまう貴方の後、残された人生で違う人と恋に落ちたり、結婚したり、それなりに満足して生を全うしてきたわ。貴方とは違う」
「姉さん?」
「私は、私の人生を歩む。貴方は、たった一回の最初の非恋から、私に見つけてもらおうとかくれんぼばかりしているわよね」
 その気持ちに、僕は気づいていなかった。雨がしとしとと降っては止んで、僕たちの視界を濡らしていく。信頼も地位も、金も失ってもいいのだと姉さんの目が笑っている。
「それ、笑えないよ」