「じゃぁ、桜なんて本当にいらないね!」
 僕は、ショメイを奪って校長室から飛び出した。自分でも、自分の気持ちが分からなかったから。
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「いやぁ、すまないね、うちの馬鹿な孫が」
「いえ、こちらこそ傷つけてしまって」
 僕は押し入れに入って、耳を塞いで、けれど聞いていた。僕のランドセルを先生が届けてくれたんだ。
「孫は、あの人に似ているように感じますね」
 じいちゃんが、ウキウキと鼻の下を伸ばしながら言ってたのに、急に穏やかに言った。
「……はい」
 校長先生も静かに答えた。
僕の、話?
耳を塞いでいたのを止めて、襖に耳をつけて聞き入った。
「けれど、これで決断しました。本当は桜が舞って、海まで届いてからと思ったけれど、もう海にはあの人はいないから」
 先生は、桜の木を撤去する日を速めると言った。
「僕、そんなの嫌だ!!」
 押し入れから飛び出して、じいちゃんと先生の間に入った。
「まずは校長先生に謝れ!」
「謝らない! けど切られるのは嫌だ!」
 僕のムチャクチャな返答に、じいちゃんは溜め息をつくとランドセルを持って部屋を出て行った。重い沈黙の中、僕は正座して足に乗せた手をずっとずっと見つめた。
 けれど、涙が手にポタポタと落ちて、視界が歪む。先生の中から、僕が消えて行くのが耐えられない。そう悔しくて悲しくて僕は泣いた。
まるで、あの桜は僕と先生が植えたような錯覚さえ生まれてくる。いいや、そうだよ、きっとそうなんだよ。
「先生は、幸せだったのよ」
 ソッとハンカチで涙を拭かれて、僕は顔を上げた。優しい優しい、穏やかな先生の笑顔。
「今も先生は幸せなのよ。そして、あの桜は沢山沢山舞って、海まで飛んでいく。海に花びらが届くのが、本当に本当に嬉しかったのよ」
 涙を拭いたハンカチは、桜色した良い匂いのハンカチだった。
「毎年毎年、桜があの人に私の幸せを伝えてくれると思って、それが楽しみだったけれど、もう良いのよ」
 先生は優しく僕の頭を撫でた。僕を通して、誰かを見ながら。
「もうあの人は、冷たい海の中には居ないのだから」
 ――先生は幸せだった。
それを聞けただけで良かったと感じた。何故か知らないけれど、涙が溢れて溢れて止まらなかった。