そう言って、千人針を持たせてくれたので、腹に巻いて軍服を身に付けた。
玄関に馬の蹄の音が響き、僕の迎えを合図するノックの音が響く。
カツカツと革靴の音を響かせながら、階段を下りて行く。妹と母には玄関まで見送るのは断ったからだ。重い足を蹴りあげるように階段を下りて行く。
 今日で、運命が経ち切れるならば僕は本望だ。
「お兄様!」
 それなのに、――それなのに。
 命が消えてしまうと、キミは惜しくなる。
「お兄様、いいえ、貴方はお兄様じゃないわ! そうでしょう? ねえ、行かないで」
 階段を慌てて降りてくるキミに、僕は一度も振り返らなかった。
「思い出したわ! 全て思い出した。もういやよ、離れたくない。行かないで」
 背中に抱きつかれても、僕は振り切るように歩いて階段を下りる。こんな僕が死ぬからといって、思い出さなくて良かったのにキミは。
「静かに。非国民な発言は控えるんだ。もう僕もいない。キミと母さんだけになるのだよ」
「嫌。いやあ。こんなのあんまりだわ」
 ああ。雨だ。また雨が降るのか。
せっかく運命を断ち切るチャンスだったのに、キミは雨を降らせるんだね。
「言っただろ? キミの為なら死んでもいいと」
 その言葉を聞いて、キミは更に大声をあげて泣いたが、僕は振り返らなかった。
僕に泣く資格はないとさえ思う。まだキミが泣き叫ぶ中、僕は屋敷の扉を開けてゆっくりとその呪縛から逃げだした。

 現世では此処は語り継がれるそうだね。
この階段の20段上がってすぐの踊り場で、この家の娘であった少女が、戦争へ行くと報告した婚約者に縋りつき止めたと言われている。
戦争へ行く彼を思い、彼は残していく彼女を思い、その気持ちは永遠に語り継がれる。
なので此処で式を挙げると、永遠の愛が誓えるらしいと。
 正確には、妹と兄だ。言い伝えなんてあやふやに、勝手に美化してしまう。
僕たちの運命も此処で終わっていたら、きっと美しい物語になっていただろうに。
美しくない過去を塗りたくって隠して、だからこそ、僕たちみたいな悲劇がおこらないように、永遠の愛が誓えるのかもしれないね。
終わりが見えない時間のうねりにもう疲れてしまった。
純粋で汚れもなく、ただただ相手を思うだけなのに。
繰り返す恐怖から、逃れられない。
何度でも思い出して、その状況で僕たちは結ばれないことを知り、雨に流されて行く。