悲恋三
キミを思うと――
また時間はうねり、僕とキミの気持ちを隠してしまった。
軍服に身を包み、僕は明日戦地へ赴く。状況は悪化するばかりで、後はもう特攻するしか道はないぐらい追いつめられている。
その日は、雨がしとしとと降っていた。父が作ったこの洋館に、町の人々――とは言っても、やせ細った子供と老人しか居なかったが、訪れてくれて僕を国の誇りだと讃えてくれた。お国の為に命を捨てるのが、僕の人生で最も名誉ある死なのである。
母も妹も、涙を堪えてくれている。だから僕は泣かない。泣く訳はない。
その夜、家族で最後の夕飯で僕は母と妹の顔を交互に見た。
「貴方達二人を守るために逝く。国の為ではない」
戦地から還らなかった父の代わりに二人を僕が守ろうと決めていた。食べるものがなくて母が着物を次々と手離していくのが辛かった。ピアノを弾く美しかった妹の手が、田を耕し、薙刀で戦う練習の為に荒れていくのが辛かった。
二人を守るために逝くのだ。
僕はそう言うと、二人の顔を見れずにただただ真っ直ぐ天を仰いだ。二人は泣いていたが、僕に二人を守れるとすれば、こうする他なかったのだ。行くなと言えば非国民だと非難されるのが分かっているから、皆大声で悲しみを吹き飛ばしただただ叫ぶ。叫んでいるうちに本当に、感覚が麻痺し国の為にと謳うのが美徳とされるのかもしれないけれど、それでもいい。
自分の力で何かが変わるのであれば。
「お兄様」
大粒の涙を溜めて妹は泣く。キミが、キミが妹として生を受けてから僕の心は満たされている。
恋人は無理でも、僕には今度こそキミを守れる立場になった。
敵対していない。キミと離れる理由は無かった。例え僕は、君が誰かと結婚しても兄としてキミを守りたい。キミを愛しく思う。兄として。だから寂しくないのだと満たされているのだと感じた。
願はくは、キミが何も思い出さないまま戦地へ行けますように。
今度こそ、この呪いのような縁を断ち切れるように。
しとしとと月を濡らして雨が愛おしい。
この時代の匂いも好きだった。