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――僕は車を走らせ、京王八王子駅からほど近い茗桜女子学院高等部の校門前に着くと、そこで車外に出て絢乃さんを待った。
時刻は三時二十分過ぎ。そろそろ終礼が終わって出てこられる頃だと思いながら、グレーのコートの襟を掻き合わせた。
「――あっ、桐島さん! 寒い中、お迎えご苦労さま!」
僕が彼女を見つけ、「お迎えに上がりました」と言う前に、彼女の方から僕に気づいて声をかけて下さるのは毎回のことだった。……何だか秘書として格好がつかない。
「いえいえ。絢乃さんこそお寒いでしょう? どうぞお乗り下さい。車内は暖房を効かせてありますから」
「ありがとう!」
助手席のドアを開けると、彼女はニッコリと笑って僕にお礼を言いながら暖かな車内に乗り込んだ。
絢乃さんは会長に就任後は、僕の車の後部座席に乗られたことがない。大企業の重役クラスの人は、たいてい後部座席にドッカリ乗っているものなのに……。
僕は一度、彼女に理由を訊ねたことがあったのだが。「後部座席に乗ると偉そうに見えるからイヤ」というのは果たして本音なのだろうか? 本当の理由を話してくれたことは、夫婦となった今に至るまで一度もない。
「――今日は急ぎの案件ってどのくらいあるの?」
車の中で、彼女は女子高生から〈篠沢グループ〉会長の顔に切り替わった。これだけはっきりオンとオフを切り替えられるのは、幼い頃からの心構えの賜だろう。
「そうですね……、五~六件というところですかね。あと、取材のお話も何件か頂いているんですが、どういたしましょうか?」
「それ、どんな取材なの? 内容によっては貴方が断ってくれて構わないわ」
「ネットニュースの記者さんだったと思います。お断りした方がよさそうですね」
新聞や経済誌の取材なら、絢乃さんは「会社のため」「グループのため」と積極的にお受けしていたが、ネットニュースの取材にはあまりいい顔をなさらなかった。きっとあることないこと書きたてられて、社員や他の役員に迷惑がかかることを懸念されていたのだろう。
「お願いします」
実は彼女のあずかり知らないところで、僕の判断によって断ってきた取材申し込みも何件かあったのだ。彼女が知りたがらないので、僕もお伝えする気はなかったのだが……。
――会社に到着し、最上階の会長室で業務を代行されていた義母とバトンタッチすることから、彼女の「会長」としての仕事が始まるのだった。
この日も、彼女のもう一つの日常が始まった。