「昨日言ってた転属の相談か。んで? どこの部署に異動すんのよ?」

「秘書室」

 僕は内心、「お前仕事しろよ」と思いながら、簡潔に答えた。こんな現場、課長に見られたらまたイヤミ地獄だ。
 ……まあ、そんなものはもう怖くも何ともなかったが。

「えっ、マジ!? あそこって女の園じゃん!」

「バカ! お前声でかいって!」

 自分の席で何やら作業をしていた課長に睨まれていることに気づいた僕は、慌てて大声で喚いた久保の頭をはたいた。

「桐島君、久保君。君らは仕事中に何をじゃれ合っとるんだね?」

 イヤな予感が的中し、課長が僕らの元へツカツカとやってきた。思いっきり仏頂面で。
 ……久保、余計なこと言うなよ。僕はとっさに彼に目で合図(アイコンタクト)を送った。

「あー……、いえ! 何でもないっす! な、久保?」

「……えっ? ああ……うん、まあ」

「そうか。まあいい。仕事中に仲間と喋るなとは言わんが、あまり周りに迷惑はかけんように」

「「はい。すみません」」

 僕らは先生に叱られた小学生のように、素直に謝った。が、「迷惑をかけるな」と課長にだけは言われたくなかった。
 部下に迷惑をかけまくっていたのは、他でもない課長自身なのだ。

「――で、異動はいつごろ決まりそうなんだよ?」

「うん、なるべく早いうちにとは言ってある。広田室長と相談して、決まり次第内線で返事がくることになってんだ」

 ……ただ、それだと一つ大きな問題が生じるのだが。万が一課長がその内線電話を取ってしまった場合、話がこじれてしまう恐れがあったのだ。

「内線で? それってヤバいんじゃね? もし課長がその電話取ったらどうすんだよ? 絶対(ぜってぇ)不審がられんぞ」

「そうなんだよ。ま、そん時は課長から受話器ぶん取るか、課長に出られる前に俺が取るかだな」

「桐島……。お前、今回は意外と強気じゃん」

 〝意外と〟は余計だっつうの、と思いつつ、僕は感心する久保に得意げに言ってのけた。

「今の俺には、課長なんて怖くないからな」

****

 ――源一会長は病気の告知を受けた翌日から、通院による抗ガン剤治療を受けながら会社へも出社されていた。本当に最期まで、この会社や僕ら社員たちのことが大切だったのだなと思う。

 その日も、彼は秘書である小川先輩に支えてもらいながら、少々おぼつかない足取りで各部署を視察されていた。
 昼休みが終わって社員食堂から上がってきた僕は、エレベーターで最上階から下りて来られた会長と廊下でバッタリ会った。

「――会長、こんにちは。……あの、お体の加減はいかがですか?」

「君は……ええと、確か総務課の桐島くんだったね?」

「はい」

 やっぱり会長は、僕の顔と名前をちゃんと憶えて下さっていた。

「心配してくれてありがとう。私の病気のことは誰から聞いたのかな」