「うん。桐島さん、お願いします」

 彼女は年上の僕を立てるように、礼儀正しくペコリと頭を下げた。その可愛らしい仕草に、僕の胸はキュンとなった。

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「――絢乃さん、どうぞ」

 地下駐車場の自分の車の前に来た僕は、彼女にできるだけ広々と座って頂きたいと思って後部座席のドアを開けた。……が。

「ありがとう。――でも」

 そう言って、彼女は後部座席ではなく、助手席の前に立った。そして、モジモジしながら上目遣いで僕に伺いを立ててきた。

「……ねえ、助手席に乗ってもいい?」

「えっ? ……はあ、いいですけど。絢乃さんがいいんでしたら」

 ご本人が「乗りたい」と言っているのに、僕に「ダメだ」という権利はない。むしろ、本当に助手席でいいのだろうかという、ちょっと申し訳ないような気持ちになった。だって、ケイの助手席はセダン車のそれよりも(せま)いのだ。彼女に窮屈(きゅうくつ)な思いをさせてしまうのは、はっきり言って僕には不本意ではあったのだが――。

「ちょっと狭いかもしれませんけど、どうぞ」

 僕が助手席のドアを開けると、彼女は僕へのお礼を言い、「ワガママ言ってゴメンなさい」と小さく謝ってから車に乗り込んだ。どうやら、僕を困らせてしまったのではないかと気にされていたようだ。

「……いえ」

 僕は首を横に振り、助手席のドアを閉めた。彼女がキチンとシートベルトを締めるのを見届けてから、運転席に乗り込んでドアをロックした。
 シートベルトを締める時、この狭い車内では助手席にいる彼女との距離があまりにも近かったので、僕の心臓がバクバクいっていた。
 好きな女性が、手の届く距離にいるというこのシチュエーションは、健全な成人男子にはかなりの毒である。刺激が強すぎる。
 気まずくて顔を合わせられず、僕はまっすぐに正面を向いてエンジンをかけた。

 でも、運転中に何も会話をしないままなのも不自然だったので、僕は自虐に走ることにした。

「――すみません、こんな貧乏くさい車で。窮屈ですよね」

 言っている自分が、いちばん情けなかった。こんな小さな車しか買えなかった、安月給(……でもないが)のサラリーマンである自分が。それを自虐的に笑って彼女に話していたことが、かもしれない。
 大財閥の会長令嬢として生まれ育った彼女は、僕にとっては高嶺の花、雲の上の存在だったのだ。
 こんなことでもなければ、僕とは接点のなかった人。住む世界の違う人。このシチュエーションをセッティングして下さった加奈子さんには感謝だが、同時に父親が病に倒れ、ショックを受けている彼女の心の傷につけ込んでいることへの罪悪感も抱いていた。