道具屋におつかいに行く途中、見慣れない看板を見かけて私は足を止めた。
よろずや。
あまりきれいとは言えない字で書かれた看板が、知らないお店の前に立てかけてあった。
最初は通りすぎるつもりだったけれど、なにかひかれて、私は入ってみることにした。
入り口からのぞいてみる。
店はせまい。
商品が中に陳列できるカウンターがあって、その中にはちらほらと品物が置いてある。カウンターの前に、縦に人がならぶのは難しいくらいの広さだ。
壁にそって、武器や防具と思われるものも置いてあるので、さらにせまく感じる。
「こんにちは……」
そっと声を出すと、しゅんっ! といきなりカウンターの上になにかが姿を見せた。
「いらっしゃいませ!」
それは、丸くて、透き通った青色をして、ぷるぷるとゆれるものだった。大きさは私の頭くらいだろうか。そこに、目や口がある。気持ち悪いというよりは、かわいらしい、かもしれない。
「えっと……」
「ここはよろずやです!」
「あなたは?」
「すらいむです!」
「え? スライム?」
「はい! すらいむさん、とよんでいいですよ!」
スライムさんと名乗ったそれは、ぷるん! と大きく体をゆらした。堂々としていたので、もしかしたら胸を張っているのかもしれない。
「おじょうさん、あなたはだれですか!」
「えっと、私はエイムです」
「おそろいですね!」
「なにが!」
意味のわからないことを言われて、つい大きな声が出てしまった。
私はせきばらいをした。
「スライムって、魔物でしょ?」
私はこっそり出入り口に近づいた。
「はい! でもぼくはすごいので、おはなしもできるのです! すごいので!」
「でも魔物でしょ? 人を襲うんでしょ?」
「まさか!」
スライムさんは体を大きく振った。首を振っているつもりなのかもしれない。
「ぼくは、ちょうちょうさんにも、ここに、おみせをだしていいといわれています! しゅってんきょか、です! ひとあじちがう、すらいむなのですよ!」
「そうなんだ」
私は、もうすこし話をしてみることにした。
「えいむさんは、きょうは、どんなごようですか!」
「ええと、毒消し草って売ってる?」
「どくけしそうですか?」
「うん。うちで常備してる分が減ってきちゃったから、おつかいなの」
「ちいさいおじょうさんなのに、えらいですね!」
「どうも」
「ありますよ!」
スライムさんは言って、一度カウンターから降りた。
陳列されていた緑色の草をくわえてカウンターの上にもどる。
「どうぞ!」
私はその草をよく見た。
「これ、薬草でしょ?」
「はい!」
「毒消し草がほしいんだけど」
「やくそうでもだいじょうぶですよ!」
「だめでしょ」
私が言うと、スライムさんはぽかんとした顔をした。
それから丸い体がゆっくりと重力につぶされ、平べったくなっていった。
「ぼくはだめなひとです……」
「え、あ、ええと」
人ではないけれども。
「つぶれておわびします……」
スライムさんはますます平べったくなっていく。
「あ、じゃあ、毒消し草は道具屋で買うから、ここでは薬草もらおうかな……」
私が小声で言うと、スライムさんは瞬時に球体にもどった。
「やくそうですね! 2000ごーるどいただきます!」
「高いよ!」
「ごめんなさい。さしあげます」
「お金払うから!」
「いくらがいいですか?」
「決めてないの?」
スライムさんはまばたきをして、体をななめにした。
「どうぐやさんでは、やくそうは、おいくらですか?」
「8ゴールドかな」
「じゃあ7ごーるどです! おやすいですね!」
「まあ、それなら買おうかな」
私はカウンターに10ゴールド硬貨を置いた。
「まいどありがとうございました」
スライムさんが硬貨の上に乗ると、体の中に入っていった。
透明な体に、硬貨が浮いているように見える。
「えっと、おつりは?」
「おつり?」
スライムさんはカウンターから降りて、あちこちぴょんぴょんとびまわっていたけれど、もどってきて、体が平らになっていく。
「おつり、ありません……」
「じゃあ、また明日買いに来るね」
私はカウンターに薬草を返した。
「そうはいきません!」
スライムさんは元にもどると、カウンターから別の薬草を持ってきて、置いた。
「これをどうぞ!」
「え? でも、そんなに薬草を買うお金ないよ」
「おつりのかわりです!」
「でもおつりは3ゴールドだよ」
「えっと……、しょかいさーびすです!」
「またきてくださいね!」
スライムさんは出入り口まで見送りをしてくれた。
手を振る代わりに体がぷるんぷるんぷるん震えていた。
「こんにちは」
次の日、よろず屋に入ると、また瞬時にスライムさんがあらわれた。
「いらっしゃいませ!」
カウンターの上で、ぷるんと弾んだ。
「あ、じぇにふぁーさんですね? いらっしゃいませ!」
「エイムです!」
「はい、そうでした」
スライムさんはカウンターから降りると、紫色の草をくわえてカウンターの上にもどってきた。いちいち、ぷるぷると体がふるえるのが、見ていて楽しい。
「どうぞ! どくけしそうです!」
「え?」
「どくけしそうです!」
スライムさんは自信満々だった。
「あの、今日は薬草が欲しいんだけど」
「きのうは、どくけしそうがほしいっていってました!」
「ええと、毒消し草は昨日、道具屋さんで買ったからだいじょうぶ」
「そうなんですか」
スライムさんは、ちょっとがっかりしたように、体の張りが減った。
「でも昨日お母さんに、ここで薬草を買ったら安かったって言ったら、買ってきてって言われて、今日来たの」
「そうなんですか」
スライムさんは力をとりもどして、体をふくらませた。
「やくそうがやすいです! ここは、すごいよろずやですので!」
スライムさんはすっかり、堂々と自信満々だった。
「まとめ買いしてきてって言われたんだけど」
「いくつほしいですか」
「十個。まとめ買いしたら昨日より安くなる?」
「なります! まとめがいは、とくべつですから!」
「いくら?」
「2000ごーるどです」
「だから高いよ!」
「まとめがいですから」
「じゃあいらない」
「え……。じゃああげます」
「だからどうしてそうなるの! ちゃんとお金をもらわないと商売にならないでしょ!」
落ちこむかと思ったら、スライムさんはなんだか、変な顔でにこにこした。
「えいむさんはちいさいのにしっかりしてますね。えらいですね」
「スライムさんの方が小さいと思うよ」
「ひとは、からだのおおきさできまるわけでは、ないのです」
私はその言葉に納得しそうになったけれど、そもそもスライムさんはスライムだ。
「ほら、タダであげちゃったら、よろず屋のお金がなくなっちゃうでしょ?」
「へいきですよ」
「薬草はどこかから買ってきてるんじゃないの?」
「じぶんでつんで、あつめてます」
「へえー」
お店では、商品は仕入れてくると聞いたことがあったけれども、自分で取りに行くお店もあるのか。知らなかった。
「おみせのうらにはえてますので」
「薬草って、森じゃないの??」
「ちゃんとたがやして、タネをうえて、そだててますので!」
「へえー」
「すごいです?」
「すごい」
「すごい!」
スライムさんは、カウンターをぴょんぴょん飛びまわった。
だんだん加速していって、店中をぽんぽん弾むように走り始める。
「え、ちょっと、あの、スライムさん」
「ぼくのすごさは、まだまだですよ!」
そこらじゅうをはねまわり、やっとカウンターの上にもどってきた。
そのままくるくる回って、スライムさんは、目を回して倒れてしまった。
「だいじょうぶ?」
私は、カウンターで、重力に押しつぶされるように広がっていくスライムさんに声をかけた。
「だいじょうぶです」
「そうは見えないんだけど」
まんまるだったスライムさんが、私の手のひらよりも薄くなってしまった。カウンターに、目や口の絵が描いてある、透明な布がかかっているようにも見える。
「それでは、きょうはつかれたのでへいてんします」
「えっ?」
「じぇにふぁーさん。すみませんが、いりぐちのとをしめてから、かえってもらえますか。へいてんなので」
「私、ジェニファーじゃないけど」
「よろしくおねがいします」
「スライムさんはだいじょうぶ? 薬草使う?」
「すらいむはがんじょうですので」
そう言うけれども、スライムは一番弱い魔物だと聞いたことがある。
「あと、これあげます」
スライムさんは、平べったくのびた体の端で、カウンターの上の毒消し草をさわった。
「え?」
「おてつだいだいです」
お手伝い代、ということだろうか。
「でも、毒消し草は薬草の倍くらいするよ。悪いよ」
「ではおやすみなさい」
スライムさんは、平べったくのびきった状態で、目を閉じた。
「え、ちょっと」
「すー、すー」
寝息を立てている。スライムとは思えない。
私は、悪い気がしたので、毒消し草はそのままにして、入り口の戸を閉めた。
よろずや、という看板を裏返すと、おやすみ、となっていたので、戸の前にそれを置いて帰った。
次の日、私はなんの用もなかったけれど、スライムさんが気になってよろず屋に出かけた。
昨日はそのまま帰ったものの、あとから、もしかしてスライムさんが病気になったり、ひょっとして死んでしまったのではないかと不安になったのだ。
入り口にはちゃんと、よろずや、という看板が出ていてほっとした。
それから、どうしようかと思ったけれども、あいさつだけして帰ることにした。
今日もお客さんはいない。
「こんにちは」
返事がない。
「こんにちは」
やっぱり返事がない。
てっきりすぐ、カウンターの上に現れると思っていたので、どうしたらいいかわからなくなってしまった。
「スライムさん?」
呼びかけてみるけれど、返事はない。
小さな店内がいつもよりも広く感じた。
誰もいないとわかると、ここにいてはいけない気がした。他人の家に勝手に上がりこんでいるようなもの、ではないだろうか。
また戸を閉めておいてあげよう。
そう思って出入り口に歩いていくと、靴に変なものがあたった。
最初は、布切れかと思ったけれど、ちょっとちがう。
手にとってみる。
薄くて、ペラペラしていて、軽い。テーブルクロスよりはちょっと小さいか。青っぽい、透き通った色をしていた。まんなかあたりに、目のようなものと、口のようなものがある。
スライムさんにちょっと似ていた。
スライムさんが、自分でつくったものだろうか。自分に似せたものを売って、このお店を宣伝する。そういうものかもしれない。
つるっとしていたので、私はうっかりそれを落とした。
ひらりと空中で一回転して床に。
「ぎゅ」
変な声がした。
床に落ちた、それ、から聞こえたように思えた。
私はしゃがんで、指で強く押してみる。
「ぎゅ」
「わ」
私はびっくりして尻もちをついた。
なんの声だろうか。
そのとき、キラリ、と床でなにかが光を反射した。
スライムさんに似た、それ、が落ちていたあたりだ。
私は目をこらした。
すると、そこにはきれいな茶色い石が落ちていた。表面がつるつるで、きれいに磨いた金属のようだった。お店の商品だろうか。
カウンターの上に置いておこうと思ってそれをさわると、変な感触に思わず手を引いた。
石が、砂のように崩れてしまったように感じられた。
でも、石はそのまま変わらず、つるつるとした表面を見せていた。
おかしいな、と思って手を見ると、私は驚いた。
指先がカサカサにかわいていた。人さし指、中指、親指の一部が、古い紙のようにカサカサになっている。そして、砂がついているのかと思って指先をこすり合わせると、指がサラサラと砂のようにくずれた。三つの指の、第一関節部分が削れてしまった。まったく痛みはない。
私はとてもびっくりして、すぐには動けなかった。
それから私は、スライムさんに似た、それ、を見た。
もしかして。
私は店を出て、裏にまわった。水場と桶があったので、水を入れて店内に持っていった。指が短くなっていたのでちょっと難しかった。
そして、スライムさんに似た、それ、を桶の中に入れてみた。
しばらく、それ、は水の中でゆらゆらしながら、ブクブクと泡を出していたけれど、だんだんふくらんできた。一度ふくらみ始めるとすぐ大きくなっていく。
じゃばっ、と水から、丸いかたまりが飛び出した。
私の前に着地したのは、スライムさんだ。
スライムさんはちょっとぼんやりしてから、私を見た。
「あれ、まりあさん、どうしたんですか」
「エイムです。スライムさんが乾いてたみたいなので、水に入れてみました」
指先がくずれてしまったのは、乾燥が原因ではないか、と考えた。そうすると、ペラペラになってしまったものは、本物のスライムさんなのではないかという気がしてきたのだ。
スライムさんはすこしぼうっとして、それから気づいたのか、目をとても大きく開いた。
「はっ! そうです! かわいてました!」
「その石のせい?」
私が指した茶色い石を見て、スライムさんは飛び退いてカウンターの上に乗った。
「わ、わ、きけんですよ! それはかわきのいしといって、いきものがさわると、どんどんかわいてしまうのです! ぜったいにさわらないでください!」
「スライムさんがさわったんじゃないですか?」
「ぼくはさわりませんよ! さわったら、ぺらぺらのかみのようになってしまいますから!」
やっぱりさわったみたいだ。
「あれ、ぼくはさわりましたよね? えいむさんがみずにいれてくれたんですね! ありがとうございます!」
「私もさわっちゃったけど」
私は短くなった指を見せた。
「うわわうわわ、もうしわけありません! こここれをどうぞ!」
スライムさんはカウンターに飛びこんで、薬草を出してくれた。
よく見る薬草よりも、緑の色が濃い。
「色が濃いね」
「これでゆびをこすってみてください!」
私は、スライムさんにわたされた薬草を指にこすりつけた。
「わ」
するとあっという間に、私の指が元通りになっていた。
「すごい! どうなってるの」
「すごいでしょう」
スライムさんが満足そうにしていた。
「これは、あの、すごいやくそうで、すごいのです」
「なんていう名前?」
「それは、その、すごいやくそうですので、ひみつです」
「忘れちゃったの?」
「どうでしょうねー」
スライムさんは、口笛を吹いてとぼけた顔をした。魔物にもそういう文化があるらしい。
「では、このすごいやくそうをどうぞ」
「え?」
「これがあれば、いえをかうこともできる、ねうちのあるやくそうですよ!」
「そんなのわるいよ。そんなにすごいもの、かんたんにあげたらだめだよ」
「いいんですよ。ぼくはいのちをすくわれたので!」
「でも……、そんなのなくしちゃったら怖いし」
「そうですか。では、ぼくがあずかっておきましょう!」
スライムさんは何度もうなずくように、体を折り曲げた。
「では、きょうのおかいものをただにします!」
「今日はなにも買うものないよ」
「ないのにきたんですか?」
スライムさんが体をかしげる。
「うん。迷惑だった?」
「とんでもない! いつでもきてください!」
「ありがとう。でも、ちゃんと整理整頓しておかないとだめだよ」
「むぐ」
「こんにちは」
私はよろず屋に入った。
「いらっしゃいませ!」
スライムさんはカウンターの上に現れた。
「きょうは、なにをおもとめですか?」
「薬草をひとつ」
「はい!」
スライムさんは薬草を持ってきた。
「7ごーるどでございます」
「はい」
私が10ゴールド硬貨を置くと、スライムさんは素早く1ゴールド硬貨を三枚置いた。
「ありがとうございました。またきてください」
スライムさんは体を折ってあいさつをした。
私は大きくうなずいた。
「うまくできたね」
「じゃあ、もういっかいおねがいします!」
スライムさんは言った。
私は薬草と1ゴールド硬貨三枚を返して、10ゴールド硬貨を返してもらった。
今日は、スライムさんがきちんと仕事ができるように練習をしていた。薬草の値段はすっかり覚えてくれたし、受け答えもしっかりしてきた。
私はお店に入り直す。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
スライムさんはカウンターの上に現れた。
「きょうは、なにをおもとめですか?」
「薬草をひとつ」
「はい!」
スライムさんは薬草を持ってきた。
私はまたお金を払って、おつりをもらう。
スライムさんは満足そうだ。
もうすっかりよくできた。
「じゃあ、こんなものでいいかな」
「もういっかいやりましょう!」
スライムさんは言った。
「また?」
「よくできたので!」
スライムさんは、練習が楽しくなってきたようだ。
私はまたお店に入り直した。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
スライムさんはカウンターの上に現れた。
「きょうは、なにをおもとめですか?」
「羽根帽子をください」
「はい!」
スライムさんは薬草を持ってきた。
「7ごーるどでございます」
「薬草じゃないよ」
「え?」
「羽根帽子をくださいって言ったでしょ」
私が言うと、スライムさんは目をぱちくりさせてから、笑った。
「ごじょうだんを」
「羽根帽子をくださいって言ったよ」
「やくそうをかう、れんしゅうじゃないですか」
スライムさんはなおも笑う。
「練習のための練習はだめなんだよ」
「そんなばかな!」
「ちゃんと、お客さんの話を聞いていないと、もう来てくれなくなっちゃうよ」
「とれいしーさんも、もうきてくれませんか?」
スライムさんが、ちょっと悲しそうに言う。
「私はエイムです」
「えいむさんも、もうきてくれませんか?」
「私は来るよ」
「やった!」
スライムさんはぴょこぴょこカウンターの上を走りまわった。
「じゃあ、もう一回やる?」
「はい!」
私はまたお店に入り直した。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
今日もスライムさんがカウンターの上に現れた。
なんだかスライムさんがにやにやしている。
「どうしたの?」
「わかってますよ! やくそうがほしい、とみせかけて、ほかのものをほしがるさくせんですね!」
「たしかに、今日は薬草を買いに来たわけじゃないけど」
「やっぱり!」
なんだか、スライムさんが私のたくらみを見抜いたみたいになっている。なにも考えてないのに。
「ええと、今日は料理に使うナイフがほしいんだけど、あるかな」
「ふふふ、おまかせください」
スライムさんが口を斜めにするように笑っていた。不気味に見える表情だったけれど、スライムさんなので、だんだんおもしろい顔に見えてくる。
「おすすめのものがありますよ」
スライムさんはカウンターの奥におりる。
姿が見えなくなると、なにかを、ズズ、ズズ、と引きずっている音だけが聞こえた。
「ちょっと、ふう、ふう、まって、ふう、ふう、ください、ふう、ふう」
「私も手伝おうか?」
「へいきですので、ふう、ふう」
カウンターの横の小さな木戸を開いて、スライムさんが出てきた。体で巻きこむようにして、一本の剣を引きずってきた。
「こちらです。ふう」
剣は、黒いさやに入っている。見ているだけで背筋がぞくぞくするような、ちょっと気持ちの悪い剣だった。私の身長よりも大きい。
「これは?」
「こくりゅうのけんです! すごくきれます!」
スライムさんは言った。
「いらないけど」
「ふふふ」
スライムさんが不敵に笑う。
「わかってませんね、らいらさん」
「わかってないのはスライムさんだよ。私はエイム」
「エイムさん。よくきいてくださいね」
「はい」
「だいは、しょうをかねるんです!」
「だいは、しょうをかねるんです!」
私の反応がなかったからか、スライムさんはもう一回言った。
「はあ」
「ふふふ。えいむさんは、ことわざ、というものをしらないようですね。いいですか? おおきなものは、ちいさなもののかわりにもなる、ということです。つまり、こくりゅうのけんは、ないふよりも、やくにたつんです!」
スライムさんは言った。堂々としたものだった。
「でも、果物の皮をむいたり、料理に使ったりしたいんだけど。これじゃ、大きすぎるし、片手で持てないと思うよ。使えないよ」
「え?」
「これじゃ、大は小を兼ねないよ」
「だいは、しょうをかねない……?」
スライムさんは、体を四角くした。
「ぼく、ほんでべんきょうしたんですけど」
「ことわざって、かならず正しいわけじゃないんだって」
「え、ただしくもないのに、ただしいようないいかたをしてるんですか?」
「そうみたい」
「はんざいしゃみたいですね」
スライムさんは言った。
「そうかなあ」
そんなことはないと思うけど、スライムさんが言っていることだけ総合すると、そんなふうにも思えてくる。
「でも、ことわざは、いつも正しいわけじゃないって、みんな知ってると思うよ」
「みんなただしくないっておもいながら、さんこうにしてるんですか?」
「うん」
「なんだか、あたまがいたくなってきました……」
スライムさんは体をゆらしていた。
私も、なんだか頭がもやもやしてきた。正しくないことも多いのに、参考にするって、変だ。
どう考えたらいいんだろう。
「スライムさん、今日は帰るね」
「はい、ぼくもきょうはしごとをやめます」
スライムさんは私と一緒に外に出てきて、看板をひっくり返して、おやすみ、という表示にした。
雨の日、私はレインコートを着てよろず屋に向かった。
するとお店の入り口には、おやすみ、という看板がかかっていた。
「スライムさん?」
いちおう声をかけてみたけれど、待っていても戸が開くことはなかった。おやすみらしい。
私は帰ろうとしたけれども、お店の裏でなにか音がしたような気がして足を止めた。雨音とはちがう音だった。大きなものが動くような、そんな音に聞こえた。
よろず屋の建物にそって歩いていく。
裏をのぞいてみた。
よろず屋の裏は庭のようになっていた。この前急いで探した水場と桶はすぐ近くにあって、奥に、土から緑色の葉がたくさん出ているのが見えた。スライムさんが育てているという薬草だろう。
しかしなにより、一番気になったのは、薬草畑の手前にあるものだ。
いる、といったほうがいいかもしれない。
透き通った青色の、ぷよぷよしたものがあった。私のベッドくらいの大きさがあり、波打っている。
見ていたら、ゴロリ、と反転した。土の上に巨人が足を置いたみたいな、どっしりした音がした。さっきの音はこれだろう。
土のついた面が上になって、それが雨でゆっくり洗い流されていく。
「スライムさん?」
私が言うと、横の部分に目と口が開いた。
「こんにちは! どうしたんですか!」
「スライムさんがどうしたの」
「ぼくはちょっと、すいぶんほきゅうです」
「水分補給?」
「あめのひには、こうしてそらからのみずをうけて、おおきくなるのです。すると、かっこいいでしょう!」
スライムさんは、顔が私と向き合うように体の向きを変えた。でも、安定しないでふらふらとゆれている。
「ちょっと危ないよ。もっとこっちに」
見かねて、私がスライムさんの位置を整えに行くと、スライムさんがちょうど私の方に傾いた。
「あ」
「あぶない」
スライムさんは避けようとして私から離れる方向に身体を動かしたけれど、それが中途半端になって、逆に反動をつけたように私にスライムさんが倒れてきた。
ジャブン、と音がした。
まわりが青く見える。
「だいじょうぶですか」
スライムさんの声が、私を包むように聞こえてきた。
「ここは?」
「ぼくのなかです」
スライムさんが言った。
スライムさんが水で体を大きくしたぶん、体の表面がやわらかくなってしまっているようだった。だから、私がスライムさんの表面を突き抜けてしまったらしい。
「スライムさん、痛くない?」
「へいきですよ。へれんさんはくるしくないですか?」
「エイムです。あ、苦しくない」
そういえばスライムさんの中にいるのに、呼吸ができる。水の中にいるのとはまたちがうのだろうか。
水じゃないのかと、ちょっと動いてみると、中で浮かんだ。
「わ」
「およいでますね?」
「私、泳いだことないよ」
体がスライムさんの中でくるーりと一回転した。
「わ、わ」
「おちついてください。だいじょうぶですよ」
スライムさんの声がまわりに響く。
「わかった」
なんとなくわかってきた。
力を抜いて、足をばたばたさせると、スライムさんの頭の上に出た。
顔が外に出ると、雨が当たる。
「高い」
横を見ると、私は、よろず屋の屋根と同じくらいの高さになっていた。
「うごいてみますね?」
スライムさんがゆらゆらと前進する。
「わわ」
「こわいですか?」
「ううん。おもしろい」
高いところだけど、スライムさんの中に沈むだけだから、恐怖心というものはなかった。
「じゃあ、いきますよ!」
「わー」
私はスライムさんに乗って、よろず屋の庭を散歩した。
「こんにちは」
よろず屋に入ると、スライムさんがカウンターの上に現れた。
「いらっしゃいませ!」
スライムさんはにこにこしていた。
「こんにちは……」
「げんきがないですね、せいむさん」
「エイムだよ。今日はすごく惜しいね」
「えいむさん、どうかしましたか」
「このお店って、お酒は売ってる?」
「いけませんよえいむさん。おさけはもっとおとなになってからです」
スライムさんが口をへの字にした。
「私が飲むんじゃないよ。お父さんだよ」
「えいむさんのおとうさんは、おさけがおすきですか?」
「うん……」
「それがいやなんですか?」
「そうなの。お父さんはお酒を飲むと、人が変わっちゃって」
「まさか、ぼうりょくをふるうんですか?」
スライムさんはぴょんぴょんはねた。
「ええと、そうじゃなくて」
「ゆるせませんね!」
スライムさんはカウンターから飛び降りた。
下でごそごそやっていたが、木の棒をくわえてカウンターの上にもどってきた。
スライムさんは、水が流れるようになみだを流していた。
「そんなことをするのなら、この、なげきのつえで、いっしょうなみだをながしつづけるようにします!」
「スライムさんが泣いてるよ!」
「このつえをさわっていると、なみだがとまらなくなるのです!」
「誰がそんなものを……」
私にはまったく使い道がわからなかった。
「とにかくそれは置いて。暴力を振るわれたりしてないから」
「そうなんですか」
スライムさんは杖を置いた。なみだを流したせいか、すこしスライムさんが小さくなったように見える。
「お父さんは、お酒を飲むとはだかで踊るの。いつもは全然そんなことしないのに。他にも、しゃべりかたが変になるし、目つきもだらしなくなるから嫌なの」
「おとこは、そとでないて、いえでそれをみせないものですよ。いいおとうさんです」
スライムさんは、どこか遠くを見ていた。
「それはよくわからないけど、だから、もし酔っ払わないお酒があったらほしいの」
「よっぱらわないおさけ、ですか」
「よろず屋ってなんでも売ってるんでしょ?」
「そうですね! えいむさんのかていをまもるため、さがしてきましょう!」
スライムさんはカウンターから降りて、店の奥に続くドアに入っていった。
なかなかもどってこない。
このお店の全体の大きさからすると、ドアの向こうもそんなに広くはないはずだ。私の部屋くらいしかないにちがいない。
しばらくすると、スライムさんがもどってきた。
しかしいつもと様子がちがっていた。
「エイムさん、やっぱり酔っ払わないお酒というのはなさそうですね」
スライムさんは頭の上にビンをのせて、キビキビと歩いてきた。
ビンの中身は液体で、茶色っぽく見える透明な液体だ。
「スライムさん?」
「こちらは比較的酔いにくいとされているお酒ですが、やはりお酒はお酒です。これはちょっとした豆知識なのですが、よろしいですか?」
スライムさんは言う。
私はなにも言えず、うなずいた。
「ふだんの様子からすっかり変わってしまうほど酔われた方には、お酒を水で薄めてさしあげるのがよろしいかと思われます。場合によっては、水を出してもあまりわからないということもあるでしょう。それならもう水だけお出ししておけばよろしいのです。ですが、お酒を完全に絶たせるというのは、良し悪しです。自分を見失ってしまうほどのお酒はいけません。それにお酒に頼ってはいけませんが、日々の楽しみとして、お酒は大切ですからね」
「は、はあ」
私はスライムさんの頭にのっているビンを見た。
中身は半分くらい減っている。
「お酒を飲まれない方にはわからないかもしれませんが、味以外に、酔いにいたる流れとでもいいますか。これは独特なものがあります。眠りに落ちる前よりもはっきりしていますが、ある意味では、恋に落ちるかのような。ははは」
スライムさんが笑う。
「ちょっと待ってて」
私は外に出て、桶に水をくんできてスライムさんその中に入れた。
「わっぷ!」
中でかき混ぜるようにしてから、スライムさんを外に出す。ちょっと大きくなっていた。
「えいむさん、いきなりなにをするんですか!」
「もどった」
「はい?」
「水はお酒に効果的だね」
「なんです?」
「自分を見失うお酒はだめだよ」
「はあ」
スライムさんは、目をぱちぱちさせた。