長年使っていた腕時計が壊れた。
 それは、私にとって諦めきれない出来事でもあった。
 何故ならば、その腕時計は十五年前に亡くなった母親が、私が第一志望の私立大学に合格した時にお祝いにプレゼントしてくれた「特別」な腕時計だったからだ。

 私は、動かなくなった腕時計を修理する為に知り得る限りの時計工房を回って何とかその腕時計を蘇生してくれる時計職人を探し続けた。
「う~ん。これは電池式のクオーツ腕時計だからねぇ……機械式なら壊れたパーツを作り直せるんだけれど。買ってから十七年くらいだとメーカーの部品保有期間は過ぎているだろうから……残念ですが……」
 どこの工房の職人さんも同じ答えだった。
「大好きだった母が買ってくれた形見のような大事な時計なんです!お金ならいくらでも払いますから!!」
 私は、執拗に食い下がって各工房の時計職人さん達に嘆願した。
「お気持ちは痛い程分かりますが、こればっかりは……定期的にオーバーホールしておくべきでしたね。亡くなられたお母様の大事な形見ならば……」
 これも各工房の職人さん達が異口同音に答えた言葉だった。
「オーバーホール……ですか……」
 私は、そのオーバーホール=分解点検修理を、十七年間一度も行わなかった自分を酷く責め立てて思わず天を仰いだ。
「ありがとうございました……」
 一週間かけて回った時計工房の数は五件。多分、これ以上探しても返ってくる答えは皆同じだろうと察しがついた。

 新しい腕時計を買った。
 機械式腕時計は値が張るので、クオーツ式の腕時計を選んだ。私は、その新しい腕時計を左の手首に巻いて、もう針が動く事は無い母の形見の腕時計を右の手首に巻いた。両手首に腕時計を巻くなんて変わった奴だな?なんて思われようが構いやしなかった。針が動かなくても右手首に巻いた腕時計は、私の脈拍に同調するかのように寄り添い、深くて穏やかな安心感を与えてくれた。

 二月の少し肌寒い渇いた空気が漂う中、私は母の月命日の墓参りに行く事にした。私の大学受験の日に合わせて母が手編みで作ってくれたマフラーを首元に緩めに巻いて、アパートの玄関で靴を履きながら私は、両手首に巻かれた腕時計を交互に見比べてみた。
「そういう事だったのか……」
 私は、その事に気付くのが遅過ぎたと思いながらも思わずクスリと笑ってしまった。
 
 玄関を開けて外気を胸いっぱいに吸い込んだ私は、清々しい気持ちで最寄りの駅に向かって歩き出した。時刻は、午前十時十三分。
「もうすぐ会えるね、母さん!」
 そんな事を呟きながら私は、もう一度両手首に巻かれた腕時計を見比べた。



「タカユキ!何があるか分からないから早めに出なさいよ!」
「分かってるよ!うるさいなぁ……」
「忘れ物は無い?外は寒いからこれを首に巻いて行きなさい!」
「えっ!何これ!?マフラー?やだよ~!ダサいなぁ~!」
「そんな事言わないで。この日の為にお母さんが心を込めて編んだんだから!」
「うげっ、母さんの手作りマフラー?恥ずかしいなぁ~!」
「このマフラーを巻いていけば必ず合格するからっ!!」
「……無くても合格するって。じゃあ行ってくるよ!!」
「肩の力を抜いて頑張るのよ~!!」

 今思えばあの受験当日の朝、母はマスクをして暖房の効いた家の中なのにかなりの重ね着をしていて、顔色も悪く声も少し掠(かす)れていた。元々身体が強い方では無かった上に慢性気管支炎の持病まで抱えていた。きっと、体調が良くないのに私の為に毎日空いた時間に少しずつマフラーを編んでくれていたのだろう。



「タカユキ、あなたならきっと大丈夫!!それにあのマフラーをして行ったんだから百人力よ!自信を持って発表を見に行きなさい!!」
「ハイハイ!じゃあ、ちょっくら行ってきますよ!」

 合格発表の日の朝。私は、ますます身体が弱ってきていた母とほんの少しだけ会話をして、あのマフラーを首元に無意識に巻いて受験結果を見るために出掛けた記憶が残っている。



「おめでとう!よく頑張ったわね!」
「まぁね。当たり前の結果だよ。ハハッ!」

 第一志望の大学に合格した私は、弱りきっていた母の身体の心配よりもこれから始まる楽しいキャンパスライフを想像して完全に浮かれきっていた。

「じゃあ~これ。お母さんからの合格祝いよ!!」
「ん、何だろう?開けてもいい?」
「どうぞ!!」
「おおっ!腕時計。新しいの欲しかったんだぁ~!ありがとう!!」
「これはさすがに手作りじゃないけどね!」
「母さんは時計職人じゃないからね!」
「本当に……良かった……」
「うわぁ~、泣かないでよ~、母さん!!」
 
 これが私と母の最後の会話だったと記憶している。母はその直後、持病の慢性気管支炎の悪化により都内の大学病院に入院する事になった。慢性気管支炎と肺気腫の罹患(りかん)を引き起こしてしまい、その影響からなのか?後に肺癌(はいがん)を発症してしまった。私が大学に合格してから二年後の冬。成人式で、私の晴れ姿を見る事を病床で心待ちにしていた母は、その思いを抱き続けながら静かに天国へと旅立っていった。

 享年四十五歳。とても安らかな死に顔だった。



 母の墓前で、私は母との思い出を頭の中で繰り返し巻き戻しては再生、巻き戻しては再生という作業を繰り返していた。滅多な事では涙など流さない私だったが、この日は悔しいけど少しだけ目が潤んでしまった。

 墓参りの帰り際に、私はもう一度両手首に巻かれた腕時計を見比べてみた。
 
 左手首の新しい腕時計の針は、元気に動いていた。
 時刻は、午前十一時十五分。
 右手首に巻かれたあの日母から貰った腕時計の針は、当たり前だけど止まったままだった。
 
 私は、右手首に巻かれた腕時計の時刻を確認してみた。そして、目を閉じて大きく息を吸い込んでから静かに時間をかけてその息を吐き出した。頭の中では、まだ私が幼かった頃の母とのやり取りが繰り返し再生されていた。



「お母さん、今日は僕の誕生日だよ!知ってる?」
「当たり前でしょ!お母さんが人生で一番大切にしている日なんだから!!」
「う~ん、何で~!?」
「何ででしょう~!?」
「でも、ゆきえちゃんが言ってたよ!お産って凄く痛くて苦しいんだって!!」
「ゆきえちゃんが?そうねぇ……痛くて苦しい事より数百倍もタカユキが産まれてきてくれた事の方が、お母さんには嬉しくてかけがえのない幸せだったから、痛いとか苦しいなんて直ぐに忘れちゃったわ!!」
「かけがえのないって何~!?」
「難しかった?とにかく今日は、特別な日なのよ!」
「とくべつ……?」
「そう!記念日みたいなものよ!」
「何だかよく分からないけど楽しそう!!」
「そうね。楽しく生きなさい!お父さんもきっと天国からお祝いしてくれているわよ!」

 私の父親は母の話だと、とても優しい性格の人間で仕事も真面目一筋だったらしい。それ以上は、母も父について多くを語ってくれなかった。子供心に天国にいるという事は、現実世界には存在しない人なのだと思うようにしていた。



 母の嘘がバレたのは、私が高校に進学した辺りの頃だった。死んでいると思っていた父親が、実はまだ生きている……そんな話を聞いてしまった。その話の提供者は、幼馴染のゆきえちゃんのお母さんだった。
「タカユキ君。タカユキ君のお父さんはね……」
 ゆきえちゃんのお母さんの話だと私の父親は、常日頃から母に暴力を振るったり、ロクに仕事もしないでパートで働いていた母に金の無心を迫ったり、ギャンブルや女遊び、加えて酒癖が最悪な、ろくでもない男だったらしい。母とは結婚自体していない。母のお腹の中に私が宿った事を知ったその男は、
「子供なんていらねえよ!めんどくさい事になるのは御免だ!」
とだけ言い残して母の前から忽然と姿を消したらしい。


 
 母は私が成人して自立するまではと、身体が弱いにも関わらず昼は事務のパート。夜は時給の高い物流センターの仕分け作業を深夜まで。身を粉にして働いてくれた。母のお陰で私は大学まで進学する事が出来た。
 


 母が死んでから、葬儀の準備やら何が何だか分からない雑然とした状況の中、その男は突然私の前に現れた。母は、生前から自分の身に万が一の事があっても私がお金に困らない様に生命保険に加入していたようだった。

「長い間苦労をかけたな。俺がお前の父親だ!全て俺に任せればいい」
 
 その男は、何だかとても薄気味の悪い笑みを浮かべて私にそう言い放った。成人したばかりのまだ大学生だった私だが、明らかに御香典やら多額の保険金目当てに戻ってきた事くらいは、容易に想像出来た。
「お引き取りください。何か悪巧みしているようなら警察を呼びますよ!」
 私の毅然とした態度を感じ取ったその男は、アルコールとニコチンの臭気が混じった息を放ちながら、私に語りかけてきた。
「オイオイ!実の父親に向かってその言い草は無いだろうよ!悪巧み?とんでもない!俺は、これからのタカユキの人生が心配なだけだよ。仕事もちゃんとやっている。金になんかこれっぽっちも執着していないさ!」
 そう言っているその男の存在は、私にとって何者だったのだろうか?父親なのか?少なくとも母の人生を大きく狂わせた元凶の様な存在だった事だけは間違いない。
「もう結構です。あなたの顔など二度と見たくもありません。今後、この家の周りに二度と現れないでください」
 その男は、数秒間私と対峙した後、何も言わずにその場から立ち去っていった。



 母の月命日の墓参りからアパートに帰宅した私は、新しく買った左の手首に巻いてあった腕時計を外した。右手首に巻いていた腕時計と首元に緩く巻いていたマフラーは、敢えて外さなかった。疲れてしまったのか?そのまま私はベッドに横たわり、いつの間にか深くも浅くも無い奇妙な眠りに落ちていった。


 私は、また幼い頃の母とのやり取りの夢を見ていた。
「お母さん!僕は何時何分に生まれたの~!?」
「あらっ、タカユキ。良くそこに気が付きましたね~!褒めて進ぜよう!」
「いつ生まれたの~?」
「タカユキ。あなたがこの世に生を受けたのは……」
「うん……」



 夢を見ながら眠っている私の右手首には、大学合格祝いに母がプレゼントしてくれたクオーツ式の腕時計が巻かれていた。時計の針は、一定の時刻を示したままピクリとも動かない。それは、子供の頃母からよく聞かされていた私の出生時刻と同じ時刻で止まっていた。その時刻から、母と私の「かけがえのない」人生は始まった。きっと、これから先何十年もの長い期間、母と私にとっての「記念日」は止まったままだ。

 母の形見の腕時計の針が示していた時刻は、当時子供だった私にも比較的覚えやすかったのかも知れない。

「午前十一時十一分」

 それは母と私にとって永遠に色褪せることのない特別な時刻として、心の中の文字盤に刻み込まれていくだろう。