言ってしまった……。
奴隷を買うと決めた私の思い。フィリアと初めて出会った時に感じた正直な気持ちを打ち明けてしまった私だったが、私の胸の中は不思議な解放感に満ちていた。
その理由には心当たりがある。
尊敬できるお師匠さま。優しくて温かい人。邪な気持ちなんて欠片も持っていない、清廉潔白な心の持ち主。
フィリアが私に向けてくれる眼には、過大評価がすぎる私がいつだって反射して映っていて、私もその期待に応えなければと、心のどこかで必死に背伸びをしていた気がする。
その背伸びを、取り繕うために被っていた仮面を、私は今、自ら投げ捨てたのだ。
無論、恐怖はある。このことがキッカケで、フィリアに嫌われてしまうんじゃないかって。
いや……私が嫌われるだけなら、全然いいか。
私はフィリアにそうされてもしかたがないくらいの酷い嘘をつき続けてきちゃったんだから、フィリアからの罵倒や侮蔑は甘んじて受け入れるべきだ。
私が本当に恐怖しているのは、フィリアが絶望して塞ぎ込んでしまうことだった。
ずっと振り向いてほしかった母親に奴隷として売られ、生きる理由を見失っていた彼女は、私との出会いを経て生きるための活力を取り戻した。
自惚れとは思わない。フィリアにとって私は、自分を救ってくれた恩人で……だからこそ私は、そんなフィリアの期待を裏切るまいと背伸びをしてきたんだから。
その私が、本当は邪で卑猥なことばかり考えているばかりか、自分をずっと騙してきたクズ野郎だと知って、フィリアがどう感じるか。
また初めて会った頃の彼女みたいに、光のない眼に戻ってしまうかもしれない。
見ているこっちも楽しい気持ちになるような、あの天真爛漫な笑顔が、もう見られなくなってしまうかもしれない。
ただそれだけが、私は本当に怖かった。
「……」
「……」
フィリアからの返事は、ない。
解放感と恐怖とがない交ぜになって自分の気持ちの整理をつけられずに目を瞑ったままでいた私だったが、二〇秒も経てば、さすがに疑問が強くなってくる。
フィリアは今、いったいどんな顔をしているんだろう? と。
疑念と不安、そして好奇心に負けた私は、恐る恐る瞼を開ける。
するとそこには私が想像していた唾棄すべきものを見下ろすフィリアの姿はなく、彼女はまるで呆気に取られたようにポカンとした少し間抜けな表情を晒していた。
普段の私なら絶対に言わないだろうことを突然言われたせいで、受け入れられていないんだろう。もしかしたら聞き間違いだとでも思われているのかもしれない。
そう思った私は、私の本気を伝えるようにフィリアの手を自分の両手で握り込むと、真っ赤に染まり切った顔でもう一度絞り出すように告げた。
「ほ、本当なんだ……! わ、私はその、ふぃ、フィリアのこと……い、いつもえっちな目で見てて……ふぃ、フィリアとそういうことしたいって、お、思っちゃってて……!」
「……」
「わ、私っ、体は女の子だけど……お、女の子が好きなんだっ! だ、だからフィリアのことも、ずっとそういう目で、見てて……だから、えっと……わ、わたしは、フィリアのことを……」
う、うぅ。
だ、ダメだ……緊張と羞恥で思考がぐるぐるして、言いたいことが全然まとまらない……。
ただそれでも、私の頑張りは無駄というわけではなかったらしい。
懸命に訴える私の姿を見て正気を取り戻したらしいフィリアは、思わずと言った具合にポツリと零す。
「か、可愛いです……お師匠さま」
「……へ?」
か、可愛い? え……こ、この状況でその感想が出るの?
言うべきこと間違えてない……?
もっとこう、最低です! とか、見損ないました! とか……い、いろいろあると思うけど……?
困惑する私だったが、そんな私を尻目に、フィリアはまるで堪え切れないという風に笑みをこぼす。
「すごいです……こ、こんなお師匠さま、今まで見たことありません。い、いつも大人びてて、一線を引いてるお師匠さまが……じ、自分の中の全部を曝け出して、こんなにいじらしく私に……えへ、えへへ、えへへへへ……」
「……あ、あの……」
突如として一人で不気味に笑い始めたフィリアの反応に、私はちょっと引き気味だった。
た、確かにフィリアの天真爛漫な笑顔が見られなくなるかもしれないのが怖いとは言ったけど……これはなんか違う気がするぞ……?
なんていうか、ちょっと身の危険を感じるような……。
い、いや! 怖気づいてる場合か!
きっとフィリアは私が言っていることが冗談かなにかだと思ってるんだ。
だってそうじゃなきゃ、こんな反応するはずがない!
「フ、フィリア! わ、私は本気で……!」
「えへへ……大丈夫です、お師匠さま。全部わかってますから」
「わ、わかってるって……」
フィリアが私のことをわかってると言う時は大体あんまりわかってくれてない時だ。
今回もきっとそうだ。絶対になにか勘違いしてる。
でも今回ばかりは見て見ぬふりをするわけにはいかないんだ。
私のことを心から思ってくれたフィリアに報いるために、私も本当のことをちゃんと伝えなきゃいけない。
「冗談なんかじゃないんだ! 私がフィリアを買ったのは、弟子にするためなんかじゃなくて……ましてや、私の呪いを取り除いてもらうためなんかじゃ……!」
理解してもらおうと必死になる私を、フィリアは愛おしそうに見つめる。
「ではお師匠さま。あの日……初めて私がお師匠さまとお会いしたあの日、私のことを家族だと呼んでくれたことも、嘘でしたか?」
「そ、そんなことない! 初めて会った時から、フィリアは私の家族だ!」
「手を繋いでくれたことも。頭を撫でてくれたことも。私に向けてくれた、たくさんの優しさも……いつまでも一緒だって約束してくれたことも。全部が全部、嘘だったんですか?」
「それは……」
ようやくフィリアの言いたいことが理解できた私だったが、フィリアに後ろめたい気持ちを抱いている私は、それを容易に認めることはできなかった。
そんな私の後押しをするように、フィリアは優しげに微笑んだ。
「もしもお師匠さまが言うように、始まりが嘘だったとしても……お師匠さまが私にくれた温もりは、絶対に嘘なんかじゃありません。私にはわかるんです。だって私はお師匠さまの一番弟子ですから」
「フィリア……」
「それにお師匠さま。知ってますか? 人が嘘をつく理由」
「嘘をつく理由……?」
意味がわからず首を傾げる私に、フィリアは告げる。
「思いを叶えるためです」
「思いを……」
「楽しみたい。喜びたい。あれが欲しい。これが欲しい……大切な人に笑顔にいてほしい。大切な人に、幸せになってほしい」
「……」
「嘘をついて、抱え込んで、傷ついて……嘘をつくから、人はすれ違ってしまいます。もしかしたら勘違いして、変な方向に話が進んじゃうことだってあるかもしれません。でも嘘があるから誰かを思うことができるんだって、私はそうも思うんです」
「……それは真理かもしれないけど、綺麗事だね。誰かを傷つける嘘が、この世にはありふれてる」
「でも、私は嬉しかったです。だって私がまた笑うことができたのは、お師匠さまが私にもう一度頑張る理由をくれたおかげなんです。お師匠さまの嘘から始まった優しさが、私を暗い闇の底から引き上げてくれた」
「私が傷つきたくなかっただけだよ。せっかく笑顔になってくれたフィリアが、また暗い顔を戻るのを私が見たくなかったんだ」
「ふふ。きっとそれが、誰かを思うってことなんだと思います」
懺悔する罪人と修道女のようだった。
私はただ、フィリアに本当のことを言わなきゃと思っただけで、こんな風に気を遣わせるつもりはなかったんだけどな……。
でも不思議と、悪い気分ではなかった。
「はあ……参ったね。私、フィリアに嫌われる覚悟で告白したのに……」
「むっ。私がお師匠さまを嫌うなんて天と地がひっくり返ってもありえません! いくらお師匠さまでも、私のお師匠さまへの気持ちを軽んじるなら怒っちゃいますよ!」
「え、あ……ご、ごめんね、フィリア」
「ふふん。わかってくれたならいいんです」
どうしてかフィリアは今までになく上機嫌に見えた。
私が初めて自分の心の奥底まで曝け出したのが、そんなに嬉しかったのだろうか。
何度も言うように、私としては嫌われたってしかたがないと思っていたのに。
背伸びをやめ、等身大の私を見せたところで、フィリアにとって私は尊敬できるお師匠さまのままだったらしい。
なんだか肩の荷が下りた気分だった。
「……もし最初のお師匠さまに私を弟子にするつもりがなかったとしても、もう私はお師匠さまの弟子なんです。だから弟子として、お師匠さまができなかったことを叶えたい。この思いは変わりません」
「……わかったよ、フィリア。でもそんな重荷、いつだって投げ出してくれていいんだからね? 私は平気なんだから」
「もう、お師匠さま! お師匠さまが甘いのは知ってますが、甘やかしていい時とダメな時があるんです! ここは師匠らしく全部わかったような感じで『信じてる』って言ってくれた方が、弟子的には嬉しいんですよ!」
「お、おぅ……わ、わかった。その……信じてるからね、フィリア」
「えへへ……はい!」
呪いがいつでも別の誰かに譲渡できること。それに加え、私の本音を伝えても気が変わらないのであれば、なにを言ったところでフィリアを止めるのは不可能だろう。
フィリアって一見従順なように見えて、こうと一度決めたら絶対に曲げないからね……強情というか頑固というか。
もちろんそれはフィリアの悪いところじゃなくて、良いところなんだけどね。
「……と、ところで、お師匠さま」
「ん? どうかしたのかい?」
ありのままの私で接しても、フィリアが私を嫌うことはないとわかったからだろうか。
どこか胸が軽くなったような心境の私は、軽い調子で問い返す。
一方でフィリアの方はと言えば、なぜか少し期待に満ちたような目をしていた。
「さ、さっきの……私とその、えっちなことがしたいって……ほ、本当、なんですよね?」
「……え。う、うん……その、慕ってた相手にそんなこと思われてただなんて、気持ち悪いって感じちゃうかもだけど……」
「そんなこと思うはずありませんっ!!!」
!?
大声とともに一瞬にして距離を詰めてきたフィリアに、私は驚愕の声すら上げることもできずに固まった。
鼻と鼻が触れ合うほどの至近距離で見るフィリアの目は、どうしてか明らかに血走っている。
「はぁ……はぁ……お、お師匠さまが私のことを……えへ、えへへ……えへへへへへへ」
し、しかもなんか、どことなく息が荒いような……?
お、おかしい。なぜか悪寒を感じる。私の本能が今すぐ逃げろと叫んでいる。
でもなんで? 目の前にいるのは、少し私に褒められただけで無邪気に跳び回っちゃうような、あの純真無垢なフィリアだぞ?
逃げる必要性なんてどこにも……。
「フィ……フィリア……?」
「お、お師匠さまがその気なら……ふへ。わ、私も……我慢しなくて、いいんですよね……? こ、このままお師匠さまを、食べちゃっても……」
「た、食べ……え? いやあの……フィ、フィリアっ……?」
咄嗟に後ずさろうとしたが、いつの間にか肩をがっしりと掴まれていた。
フィリアに腕力で遥かに劣る私が振り払うことができようはずもなく、どんどんフィリアの顔が近づいてくる。
フィリアが私になにをするつもりなのかは想像がついたが、なぜ急にこんな行動に出たのか、突然のことすぎて理解が追いつかなかった。
「……それとも……私じゃダメ、ですか?」
「っ……そんな、こと……」
どこか不安そうに瞳を震わせるフィリアを見て、私はささやかな抵抗すら放棄してしまう。
だって、そうなのだ。私だって、フィリアとこういうことをする妄想をしたことがないと言えば嘘になる。
初めて会った時から今に至るまで、ずっと私はフィリアとこういうことがしたいって思ってて……その隠していた自分の気持ちを、私はさっきフィリアに打ち明けた。
そしてそんな私へのフィリアからの返答が、きっとこれなんだ。
「――――」
唇が重なる。
半ば強引に迫ってきた一方で、意外にもそのキスは物柔らかなものだった。
まるで壊れ物にそっと触れるような、優しく甘い接吻。
フィリアにはいささか申しわけないが、私は誰かとこうして口づけを交わすことは初めてじゃない。
一度目はアモルと。二度目はシィナと。
でもフィリアとのそれは、二人と交わしたどちらとも違った。
快楽と快感でなにもかも蕩けさせて虜にする淫靡なアモルとも、貪るように精一杯思いの丈を注いでくる情熱的なシィナとも、違う。
フィリアとのそれは、触れ合う唇と舌を通して互いに混ざって溶けてしまうような、交わす相手と一つになる甘美の味わいだった。
「ぷはっ……フィリア……」
「えへへ……キス、しちゃいました。お師匠さまと……」
フィリアの頬は、その興奮を表すかのように紅潮している。
「私、ずっとこうしたかった……」
感慨深そうに、フィリアは自分の唇に指を当てる。
フィリアも私と同じ気持ちだった――。
そのことに驚いて私が目を見開く間に、再びフィリアが唇を押しつけてきた。
しかも今度はそれだけじゃ終わらない。接吻を交わしたまま、近くにあったベッドにさりげなく移動すると、私をその縁に座らせたのだ。
そして唇を離すととも、私の両手の手首を掴んで、彼女は私を優しくベッドに押し倒す。
「あ……フィ、フィリア……こ、このまま……しちゃう、の……?」
「ダメ、ですか?」
「えと、あの……お、お風呂、まだ入ってないし……汗くさい、かも……」
「ふふ、大丈夫です。お師匠さまはいつだって良い匂いですから」
「そ、それはそれで恥ずかしいんだけど……!?」
私が明確な拒絶を示さない限り、フィリアが引くことはなさそうだった。
さっきからずっと私の手首もベッドの上に押さえられたままだし、いつになく強引だ。
我慢できない。どうしても今、お師匠さまとここでしたい。
そんな思いが透けて見えるようだった。
私は今までフィリアのことを無邪気で純粋無垢な子だと思っていたけれど……案外最初から、フィリアも結構えっちな子だったのかもしれない。
ただ私と同じように、ずっと背伸びをしていただけで。
「お師匠さまが本当に嫌なら、無理強いはしません。でも、もしそうじゃないなら……」
「……う、うぅ……」
嫌だなんて言えるはずない。
ただ、その……こ、この体勢は……どう見ても私が襲われる側ですよね……?
このままフィリアとそういうことをする流れになったら、私はきっと攻めじゃなくて、受けに回される。
それが嫌だったから、今まで私は頑張ってきたのに。主導権を握れるように手を尽くしてきたのに。
……そのはずだったのに。
あなたが好き。あなたに触れたい。あなたと交わりたい。
あなたが欲しくてしかたがない。
そんな風に、必死になって私を求めるフィリアを見ていると……なんだかとても愛おしくて。
それでもいいかな、なんて。
そんな風に、思えてしまったのだ。
あっ、い、今だけは! 今だけは、だけどね!
せ、攻めに回ることを諦めたわけじゃないぞ!
「ふふ……ほら、答えてください。お師匠さま。私、お師匠さまの口から、直接答えが聞きたいです」
……うぅ。フィリアは意地悪だ。
フィリアなら私の反応で、答えなんてとっくにわかりきっているだろうに。
でも、言わなきゃ……フィリアが聞きたいって言うなら……。
フィリアが……私を、求めてくれるなら。
「…………いい、よ。フィリアなら……私のこと、好きにしても……」
絞り出すように、か細く、小さな声。
けれどその一言は確かにフィリアの耳には届いたらしくて、彼女はたがが外れたかのように、私に覆いかぶさってきた。
「お師匠さま……」
「……来て、フィリア――」
――その夜は、とても甘美で、忘れられない長い夜になった。
奴隷を買うと決めた私の思い。フィリアと初めて出会った時に感じた正直な気持ちを打ち明けてしまった私だったが、私の胸の中は不思議な解放感に満ちていた。
その理由には心当たりがある。
尊敬できるお師匠さま。優しくて温かい人。邪な気持ちなんて欠片も持っていない、清廉潔白な心の持ち主。
フィリアが私に向けてくれる眼には、過大評価がすぎる私がいつだって反射して映っていて、私もその期待に応えなければと、心のどこかで必死に背伸びをしていた気がする。
その背伸びを、取り繕うために被っていた仮面を、私は今、自ら投げ捨てたのだ。
無論、恐怖はある。このことがキッカケで、フィリアに嫌われてしまうんじゃないかって。
いや……私が嫌われるだけなら、全然いいか。
私はフィリアにそうされてもしかたがないくらいの酷い嘘をつき続けてきちゃったんだから、フィリアからの罵倒や侮蔑は甘んじて受け入れるべきだ。
私が本当に恐怖しているのは、フィリアが絶望して塞ぎ込んでしまうことだった。
ずっと振り向いてほしかった母親に奴隷として売られ、生きる理由を見失っていた彼女は、私との出会いを経て生きるための活力を取り戻した。
自惚れとは思わない。フィリアにとって私は、自分を救ってくれた恩人で……だからこそ私は、そんなフィリアの期待を裏切るまいと背伸びをしてきたんだから。
その私が、本当は邪で卑猥なことばかり考えているばかりか、自分をずっと騙してきたクズ野郎だと知って、フィリアがどう感じるか。
また初めて会った頃の彼女みたいに、光のない眼に戻ってしまうかもしれない。
見ているこっちも楽しい気持ちになるような、あの天真爛漫な笑顔が、もう見られなくなってしまうかもしれない。
ただそれだけが、私は本当に怖かった。
「……」
「……」
フィリアからの返事は、ない。
解放感と恐怖とがない交ぜになって自分の気持ちの整理をつけられずに目を瞑ったままでいた私だったが、二〇秒も経てば、さすがに疑問が強くなってくる。
フィリアは今、いったいどんな顔をしているんだろう? と。
疑念と不安、そして好奇心に負けた私は、恐る恐る瞼を開ける。
するとそこには私が想像していた唾棄すべきものを見下ろすフィリアの姿はなく、彼女はまるで呆気に取られたようにポカンとした少し間抜けな表情を晒していた。
普段の私なら絶対に言わないだろうことを突然言われたせいで、受け入れられていないんだろう。もしかしたら聞き間違いだとでも思われているのかもしれない。
そう思った私は、私の本気を伝えるようにフィリアの手を自分の両手で握り込むと、真っ赤に染まり切った顔でもう一度絞り出すように告げた。
「ほ、本当なんだ……! わ、私はその、ふぃ、フィリアのこと……い、いつもえっちな目で見てて……ふぃ、フィリアとそういうことしたいって、お、思っちゃってて……!」
「……」
「わ、私っ、体は女の子だけど……お、女の子が好きなんだっ! だ、だからフィリアのことも、ずっとそういう目で、見てて……だから、えっと……わ、わたしは、フィリアのことを……」
う、うぅ。
だ、ダメだ……緊張と羞恥で思考がぐるぐるして、言いたいことが全然まとまらない……。
ただそれでも、私の頑張りは無駄というわけではなかったらしい。
懸命に訴える私の姿を見て正気を取り戻したらしいフィリアは、思わずと言った具合にポツリと零す。
「か、可愛いです……お師匠さま」
「……へ?」
か、可愛い? え……こ、この状況でその感想が出るの?
言うべきこと間違えてない……?
もっとこう、最低です! とか、見損ないました! とか……い、いろいろあると思うけど……?
困惑する私だったが、そんな私を尻目に、フィリアはまるで堪え切れないという風に笑みをこぼす。
「すごいです……こ、こんなお師匠さま、今まで見たことありません。い、いつも大人びてて、一線を引いてるお師匠さまが……じ、自分の中の全部を曝け出して、こんなにいじらしく私に……えへ、えへへ、えへへへへ……」
「……あ、あの……」
突如として一人で不気味に笑い始めたフィリアの反応に、私はちょっと引き気味だった。
た、確かにフィリアの天真爛漫な笑顔が見られなくなるかもしれないのが怖いとは言ったけど……これはなんか違う気がするぞ……?
なんていうか、ちょっと身の危険を感じるような……。
い、いや! 怖気づいてる場合か!
きっとフィリアは私が言っていることが冗談かなにかだと思ってるんだ。
だってそうじゃなきゃ、こんな反応するはずがない!
「フ、フィリア! わ、私は本気で……!」
「えへへ……大丈夫です、お師匠さま。全部わかってますから」
「わ、わかってるって……」
フィリアが私のことをわかってると言う時は大体あんまりわかってくれてない時だ。
今回もきっとそうだ。絶対になにか勘違いしてる。
でも今回ばかりは見て見ぬふりをするわけにはいかないんだ。
私のことを心から思ってくれたフィリアに報いるために、私も本当のことをちゃんと伝えなきゃいけない。
「冗談なんかじゃないんだ! 私がフィリアを買ったのは、弟子にするためなんかじゃなくて……ましてや、私の呪いを取り除いてもらうためなんかじゃ……!」
理解してもらおうと必死になる私を、フィリアは愛おしそうに見つめる。
「ではお師匠さま。あの日……初めて私がお師匠さまとお会いしたあの日、私のことを家族だと呼んでくれたことも、嘘でしたか?」
「そ、そんなことない! 初めて会った時から、フィリアは私の家族だ!」
「手を繋いでくれたことも。頭を撫でてくれたことも。私に向けてくれた、たくさんの優しさも……いつまでも一緒だって約束してくれたことも。全部が全部、嘘だったんですか?」
「それは……」
ようやくフィリアの言いたいことが理解できた私だったが、フィリアに後ろめたい気持ちを抱いている私は、それを容易に認めることはできなかった。
そんな私の後押しをするように、フィリアは優しげに微笑んだ。
「もしもお師匠さまが言うように、始まりが嘘だったとしても……お師匠さまが私にくれた温もりは、絶対に嘘なんかじゃありません。私にはわかるんです。だって私はお師匠さまの一番弟子ですから」
「フィリア……」
「それにお師匠さま。知ってますか? 人が嘘をつく理由」
「嘘をつく理由……?」
意味がわからず首を傾げる私に、フィリアは告げる。
「思いを叶えるためです」
「思いを……」
「楽しみたい。喜びたい。あれが欲しい。これが欲しい……大切な人に笑顔にいてほしい。大切な人に、幸せになってほしい」
「……」
「嘘をついて、抱え込んで、傷ついて……嘘をつくから、人はすれ違ってしまいます。もしかしたら勘違いして、変な方向に話が進んじゃうことだってあるかもしれません。でも嘘があるから誰かを思うことができるんだって、私はそうも思うんです」
「……それは真理かもしれないけど、綺麗事だね。誰かを傷つける嘘が、この世にはありふれてる」
「でも、私は嬉しかったです。だって私がまた笑うことができたのは、お師匠さまが私にもう一度頑張る理由をくれたおかげなんです。お師匠さまの嘘から始まった優しさが、私を暗い闇の底から引き上げてくれた」
「私が傷つきたくなかっただけだよ。せっかく笑顔になってくれたフィリアが、また暗い顔を戻るのを私が見たくなかったんだ」
「ふふ。きっとそれが、誰かを思うってことなんだと思います」
懺悔する罪人と修道女のようだった。
私はただ、フィリアに本当のことを言わなきゃと思っただけで、こんな風に気を遣わせるつもりはなかったんだけどな……。
でも不思議と、悪い気分ではなかった。
「はあ……参ったね。私、フィリアに嫌われる覚悟で告白したのに……」
「むっ。私がお師匠さまを嫌うなんて天と地がひっくり返ってもありえません! いくらお師匠さまでも、私のお師匠さまへの気持ちを軽んじるなら怒っちゃいますよ!」
「え、あ……ご、ごめんね、フィリア」
「ふふん。わかってくれたならいいんです」
どうしてかフィリアは今までになく上機嫌に見えた。
私が初めて自分の心の奥底まで曝け出したのが、そんなに嬉しかったのだろうか。
何度も言うように、私としては嫌われたってしかたがないと思っていたのに。
背伸びをやめ、等身大の私を見せたところで、フィリアにとって私は尊敬できるお師匠さまのままだったらしい。
なんだか肩の荷が下りた気分だった。
「……もし最初のお師匠さまに私を弟子にするつもりがなかったとしても、もう私はお師匠さまの弟子なんです。だから弟子として、お師匠さまができなかったことを叶えたい。この思いは変わりません」
「……わかったよ、フィリア。でもそんな重荷、いつだって投げ出してくれていいんだからね? 私は平気なんだから」
「もう、お師匠さま! お師匠さまが甘いのは知ってますが、甘やかしていい時とダメな時があるんです! ここは師匠らしく全部わかったような感じで『信じてる』って言ってくれた方が、弟子的には嬉しいんですよ!」
「お、おぅ……わ、わかった。その……信じてるからね、フィリア」
「えへへ……はい!」
呪いがいつでも別の誰かに譲渡できること。それに加え、私の本音を伝えても気が変わらないのであれば、なにを言ったところでフィリアを止めるのは不可能だろう。
フィリアって一見従順なように見えて、こうと一度決めたら絶対に曲げないからね……強情というか頑固というか。
もちろんそれはフィリアの悪いところじゃなくて、良いところなんだけどね。
「……と、ところで、お師匠さま」
「ん? どうかしたのかい?」
ありのままの私で接しても、フィリアが私を嫌うことはないとわかったからだろうか。
どこか胸が軽くなったような心境の私は、軽い調子で問い返す。
一方でフィリアの方はと言えば、なぜか少し期待に満ちたような目をしていた。
「さ、さっきの……私とその、えっちなことがしたいって……ほ、本当、なんですよね?」
「……え。う、うん……その、慕ってた相手にそんなこと思われてただなんて、気持ち悪いって感じちゃうかもだけど……」
「そんなこと思うはずありませんっ!!!」
!?
大声とともに一瞬にして距離を詰めてきたフィリアに、私は驚愕の声すら上げることもできずに固まった。
鼻と鼻が触れ合うほどの至近距離で見るフィリアの目は、どうしてか明らかに血走っている。
「はぁ……はぁ……お、お師匠さまが私のことを……えへ、えへへ……えへへへへへへ」
し、しかもなんか、どことなく息が荒いような……?
お、おかしい。なぜか悪寒を感じる。私の本能が今すぐ逃げろと叫んでいる。
でもなんで? 目の前にいるのは、少し私に褒められただけで無邪気に跳び回っちゃうような、あの純真無垢なフィリアだぞ?
逃げる必要性なんてどこにも……。
「フィ……フィリア……?」
「お、お師匠さまがその気なら……ふへ。わ、私も……我慢しなくて、いいんですよね……? こ、このままお師匠さまを、食べちゃっても……」
「た、食べ……え? いやあの……フィ、フィリアっ……?」
咄嗟に後ずさろうとしたが、いつの間にか肩をがっしりと掴まれていた。
フィリアに腕力で遥かに劣る私が振り払うことができようはずもなく、どんどんフィリアの顔が近づいてくる。
フィリアが私になにをするつもりなのかは想像がついたが、なぜ急にこんな行動に出たのか、突然のことすぎて理解が追いつかなかった。
「……それとも……私じゃダメ、ですか?」
「っ……そんな、こと……」
どこか不安そうに瞳を震わせるフィリアを見て、私はささやかな抵抗すら放棄してしまう。
だって、そうなのだ。私だって、フィリアとこういうことをする妄想をしたことがないと言えば嘘になる。
初めて会った時から今に至るまで、ずっと私はフィリアとこういうことがしたいって思ってて……その隠していた自分の気持ちを、私はさっきフィリアに打ち明けた。
そしてそんな私へのフィリアからの返答が、きっとこれなんだ。
「――――」
唇が重なる。
半ば強引に迫ってきた一方で、意外にもそのキスは物柔らかなものだった。
まるで壊れ物にそっと触れるような、優しく甘い接吻。
フィリアにはいささか申しわけないが、私は誰かとこうして口づけを交わすことは初めてじゃない。
一度目はアモルと。二度目はシィナと。
でもフィリアとのそれは、二人と交わしたどちらとも違った。
快楽と快感でなにもかも蕩けさせて虜にする淫靡なアモルとも、貪るように精一杯思いの丈を注いでくる情熱的なシィナとも、違う。
フィリアとのそれは、触れ合う唇と舌を通して互いに混ざって溶けてしまうような、交わす相手と一つになる甘美の味わいだった。
「ぷはっ……フィリア……」
「えへへ……キス、しちゃいました。お師匠さまと……」
フィリアの頬は、その興奮を表すかのように紅潮している。
「私、ずっとこうしたかった……」
感慨深そうに、フィリアは自分の唇に指を当てる。
フィリアも私と同じ気持ちだった――。
そのことに驚いて私が目を見開く間に、再びフィリアが唇を押しつけてきた。
しかも今度はそれだけじゃ終わらない。接吻を交わしたまま、近くにあったベッドにさりげなく移動すると、私をその縁に座らせたのだ。
そして唇を離すととも、私の両手の手首を掴んで、彼女は私を優しくベッドに押し倒す。
「あ……フィ、フィリア……こ、このまま……しちゃう、の……?」
「ダメ、ですか?」
「えと、あの……お、お風呂、まだ入ってないし……汗くさい、かも……」
「ふふ、大丈夫です。お師匠さまはいつだって良い匂いですから」
「そ、それはそれで恥ずかしいんだけど……!?」
私が明確な拒絶を示さない限り、フィリアが引くことはなさそうだった。
さっきからずっと私の手首もベッドの上に押さえられたままだし、いつになく強引だ。
我慢できない。どうしても今、お師匠さまとここでしたい。
そんな思いが透けて見えるようだった。
私は今までフィリアのことを無邪気で純粋無垢な子だと思っていたけれど……案外最初から、フィリアも結構えっちな子だったのかもしれない。
ただ私と同じように、ずっと背伸びをしていただけで。
「お師匠さまが本当に嫌なら、無理強いはしません。でも、もしそうじゃないなら……」
「……う、うぅ……」
嫌だなんて言えるはずない。
ただ、その……こ、この体勢は……どう見ても私が襲われる側ですよね……?
このままフィリアとそういうことをする流れになったら、私はきっと攻めじゃなくて、受けに回される。
それが嫌だったから、今まで私は頑張ってきたのに。主導権を握れるように手を尽くしてきたのに。
……そのはずだったのに。
あなたが好き。あなたに触れたい。あなたと交わりたい。
あなたが欲しくてしかたがない。
そんな風に、必死になって私を求めるフィリアを見ていると……なんだかとても愛おしくて。
それでもいいかな、なんて。
そんな風に、思えてしまったのだ。
あっ、い、今だけは! 今だけは、だけどね!
せ、攻めに回ることを諦めたわけじゃないぞ!
「ふふ……ほら、答えてください。お師匠さま。私、お師匠さまの口から、直接答えが聞きたいです」
……うぅ。フィリアは意地悪だ。
フィリアなら私の反応で、答えなんてとっくにわかりきっているだろうに。
でも、言わなきゃ……フィリアが聞きたいって言うなら……。
フィリアが……私を、求めてくれるなら。
「…………いい、よ。フィリアなら……私のこと、好きにしても……」
絞り出すように、か細く、小さな声。
けれどその一言は確かにフィリアの耳には届いたらしくて、彼女はたがが外れたかのように、私に覆いかぶさってきた。
「お師匠さま……」
「……来て、フィリア――」
――その夜は、とても甘美で、忘れられない長い夜になった。