「はぅ、ん……ぁ……気持ち、いいよ……お姉ちゃんっ……」
「ふふ……そっか。痛かったりしない……?」
「だい、じょうぶ…………んぁっ……少しくすぐったい、けど……お姉ちゃんの、手……すごく優し、くて……ひぁぁっ……これ、好き、なのぉ……!」
フィリアの魔法の特訓も一段落し、なんだかんだと過ごしているうちに、気がつけば日が暮れる時間帯になっていた。
このくらいの時間になると頃合いを見てお風呂に入るのだが、アモルがこの家に来てからはいつも彼女と一緒に入っていた。
私の服の裾を摘み、「一緒に入ってもいい……?」と控えめにおねだりしてくる妹の頼みを姉が断れるはずもないのである。
今日もまたいつもと同じように、湯船に浸かる前にアモルの背中を洗ってあげていたところだ。
よほど気持ちよかったのか、彼女は何度かむず痒そうに声を漏らしていた。
……どこか扇情的に聞こえなくもないが、それはさすがに妄想が過ぎるというものだろう。
「じゃあ流すからね」
「ん……はふ…………えへへ。ありがとう、お姉ちゃん。次は、わたしが洗ってもいい……?」
「うん。お願いするね」
「任せて……!」
アモルの背中を洗い終えた後は、交代で彼女に背中を洗ってもらう。
念のために言っておくと、アモルと初めて一緒にお風呂に入った時のような『わたしの体で背中を洗ってあげるシュレディンガー的背中洗い事件』はあれ以来起きていない。
というか、起きないように私が正しい洗い方を教えてあげた。
彼女は他人の背中の洗い方について、やはりなにか勘違いをしていたようだ。
アモルは素直な良い子なので、私が教えて以降は、こうして背中を洗いっこする際も普通に洗ってくれるようになった。
私の肌に傷をつけないよう、慎重に。それでいて汚れを残さないよう、丁寧に。
そのぶん時間がかかるけれど、そうっと私の背に触れる手つきは、彼女の心優しい性格を現すかのように気遣いに満ちている。
もう少し乱暴に扱ってくれても全然怒らないのだが、アモルの優しさを感じられるこの時間が私は結構好きだったりした。
「……うん、と……妖精さんの背中も、洗ってあげた方がいい……?」
浴槽の縁に腰をかけ、暇そうに足をプラプラさせていたリザに、アモルがおずおずと提案する。
そう。今日はアモルと二人だけじゃなくて、リザとも一緒にお風呂に入っている。
入浴に当たって当然リザも服も脱いでいて、一糸まとわぬ状態だ。
そして案外これが珍しかったりする。
かつてリザに魔法を習っていた頃は、彼女は常に魔法で自分の身を綺麗にしていた。
私は魔法で綺麗にするだけじゃ落ちつかなくて、たびたび水浴びなんかもしていたが、リザがそんなことをしている場面を見たことは一度もない。
だからこうして惜しげもなく裸体を晒してくれる姿はレア中のレアで、実のところ私も初めて見る。
まあ、だからなんだという話ではあるのだけども……。
リザは妖精なので、例によって体が手のひらサイズレベルで小さい。
そんな彼女の裸体を見るのは、服を脱いだキャラクターフィギュアを前にしている感覚に近しい。
人によってはそれで興奮するのかもしれないが、リザは一万年以上生きてるとは言え見た目的には未成熟な子であるし、私は別にロリコンでもない。
そう、ロリコンではない!
だから欲情などするはずもなく、本当にただ珍しく思う程度だった。
「ワタシは別にいい。他人に体を触られるのは嫌いなの」
「そう、なんだ……なら、しかたない、ね」
リザが憮然と答えると、悲しむようにアモルの眉尻が少しだけ下がる。
たぶんアモルは、今朝リザに逃げられてしまったことをまだ気にしているんだろう。
どうにかリザと仲直りしたくて頑張って声をかけたけれど、断られて落ち込んでしまった、という感じだ。
リザもそんなアモルの変化に気づいていないわけではないらしく、なにか言おうと口を開きかけていた。
しかし最終的にはなにも言うことなく、気まずそうにプイッと顔をそらす。
おそらく少なからず気にかけているアモルを元気づけたかったのだと思われるが、残念ながらリザは今までほとんど他人を気遣うという行為をしたことがない。だから、どんな言葉をかけたらいいかわからなかったのだろう。
「んー……じゃあさ、リザ。リザの方から誰かの体に触れるのは大丈夫?」
そんな二人に助け舟を出すべく、今度は私が口を開く。
「それなら平気だけど……」
「なら提案なんだけどさ、リザはアモルの背中を洗ってあげてくれないかな」
「……えっ、と? その子の背中は、さっきハロが洗ってあげてなかったっけ?」
「アモルには悪いけど、実はちゃんとできてなかったかもしれなくてね。アモルを汚れたままにするわけにはいかないし、せっかくだから、リザに見てほしいんだ」
「……お姉ちゃん……」
「……わかった。ハロがそう言うなら、そうしてあげる」
アモルもリザも、二人ともなにかに気づいたようだったが、それを指摘することはなかった。
リザは浴槽の縁からフワリと飛び立つと、石鹸とスポンジを魔法で浮き上がらせて、アモルの背後に移動する。
「魔法じゃ力加減を間違えるかもしれないからね。しかたないから、ワタシがこいつで直接洗ってあげる」
「うん。ありがとう、妖精さん」
「……別に、ハロに頼まれただけだから」
はにかむアモルに素っ気ない返事をしつつ、リザは身の丈ほどもあるスポンジを両腕で抱えて、アモルの背中をゴシゴシと洗い始めた。
ちなみに、妖精たるリザは普段からして魔法を駆使して過ごしていることもあり、魔法の制御は常に完璧だ。彼女にとっては手足も同然なので、加減を誤るということは絶対にない。
つまるところ力加減云々は本当にただ素直じゃないだけなのだが、それをバラすと顔を真っ赤にしたリザにさすがに怒られてしまいそうなので、お口にチャックをして自重した。
……リザのツンデレじみた不器用さが微笑ましくて、少し口元が緩んでしまっていた感は否めない。
「妖精さんは、お姉ちゃんと同じ魔法使いさんなの?」
三人で浴槽に浸かる頃には、アモルとリザの間にあったぎこちない空気も霧散していた。
妖精さんのことをもっと知りたい。
そんな好奇心をたたえた瞳に見つめられたリザは、いつものようにフンと軽く鼻を鳴らす。
「そうだよ。ワタシは魔法使いであり、そして同時に魔術師だ」
「魔法使いと魔術師って、なにか違うの?」
「魔法使いはただ魔法を使うだけのやつのこと。魔術師は、魔法を創ることを専門にしてるやつだ。魔法使いは数多くいても、魔法の専門家である魔術師ってのはそう多くない」
「そうなんだ。じゃあ、妖精さんはその珍しい魔法の専門家さんで……今までも、いっぱいいろんな魔法を創ってきたんだ。妖精さんって、とってもすごい人なんだね」
「……別にそんなの大したことじゃない。ただ、人より無駄に長生きしてるだけだよ」
リザは謙遜しているものの、実際のところ、リザが魔術師として開発してきた魔法はどれも有用だ。
たとえば、私が遠出する時に好んで使う転移の魔法なんかも、元はと言えばリザが発明したものだったりする。
見知った場所の座標へ瞬時に移動する魔法。一万年以上の時の流れを生き、この世界のあらゆる場所を見てきただろうリザにとっては、私以上に重宝している魔法だろう。
この他にもリザは数多くの魔法を開発してきている。
元々妖精自体が、肉体が貧弱であるがゆえに日常の動作の大半を魔法で補っている種族だ。
ただ移動するだけでも翅を介した重力の魔法で浮遊しているように、妖精にとって魔法とは、生きていくために必要な手足そのものだ。妖精ほど魔法を身近に置いている生き物は他にいない。
リザが自分で作った魔法を自ら広めることはまずないが、今この時代の人類に伝わっている魔法の中には、かつてリザが創り出した魔法がいくつも紛れ込んでいる。
それらはほぼすべて、リザが自らの呪いを解く魔法を創ることができる者を見つけるために魔法を教えてきた者たちが遺したものだ。
リザの言う通り、伊達に長生きしていないということだろう。
「長生き……」
私の師匠たるリザのことを私が内心誇らしく思っている横で、アモルはこてんと左に傾けてみせた。
そして、無邪気にその疑問を口にする。
「妖精さんって、もしかしておばあちゃんなの?」
「……」
湯船に浸かっているというのに、まるで凍りついたかのごとくリザの動きが固まった。
アモルは純粋に不思議そうに、ただ小首を傾げ続けている。
「…………別に、ワタシも自分が若いとは思ってないけどさ」
「じゃあ、やっぱりおばあちゃんなの?」
……リザの目元がヒクヒクとひくついている……。
問いを投げているのがアモルだったからよかったものの、これがもしフィリアだったなら、きっとリザは烈火のごとく怒りを顕にしていたことだろう……。
しかしやはりリザはアモルにだけはどうしても強く言うことができないようで、この場に怒号が響くことはなかった。
代わりに、訴えかけるかのようにアモルにずいっと体を近づける。
「逆に聞くけど、お前にはワタシが、おばあちゃんって呼ぶほどの歳に見えるの?」
「うーん……実は、よくわかんないの。わたし、同じ種族の仲間たちやお姉ちゃんたち以外の人とは、あんまり会ったことなくて……妖精さんがおばあちゃんって言うなら、そうなのかな? って」
「……ふ、ふーん……まあ確かに、精神的な年齢はだいぶアレだろうし……見た目で判別がつかないなら、おばあちゃんに思えなくもないと……」
あ……怒りを通り越して落ち込んできている……。
さすがに少し可哀想になってきたので励まそうとしたが、それには及ばなかったらしい。
リザをじーっと眺めていたアモルが、くすりと笑みをこぼして言う。
「でも、妖精さんがお人形さんみたいに可愛い人だってことは、わかるかも」
「はぁ? なにそれ……可愛い? こんななんでも明け透けにものを言うやつが可愛いとか、お前それ本気で言ってるの?」
「うん。わたしは妖精さんのこと、可愛いと思う」
「…………ハロは、どう思う?」
ん? 私?
「私もリザはすごく可愛らしい子だと思ってるよ。口が悪いところは確かにあるけど、それはリザが誰よりも自分の心に素直ってことだから。私はリザのそういうところ、好ましいって思ってるかな」
「……そ、そう。ふーん、ハロってワタシのこと、そんな風に思ってくれてたんだ……まったく……えへ、えへへ……ふんっ。こんなのが可愛いだとか……調子のいいことを言うね。ハロも、アモルも」
口ではそう言っているが、嬉しい気持ちが全然隠し切れていない。
飛んでもいないのに翅がパタパタと無意味に羽ばたいていて、湯の温かさゆえか照れゆえか、そっぽを向く頬も朱に染まっている。普通に可愛い。
「調子のいいこと? よくわかんないかも……どういうこと?」
「別に知らなくていい。あと、言っとくけどワタシはおばあちゃんじゃないから。少なくとも肉体的にはね。ワタシの体は、せいぜい一六とかその辺の歳の頃のはずだよ。そのくらいで成長が止まってたはず」
「そうなんだ。じゃあ、そこはわたしと同じ、だね」
「同じ?」
「わたしも、これ以上大きくなれないんだって。ドワーフとのハーフだから。妖精さんも小さいから、同じ」
「いや、肉体が幼いままのお前と単に体が小さいワタシじゃ、いろいろ違うと思うけど……はぁ。まあいいか……お前が同じだって思いたいなら、そう思ってればいいよ」
「うん。えへへ、妖精さんと同じ……」
「……ふん。なにがそんなに嬉しいのやら」
庭では植物から変質した魔物の処遇について、一度は言い争いに発展してしまったが、やはり二人の相性は悪くないようだ。
アモルは両手を合わせて嬉しそうに頬を緩めているし、リザも口ではツンケンしたことを言っているものの、案外満更ではなさそうである。
それからもいくらか話をした後、そろそろのぼせそうなのでお風呂を上がろうというところで、アモルがなにかを思いついたようにリザを見た。
「ねえ、妖精さん」
「ん? なに」
「今日は、妖精さんも一緒に寝ない?」
「はぁ? お前、急になに言って……」
「いい、よね? お姉ちゃん」
「もちろんいいよ」
上目遣いで許可を求めてくるアモルに、私は二つ返事で了承する。
「えへへ。二人で寝ると、ベッドはいっぱいになっちゃうけど……妖精さんなら小さいから、一緒に寝られると思うの。だから妖精さんも、一緒にどう、かな」
「…………ふーん……なるほど、なるほどね……」
リザは思案するように黙り込んだ後、チラリと私の方を一瞥した。
その仕草を私が不思議に思っている間に、リザはアモルの方に向き直って、こくんと首を縦に振る。
「いいよ。でも、さっきも言ったようにワタシは他人に触れられるのが嫌いだから。ワタシには触ったりしないでね」
「うん。妖精さんが嫌がることはしないよ」
「ならいいよ。しょうがないから、お前の望む通りにしてやる」
「うん! ありがとう、妖精さん……!」
「礼を言われるようなことじゃない」
リザの反応は少々気にかかったが、それ以降の二人のやり取りに不可解な部分は見当たらない。
たぶんだけど、リザはリザと同じベッドで寝ることに関して、私がどう思っているか気にかかったんだろう。
私としては普通に楽しみなので特に言うことはない。
なので私もアモルと同じように、リザを歓迎するように微笑んでおいた。
「ふふ……そっか。痛かったりしない……?」
「だい、じょうぶ…………んぁっ……少しくすぐったい、けど……お姉ちゃんの、手……すごく優し、くて……ひぁぁっ……これ、好き、なのぉ……!」
フィリアの魔法の特訓も一段落し、なんだかんだと過ごしているうちに、気がつけば日が暮れる時間帯になっていた。
このくらいの時間になると頃合いを見てお風呂に入るのだが、アモルがこの家に来てからはいつも彼女と一緒に入っていた。
私の服の裾を摘み、「一緒に入ってもいい……?」と控えめにおねだりしてくる妹の頼みを姉が断れるはずもないのである。
今日もまたいつもと同じように、湯船に浸かる前にアモルの背中を洗ってあげていたところだ。
よほど気持ちよかったのか、彼女は何度かむず痒そうに声を漏らしていた。
……どこか扇情的に聞こえなくもないが、それはさすがに妄想が過ぎるというものだろう。
「じゃあ流すからね」
「ん……はふ…………えへへ。ありがとう、お姉ちゃん。次は、わたしが洗ってもいい……?」
「うん。お願いするね」
「任せて……!」
アモルの背中を洗い終えた後は、交代で彼女に背中を洗ってもらう。
念のために言っておくと、アモルと初めて一緒にお風呂に入った時のような『わたしの体で背中を洗ってあげるシュレディンガー的背中洗い事件』はあれ以来起きていない。
というか、起きないように私が正しい洗い方を教えてあげた。
彼女は他人の背中の洗い方について、やはりなにか勘違いをしていたようだ。
アモルは素直な良い子なので、私が教えて以降は、こうして背中を洗いっこする際も普通に洗ってくれるようになった。
私の肌に傷をつけないよう、慎重に。それでいて汚れを残さないよう、丁寧に。
そのぶん時間がかかるけれど、そうっと私の背に触れる手つきは、彼女の心優しい性格を現すかのように気遣いに満ちている。
もう少し乱暴に扱ってくれても全然怒らないのだが、アモルの優しさを感じられるこの時間が私は結構好きだったりした。
「……うん、と……妖精さんの背中も、洗ってあげた方がいい……?」
浴槽の縁に腰をかけ、暇そうに足をプラプラさせていたリザに、アモルがおずおずと提案する。
そう。今日はアモルと二人だけじゃなくて、リザとも一緒にお風呂に入っている。
入浴に当たって当然リザも服も脱いでいて、一糸まとわぬ状態だ。
そして案外これが珍しかったりする。
かつてリザに魔法を習っていた頃は、彼女は常に魔法で自分の身を綺麗にしていた。
私は魔法で綺麗にするだけじゃ落ちつかなくて、たびたび水浴びなんかもしていたが、リザがそんなことをしている場面を見たことは一度もない。
だからこうして惜しげもなく裸体を晒してくれる姿はレア中のレアで、実のところ私も初めて見る。
まあ、だからなんだという話ではあるのだけども……。
リザは妖精なので、例によって体が手のひらサイズレベルで小さい。
そんな彼女の裸体を見るのは、服を脱いだキャラクターフィギュアを前にしている感覚に近しい。
人によってはそれで興奮するのかもしれないが、リザは一万年以上生きてるとは言え見た目的には未成熟な子であるし、私は別にロリコンでもない。
そう、ロリコンではない!
だから欲情などするはずもなく、本当にただ珍しく思う程度だった。
「ワタシは別にいい。他人に体を触られるのは嫌いなの」
「そう、なんだ……なら、しかたない、ね」
リザが憮然と答えると、悲しむようにアモルの眉尻が少しだけ下がる。
たぶんアモルは、今朝リザに逃げられてしまったことをまだ気にしているんだろう。
どうにかリザと仲直りしたくて頑張って声をかけたけれど、断られて落ち込んでしまった、という感じだ。
リザもそんなアモルの変化に気づいていないわけではないらしく、なにか言おうと口を開きかけていた。
しかし最終的にはなにも言うことなく、気まずそうにプイッと顔をそらす。
おそらく少なからず気にかけているアモルを元気づけたかったのだと思われるが、残念ながらリザは今までほとんど他人を気遣うという行為をしたことがない。だから、どんな言葉をかけたらいいかわからなかったのだろう。
「んー……じゃあさ、リザ。リザの方から誰かの体に触れるのは大丈夫?」
そんな二人に助け舟を出すべく、今度は私が口を開く。
「それなら平気だけど……」
「なら提案なんだけどさ、リザはアモルの背中を洗ってあげてくれないかな」
「……えっ、と? その子の背中は、さっきハロが洗ってあげてなかったっけ?」
「アモルには悪いけど、実はちゃんとできてなかったかもしれなくてね。アモルを汚れたままにするわけにはいかないし、せっかくだから、リザに見てほしいんだ」
「……お姉ちゃん……」
「……わかった。ハロがそう言うなら、そうしてあげる」
アモルもリザも、二人ともなにかに気づいたようだったが、それを指摘することはなかった。
リザは浴槽の縁からフワリと飛び立つと、石鹸とスポンジを魔法で浮き上がらせて、アモルの背後に移動する。
「魔法じゃ力加減を間違えるかもしれないからね。しかたないから、ワタシがこいつで直接洗ってあげる」
「うん。ありがとう、妖精さん」
「……別に、ハロに頼まれただけだから」
はにかむアモルに素っ気ない返事をしつつ、リザは身の丈ほどもあるスポンジを両腕で抱えて、アモルの背中をゴシゴシと洗い始めた。
ちなみに、妖精たるリザは普段からして魔法を駆使して過ごしていることもあり、魔法の制御は常に完璧だ。彼女にとっては手足も同然なので、加減を誤るということは絶対にない。
つまるところ力加減云々は本当にただ素直じゃないだけなのだが、それをバラすと顔を真っ赤にしたリザにさすがに怒られてしまいそうなので、お口にチャックをして自重した。
……リザのツンデレじみた不器用さが微笑ましくて、少し口元が緩んでしまっていた感は否めない。
「妖精さんは、お姉ちゃんと同じ魔法使いさんなの?」
三人で浴槽に浸かる頃には、アモルとリザの間にあったぎこちない空気も霧散していた。
妖精さんのことをもっと知りたい。
そんな好奇心をたたえた瞳に見つめられたリザは、いつものようにフンと軽く鼻を鳴らす。
「そうだよ。ワタシは魔法使いであり、そして同時に魔術師だ」
「魔法使いと魔術師って、なにか違うの?」
「魔法使いはただ魔法を使うだけのやつのこと。魔術師は、魔法を創ることを専門にしてるやつだ。魔法使いは数多くいても、魔法の専門家である魔術師ってのはそう多くない」
「そうなんだ。じゃあ、妖精さんはその珍しい魔法の専門家さんで……今までも、いっぱいいろんな魔法を創ってきたんだ。妖精さんって、とってもすごい人なんだね」
「……別にそんなの大したことじゃない。ただ、人より無駄に長生きしてるだけだよ」
リザは謙遜しているものの、実際のところ、リザが魔術師として開発してきた魔法はどれも有用だ。
たとえば、私が遠出する時に好んで使う転移の魔法なんかも、元はと言えばリザが発明したものだったりする。
見知った場所の座標へ瞬時に移動する魔法。一万年以上の時の流れを生き、この世界のあらゆる場所を見てきただろうリザにとっては、私以上に重宝している魔法だろう。
この他にもリザは数多くの魔法を開発してきている。
元々妖精自体が、肉体が貧弱であるがゆえに日常の動作の大半を魔法で補っている種族だ。
ただ移動するだけでも翅を介した重力の魔法で浮遊しているように、妖精にとって魔法とは、生きていくために必要な手足そのものだ。妖精ほど魔法を身近に置いている生き物は他にいない。
リザが自分で作った魔法を自ら広めることはまずないが、今この時代の人類に伝わっている魔法の中には、かつてリザが創り出した魔法がいくつも紛れ込んでいる。
それらはほぼすべて、リザが自らの呪いを解く魔法を創ることができる者を見つけるために魔法を教えてきた者たちが遺したものだ。
リザの言う通り、伊達に長生きしていないということだろう。
「長生き……」
私の師匠たるリザのことを私が内心誇らしく思っている横で、アモルはこてんと左に傾けてみせた。
そして、無邪気にその疑問を口にする。
「妖精さんって、もしかしておばあちゃんなの?」
「……」
湯船に浸かっているというのに、まるで凍りついたかのごとくリザの動きが固まった。
アモルは純粋に不思議そうに、ただ小首を傾げ続けている。
「…………別に、ワタシも自分が若いとは思ってないけどさ」
「じゃあ、やっぱりおばあちゃんなの?」
……リザの目元がヒクヒクとひくついている……。
問いを投げているのがアモルだったからよかったものの、これがもしフィリアだったなら、きっとリザは烈火のごとく怒りを顕にしていたことだろう……。
しかしやはりリザはアモルにだけはどうしても強く言うことができないようで、この場に怒号が響くことはなかった。
代わりに、訴えかけるかのようにアモルにずいっと体を近づける。
「逆に聞くけど、お前にはワタシが、おばあちゃんって呼ぶほどの歳に見えるの?」
「うーん……実は、よくわかんないの。わたし、同じ種族の仲間たちやお姉ちゃんたち以外の人とは、あんまり会ったことなくて……妖精さんがおばあちゃんって言うなら、そうなのかな? って」
「……ふ、ふーん……まあ確かに、精神的な年齢はだいぶアレだろうし……見た目で判別がつかないなら、おばあちゃんに思えなくもないと……」
あ……怒りを通り越して落ち込んできている……。
さすがに少し可哀想になってきたので励まそうとしたが、それには及ばなかったらしい。
リザをじーっと眺めていたアモルが、くすりと笑みをこぼして言う。
「でも、妖精さんがお人形さんみたいに可愛い人だってことは、わかるかも」
「はぁ? なにそれ……可愛い? こんななんでも明け透けにものを言うやつが可愛いとか、お前それ本気で言ってるの?」
「うん。わたしは妖精さんのこと、可愛いと思う」
「…………ハロは、どう思う?」
ん? 私?
「私もリザはすごく可愛らしい子だと思ってるよ。口が悪いところは確かにあるけど、それはリザが誰よりも自分の心に素直ってことだから。私はリザのそういうところ、好ましいって思ってるかな」
「……そ、そう。ふーん、ハロってワタシのこと、そんな風に思ってくれてたんだ……まったく……えへ、えへへ……ふんっ。こんなのが可愛いだとか……調子のいいことを言うね。ハロも、アモルも」
口ではそう言っているが、嬉しい気持ちが全然隠し切れていない。
飛んでもいないのに翅がパタパタと無意味に羽ばたいていて、湯の温かさゆえか照れゆえか、そっぽを向く頬も朱に染まっている。普通に可愛い。
「調子のいいこと? よくわかんないかも……どういうこと?」
「別に知らなくていい。あと、言っとくけどワタシはおばあちゃんじゃないから。少なくとも肉体的にはね。ワタシの体は、せいぜい一六とかその辺の歳の頃のはずだよ。そのくらいで成長が止まってたはず」
「そうなんだ。じゃあ、そこはわたしと同じ、だね」
「同じ?」
「わたしも、これ以上大きくなれないんだって。ドワーフとのハーフだから。妖精さんも小さいから、同じ」
「いや、肉体が幼いままのお前と単に体が小さいワタシじゃ、いろいろ違うと思うけど……はぁ。まあいいか……お前が同じだって思いたいなら、そう思ってればいいよ」
「うん。えへへ、妖精さんと同じ……」
「……ふん。なにがそんなに嬉しいのやら」
庭では植物から変質した魔物の処遇について、一度は言い争いに発展してしまったが、やはり二人の相性は悪くないようだ。
アモルは両手を合わせて嬉しそうに頬を緩めているし、リザも口ではツンケンしたことを言っているものの、案外満更ではなさそうである。
それからもいくらか話をした後、そろそろのぼせそうなのでお風呂を上がろうというところで、アモルがなにかを思いついたようにリザを見た。
「ねえ、妖精さん」
「ん? なに」
「今日は、妖精さんも一緒に寝ない?」
「はぁ? お前、急になに言って……」
「いい、よね? お姉ちゃん」
「もちろんいいよ」
上目遣いで許可を求めてくるアモルに、私は二つ返事で了承する。
「えへへ。二人で寝ると、ベッドはいっぱいになっちゃうけど……妖精さんなら小さいから、一緒に寝られると思うの。だから妖精さんも、一緒にどう、かな」
「…………ふーん……なるほど、なるほどね……」
リザは思案するように黙り込んだ後、チラリと私の方を一瞥した。
その仕草を私が不思議に思っている間に、リザはアモルの方に向き直って、こくんと首を縦に振る。
「いいよ。でも、さっきも言ったようにワタシは他人に触れられるのが嫌いだから。ワタシには触ったりしないでね」
「うん。妖精さんが嫌がることはしないよ」
「ならいいよ。しょうがないから、お前の望む通りにしてやる」
「うん! ありがとう、妖精さん……!」
「礼を言われるようなことじゃない」
リザの反応は少々気にかかったが、それ以降の二人のやり取りに不可解な部分は見当たらない。
たぶんだけど、リザはリザと同じベッドで寝ることに関して、私がどう思っているか気にかかったんだろう。
私としては普通に楽しみなので特に言うことはない。
なので私もアモルと同じように、リザを歓迎するように微笑んでおいた。