リザも一緒にこの家に住むとなると、やはり問題になるのはフィリアたちとの関係だ。
 朝食の時は凄まじくギスギスしていたし、あんなのが今後もずっと続くというのはさすがに勘弁願いたい。

 なんか新しく住人が増えるたびに同じようなこと考えてる気もするけど……。
 今は普通に仲良しだが、シィナは最初私を巡ってフィリアを邪険にしてたし。アモルも魔物だったりシィナを極端に怖がったりで前途多難だった。
 しかし今はどちらもどうにかなっているのだから、裏を返せばリザも三人と馴染めるということではなかろうか。

 うむ、きっとそうに違いない。
 リザとまともにコミュニケーションを取れるのは今のところ私だけなので、今回ばかりは私がどうにかしなければ。

 しかしそうなると、まずリザを誰と交流させるかが重要になるか。
 リザには悪いが、はっきり言ってリザはシィナ並みにコミュニケーション能力が低い。
 一応会話は成立するのだが、そもそもコミュニケーションする気が本人にほとんどないのが問題だ。
 シィナは無口ではあるがコミュニケーションを取ろうとする意思はきちんとある……と思われるので、いわば彼女とは真逆に位置すると言っていいだろう。

 なので大事なのは、リザが自分からコミュニケーションを取ろうと思える相手であること。
 ただし、リザに誰と仲良くなりたいかなんて聞いても「ハロ!」としか返ってこないことは目に見えているのでリザには聞かない。
 私はリザのことならなんでも知ってるんだ。

 フィリア、シィナ、アモル。
 この三人の中で、リザが一番馴染めそうなのは誰なのか。
 それは――。

「んしょ、んしょ……あれ? お姉ちゃんと……妖精、さん? どうかした、の?」

 私がリザを伴って外に出てくると、両手でバケツを持って運んでいたアモルと出くわした。
 バケツの中にはたっぷり水が入っていて、どうやら花壇に運ぶ途中だったようだ。

 三人の中でリザが一番馴染めそうな相手。
 それは――そう。アモルである。

 まあ、うん。わかりきってた答えである。
 もしここでいきなりフィリアとかに突っ込んでいったら頭ニワトリのコケコッコーすぎる。あの二人、出会って数時間で二回は口喧嘩に発展しかけてるんだぞ。

 アモルはリザが唯一気にかけていた子なので、まずはアモルと仲良くなってもらおうと考えるのは至極自然な流れだ。

「今朝の件でできちゃった庭の焼け跡をなんとかしようと思ってね。アモルは水やりかい?」
「うん。お姉ちゃんのご飯、おいしかったから。お姉ちゃんのご飯は上げられないけど、お花さんたちにもご飯、食べてもらいたいの」

 良い子すぎる……。
 初対面だった頃は必死に悪ぶって「優しさは甘さ」なんて淫魔のポリシーを語ったりもしていたものだが、今はもうそんななんちゃって悪い子の面影は欠片もない。
 もはやアモル自身が優しさの化身と言っても過言ではないだろう。

 姉としての贔屓目もあるかもしれないけど、アモルは笑顔が本当に可愛くて、素直で優しくて良いところばっかりで……。
 こんな子と将来結婚できるやつは幸せだろうなぁ。きっと毎日四六時中幸せに過ごせるに違いない。
 まあそんなこと許さんけどな! アモルと付き合いたいならまず姉の私を倒してからにしろ!

「ねえ、お前」

 このまま立ち止まって話をするのもなんだろうと、花壇の方に移動しながら話をしていると、リザが声を上げてアモルの持つバケツを指差した。

「それ、重くないの? ……ワタシが魔法で持ってやってもいいけど」

 お、おお……リザが自分からコミュニケーションを取ろうとしてくれている……。
 だいぶ傲慢な物言いではあるものの、普段のリザを思えば全然柔らかめだと言えるだろう。普段どんだけ口悪いのって話だが。
 よろしくしてあげないこともないと言っていた通り、一応、リザなりに頑張ろうとはしてくれているみたいだ。

 アモルは目をパチパチと瞬かせ、少し考える素振りを見せた後、ふるふると首を左右に振った。

「んーん、大丈夫。少し重いけど……これはお姉ちゃんが任せてくれた、わたしだけにできること、だから」
「ふーん……なら別にいいけど」
「えへへ……気を遣ってくれてありがとう、妖精さん」
「……気なんて別に遣ってない」

 微笑みかけてくるアモルから、リザは口を尖らせてプイッと顔を背けた。
 反応が完全にツンデレのそれである。素直になれないお年頃にしか見えない。

 というかリザは私にも昔はそこそこ冷たかったのに今はなんかデレデレになってしまっているし、相当なツンデレの素質があると言えよう。
 本人にこんなこと言ったら絶対怒られるから言わないが。

 バケツを運び終わり、アモルが花壇の花に水をやり始めたのを見ると、私も庭の焦げ跡の方に足の先を向けた。
 アモルとリザに仲良くなってもらうために庭に出てきたのはもちろんだが、アモルに告げた焦げ跡をどうにかするという理由も嘘ではない。

「……うーん。見た目はどうとでもなるけど……この辺はもう、しばらくは植物が生えなさそうだね」

 凝縮された超高温の炎によって熱された土はすっかり栄養がなくなってしまっている。

 ただの炎ではなくて、高濃度の魔力によって形成された炎という点も影響が大きい。
 濃度が高すぎる魔力は生物にとっては毒に等しいのだ。
 自然的に魔力が物質化、並びに液体化し、流れている源泉――龍脈が存在する秘境なんかは、高すぎる魔力の瘴気が蔓延している関係で、瘴気に耐性のある生き物や瘴気によって変質した動植物しか生息していない。
 この辺りの土は高濃度の魔力に多分に曝されてしまったので、その秘境の大地と同じような状態になってしまっていると推測される。
 たとえ雑草がここに根を張ろうとしても、芽吹く前に魔力に侵されて死んでしまうだろう。
 秘境の大地に生えている植物なら、植えれば芽くらいは出てくるかもしれないが……しょせんは一部分だけ濃度が高くなってしまっているだけなので、そのうち環境が合わず枯れてしまうだろう。
 というか秘境の植物は危険な生態を持っているものが多いので、こんな庭には埋めたくない。
 私やリザ、シィナならまだしも、フィリアやアモルには危険すぎる代物だ。

「このぶんだと新しく土を買ってきた方がよさそうかな。そうなると力仕事になるから、シィナにも手伝ってもらわないとね」

 とりあえず一時的な処置として土の魔法で見た目だけは整えておく。
 と、そこで視界の端で、しゅん……とリザがしょぼくれているのが目に入った。

「リザ?」
「……うぅ。ごめんね、ワタシのせいで……さっきから迷惑かけてばっかりで……」
「リザのせい? ああ、この焦げ跡のことかい? いや、これは私のせいでもあるから……」

 頬を掻きながら、私もリザと同様に少し反省する。

「リザが撃ってきた魔法を掌握した時、すぐに消せばよかったのに、あのまま返しちゃったから。その後のことまで考えが回ってなかった……反省しなきゃね」
「でもハロのそれは、あの弟子や獣人が傷つけられたかもしれないって怒りからでしょ? だったらやっぱり、ハロをそんな気分にさせちゃったワタシのせいだよ……」
「いや、最後は私がその判断を下したわけだから、結局のところ私が悪いよ」
「ううん、人は感情で生きる生き物だから。ハロにそんな判断をさせる感情を植えつけちゃったワタシが悪いの」
「いや、その感情を覚えたのは私でしかないわけだから、やっぱり私が一番悪くて」
「ううん、ワタシがあんなことしなきゃハロがそんな感情覚えなかったわけだから、どう考えたってワタシが悪い――」

 いや。ううん。いや。ううん。
 どちらが悪いかということでお互いにまったく譲り合わず、謎の不名誉争奪戦が開催される。

 どう考えても私の方が悪いと思うのだが、なぜリザはこうも意固地なのか。これがわからない……。

「ひゃっ!?」

 そんなことを何度か繰り返していると、不意に小さな悲鳴が背後から聞こえてきた。
 今、背後にいるのはアモルだけだ。

 急いで振り返ると、アモルが花壇の前で尻もちをついて、花壇から生えている植物を呆然と見上げていた。
 植物は、まだ芽が出たばかりなのだろう。発芽して最初に出る葉である子葉しか葉が存在せず、成長したらどのような姿になるのか、それだけではまだ予想もつかない。
 ただ確かに言えることは、その植物はアモルが見上げるほどの巨体を誇っており――その子葉が、食虫植物が持つ捕食葉のような異様な構造をしているということだ。

「アモル!?」

 以前の嵐で花壇が荒れて以降、あの花壇に種を植えたのは私とアモルだ。
 だが、あんなものの種を植えた覚えはないし、買った記憶もない。というかそもそもさっきまで生えていなかった。

 なんであんなものが……いや、それより今はアモルをあれから遠ざけないと!

 謎の植物は飢えているかのごとくウネウネと激しく体を動かしていたが、ふと、なにかに気づいたかのようにピタリと動きを止める。
 はさみわな式の捕食葉。それに似た子葉を、なにかを探すように左右に動かし、やがてそれはアモルの目の前で止まった。

 ――まずい。

「っ、お姉ちゃ」

 植物の葉が口のように開き、アモルを飲み込もうとする。
 私はその前にあの植物の魔物を倒してしまおうと、素早く雷撃の魔法を編んだ。
 それ自体は一瞬で済んだのだが、咄嗟のことで威力を高くしすぎてしまったことに放つ直前になって気づく。

 アモルと植物との距離があまりにも近すぎる。これでは魔法の威力を抑えなければアモルにまで影響が及んでしまう。

 間に合うか、ともう一度魔法を編み直そうとしたところで、バチンッ! と私の隣で電撃が弾けた。

「おい、お前」

 瞬きのうちに、アモルと植物の間にリザが割り込んでいた。

 雷撃のエンチャント――その名の通り、電気の属性を付与する魔法だ。
 それを自分自身に使い全身に雷撃を纏ったリザは、バチバチと電気を振りまきながら植物の魔物を睨めつける。
 さきほどまでアモルを飲み込まんとしていた捕食葉は、飛び散る電気を嫌がるかのように仰け反っていた。

「ハロの妹に手を出すな」

 そう言ってリザが腕を振るうと、リザを覆っていた雷撃のすべてが植物の魔物の襲いかかる。
 すべてとは言っても、妖精であるリザは体が手のひらサイズしかないため、実のところ雷撃もあまり大した量ではない。
 だが、生まれたばかりの植物の魔物を懲らしめるにはじゅうぶんすぎる威力だった。

 植物の魔物は全身を走る雷撃の痛みにのたうち回り、数秒後には、ぐったりと土の上に横たわる。
 リザなら敵対者は問答無用で消し炭にするかとも思っていたが、それほどの威力の魔法を使うと近くにいるアモルや他の植物にも影響が及んでしまうので自重してくれたみたいだ。
 電撃によって弱ってはいるものの、植物の魔物は原型を保っている。

「……あ、お姉ちゃん……」
「大丈夫? アモル」

 リザのおかげで使う必要がなくなった魔法を消しながら、私は急いで二人に走り寄った。
 未だ尻もちをついたままだったアモルに手を差し伸べて、立ち上がらせる。

「うん。妖精さんが守ってくれたから」
「……別に守ったつもりなんてない。こんなのにハロが手を煩わせる必要なんてないって思っただけ。ワタシがやらなくたって、ハロならどうとでもできてたよ」

 んー……まあ確かにリザの言う通り、魔法の編み直しは正直普通に間に合っただろうと思う。
 ただそれでも、私は結局はその魔法を使うには至らなかった。
 私よりも先に、とある妖精さんが守ってくれたので必要がなかったのだ。

 アモルも同じ気持ちなのか、彼女はふるふると首を横に振った。

「ううん。それでも、わたしを守ってくれたのは妖精さんだから。だからね。ありがとう、妖精さん」
「……ふん」

 微笑みかけてくるアモルから、プイッと顔を背ける。
 そんなツンデレリザは、横たわった植物の魔物に近寄ると、じーっと至近距離でそれを見つめ始めた。

「ねえ、リザ。これって……」
「うん。芽が出る直前に高濃度の魔力を浴びすぎて、変質しちゃったんだと思う」

 やっぱりそうか、とため息をつく。
 今朝リザの魔法を跳ね返した際には、その後に障壁の魔法で覆うようにして熱を閉じ込めていた。
 だから、さっきまで見ていた焦げ跡くらいしか影響は及んでないと思っていたのだが……芽が出る直前という、地上に出る時期でもっとも弱いタイミングと重なってしまったのが悪かったらしい。

 赤子が生後初めて息をするように、近場に漂っていた高濃度の魔力を大量に吸ってしまい、魔物に変質したようだ。

「こいつ、まだ息があるみたいだね。なんならそのうち再生するかも。さっさと消し炭にでもしちゃった方がいいと思うけど」
「え……こ、殺しちゃう、の?」
「そりゃそうでしょ。元々ここには別の種を植えてたんでしょ? だけど、それが変質した。一度変質した命は元には戻らない。こいつは生まれるべきじゃなかった命なんだ。望まれない命だなんて、そんなものさっさと殺してやった方がいいに決まってるでしょ」
「……ダ、ダメ」
「はぁ?」

 アモルはぐったりとしている植物の魔物に駆け寄ると、それを庇うように上から覆いかぶさった。

「こ、この子はまだ生まれたばかりなの。まだなにも知らないの、知ろうとすることもできてないの……わ、わたしはヤダ。殺したくなんかない……」
「はぁ……なにも知らないからこそでしょ。痛みも苦しみも知らないなら楽に死ねる。全部知った後じゃ遅いんだよ。そいつにとって知るってことは絶望だ。自分が生まれるべきじゃなかった望まれない命だって……そんなことを後から知って、救われるとでも思ってるの?」

 うーん……これはリザのよくない部分が出ていますね……。

 かつて不死だったがゆえに永すぎる年月を過ごしてきたリザは、生死について常人とは乖離した価値観を持っている。
 命とは短く儚いから美しいのだと。そんなことをのたまう人間たちの横で、ただ一人望まぬ永遠を生き続けてきたのだ。
 価値観が歪むのも当たり前ではあるのだが……。

 さすがにこれ以上の口論は見過ごせないと、リザとアモルの間に割って入ろうとする。
 だがアモルの瞳に確固たる意志が宿っているのを見て取って、私はその足を止めた。

「の、望まれない命なんかじゃないよ……」

 アモルは今にも泣きそうな顔で植物の魔物の茎を優しく撫でながら、ぽつぽつと言う。

「今花壇にいる子たちは、わたしがお姉ちゃんと一緒に植えた子たちだもん。わたしはこの子が芽を出してくれるのを、ずっと待ってたの……」
「……」
「たとえ、へんしつ? なんてものしちゃっても……それだけは絶対、なにがあっても変わらないの。生まれるべきじゃなかったなんて……お願いだからそんな悲しいこと、言わないで」

 ……リザは、なにも答えなかった。
 ただ、苛立っているような、苦しんでいるような。アモルを責めるような、自分自身を嫌悪するような。
 そんな複雑な面持ちでアモルをじっと見返していたリザは、不意にプイッと顔を背けた。

「……ふんっ」

 それだけ言うと、リザはぴゅーっと玄関の方に飛んで行ってしまった。
 アモルは一瞬引き留めようとするようにリザに手を伸ばしていたが、リザの姿が家の中に消えて完全に見えなくなると腕を下ろして、しょんぼりと下を向く。

「……嫌われちゃったかな……わたし……」
「ううん。リザはたぶん、アモルのことが結構好きだと思うよ」
「でも、逃げられちゃったよ……?」
「そういう子なんだ。リザが言うことは全部、リザ自身が体験してきたことだから……」
「体験してきた、こと?」
「だからまあ、なんていうか……できればあの子のこと、嫌わないであげてね」
「うん。妖精さん、わたしのこと守ってくれたもん。嫌いになんてならないよ」
「そっか。ならよかった」

 アモルの頭を撫でてあげると、アモルは嬉しそうに微笑んで、私の手のひらに頬を寄せてくる。
 それを微笑ましく思いながら、アモルが覆いかぶさっていた植物の魔物を一瞥する。

「その子については、今度あっちの焦げ跡を直したところの方に移動させてあげた方がいいかもね。ここじゃ魔力が足りなくてすぐに枯れちゃうだろうから。さっき変な動きをしてたのも、魔力が足りないからだろうし」
「そうなの?」
「うん。あっちの土でも、たぶん一時しのぎにしかならないけど……まあ、その子をどう育てていくかはまた今度考えようか。っと、そうだ。今は大丈夫だけど、今後その子と接する時は私かシィナかリザを同伴するようにね。また食べられそうになっちゃうかもしれないから」
「この子のこと、育てていいの?」
「アモルが言ってくれた初めてのわがままだからね。どうにかして叶えてあげたいと思うのが姉心ってやつかな」
「……わがまま……それって悪い意味、だよね……?」
「良い意味だよ。アモルが自分の意志を持ってくれたってことなんだから」

 アモルは目をパチパチと瞬かせて私を見つめた後、ふにゃりと頬を緩めた。

「えへへ……そっかぁ。ありがとう、お姉ちゃん」

 ……見てくださいこれ。この屈託のない笑顔。
 可愛すぎません? アモルって実は天使なのでは?

 できることならアモルが満足するまで頭を撫でてあげたかったが……リザをあのまま放っておくわけにはいかない。
 リザとは過去の誤解を解き、本音を聞くこともできたものの、彼女には今朝にフィリアたちを殺しかけた前科がある。一人で行動させるには、やはりまだまだいささか不安が残る。

 少々名残惜しさを感じながらも、アモルに別れを告げ、私も庭から踵を返す。
 さて。リザを見つけたら、ちゃんとリザにもアモルが怒ってなかったことを伝えないとね。

 たぶんリザ、結構気にしてるだろうから。
 私は、リザのことならなんでも知ってるのだ。