「その頃の私はね、まだ今みたいな魔法の力なんて持ってなかったんだ。ううん……魔法だけじゃないか。知識も、常識も、魔物の存在も、この世界のことを当時の私はまだなにも知らなかった」
「この世界? なにもって……お師匠さま、記憶喪失だったんですか?」
「まあ、そんなものかな。気がついたら、どことも知らない森の中にいたんだ。右も左もわからない状態でね。それが私という存在の始まりだった」
本当に気がついたら森の中にいたものだから、唖然と立ち尽くしていたことを覚えている。
なぜか体が耳が長い少女のものになっていたことも混乱に拍車をかけた。
しかもなんか、一糸まとわぬ姿だったし……。
念のために言っておくが、えっちなことはなにもしてないぞ。そんなこと考えられるような状況じゃなかったし。
……嘘です。ちょっとだけお胸モミモミしました。はい。
転生のことと体が変わっていたことを伏せて、当時の状況をフィリアに説明する。
「あの子と出会ったのは、その森の中であてもなく彷徨っていた時だったよ」
衣服や履き物の一つもなく、人の手が入っていない森の中を歩き回るのはとにかくきつかった。
裸足で踏みしめた土の感触に、時折、地を這う小虫のそれが交じる。小石や小枝もチクチクと足裏を刺激して、それらの破片が刺さることだってあった。
背の高い草が露出した肌を撫でてくるせいで、肌が切れたり赤く腫れたり。
そうして肉体的にも精神的にも疲労が蓄積し、もう散々だと思っていた矢先に、泣きっ面に蜂のごとく私は巨大な芋虫の魔物に遭遇した。
今でこそ私はSランクの冒険者に認められるほどの魔法の腕を身につけている。
だが当然ながら、当時の私は魔法の魔の字も知らなかった。
魔法が使えない私なんて、ただの非力な小娘と変わらない。
私を見つけ、木々をなぎ倒しながら突っ込んでくるそいつを前にして、私は足が竦んで動けなかった。
そんな私の前に現れたのが、彼女だった。
「突然、空から尋常じゃない業火が降り注いできたんだ」
その業火はまるで意思を持っているかのように私を避け、巨大芋虫だけを容赦なく焼き尽くした。
その業火と、瞬く間に灰になる芋虫を呆然と眺めていると、ふと、とても小さな少女が空から舞い降りてきた。
ここで言うとても小さなという表現は、子どものように小柄で幼いという意味ではない。
文字通り、手のひらで持ち上げてしまえるんじゃないかというくらい、その子は本当に小さかった。
『――お前、ワタシに魔法を習うといいよ。ちなみに拒否権はないから。嫌でも習え』
それが彼女の第一声だった。
見知らぬ場所。見知らぬ体。見知らぬ生き物。見知らぬ力。見知らぬ世界。
そしてそこに差し伸べられた、見知らぬ誰かの救いの手。
その手を取る選択が、どんな未来へ繋がっているかはわからない。だが一方で、その手を拒絶した私に未来がないことはわかりきっている。
まさしく彼女の言う通り、拒否権なんてあってないようなものだった。
私は、彼女の手を取った。
そしてその日から、私は彼女の弟子になったんだ。
「それから私は、毎日あの子に魔法の修行をつけてもらったな」
あの子は人里が存在する方向を把握していたようだったが、当初はそこへ行くことを許可してくれなかった。
その理由としては、私がこの世界のことをなにも知らなかったことが大きい。
あの子の目的は、私に魔法を極めさせることにあった。
もしも常識のない私が意図せず問題を起こし、騙されて不自由な身になったり、悲惨な目に遭って精神を壊したり、無惨に死んでしまったりしたなら、その目的は果たせなくなる。
それを彼女は嫌がったのだ。
だから私はあの子と一緒にいる間の時間のほとんどを、彼女と出会った森の中で生きてきた。
そこでなら魔物の生態にさえ注意を払っていれば、他の面倒事に巻き込まれる心配もない。人目をはばかることなく、存分に魔法を使うこともできた。
当然、その間の生活に必要なことも全部魔法でこなした。
魔法で危機を察知し、魔法で傷を癒やし、魔法で食料を確保し、魔法でそれらを加工して調理し、魔法で体を清めて、魔法で結界を張って外敵から身を守りつつ、これまた魔法で体を温めながら眠りにつく――。
そんな環境の中で過ごすことで、私の魔法の腕はメキメキと上がっていったものだった。
「あの子はね、私の名付け親でもあるんだ。ハロ・ハロリ・ハローハロリンネって、結構ヘンテコな名前だろう? なんでそんな名前なのかって言うと、名前を欲した私にあの子が雑につけたからなんだ」
「え、えぇ……? あの……お師匠さまはその方と仲が良かった、んですよね?」
「んー……フィリアには仲が良かったって言ったけど、実はそうでもなかったというか……私はあの子のことが結構好きだったけど、あの子はたぶん私のことなんてどうとも思ってなかったからね……」
「そうなんですか……? なんだかちょっと寂しいですね……」
「ふふ、そうでもないさ。そんなあの子だったからこそ、私も気兼ねなく一緒にいられたんだ。それに、あの子はとても心配性でね。私が危なっかしくていつ死ぬかわからないからって、四六時中そばにいてくれた」
朝起きる時も、食事を摂る時も、魔法の修行をしている間も、水浴びする時や夜に寝る時だって、いつだって彼女は私のそばにいた。
加えて、彼女は人類のことをずいぶんと脆い生き物だと認識していたらしく、その心配性にも度が過ぎている部分が散見された。
『……おい待てお前。ちょっとそこ寝ろ。修行? 中止! そんなのもういいから! 早くそこ寝ろ!』
たとえば、魔法の余波で土埃が舞った際、ちょっと咳き込んでしまっただけで深刻な病気の可能性を疑われ、彼女の魔法で精密検査を受けることになってしまったり。
『なにやってんのさ……ただでさえ危なっかしくて目が離せないってのに、こんなので死んじゃったらやってらんないよ。はぁ……』
木の根に足を引っ掛けて転びかけたところを即座に風の魔法で助けられ、万が一頭を打ったら死ぬかもしれないんだから足元に気をつけろとため息つきで説教されたり。
『ちょっと待って。その芋大きすぎでしょ。もっと細かく切ってから食べて。はあ? これくらい別に平気? 口答えすんな! もういいワタシが切る!』
食事の最中、喉に詰まらせたりしないようによく噛んで食えとか言われた時には「この子私のお母さんかな?」なんて思ったりしたものだ。ちなみに芋は微塵切りにされた。
一人ぼっちで見知らぬ世界に放り出された身だったけれど、そんな日々の中にいて、不安や寂しさを感じる暇なんてなかった。
あの子は私のことなんてきっと好いてくれてはいなかったし、「虫唾が走る」とか鬱陶しげに一蹴されるのは目に見えていたので、直接告げることはなかったけど……。
私は心からあの子に感謝していたし、いつだって裏表なく自分に正直な彼女を尊敬していた。
だからこそより一層、私が叶えてあげたいと思った。
あの子や、あの子が今まで魔法を教えてきた誰もが到達し得なかったという、身を引き裂かんばかりのあの子の悲願と渇望を。
「……でも私には、あの子の望みを叶えてあげることはできなかった」
「できなかった、って……よくわかりませんが、その方は魔法を極めたお師匠さまになにかをしてほしかったんですよね? お師匠さまでも無理だったんですか……?」
「そうだね……できなかった。あの子の手を取った日に、約束したのに……私にはどうしても、できなかったんだ」
私にとって彼女は命の恩人で、尊敬してる人で、大切な友人で――この世界での、母親のような人だった。
だからこそできなかった。叶えたいと思う以上に、叶えたくないと思ってしまった。
だってそれを叶えてしまったら、彼女は私のそばからいなくなってしまうとわかっていたから。
これからも一緒にいたい、と。
正直にそう告げた時の、彼女の愕然とした顔が忘れられない。
「……全部、私が悪いんだ。約束を破った私のせいなんだよ。あの子は約束を果たせられなかった私を見限って、どこかへ行ってしまった。私の望みも、あの子の望みも……結局、どちらも叶うことはなかった」
「お師匠さま……」
「……ふふ、昔の話だよ。そんな顔しないで、フィリア。私はもう二度とあの子に会えることはないだろうけど、あの子と過ごした日々は本当に楽しかったんだ。だから今も笑顔で思い出せる。それにね。私は、あの子は今も元気に生きているって、そう信じてるんだよ」
眉尻を下げ、私なんかよりもよっぽど悲しそうな顔をしていたフィリアの頭を撫でる。
正直、私より背が高いフィリアをこんな風に撫でるのはちょっとばかり恥ずかしいのだが、以前誤ってシィナにするようにフィリアの頭を撫でてしまった際は存外嬉しそうだったので、それを思い出しながら手を動かした。
フィリアはしばらくの間、私の手のひらの感触に浸るように目を瞑って黙っていたが、次第にその瞼を開くと、まっすぐに私を見つめてきた。
「……お師匠さま。覚えてますか? シィナちゃんが初めてこの家に来た日にした、約束のこと」
「シィナが来た日? というと……」
「私が望むなら、いつまでだって一緒だって……お師匠さま、そう言ってくださいましたよね」
「ああ、そういえば言ったね」
そのすぐ後にシィナとも同じ約束をした気がする。なんならさっきアモルとも。
「お師匠さま。私はいつまでも一緒にいます。絶対にどこにも行きません。なにがあっても、ずっと……死ぬまで」
「フィリア……」
「えへへ……やっぱりその、重いでしょうか? こんな気持ちは……」
「ううん、嬉しいよ。フィリアは本当に、いつだって私のことを思ってくれるね」
いやほんと、なんでフィリアって私なんかのことこんなに慕ってくれてるんだろうね。
一緒にいますって言いながら私の手を包み込んでくれた時、なんかこう、胸がキュンとしちゃったよ。
こんな純粋な子に性奴隷的なあれこれをさせようとしてた鬼畜野郎がいるみたいですよ?
ハロって言うんですけどね……。
「さて……そろそろ夕食の支度をしないとね。最近はこの家にも人が増えてきたから作り甲斐があるよ」
「お手伝いいたします!」
「ふふ。いつもありがとうね、フィリア」
元はと言えば、えろいことするためにフィリアを買ったはずだった。
それなのに私は今に至るまで、なんだかんだ師弟という関係に甘えてきてしまっていた。
思えばそれは、私とあの子の関係を、今のフィリアとの関係に重ねてしまっていたからなのかもしれない。
私は無意識のうちに、私を師匠と慕ってくれるこの子にとって、かつての私にとってのあの子のようになりたいと、心のどこかで思ってしまっていたのだろう。
うんうん……そうだ。きっとそうに違いない。
告白だってされたくせに、この期に及んで未だにフィリアに手を出せていないのも、間違いなくそのせいだ。
私がヘタレだからだとか、決してそういうわけではないのである。
すべてはこの悲しき過去が原因なのだ!
やはり私はヘタレなどではない……!
これだけは真実を伝えたかった次第だ! うむ!
「この世界? なにもって……お師匠さま、記憶喪失だったんですか?」
「まあ、そんなものかな。気がついたら、どことも知らない森の中にいたんだ。右も左もわからない状態でね。それが私という存在の始まりだった」
本当に気がついたら森の中にいたものだから、唖然と立ち尽くしていたことを覚えている。
なぜか体が耳が長い少女のものになっていたことも混乱に拍車をかけた。
しかもなんか、一糸まとわぬ姿だったし……。
念のために言っておくが、えっちなことはなにもしてないぞ。そんなこと考えられるような状況じゃなかったし。
……嘘です。ちょっとだけお胸モミモミしました。はい。
転生のことと体が変わっていたことを伏せて、当時の状況をフィリアに説明する。
「あの子と出会ったのは、その森の中であてもなく彷徨っていた時だったよ」
衣服や履き物の一つもなく、人の手が入っていない森の中を歩き回るのはとにかくきつかった。
裸足で踏みしめた土の感触に、時折、地を這う小虫のそれが交じる。小石や小枝もチクチクと足裏を刺激して、それらの破片が刺さることだってあった。
背の高い草が露出した肌を撫でてくるせいで、肌が切れたり赤く腫れたり。
そうして肉体的にも精神的にも疲労が蓄積し、もう散々だと思っていた矢先に、泣きっ面に蜂のごとく私は巨大な芋虫の魔物に遭遇した。
今でこそ私はSランクの冒険者に認められるほどの魔法の腕を身につけている。
だが当然ながら、当時の私は魔法の魔の字も知らなかった。
魔法が使えない私なんて、ただの非力な小娘と変わらない。
私を見つけ、木々をなぎ倒しながら突っ込んでくるそいつを前にして、私は足が竦んで動けなかった。
そんな私の前に現れたのが、彼女だった。
「突然、空から尋常じゃない業火が降り注いできたんだ」
その業火はまるで意思を持っているかのように私を避け、巨大芋虫だけを容赦なく焼き尽くした。
その業火と、瞬く間に灰になる芋虫を呆然と眺めていると、ふと、とても小さな少女が空から舞い降りてきた。
ここで言うとても小さなという表現は、子どものように小柄で幼いという意味ではない。
文字通り、手のひらで持ち上げてしまえるんじゃないかというくらい、その子は本当に小さかった。
『――お前、ワタシに魔法を習うといいよ。ちなみに拒否権はないから。嫌でも習え』
それが彼女の第一声だった。
見知らぬ場所。見知らぬ体。見知らぬ生き物。見知らぬ力。見知らぬ世界。
そしてそこに差し伸べられた、見知らぬ誰かの救いの手。
その手を取る選択が、どんな未来へ繋がっているかはわからない。だが一方で、その手を拒絶した私に未来がないことはわかりきっている。
まさしく彼女の言う通り、拒否権なんてあってないようなものだった。
私は、彼女の手を取った。
そしてその日から、私は彼女の弟子になったんだ。
「それから私は、毎日あの子に魔法の修行をつけてもらったな」
あの子は人里が存在する方向を把握していたようだったが、当初はそこへ行くことを許可してくれなかった。
その理由としては、私がこの世界のことをなにも知らなかったことが大きい。
あの子の目的は、私に魔法を極めさせることにあった。
もしも常識のない私が意図せず問題を起こし、騙されて不自由な身になったり、悲惨な目に遭って精神を壊したり、無惨に死んでしまったりしたなら、その目的は果たせなくなる。
それを彼女は嫌がったのだ。
だから私はあの子と一緒にいる間の時間のほとんどを、彼女と出会った森の中で生きてきた。
そこでなら魔物の生態にさえ注意を払っていれば、他の面倒事に巻き込まれる心配もない。人目をはばかることなく、存分に魔法を使うこともできた。
当然、その間の生活に必要なことも全部魔法でこなした。
魔法で危機を察知し、魔法で傷を癒やし、魔法で食料を確保し、魔法でそれらを加工して調理し、魔法で体を清めて、魔法で結界を張って外敵から身を守りつつ、これまた魔法で体を温めながら眠りにつく――。
そんな環境の中で過ごすことで、私の魔法の腕はメキメキと上がっていったものだった。
「あの子はね、私の名付け親でもあるんだ。ハロ・ハロリ・ハローハロリンネって、結構ヘンテコな名前だろう? なんでそんな名前なのかって言うと、名前を欲した私にあの子が雑につけたからなんだ」
「え、えぇ……? あの……お師匠さまはその方と仲が良かった、んですよね?」
「んー……フィリアには仲が良かったって言ったけど、実はそうでもなかったというか……私はあの子のことが結構好きだったけど、あの子はたぶん私のことなんてどうとも思ってなかったからね……」
「そうなんですか……? なんだかちょっと寂しいですね……」
「ふふ、そうでもないさ。そんなあの子だったからこそ、私も気兼ねなく一緒にいられたんだ。それに、あの子はとても心配性でね。私が危なっかしくていつ死ぬかわからないからって、四六時中そばにいてくれた」
朝起きる時も、食事を摂る時も、魔法の修行をしている間も、水浴びする時や夜に寝る時だって、いつだって彼女は私のそばにいた。
加えて、彼女は人類のことをずいぶんと脆い生き物だと認識していたらしく、その心配性にも度が過ぎている部分が散見された。
『……おい待てお前。ちょっとそこ寝ろ。修行? 中止! そんなのもういいから! 早くそこ寝ろ!』
たとえば、魔法の余波で土埃が舞った際、ちょっと咳き込んでしまっただけで深刻な病気の可能性を疑われ、彼女の魔法で精密検査を受けることになってしまったり。
『なにやってんのさ……ただでさえ危なっかしくて目が離せないってのに、こんなので死んじゃったらやってらんないよ。はぁ……』
木の根に足を引っ掛けて転びかけたところを即座に風の魔法で助けられ、万が一頭を打ったら死ぬかもしれないんだから足元に気をつけろとため息つきで説教されたり。
『ちょっと待って。その芋大きすぎでしょ。もっと細かく切ってから食べて。はあ? これくらい別に平気? 口答えすんな! もういいワタシが切る!』
食事の最中、喉に詰まらせたりしないようによく噛んで食えとか言われた時には「この子私のお母さんかな?」なんて思ったりしたものだ。ちなみに芋は微塵切りにされた。
一人ぼっちで見知らぬ世界に放り出された身だったけれど、そんな日々の中にいて、不安や寂しさを感じる暇なんてなかった。
あの子は私のことなんてきっと好いてくれてはいなかったし、「虫唾が走る」とか鬱陶しげに一蹴されるのは目に見えていたので、直接告げることはなかったけど……。
私は心からあの子に感謝していたし、いつだって裏表なく自分に正直な彼女を尊敬していた。
だからこそより一層、私が叶えてあげたいと思った。
あの子や、あの子が今まで魔法を教えてきた誰もが到達し得なかったという、身を引き裂かんばかりのあの子の悲願と渇望を。
「……でも私には、あの子の望みを叶えてあげることはできなかった」
「できなかった、って……よくわかりませんが、その方は魔法を極めたお師匠さまになにかをしてほしかったんですよね? お師匠さまでも無理だったんですか……?」
「そうだね……できなかった。あの子の手を取った日に、約束したのに……私にはどうしても、できなかったんだ」
私にとって彼女は命の恩人で、尊敬してる人で、大切な友人で――この世界での、母親のような人だった。
だからこそできなかった。叶えたいと思う以上に、叶えたくないと思ってしまった。
だってそれを叶えてしまったら、彼女は私のそばからいなくなってしまうとわかっていたから。
これからも一緒にいたい、と。
正直にそう告げた時の、彼女の愕然とした顔が忘れられない。
「……全部、私が悪いんだ。約束を破った私のせいなんだよ。あの子は約束を果たせられなかった私を見限って、どこかへ行ってしまった。私の望みも、あの子の望みも……結局、どちらも叶うことはなかった」
「お師匠さま……」
「……ふふ、昔の話だよ。そんな顔しないで、フィリア。私はもう二度とあの子に会えることはないだろうけど、あの子と過ごした日々は本当に楽しかったんだ。だから今も笑顔で思い出せる。それにね。私は、あの子は今も元気に生きているって、そう信じてるんだよ」
眉尻を下げ、私なんかよりもよっぽど悲しそうな顔をしていたフィリアの頭を撫でる。
正直、私より背が高いフィリアをこんな風に撫でるのはちょっとばかり恥ずかしいのだが、以前誤ってシィナにするようにフィリアの頭を撫でてしまった際は存外嬉しそうだったので、それを思い出しながら手を動かした。
フィリアはしばらくの間、私の手のひらの感触に浸るように目を瞑って黙っていたが、次第にその瞼を開くと、まっすぐに私を見つめてきた。
「……お師匠さま。覚えてますか? シィナちゃんが初めてこの家に来た日にした、約束のこと」
「シィナが来た日? というと……」
「私が望むなら、いつまでだって一緒だって……お師匠さま、そう言ってくださいましたよね」
「ああ、そういえば言ったね」
そのすぐ後にシィナとも同じ約束をした気がする。なんならさっきアモルとも。
「お師匠さま。私はいつまでも一緒にいます。絶対にどこにも行きません。なにがあっても、ずっと……死ぬまで」
「フィリア……」
「えへへ……やっぱりその、重いでしょうか? こんな気持ちは……」
「ううん、嬉しいよ。フィリアは本当に、いつだって私のことを思ってくれるね」
いやほんと、なんでフィリアって私なんかのことこんなに慕ってくれてるんだろうね。
一緒にいますって言いながら私の手を包み込んでくれた時、なんかこう、胸がキュンとしちゃったよ。
こんな純粋な子に性奴隷的なあれこれをさせようとしてた鬼畜野郎がいるみたいですよ?
ハロって言うんですけどね……。
「さて……そろそろ夕食の支度をしないとね。最近はこの家にも人が増えてきたから作り甲斐があるよ」
「お手伝いいたします!」
「ふふ。いつもありがとうね、フィリア」
元はと言えば、えろいことするためにフィリアを買ったはずだった。
それなのに私は今に至るまで、なんだかんだ師弟という関係に甘えてきてしまっていた。
思えばそれは、私とあの子の関係を、今のフィリアとの関係に重ねてしまっていたからなのかもしれない。
私は無意識のうちに、私を師匠と慕ってくれるこの子にとって、かつての私にとってのあの子のようになりたいと、心のどこかで思ってしまっていたのだろう。
うんうん……そうだ。きっとそうに違いない。
告白だってされたくせに、この期に及んで未だにフィリアに手を出せていないのも、間違いなくそのせいだ。
私がヘタレだからだとか、決してそういうわけではないのである。
すべてはこの悲しき過去が原因なのだ!
やはり私はヘタレなどではない……!
これだけは真実を伝えたかった次第だ! うむ!