「…………」
「げ、元気出してくださいシィナちゃん……」
トボトボと力ない足取りのシィナちゃんを慰めます。
猫耳も尻尾も、ぺたーん……と垂れ下がりきっていて、見るからに元気がありません。
何事にも動じないシィナちゃんがこれほどわかりやすく落ち込んでいるとなると、相当な落ち込み具合です……。
こうなってしまった原因はわかっています。
私はついさきほどの、シィナちゃんが奮起して露店商の方へ向かっていった時のことを振り返ります。
『……ねえ……』
『はいはい、いらっしゃいませー! なにか気になる品、でも…………えっ……』
『……こ、こんにち……は。えと……き、ききたいこと……ある。じかん、いい……?』
いいですいいです! 頑張ってますシィナちゃん! まずは挨拶! きちんとしてます!
その調子でお師匠さまの二つ名のこともお聞きしてしまいましょう!
……と、この時の私はのんきにそんなことを考えてましたね……。
『……あ、あの…………』
『……ブ、ブブ……《鮮血狂い》さま……?』
『え……あっ。ち、ちがっ……くない、けど……』
『……』
『……』
……そこから先は名状しがたい状況でした。
露店商の方が突然顔を真っ青にしてプルプル震え始めたかと思うと、口から泡を吹いて気絶して……。
本格的な騒ぎになってしまう前に、シィナちゃんの手を引いてあの場を離れたのは正解だったように思います。
露店商の方は気絶させた状態のまま放置してきてしまいましたが……あの場にいた他の人たちにどうにかしてもらうしかありませんね……。
――《鮮血狂い》。
それが、シィナちゃんの冒険者としての二つ名だそうです。
なんでも、血しぶきを浴びながら猟奇的な笑顔で魔物を惨殺していた姿からついた二つ名……とのことです。
……シィナちゃんに直接聞くのははばかられたので、情報収集と称し、シィナちゃんのそばを一時的に離れた際に、通りかかった方にお師匠さまの二つ名のことと一緒にこっそりお聞きしておきました。
もちろん、そんな噂話だけでは信じない人もいるでしょう。
でも、血しぶきを浴びながら魔物を討伐していた噂が本当なら、冒険者としての仕事を終えて帰ってきたシィナちゃんは全身血まみれのはずです。
きっとその姿を何度も街の方々に見られてしまったのでしょう。
それが数々の恐ろしい噂の裏づけを取る形になってしまって、徐々に街の人々からも避けられるようになってしまった……きっとそんな感じだと思います。
「…………はぁ……」
ひとまずシィナちゃんの心を落ちつけるのが先決だと思い、ちょうどよく視界に入った噴水の縁での休憩を提案しました。
水の音は心を癒やす効果があるそうなので、これでシィナちゃんも立ち直ってくれればと期待していたのですが……あまり効き目はないようで、シィナちゃんが何度目かともわからないため息をつきます。
「……わたし……そんなに、こわいのかな……」
シィナちゃんが噴水の方に少し体を傾けて、水面に映る自分の顔を覗きます。
時折自分の頬を引っ張ったり、普段から見開きがちな瞼を下げて、目つきを柔らかくしようとしてみたり……どうすれば怖く見えないか模索しているようでした。
「シィナちゃん……」
なにか私に、シィナちゃんにしてあげられることはないでしょうか……。
シィナちゃんは頑張ってます。
お師匠さまと出会う前のシィナちゃんが、どんなに冷徹で冷酷な子だったとしても……今のシィナちゃんは、そんな自分の残虐性と向き合いながら、一歩ずつ前に進もうとしています。
そうでなければ、露店商の方に自分から話しかけようとなんてしなかったはずです。
ただ言葉で励ます以外にできることがないかと考えていると、ふと、噴水の向こう側にある雑貨屋に目が留まりました。
ああいうお店には、小物を買うためにお師匠さまと一緒に何度か買い物に訪れていました。
そして私は、そんなお店のカウンターの向こうの棚の中に、ある物が飾られていたことを思い出します。
「……ちょっとここで待っていてください、シィナちゃん」
「フィリア、ちゃ……?」
腰にくくりつけてきていた巾着袋にきちんとお金が入っていることを確認すると、噴水の縁を離れて一人で雑貨屋に入ります。
何度かお師匠さまと訪れた雑貨屋とは違うお店だったので、同じ物があるか心配でしたが、幸いにも売られていたようでした。
かなり値が張りますが……少しでもシィナちゃんの力になれる可能性があるなら安いものです。
これまでお師匠さまから頂いてきたお小遣いのうち、持ってきていたぶんのほとんどを一気に使っちゃいます。
買い物を終えたらすぐにシィナちゃんのところに戻ります。
「お待たせしました、シィナちゃん」
「おか、えり……なに、かってきた、の……?」
「それは後からのお楽しみです。まずは、そうですね……シィナちゃん、少しの間だけ背中を向けてもらってもいいですか?」
「……? ……わかっ、た……」
特に理由を問うこともせず、素直に体を反転してくれます。
そんなシィナちゃんに「少しほどきますね」と一声だけかけて、彼女のツインテールをほどきました。
そして、それらを再度結い直していきます。
「……できました! 見てみてください!」
「……みつあみ?」
「はい、三つ編みですっ。お師匠さまの髪を結って差し上げたくて、密かに勉強してたんです。あとは……これです!」
買ってきた物を渡すと、シィナちゃんは目をパチパチと瞬かせました。
「……メガ、ネ?」
「はい、メガネです。どうぞかけてみてください」
戸惑いつつも、シィナちゃんは私の言う通りにしてくれました。
「うんうん、いいですね。思った通り似合ってます」
私のその言葉に、シィナちゃんも噴水の水面を見下ろして、そこに映る自分の姿を確認します。
すると、シィナちゃんは少しむず痒そうに身じろぎしました。
「……なんだ、か……ふそうおうに、みえる……」
「そんなことありませんよ。ちゃんと可愛いです!」
「でも……わた、し……ほかの、メガネかけてる、すごいひとたち……みたいに……あたま、よくない」
「オシャレなんだからいいんです! さ、シィナちゃん、ついてきてください!」
「え。ど、どこに……」
シィナちゃんの手を引いて、人通りが多い大通りの方へ移動します。
いくら体のいい言葉を並べたところで、一時しのぎの慰めにしかなりません。
実際に証明してこそ、シィナちゃんも本当の意味で自信を持てるようになるはずです!
「すみません! ちょっとよろしいでしょうか?」
早速、近くを通りかかった女の方に駆け寄ります。
どうやらお師匠さまやシィナちゃんと同じ冒険者の方のようで、巨大な斧と、急所と思しき箇所を守る金属製の鎧を身につけています。
その方は声をかけた私の方を見やると、怪訝そうに眉をひそめました。
「なんだい? あんた。依頼ならギルドを通してもらいたいんだけど」
「依頼ではないのですが、聞きたいことがあるんです。少しお時間いただくことはできませんか?」
「はぁ? 聞きたいこと? そんなもん他のやつに……んんっ?」
最初はそっけない反応だった冒険者の方ですが、私の後ろにさり気なく隠れていたシィナちゃんを見つけると、徐々に顔を引きつらせていきました。
「あ、あんた……まさか、《鮮血狂い》……?」
わなわなと唇を震わせながら、冒険者の方が戦慄したように疑問を吐き出します。
こんな少し怖そうな人もこのように声を震わせてしまう辺り、シィナちゃんの知名度は良くも悪くも、やはり相当なものなのでしょうね。
やっぱり……と、シィナちゃんが諦めるように下を向きかけたのが視界の端に見えました。
でも、シィナちゃん! 諦めるのはまだ早いです!
私は素早くシィナちゃんの後ろに回ると、その両肩に手を置いて、自慢の妹を紹介するかのように笑ってみせました。
「はい! こちらは《鮮血狂い》こと、私の家族のシィナちゃんです!」
「か、家族……? あんたが、《鮮血狂い》の……?」
「はいっ。一緒に住んでるんですが、今日は一緒にお出かけしてまして……見てみてください、この三つ編みとメガネ! シィナちゃん、今日はいつもとちょっと違うオシャレをしてるんですよ! 可愛いと思いませんか?」
「…………か、可愛いんじゃないか?」
「ですよね! 可愛いですよね!」
と、私と冒険者の方が会話をしている間、私の後ろに隠れていたはずが突然前に押し出されたシィナちゃんは、少し混乱したように視線を右往左往させていました。
そして自分が会話の中心になっている不安を押し隠すように、所在なさげに私の服の裾を後ろ手で握ります。
その引っ込み思案な仕草からは、噂のような残虐性など欠片も見受けられません。
ちょっと内気な、ただの一人の女の子です。
そんなシィナちゃんの反応に少し虚を突かれたように、冒険者の方が目を瞬かせます。
それから、少し気まずそうに頭をかきました。
「えぇと……それで、聞きたいことっていうのは……?」
「答えていただけるんですか?」
「ま、まぁ、少しだけなら……」
「ありがとうございます!」
私はシィナちゃんの背中をポンと押して、小声でささやきました。
「それじゃあシィナちゃん。あとはお願いしますね」
「……!? わ、わたし……?」
「大丈夫です、私がついてますから」
「…………わ、わかっ、た……やって、みる……」
シィナちゃんが勇気を振り絞るように一歩前に出ます。
「……その……ハ、ハロちゃ、の……ふたつ、な……の……ゆらい、しりたくて……な、なにか、しらない……?」
「っ……ハロちゃって誰のことだ……?」
「……しゅ、しゅぷりーむうぃざーど、って……よばれてる、エルフの、Sランクの……」
「ああ……あんたがご執心だって噂の、あの……」
「……? ごしゅうしん……?」
「ああいやなんでもないっ! そ、そうだな、二つ名の由来か……悪いがあたしは知らないな……あたしはあくまで戦士だ。魔法使いの冒険者なら知ってるかもしれないが……」
「……そう……」
シィナちゃんが、じっと冒険者の方を見つめます。
「…………な、なんだ? 他にもなにかあるのか?」
「……その……」
「……」
「……こ……こたえて、くれて……ありがと……」
「へ……? ……あ、ああ」
それだけ言うと、シィナちゃんは冒険者の方に背中を向け、急いで私の後ろに隠れました。
シィナちゃん、メガネは頭が良い人だけがつけてるものだと思ってたみたいですし……慣れないオシャレをしてる状態で知らない人と面と向かって話すのが、少し恥ずかしかったのかもしれません。
なんだかちょっと微笑ましいです。
「……なんというか……今まで《鮮血狂い》のこと、少し誤解していたのかもしれないな」
冒険者の方もそんなシィナちゃんを見て、肩の力が抜けたようでした。
この様子なら、もうシィナちゃんのことを冷酷非道な殺戮者だなんて思ってはいなさそうです。
今後はシィナちゃんのことを、一人の女の子として見てくれることでしょう。
思わず笑みをこぼしてしまいながら、私はペコリと頭を下げました。
「それじゃあ、私たちはそろそろ行きますね。私からも、答えていただいてありがとうでした!」
「ああ。あたしにとっても悪くない時間だった。調べ物、うまくいくことを祈ってるよ……じゃあね」
ヒラヒラとクールに手を振りながら、冒険者の方は去っていきました。
最初はちょっと怖い人かとも思いましたが、割と気の良い人でしたね。
冒険者の方を見送った後、私はくるりとシィナちゃんの方に振り返りました。
「シィナちゃん、やりましたね! 聞き込み成功です! ほら、どうですか? ちょっとオシャレしてみるだけでも、シィナちゃんだって私やお師匠さま以外とも、ああやって普通の女の子みたいにちゃんとお話できるんですよ!」
「……ふつうの……おんなの、こ、みたいに……」
「はい!」
「……」
「……シィナちゃん? ……シィナちゃん!?」
無表情のまま、シィナちゃんが突然ポロポロと泣き出しちゃいました!?
えっ、どうしたんですかっ? どこかぶつけちゃったんですか!?
わ、私、回復魔法はまだ正式には習ってないので、以前お師匠さまに使っていただいたものを見様見真似するくらいしかできないのですが……!?
「ち……ちがう、の……うれ、しくて……」
「う、嬉しいですか……?」
私がオロオロと慌てていると、シィナちゃんが首を横に振りながら感慨深そうに言いました。
「ずっと、みんなに……しろいめで、みられて……さけられ、て。こんなわたし、なんて……ハロちゃ、いがい、とは……ふつうのおんなのこみたいに、いきるのは……むりなんだって……あきらめてた、から……」
「シ、シィナちゃん……」
「……こんな、かんたんな、ことで……かわれる、なんて……」
「そ、それは違いますよ、シィナちゃん。さっきはオシャレしてみるだけでと言いましたが……あくまでそれはきっかけです。この結果は、シィナちゃんが今まで頑張ってきたからです」
「フィリア、ちゃ……」
シィナちゃんのメガネを取ってあげて、持ってきていたハンカチでシィナちゃんの涙を拭います。
シィナちゃんを励ますのには成功したみたいですが、成功しすぎちゃったみたいですね……。
とにかく今は、この場を離れるのが先決でしょう。
ここ大通りなので、結構人の視線が集まっちゃってます……。
シィナちゃんの手を引いて、さきほどの噴水のところまで戻ります。
その頃には、シィナちゃんも泣き止んでいました。
「……ありが、とう……フィリア、ちゃ……」
水の音が持つ心を癒やす効果が、今度はちゃんと働いてくれていたようでした。
落ちついたシィナちゃんが、ほんのわずかに顔をほころばせます。
かすかとは言え、シィナちゃんが笑っているところを見るのは初めてでした。
小さな蕾が花開いたかのような微笑みに、自然と私の頬も緩みます。
私はお師匠さま一筋ですので見惚れることはありませんが……冷酷な噂ばかりだったシィナちゃんにお師匠さまが手を差し伸べた理由も、少しわかった気がしました。
お師匠さまは……笑顔を忘れてしまったシィナちゃんの、笑った顔が見たかったんですね。
「これくらい当然です。家族ですから」
「……かぞく」
「はい、家族です」
きっとお師匠さまならこう言うはずです。
無論、私も同じ気持ちです!
「……ハロちゃん、が……フィリアちゃ、を……だいじに、おもう……りゆう。わかった……きがする」
シィナちゃんはどこか嬉しそうに……それでいて恥じ入るように、顔を俯かせました。
「……わたし……じぶんが、はずかしい……」
「恥ずかしい、ですか?」
「……ん。フィリアちゃ、に、ないしょで……ハロちゃん、に……あんなこと、して……」
「……え。私に内緒で、お師匠さまに……あ、あんなこと……?」
「そう……あんなことや……こんなこと、しちゃって」
「あ、あんなことやこんなことっ!? え、な、なんですか……? ど、どういうことなんです……!?」
「……それは……」
「そ、それは……?」
「…………あ」
そこでシィナちゃんが、なにかに気づいたように顔を上げます。
その視線の先には、冒険者ギルドが存在する方向を指し示す看板が立っていました。
それをしばらく見つめていたかと思うと、突如シィナちゃんが立ち上がります。
「そう、だ……ハロちゃの、ふたつなの、ゆらい……ぜったいしってる、ひと……おもい、だした」
「え。お、お師匠さまの二つ名の由来を、絶対知ってる人……? あの……今はそんなことより、シィナちゃんがお師匠さまにしたということの説明を」
「いこう、フィリアちゃん……! こんどこそ、わたしが……フィリアちゃん、の……やくに、たつ……!」
「えっ、えっあのっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいシィナちゃん!? まだ話は――」
今度はシィナちゃんが私の手を引いて歩き出します。
まだ聞きたいことがあったので引き留めようとしたのですが……ダメですこれ! シィナちゃん力強すぎです!
というか差がありすぎて、そもそも私が抵抗してることにすらシィナちゃん気づいてません!
え、なんですかっ? シィナちゃんがお師匠さまにしたことってなんなんですか!?
あんなことやこんなことってなんだったんですかっ!?
まるで話を聞かないシィナちゃんに手を引かれ、あれよこれよという間に冒険者ギルドの前にたどりつきます。
そして私がさきほどのことを問い直すよりも早く、シィナちゃんは意気揚々と入り口の扉を開け放ったのでした。
「げ、元気出してくださいシィナちゃん……」
トボトボと力ない足取りのシィナちゃんを慰めます。
猫耳も尻尾も、ぺたーん……と垂れ下がりきっていて、見るからに元気がありません。
何事にも動じないシィナちゃんがこれほどわかりやすく落ち込んでいるとなると、相当な落ち込み具合です……。
こうなってしまった原因はわかっています。
私はついさきほどの、シィナちゃんが奮起して露店商の方へ向かっていった時のことを振り返ります。
『……ねえ……』
『はいはい、いらっしゃいませー! なにか気になる品、でも…………えっ……』
『……こ、こんにち……は。えと……き、ききたいこと……ある。じかん、いい……?』
いいですいいです! 頑張ってますシィナちゃん! まずは挨拶! きちんとしてます!
その調子でお師匠さまの二つ名のこともお聞きしてしまいましょう!
……と、この時の私はのんきにそんなことを考えてましたね……。
『……あ、あの…………』
『……ブ、ブブ……《鮮血狂い》さま……?』
『え……あっ。ち、ちがっ……くない、けど……』
『……』
『……』
……そこから先は名状しがたい状況でした。
露店商の方が突然顔を真っ青にしてプルプル震え始めたかと思うと、口から泡を吹いて気絶して……。
本格的な騒ぎになってしまう前に、シィナちゃんの手を引いてあの場を離れたのは正解だったように思います。
露店商の方は気絶させた状態のまま放置してきてしまいましたが……あの場にいた他の人たちにどうにかしてもらうしかありませんね……。
――《鮮血狂い》。
それが、シィナちゃんの冒険者としての二つ名だそうです。
なんでも、血しぶきを浴びながら猟奇的な笑顔で魔物を惨殺していた姿からついた二つ名……とのことです。
……シィナちゃんに直接聞くのははばかられたので、情報収集と称し、シィナちゃんのそばを一時的に離れた際に、通りかかった方にお師匠さまの二つ名のことと一緒にこっそりお聞きしておきました。
もちろん、そんな噂話だけでは信じない人もいるでしょう。
でも、血しぶきを浴びながら魔物を討伐していた噂が本当なら、冒険者としての仕事を終えて帰ってきたシィナちゃんは全身血まみれのはずです。
きっとその姿を何度も街の方々に見られてしまったのでしょう。
それが数々の恐ろしい噂の裏づけを取る形になってしまって、徐々に街の人々からも避けられるようになってしまった……きっとそんな感じだと思います。
「…………はぁ……」
ひとまずシィナちゃんの心を落ちつけるのが先決だと思い、ちょうどよく視界に入った噴水の縁での休憩を提案しました。
水の音は心を癒やす効果があるそうなので、これでシィナちゃんも立ち直ってくれればと期待していたのですが……あまり効き目はないようで、シィナちゃんが何度目かともわからないため息をつきます。
「……わたし……そんなに、こわいのかな……」
シィナちゃんが噴水の方に少し体を傾けて、水面に映る自分の顔を覗きます。
時折自分の頬を引っ張ったり、普段から見開きがちな瞼を下げて、目つきを柔らかくしようとしてみたり……どうすれば怖く見えないか模索しているようでした。
「シィナちゃん……」
なにか私に、シィナちゃんにしてあげられることはないでしょうか……。
シィナちゃんは頑張ってます。
お師匠さまと出会う前のシィナちゃんが、どんなに冷徹で冷酷な子だったとしても……今のシィナちゃんは、そんな自分の残虐性と向き合いながら、一歩ずつ前に進もうとしています。
そうでなければ、露店商の方に自分から話しかけようとなんてしなかったはずです。
ただ言葉で励ます以外にできることがないかと考えていると、ふと、噴水の向こう側にある雑貨屋に目が留まりました。
ああいうお店には、小物を買うためにお師匠さまと一緒に何度か買い物に訪れていました。
そして私は、そんなお店のカウンターの向こうの棚の中に、ある物が飾られていたことを思い出します。
「……ちょっとここで待っていてください、シィナちゃん」
「フィリア、ちゃ……?」
腰にくくりつけてきていた巾着袋にきちんとお金が入っていることを確認すると、噴水の縁を離れて一人で雑貨屋に入ります。
何度かお師匠さまと訪れた雑貨屋とは違うお店だったので、同じ物があるか心配でしたが、幸いにも売られていたようでした。
かなり値が張りますが……少しでもシィナちゃんの力になれる可能性があるなら安いものです。
これまでお師匠さまから頂いてきたお小遣いのうち、持ってきていたぶんのほとんどを一気に使っちゃいます。
買い物を終えたらすぐにシィナちゃんのところに戻ります。
「お待たせしました、シィナちゃん」
「おか、えり……なに、かってきた、の……?」
「それは後からのお楽しみです。まずは、そうですね……シィナちゃん、少しの間だけ背中を向けてもらってもいいですか?」
「……? ……わかっ、た……」
特に理由を問うこともせず、素直に体を反転してくれます。
そんなシィナちゃんに「少しほどきますね」と一声だけかけて、彼女のツインテールをほどきました。
そして、それらを再度結い直していきます。
「……できました! 見てみてください!」
「……みつあみ?」
「はい、三つ編みですっ。お師匠さまの髪を結って差し上げたくて、密かに勉強してたんです。あとは……これです!」
買ってきた物を渡すと、シィナちゃんは目をパチパチと瞬かせました。
「……メガ、ネ?」
「はい、メガネです。どうぞかけてみてください」
戸惑いつつも、シィナちゃんは私の言う通りにしてくれました。
「うんうん、いいですね。思った通り似合ってます」
私のその言葉に、シィナちゃんも噴水の水面を見下ろして、そこに映る自分の姿を確認します。
すると、シィナちゃんは少しむず痒そうに身じろぎしました。
「……なんだ、か……ふそうおうに、みえる……」
「そんなことありませんよ。ちゃんと可愛いです!」
「でも……わた、し……ほかの、メガネかけてる、すごいひとたち……みたいに……あたま、よくない」
「オシャレなんだからいいんです! さ、シィナちゃん、ついてきてください!」
「え。ど、どこに……」
シィナちゃんの手を引いて、人通りが多い大通りの方へ移動します。
いくら体のいい言葉を並べたところで、一時しのぎの慰めにしかなりません。
実際に証明してこそ、シィナちゃんも本当の意味で自信を持てるようになるはずです!
「すみません! ちょっとよろしいでしょうか?」
早速、近くを通りかかった女の方に駆け寄ります。
どうやらお師匠さまやシィナちゃんと同じ冒険者の方のようで、巨大な斧と、急所と思しき箇所を守る金属製の鎧を身につけています。
その方は声をかけた私の方を見やると、怪訝そうに眉をひそめました。
「なんだい? あんた。依頼ならギルドを通してもらいたいんだけど」
「依頼ではないのですが、聞きたいことがあるんです。少しお時間いただくことはできませんか?」
「はぁ? 聞きたいこと? そんなもん他のやつに……んんっ?」
最初はそっけない反応だった冒険者の方ですが、私の後ろにさり気なく隠れていたシィナちゃんを見つけると、徐々に顔を引きつらせていきました。
「あ、あんた……まさか、《鮮血狂い》……?」
わなわなと唇を震わせながら、冒険者の方が戦慄したように疑問を吐き出します。
こんな少し怖そうな人もこのように声を震わせてしまう辺り、シィナちゃんの知名度は良くも悪くも、やはり相当なものなのでしょうね。
やっぱり……と、シィナちゃんが諦めるように下を向きかけたのが視界の端に見えました。
でも、シィナちゃん! 諦めるのはまだ早いです!
私は素早くシィナちゃんの後ろに回ると、その両肩に手を置いて、自慢の妹を紹介するかのように笑ってみせました。
「はい! こちらは《鮮血狂い》こと、私の家族のシィナちゃんです!」
「か、家族……? あんたが、《鮮血狂い》の……?」
「はいっ。一緒に住んでるんですが、今日は一緒にお出かけしてまして……見てみてください、この三つ編みとメガネ! シィナちゃん、今日はいつもとちょっと違うオシャレをしてるんですよ! 可愛いと思いませんか?」
「…………か、可愛いんじゃないか?」
「ですよね! 可愛いですよね!」
と、私と冒険者の方が会話をしている間、私の後ろに隠れていたはずが突然前に押し出されたシィナちゃんは、少し混乱したように視線を右往左往させていました。
そして自分が会話の中心になっている不安を押し隠すように、所在なさげに私の服の裾を後ろ手で握ります。
その引っ込み思案な仕草からは、噂のような残虐性など欠片も見受けられません。
ちょっと内気な、ただの一人の女の子です。
そんなシィナちゃんの反応に少し虚を突かれたように、冒険者の方が目を瞬かせます。
それから、少し気まずそうに頭をかきました。
「えぇと……それで、聞きたいことっていうのは……?」
「答えていただけるんですか?」
「ま、まぁ、少しだけなら……」
「ありがとうございます!」
私はシィナちゃんの背中をポンと押して、小声でささやきました。
「それじゃあシィナちゃん。あとはお願いしますね」
「……!? わ、わたし……?」
「大丈夫です、私がついてますから」
「…………わ、わかっ、た……やって、みる……」
シィナちゃんが勇気を振り絞るように一歩前に出ます。
「……その……ハ、ハロちゃ、の……ふたつ、な……の……ゆらい、しりたくて……な、なにか、しらない……?」
「っ……ハロちゃって誰のことだ……?」
「……しゅ、しゅぷりーむうぃざーど、って……よばれてる、エルフの、Sランクの……」
「ああ……あんたがご執心だって噂の、あの……」
「……? ごしゅうしん……?」
「ああいやなんでもないっ! そ、そうだな、二つ名の由来か……悪いがあたしは知らないな……あたしはあくまで戦士だ。魔法使いの冒険者なら知ってるかもしれないが……」
「……そう……」
シィナちゃんが、じっと冒険者の方を見つめます。
「…………な、なんだ? 他にもなにかあるのか?」
「……その……」
「……」
「……こ……こたえて、くれて……ありがと……」
「へ……? ……あ、ああ」
それだけ言うと、シィナちゃんは冒険者の方に背中を向け、急いで私の後ろに隠れました。
シィナちゃん、メガネは頭が良い人だけがつけてるものだと思ってたみたいですし……慣れないオシャレをしてる状態で知らない人と面と向かって話すのが、少し恥ずかしかったのかもしれません。
なんだかちょっと微笑ましいです。
「……なんというか……今まで《鮮血狂い》のこと、少し誤解していたのかもしれないな」
冒険者の方もそんなシィナちゃんを見て、肩の力が抜けたようでした。
この様子なら、もうシィナちゃんのことを冷酷非道な殺戮者だなんて思ってはいなさそうです。
今後はシィナちゃんのことを、一人の女の子として見てくれることでしょう。
思わず笑みをこぼしてしまいながら、私はペコリと頭を下げました。
「それじゃあ、私たちはそろそろ行きますね。私からも、答えていただいてありがとうでした!」
「ああ。あたしにとっても悪くない時間だった。調べ物、うまくいくことを祈ってるよ……じゃあね」
ヒラヒラとクールに手を振りながら、冒険者の方は去っていきました。
最初はちょっと怖い人かとも思いましたが、割と気の良い人でしたね。
冒険者の方を見送った後、私はくるりとシィナちゃんの方に振り返りました。
「シィナちゃん、やりましたね! 聞き込み成功です! ほら、どうですか? ちょっとオシャレしてみるだけでも、シィナちゃんだって私やお師匠さま以外とも、ああやって普通の女の子みたいにちゃんとお話できるんですよ!」
「……ふつうの……おんなの、こ、みたいに……」
「はい!」
「……」
「……シィナちゃん? ……シィナちゃん!?」
無表情のまま、シィナちゃんが突然ポロポロと泣き出しちゃいました!?
えっ、どうしたんですかっ? どこかぶつけちゃったんですか!?
わ、私、回復魔法はまだ正式には習ってないので、以前お師匠さまに使っていただいたものを見様見真似するくらいしかできないのですが……!?
「ち……ちがう、の……うれ、しくて……」
「う、嬉しいですか……?」
私がオロオロと慌てていると、シィナちゃんが首を横に振りながら感慨深そうに言いました。
「ずっと、みんなに……しろいめで、みられて……さけられ、て。こんなわたし、なんて……ハロちゃ、いがい、とは……ふつうのおんなのこみたいに、いきるのは……むりなんだって……あきらめてた、から……」
「シ、シィナちゃん……」
「……こんな、かんたんな、ことで……かわれる、なんて……」
「そ、それは違いますよ、シィナちゃん。さっきはオシャレしてみるだけでと言いましたが……あくまでそれはきっかけです。この結果は、シィナちゃんが今まで頑張ってきたからです」
「フィリア、ちゃ……」
シィナちゃんのメガネを取ってあげて、持ってきていたハンカチでシィナちゃんの涙を拭います。
シィナちゃんを励ますのには成功したみたいですが、成功しすぎちゃったみたいですね……。
とにかく今は、この場を離れるのが先決でしょう。
ここ大通りなので、結構人の視線が集まっちゃってます……。
シィナちゃんの手を引いて、さきほどの噴水のところまで戻ります。
その頃には、シィナちゃんも泣き止んでいました。
「……ありが、とう……フィリア、ちゃ……」
水の音が持つ心を癒やす効果が、今度はちゃんと働いてくれていたようでした。
落ちついたシィナちゃんが、ほんのわずかに顔をほころばせます。
かすかとは言え、シィナちゃんが笑っているところを見るのは初めてでした。
小さな蕾が花開いたかのような微笑みに、自然と私の頬も緩みます。
私はお師匠さま一筋ですので見惚れることはありませんが……冷酷な噂ばかりだったシィナちゃんにお師匠さまが手を差し伸べた理由も、少しわかった気がしました。
お師匠さまは……笑顔を忘れてしまったシィナちゃんの、笑った顔が見たかったんですね。
「これくらい当然です。家族ですから」
「……かぞく」
「はい、家族です」
きっとお師匠さまならこう言うはずです。
無論、私も同じ気持ちです!
「……ハロちゃん、が……フィリアちゃ、を……だいじに、おもう……りゆう。わかった……きがする」
シィナちゃんはどこか嬉しそうに……それでいて恥じ入るように、顔を俯かせました。
「……わたし……じぶんが、はずかしい……」
「恥ずかしい、ですか?」
「……ん。フィリアちゃ、に、ないしょで……ハロちゃん、に……あんなこと、して……」
「……え。私に内緒で、お師匠さまに……あ、あんなこと……?」
「そう……あんなことや……こんなこと、しちゃって」
「あ、あんなことやこんなことっ!? え、な、なんですか……? ど、どういうことなんです……!?」
「……それは……」
「そ、それは……?」
「…………あ」
そこでシィナちゃんが、なにかに気づいたように顔を上げます。
その視線の先には、冒険者ギルドが存在する方向を指し示す看板が立っていました。
それをしばらく見つめていたかと思うと、突如シィナちゃんが立ち上がります。
「そう、だ……ハロちゃの、ふたつなの、ゆらい……ぜったいしってる、ひと……おもい、だした」
「え。お、お師匠さまの二つ名の由来を、絶対知ってる人……? あの……今はそんなことより、シィナちゃんがお師匠さまにしたということの説明を」
「いこう、フィリアちゃん……! こんどこそ、わたしが……フィリアちゃん、の……やくに、たつ……!」
「えっ、えっあのっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいシィナちゃん!? まだ話は――」
今度はシィナちゃんが私の手を引いて歩き出します。
まだ聞きたいことがあったので引き留めようとしたのですが……ダメですこれ! シィナちゃん力強すぎです!
というか差がありすぎて、そもそも私が抵抗してることにすらシィナちゃん気づいてません!
え、なんですかっ? シィナちゃんがお師匠さまにしたことってなんなんですか!?
あんなことやこんなことってなんだったんですかっ!?
まるで話を聞かないシィナちゃんに手を引かれ、あれよこれよという間に冒険者ギルドの前にたどりつきます。
そして私がさきほどのことを問い直すよりも早く、シィナちゃんは意気揚々と入り口の扉を開け放ったのでした。