『新しい私の子、あなたの誕生を祝福するわ。その高貴なる魔眼の力……いつかあなたがそれを存分に振るう日を楽しみにしてるから』

 一番古い記憶。最初に思い出せるのは、母のその言葉だ。

 成熟した淫魔は、異性を魅了する肉体と完成された魔眼をもって、他者を容易に支配し食い物にすることができる。
 けれど、生まれたばかりの頃はそううまくもいかないものだ。
 淫魔は人間と違って、産まれてから数年で成熟する。しかしその成熟するまでの、知識も力もないその数年の間はただ生きることも難しい。
 単純に力がないから、他の魔物に当たり前のように負けて食べられる。人間に対しての知識が不足しているから、うまく騙せない。同様に人の生活に溶け込もうとしても簡単に正体がバレて捕まる。一人ではなにもできない。

 だから淫魔は基本的に群れを作って動く。
 成熟した淫魔は群れのために餌を取ってきたり、人を騙し異性を魅了する方法を幼子に教える。
 そして幼子は一歩も外に出ることなく知識と力を蓄えて、やがて成熟した後は自分がそうされたように子どもに力と知識を授ける。

 わたしもそうだった。
 かつて大きな災害で廃墟と化した小さな街。その教会の残骸の地下に住処を作って、わたしは成熟した淫魔の加護を受けながら生活していた。

『あなたは少し成長が遅いようね』

 その言葉を、よく言われたものだ。
 成長が遅い。小さい。大きくならない。
 同じ時期に産まれた他の子どもたちはすでに人間で言う十代前半くらいの年頃になっているのに、わたしだけ一桁程度の体で止まったままなのだ。
 そのくせして魔眼だけは他の子と同じように成長していく。

 こういうことはたまにあることなのだという。
 淫魔は人間やエルフなどの人類から、犬や猫と言った獣、そして魔物に至るまで、様々な種族との繁殖が可能な体を持っている。
 そうして産まれる子どもには淫魔の特徴が反映されることがほとんどだ。それだけ淫魔の遺伝子は強いから。
 でも稀に、もう一方の特徴が現れる場合がある。
 わたしはおそらくわたしの父に当たるドワーフ族の特徴が中途半端に受け継がれてしまったのだろうと、成熟した淫魔たちが話していた。
 ドワーフ族は生涯を通して体が小さいままだ。幼子のような体躯と、その見た目に反した強靭な肉体と精神力が特徴の種族。
 わたしにはそんな力も精神もなく、ただ、体が小さいという要素だけが残ってしまっていて――。

 わたしは、出来損ないの落ちこぼれだった。

 こんな体では異性を魅了することなんてできないし、ろくに人も騙せない。なにも、群れの役に立てない。
 やがて他の子たちが成熟してくると、育ててくれていた淫魔たちから役立たずと罵声を浴びせられるようになった。
 仲がよかった仲間からも、次第に蔑まれるようになった。
 でも勝手に外に逃げられると、捕まったわたしから情報が漏れて住処が割れてしまう危険があるから、まるで監禁するようにわたしを地下深くに押し込めたまま。

 幸いだったのは、同族を殺さない程度には淫魔という魔物に情があったことだろうか。
 何度死んだ方がいいのではと考えたのか、数知れないけれど。

『こうして……女の子は、王子さまと結ばれて……幸せに暮らしましたとさ……』

 そんなわたしの唯一の楽しみは、仲間たちが魔眼で支配し、仲間が住処に連れ帰ってきた一人の人間の女性(食糧)が持っていた、一冊の本を読むことだった。
 皆から嫌われていた女の子が、お忍びで街に降りてきていた王子さまと出会って、苦難の末に結ばれる、そんなおとぎ話。

 目が覚めるようだった。
 人を騙すことばかり教わってきたから。
 優しさは甘さ。もっともつけ入る隙がある、愚かな感情。優しい人ほど操りやすい。そう教わってきたから。
 嫌われて心が荒んでいた女の子が、王子さまの優しさに触れて、誰かに優しくすることの大切さを覚えて、人を愛することを覚えて……。
 すべてが、わたしがこれまで教わったものと真逆のものだった。

 何度も何度も読み直した。
 何度読み直しても、飽きることはなかった。

『……お母さん。お母さんは……誰かを愛したこと、ある……?』

 答えてくれなかった。無視された。
 彼女はもうわたしを、娘とは思っていないようだった。

『ねえ、あなたたちは……誰かを、愛したことある……?』

 昔は仲がよかった仲間たちも、同じだ。頭がおかしいやつを見るような目で見られた。
 いつものように邪魔者扱いされて、殴られて、蹴られて。

『……わたしにも……人を、愛せる日が……来るのかな…………誰かが、わたしを愛してくれるような……そんな……』

 わたしには、名前がない。
 淫魔とは、そういうものだ。成熟し、他者を魔眼で支配し初めて住処に連れ帰ってきた時、やっと一人の淫魔として認められて、名乗ることを許される。その時の自分の名前は、自分自身で考える。
 それは親が子に、そして子が親に愛情を持たないようにするためなのだろう。
 優しさは甘さだ。一番つけ入る隙間のある愚かな感情だ。
 だから、子を愛し、親を慕う。そんな感情を淫魔が覚える必要はない。

 仲間たちと違って、誰かを愛したい……誰かに愛されたいと願う。
 そんなわたしは、やっぱり、本当に出来損ないだったんだと思う。

『――君、大丈夫? ちゃんと意識はある?』

 気がついた時、仲間たちは全員殺されていた。
 冒険者がわたしたちの動きを察知し、住処を突き止めて、襲撃をかけてきた結果だった。
 たくさんの人たちを食い物にしてきたから、きっと自業自得だ。
 正気を失い、命令されたこと以外なにもできない人形のような人たちがたくさんいて。
 同じ人に食糧を与えて使い回すより、新しく支配して連れてきた方が楽だから、飽きて捨てられた無残な屍もどれだけあるかもわからない。

 涙が出た。わたしもこれから仲間たちと同じ末路をたどるのだと思うと、涙が止まらなかった。
 嫌だ。死にたくない。死にたくないよ。
 どうしてこんな風に思うんだろう。死んだ方がいいんじゃって、何度も考えてたはずなのに。

『ねえ! そっちは終わった?』
『ああ! こっちにはもう淫魔はいない!』

 このままわたしも同じように殺されるのだろうと思っていたが、どうにも様子がおかしい。

『あんなにたくさんの人を……しまいにはこんな小さい子まで食い物にしようとするなんて……許せない』

 言っていることがおかしい。
 わたしも淫魔なのに、まるでいないかのように扱われている。

 ……もしかして、わたし……ばれてない? 淫魔だってこと……。
 他の淫魔と違って、小さいから……傷だらけだから。
 ボロボロな格好だけれど、淫魔の特徴である体の紋様はなんとか隠せているから。
 捕まって連れてこられた、人間の子どもだと思われている?

 だとしたら……。

『……こっちを、見て』
『あ、君、意識が』
『あなたは、わたしの虜になる――――』

 逃げた。母と、そして仲間たちの無残な亡骸を置き去りにして、一人で街まで走って逃げた。
 空は青いと聞いていたけれど、なんだか灰色の靄のようなものがかかっていて、全然青くなかった。嘘つき。

 街に忍び込むことは案外簡単だった。これでも淫魔の端くれだ。お人好しの門番を騙して、油断させて、魅了にかけるくらいのことは容易にできる。
 問題は、わたしの正体とわたしが街中に忍び込んだことが発覚して、外に出られなくなったことだけど……。

 わたしを探す冒険者から、逃げて逃げて逃げ回って、もう限界だって思い始めた頃、嵐がやってきた。
 その嵐を何事もなく凌げそうな、大きな家。そこに忍び込もうとして、罠にかかって気絶して……そうしてわたしは、あなたと出会った。
 とっても愚かでとっても甘い、あなたに。





「これが、わたしのすべて……わたしは、あなたが思っているような子どもじゃない。これでも成熟した淫魔なの」

 淫魔の少女は時折辛そうにしながらも、最後には神妙な顔でそう締めくくった。
 明るい話にはならないことは重々承知していたものの、想像以上に重たい話だった。

 傷つけられ監禁されて、死にたいくらいの劣等感と孤独感に苛まれながらも、希望を捨てられない。
 親に愛情を求めても、子だなんて思われてなくて。友と呼べた仲間たちにも見捨てられ、誰からも愛されない。

 思わず抱きしめてあげたくなる。

 ……それにしても、なんで私の周りには重い過去を持った子ばっかり集まるんだ?
 フィリアは親に売られたって言ってたし、シィナは実際に聞いたことはないけどまず間違いなく過酷な経験をしてきている。

 なぜこんな子たちばかりが……あ、いや。そういえばフィリアは私が自分の意思で買ったんだった。
 十代の女の子が奴隷になんてなっている時点で、なにか重い事情があるのは明白だ。
 なのに私は特になにも考えず欲に身を任せた。
 シィナだってやばい噂はいくらでも立ってたのに、焚き火に突っ込む羽虫のように私が自分から近づいて行ったから今の関係がある。

 私の周りに重い過去を持った子が集まってくるのは、もしかしなくても私の安易な行動のせいでは……?
 いや、いいんだけどね? フィリアもシィナも根は良い子で、あととても可愛いし。すごく可愛い。

 まあ、それはそれとして。

「……そうか。わかった……話してくれてありがとう」

 ひとまず、これからやるべきことは固まった。
 万が一この子が悪い魔物だったら、なんてこともほんのわずかに懸念していたが、もうその必要もないようだ。

 この子を街の外にこっそり逃がしたところで、遠くないうちに冒険者か魔物に殺されてしまうのが関の山だろう。
 この家で匿う。やっぱりたぶん、それが一番いい。
 ただそうなると、ギルドの方にどう報告するかが問題になる。

 うーむ……不覚を取られて外に逃がしてしまったってことにでもしておく?
 いや、私は仮にもSランクの冒険者だ。淫魔一匹程度に不覚を取られたと言っても信じてもらえるかどうか……。
 まあ本当に不覚取られたんだけど……シィナがいなかったらどうなっていたかわからない。

 報告しない、という選択肢はなかった。
 黙っていれば確かにしばらくは淫魔の少女が見つかることはないだろうが、それだけうまく潜伏しているとして、調査がどんどん大掛かりになっていくことが目に見えている。
 他の街にも救援要請を出して、念入りな捜索が始まる。そこまで大規模になると、いつまで隠していられるかわからないし、見つかった時にどれほど糾弾されるかもわからない。
 私だけ非難されるならいいが、その被害がフィリアやシィナ、淫魔の少女にまで及ぶことだけは避けなくてはならない。

 さきほどは存在をもみ消して匿うこともできるなんて言い切ったけれど、実際問題、あれはただの見栄に等しい。
 一応それ相応の影響力があるとは自覚している。とは言えしかし、淫魔の存在をもみ消すともなると、そう簡単にはいかないのが現実だ。

 それほどまでに淫魔は危険な存在なのだ。
 たった一匹だとしても、その気になれば、街を崩壊させる規模の無残な殺し合いさえ引き起こすことができてしまうから。

 ……もういっそのこと、街に潜んだ淫魔は退治してしまったことにしてしまう?
 証拠がなくとも、私なら痕跡すら残さずに消滅させたと言っても信じてもらえるだろう。そういう魔法も確かにある。

 かなり良い案だと思うのだが、あまりしっくりこない。
 というのも、この淫魔の少女が今まで棲家で閉じ込められていた境遇であることが、喉に刺さった小骨のように引っかかっている。
 退治したと嘘を言うとなると、見つからないように家の中でしか生活させてあげられない。それではかつての境遇とあまり変わらない気がした。
 欲張りなことを言うが、この子が気兼ねなく外で生活してもなにも言われない、そんな風にすることはできないだろうか。

「……怒ら、ないの?」

 腕を組み、先のことについて思考を巡らせていると、沈黙を遮って、淫魔の少女が不安そうな声を上げた。

「怒るって、なにをかな」
「……あなたは、わたしが子どもだって言った。でも、わたしは子どもじゃない……成熟した淫魔なんだって、言ったはず」
「ああ、うん。みたいだね」
「みたいだね、じゃなくて……わたしが魔眼を使ったこと……危害を加えた、こと。あなたはわたしが子どもだから許すって言った……でも、わたしは」

 子どもじゃないなら、怒る。拒絶される。
 そんな風に思っていたようだ。瞳の奥に、恐怖の色が見える。

 けれどその姿はどう見ても、怯えた子ども以外のなにものでもなかった。
 ここで甘やかすのは簡単だ。
 でもそれじゃあたぶん、この子自身が納得しないだろうと感じた。

「んー……そうだね。ちょっと、こっちにおいで」

 手招きをすると、淫魔の少女は最初わずかに躊躇しながらも、横になったまま体を私の方に近づけてくる。
 そんな彼女の額に、手を伸ばした。

 殴られるとでも思ったのか、ぎゅっと目を瞑る。
 そんな彼女の頬を摘んで、ぐねーっと抓った。

「はい、お仕置き終わり」
「……お、終わ、り?」
「そう。終わり。痛かったよね?」
「ちょ、ちょっとだけ……で、でもっ、こんなの……」

 なんだか納得がいかない、と言った表情をしている。
 でも私はもうこれ以上はやる意味を感じなかった。

 この子は自分が悪いことをやったとわかっている。悪いことをしたから罰を受けなきゃいけないと、そう思っている。
 そうでなきゃ、自分が成熟した淫魔だなんて言わない。
 適当にごまかして、自分はただの子どもだっていう風に過去を捏造すればよかった。

 しっかり反省して、怯えながらも自分は怒られなきゃいけないと思っているような幼気な少女に与える罰としては、これくらいでじゅうぶんなはずだ。
 っていうかこれ以上傷つけるのは、ちょっともう私の方が耐えられそうにない。

「わ、わたしは……あなたになら、なにをされてもいい。あなたはわたしを……受け入れて、くれた。だからもっと、ひどいこと……したって……」

 そんな怯えながら言われても……。

 私はもう特になにもするつもりはないのだが、まだこの子は納得しきれていないようだ。
 今の私の気持ちをどう伝えたものか……。
 そんな風に思いかけた時に、天啓のように私は閃いた。 

 ――この状況……似ている。
 あの本、『オークと女騎士』のワンシーンに……!

 もはや帰る場所も行く宛もなく、かつての仲間たちもいなくなって、死ぬことを望んだオーク。
 一方で、オークがなくしたすべてのものを持っている女騎士。

 別にこの淫魔の少女は死ぬことを望んでいるわけではないけれど、状況的にはかなり近い。

 女騎士が言ったあのセリフなら、きっと私の気持ちも伝わるはずだ!

 ……う、うーん。
 いやでも……これ、もしかして私が本のセリフを引用したいって思ってるだけなんじゃ……?
 真剣に自分の過去を告白してくれたこの子にそんな半端な気持ちで接するのは失礼な気がする……。

 うぐぐ……で、でも、なんというか……一度本のことを思い浮かべちゃったせいか、それ以外に私の気持ちを伝えられる手段が思いつかなくなってしまった。
 このまま沈黙を貫いていたら、間違いなくこの子は不安がる。

 よ、よし……言おう。
 言ってみよう!

「一つ、聞いてもいいかな」

 私が改めて声をかけると、淫魔の少女はびくっと体を震わせて、私を見上げた。

「な、に……?」
「君は、私のことをどう思ってる?」
「……かけがえのない、人。初めてわたしのことを、ちゃんと見てくれた……温かい人」
「……そうか。なら、ごめん。私じゃ君の望みは叶えられない」

 自嘲気味に笑いながら、遠くを見るような目をする。

「私はさ、君が思ってるほど強くはないんだ。優しいわけでもない。人一倍寂しがり屋ってだけでさ」
「寂し、い……?」
「一人が嫌なんだ。だから、誰かに必要とされたい。そばにいてほしい。そう思う」
「一人が……嫌……」
「落胆した?」
「そ、そんなことないっ……!」

 力強く否定してくれる少女に微笑んで、そっと、私の手を彼女の手に重ねた。

「私は弱いから、守るものがないと安心できないんだよ。だって、守ってさえいられれば、いつまでもその人のそばにいられる。一人にならないで済む……その本質は、他人じゃなくて自分を守りたいだけの、とんだ卑怯者だ」
「それは……卑怯、なんかじゃ」
「卑怯だよ。守るだのなんだのうそぶいておいて、依存してるのは私の方なんだから」
「……」

 私を見つめる、どこか悲しげな彼女の目は、そんな風に自分を卑下しないでほしい、と。そう言ってくれているようにも思えた。

「ごめんね。君は、私のことをかけがえのない人だと言ってくれたから。だからそんな君に、私はこれ以上泣いてほしくない。たとえ君自身が自分が傷つくことを望んでいたとしても……それを見て平気で笑っていられるほど、私は強くない」
「それ、は」
「だから、もし君が、私のことを本当に思ってくれているのなら……どうか、お願いだ」

 重ねていた手をきゅっと握って、彼女の瞳を正面から見ながら、微笑んだ。

「私に君を守らせてほしい。弱い私の心を、君に守ってほしい。君の隣に私をいさせてほしい」
「――――」
「ダメ……かな」

 本当に、私は卑怯だ。
 卑怯者だと自嘲してみせて、相手自身にそれは違うのだと言わせておいてから、こんなやり方で自分の思いを伝えるのだから。
 こんな言い方をされたら、断れない。拒絶できない。
 それをわかっていながら、私は。

 ――とか、そんなモノローグが本にあったのだ。
 ここ本当に良いシーンだったなぁ。
 女騎士が一人の女として好意を、そして騎士として守りたい思いを、自分の気持ちをオークにまっすぐに伝えるシーン……!

 ふふふ……まさかこれを言える日が来るとは……不謹慎かもだけど、なんだか少し感慨深い。
 あとはちょっとお茶目を入れる感じで、「なんてね」なんて笑いながら、本のセリフを引用したことをこの子に正直に伝えよう。
 それから、たとえ引用した言葉だとしても、今言ったことがちゃんと私の本心だってことも伝えなくては。

「ダメ……じゃ、ない」

 そんな風に私が続けようとした直前、ぽつりと、零れ落ちるような震える声が部屋に響いた。
 思わず淫魔の少女の顔を見て、私は次の句を口にすることができなくなった。

 彼女は目を開けたまま、泣いていた。
 次々にこぼれ落ちる雫が、布団に染みを作る。
 それを彼女は拭おうとはしない。ただ、今はそれよりも大事なことがあるのだとでも言うように、純粋な眼差しを私の方へまっすぐに注いだまま、一所懸命に震える唇を開いた。

「いたいっ。わたしも、あなたといたい……! わたしを見つけてくれた、あなたと……!」

 私の方から重ねたはずの手が、いつの間にか彼女が入れている力の方が強くなっていて、私を離さない。

「……いたいの……一緒に……これから……もっと、ずっと……」

 何度も何度も、涙声で自分の気持ちを吐露する。
 そればっかりで、いつまで経っても涙を拭おうとはしないものだから、なんとなく私が指で雫を受け止めてみると、その腕をぎゅっと両手で掴まれて、布団の中に引きずり込まれた。

「わっ……!」
「いっ、しょ……だか、ら……」

 やはり、疲れていたのだろう。今日はいろいろなことがあった。

 私の腕を抱きしめたことを境に、泣きわめいていた彼女の声が段々と小さくなっていった。
 次第に瞼も閉じ、数秒とせずに寝息を立て始める。
 その寝顔は、シィナから剣の切っ先を首に突きつけられて気絶した時の苦しそうなものとは打って変わって、心から安心したような可愛らしいものだ。

 なんだか微笑ましくなって、抱きしめられている方とは逆の手で、少女の頭をそっと撫でる。
 最初はこれでもかというほど警戒されていたものだが、どうやら私は彼女の信頼を獲得することに成功したようだ。

 まだいろいろと問題は残っているが……とりあえず目下の問題は……。

「……本のこと言いそびれた……」

 ……話した直後ならばともかく、この安心し切ったような寝顔を見て、またこの子が目を覚ました後に「あれ実は本のセリフでした!」……なんて言うわけにもいかない。
 一応あれは私の本心でもあるから、問題はない……はずだけど。なんか罪悪感が……。

「……なんかこれ、浮気者の思考に近いような気がする……」

 こう、あれだ。
 すでに付き合っている子がいるのに新しい子に告白をされて、その子を悲しませたくないからって自分勝手な理屈で告白をオーケーして、嘘をつきながら二股をかけているみたいな?
 そんな感じの嘘の付き方だ、これ。
 ……私最低だな……そんなモテたことないけどさ……。

 でもやっぱりこのまま嘘が増えていく現状は、なんとなくだがまずい気がするのだ。
 このままだと勘違いに勘違いが重なって、いつか私の意図しない方に話が転んでいきそうな予感が……。
 い、いや、さすがにそんな都合の悪すぎる偶然はないかな。うん、ない。ないはず。ないでほしい。

「とりあえず、いつかは……うん。いつかは、ちゃんと伝えよう。この子が本当に立ち直って、なに言われても大丈夫なくらいに精神が成長したくらいに……うん、その時くらいに言おう」

 ……その時になるまでに新しい嘘や勘違いが増えていないことを、切に願う。