夕食を終えて、私は今、フィリアとシィナを連れて廊下を歩いていた。

 ちなみに夕食の様子だが、いつもはフィリアとの会話が弾んでいるところが、今回は誰もほとんどしゃべらず静かに終えた。
 シィナはまあいつも口数が少ないので平常運転として、フィリアはフィリアで直前に私に対してしかけたことと、そしてシィナの存在を意識してのことだろう。

 一つだけあったやり取りと言うと、シィナが竜の肉を食べて「おい、しい……」と顔をほころばせたところ、張り合うようにフィリアも「わ、私もっ、私もすごくおいしいと思いますっ!」と声を上げていたことか。
 あとは二人分の量の食事をぱくぱくと流れるように食べていくシィナを、フィリアが目を丸くして眺めていたりとか?

 フィリアは今もまだ、ちらちらと警戒するようにシィナに視線を向けている。
 フィリアは家族として私の意思を尊重するとは言ってくれはしたが、やはり個人的な感情として割り切れない部分もあるのだろう。

 一方で初対面の時はフィリアをこれでもかというほど挑発したシィナは、あれ以降はずいぶんとおとなしい。
 泣きそうになりながらも退かずに対抗しようとしたフィリアを見て、なにか心境の変化でもあったのだろうか?
 このまま何事もなく和解してもらえればそれに越したことはないのだけど……。

「さて。シィナ、今日からはここを君の部屋にしようかと思ってる」

 目的の部屋の前にたどりついたので、私はその扉を開けてシィナに中を見せた。

 ベッドやクローゼットなど、生活に必要そうな家具だけが置かれている、簡素な部屋。
 この屋敷にある多くの空き部屋のうちの一つで、家具は予備のものだ。

「……わた、しの……へや……?(は、ハロちゃん……? 今日からは……? えっ、あれ? 今日だけ泊めてくれるって話じゃなかったの?)」
「ああ。これからの君の寝室だ。使っていなかった空き部屋だから、少し埃っぽくて不満かもしれないが……」
「……ふまん……じゃ、ない……(こんな立派なお部屋に不満なんて全然ないよっ! わたしが昨日まで暮らしてた宿の部屋より大きくて、ベッドだってすっごく柔らかそうで……)」
「そうか。それならよかった」

 しばらく部屋の中を眺めていたシィナだったが、やがてその視線が私の方に向く。

「……ハロ、ちゃん……(これって……やっぱりハロちゃんはわたしがいろんな宿屋から門前払いされちゃったことに気づいてて、それでこのお部屋をくれるって……一緒に暮らそう、って……そう言ってくれてる、んだよね……?)」
「なんだい?」
「ほん、とうに……いい、の……?(そんなの本当に……ほんとに、いいの……?)」

 魔物を容赦なく惨殺したり人前でも構わずいつも大胆に抱きついてきたり、フィリアをこれ見よがしに挑発したり。
 いつもは大胆なシィナにしては珍しく、ずいぶんと控えめで遠慮がちな問い。

 不安の中にかすかな期待を入り混じらせた、その瞳。
 いつもはただ狂気に塗れているようなそれが、今は歳相応の無垢な色に見えた。

「もちろんだよ。これから一緒に暮らすんだ。自分の部屋がないと不便だろう? それに元々、この屋敷は二人だけで暮らすには広すぎてね。部屋が余っていたんだ。これくらいどうってことないさ」
「…………(ハロちゃん……)」

 シィナは沈黙し、俯いたまま動かなくなる。

 ……うーむ……。
 普段とは違うこの遠慮がちな反応……やはり、シィナの過去がなにか関係してるのだろうか。

 シィナの過去か……たとえば……そうだな。

 過酷な環境の土地に生まれて、常にいつ死ぬともわからない恐怖の中、点々と住処を移しながら生きてきた、とか……?
 そんな生活の中で両親を魔物に食べられてしまって、一人になってしまった幼いシィナは、それでも生きるためにその環境の中で生き抜く術を必死に学んで……次第に精神を病んでしまいながらも、今も彼女を支えている強大な力を命懸けで身につけた……とか。

 そんな生活を続けてきたから、心の底では、昔からずっと大切な誰かと安心して過ごせるような安住の地を探し続けていて。
 幼い頃に夢見たそれが今まさに目の前にあるから、精神を病む前のかつてのような、本来の彼女の素の反応が出てしまった、とか。

 それはなんというか……うん。
 いつも怖がってばかりいるくせになんだが、できるならこれからは幸せな生活を送らせてあげたいとか思う。
 いや全部私の想像というか、ただの妄想に過ぎないんだけどね?

 なにぶんシィナはフィリアと違って口数も少なくて自分のことを話してくれない。だから、普段の彼女の言動からそれっぽいことを推測するしかない。
 あるいは、聞けば教えてくれるかもしれない。しかしシィナによるフィリア暗殺計画を阻止する際に「言いたくないなら、言わなくてもいい。誰かに受け入れてもらうことが、必ずしも救いとは限らないからね」とかなんとか、それっぽいいい感じのことを偉そうに言ってしまった手前、彼女に直接に聞くことははばかられた。

 なにはともあれ、とにかくシィナが悲しい過去を背負っていることは間違いないのだ。
 そしてきっと今回の行為が、彼女のその過去の一端に触れてしまったことも。

 ……なんか私、珍しくシリアスしてるな。
 熱でもあるのかな?
 ……いや、淫魔の液体薬のことじゃなくてね?
 もう二度と飲まないって、あんなもの。

 まあ……なんだ。
 余ったぶんは机の中にまだ隠して置いてあるけど……。

「……あり、が……とう……ハロ、ちゃん……(いつもいつも、ハロちゃんは優しすぎるよぉ……わたしがしてほしいって思ってた以上のことを、いつだってハロちゃんはしてくれる……)」

 そう言って、そっと、シィナは抱きついてくる。
 だが、いつものようにすりすりはしてこない。
 猫が甘えるような、そんな仕草はしてこなかった。

 猫ではなくて、それはまるで人が人に温もりを求めるように。その人がそばにいる実感を得るかのように、ぎゅっと抱きしめて、離さない。
 ふっと垣間見えたシィナの表情は、これまで一度だって見たことがない本当に嬉しそうな微笑みで、一瞬だけドキッと心臓が跳ねた。

 いつものような恐怖ではない。
 ただ単純に、シィナを可愛いと感じたのだ。初めて会ったあの日のように。

「い、っしょ……ずっと……ずっ、とっ……いっしょ……!(わたし、これからはずっとハロちゃんと一緒にいられるんだ。ハロちゃんと同じ時間を過ごせる……幸せだなぁ)」
「……あ、ああ。一緒だ」
「…………ふふ……(あったかい……あったかいよぉ。すっごく温かくて……なんだか、どきどきする……)」

 私の胸に顔を埋めて、シィナは無邪気に甘えてくる。
 試しに頭を撫でてあげれば、気持ちよさそうに目を細める。頬をつついてみれば、もっともっとと催促するように、つつくその手に顔を寄せてくる。
 そんなシィナの反応があまりにも愛らしく感じられてしまって、どんどん自分の心臓の鼓動が速くなっていくことを感じていた。

 なんだかんだで、やはりシィナが初恋の相手だったことに間違いはない。
 恐怖を覚える前、シィナと話す時間は確かに楽しかった。友達としてでもいいから、ずっとそばにいたいとさえ思った。あの感情は嘘じゃない。
 そんな相手を今、こうして抱きしめている。
 いつもは恐怖で隠れて見えないその実感が、急に私の中を駆け抜けて、私の顔を赤くしていく。

「……むー……」
「あっ」

 と、そこで背後で誰かが唸るような声がして、ぱっとシィナを離した。
 誰かというか、この場には私とシィナとあと一人しかいないのだが。

 慌てて振り向けばそこには、ぷくぅっー、と。
 少し拗ねたような表情で、フィリアが私を見ていた。

「フィ、フィリアっ。こ、これはその、えっと」

 まるで浮気現場を見られた夫のごとく咄嗟の言いわけを口にしようとしたが、それよりも早くフィリアが口を開いた。

「気にしてません。そもそも、お師匠さまは私のものじゃありませんから。ずっと一緒って約束が私だけのものじゃなかったからって……別になんとも思いませんっ」

 いや、めっちゃ気にしてますやん……。

 子犬が尻尾を振るように元気に近づいてくるいつもの姿はそこにはない。
 つーん、と、頑張って冷たい態度を取っている。
 頑張って、というところが肝だ。

 フィリアは元々、無邪気で正直で真面目な性格だ。自分に嘘をつくことを知らない。
 だからこそ、そっぽを向きつつも、ちらちらとこちらの様子を窺うその目には、こんな態度を取ってしまったら嫌われるのではないか、なんて不安が多分に混じっている。

「フィリア、おいで」
「……」
「おいで」
「…………」

 直前までつんとした態度を取っていた割に、素直にとことこと近づいてくる。
 それから、そうっと私の方を見上げてきて、だけど私と視線が合うと、慌ててすぐに目をそらす。

 そんなフィリアの頭の上に手を伸ばして、撫でた。

「ごめんね、フィリア……これで許してほしいとは言わないよ。また今度、絶対に埋め合わせはするから……ね?」
「……は、はい……」

 俯いて完全におとなしくなったフィリアは、もはやされるがままだった。
 頭を撫でるなんて馴れ馴れしいこと、しかも身長が明らかに低い私からやられるなんて、恥ずかしがられたり嫌がられるかもしれないと。そう思って、今まではスキンシップが激しいシィナくらいにしかやっていなかった。
 しかし今日屋敷に帰ってきて間違えて撫でてしまった時と言い、フィリアはこれを案外嬉しがってくれているように思える。

 ……ちなみにどうでもいいことだが、いや、本当にどうでもいいことだが。
 フィリアは今、寝間着の格好をしている。
 別に冬の寒い時期でもないので、当然薄着だ。
 そしてフィリアは言わずもがな胸が大きいので、そこがあまり暑苦しくならないよう、少し開けた格好をしている。
 さらにフィリアは今、俯いている。背の低い私の伸ばす手に合わせるよう体を前に傾けているのだ。

 いや、そういう事実をただ語っているだけで、ほんと他意はないんだけどね?

 ……み、見え……見え、見えっ――!

「ハロ……ちゃ、ん……(むぅーっ! ハロちゃんっ。それわたしも、わたしもーっ)」
「はいっ!?」

 急にシィナに詰め寄られ、フィリアの谷間を凝視していたことがバレたのかと一瞬ヒヤッとしたが、どうやらそういうわけではないようだ。
 フィリアを撫でているのとは逆の手を取って、ぐいぐいと彼女自身の頭に押しつけてくる。
 要は「わたしも撫でてー!」ってことだろう。
 率直に言って可愛い。全然怖くない。

 なんだ、モテモテじゃないか私!
 フィリアとシィナが顔を合わせた時みたいなギスギスした感じはちょっと嫌だったが、これくらいなら全然いいぞ! 私のために争え!

「い、今はお師匠さまは私のものです! シィナちゃんはさっき好き放題抱きついていたんですから、今は私に譲ってくださいっ!」
「……だ、め。ハロちゃん、は……わたしの、もの……わたしだけ、の……(やっぱりこの人もハロちゃんのことが好き、なんだよね……? ハロちゃんもきっとこの人のことを大切に思ってる……でも、でもっ、わたしもハロちゃんのこと大好きだもん……! ……と、友達としてっ)」
「あ、ちょ、待っ、引っ張るのはやめ痛たたたたたっ!」

 本来ならフィリアが力でシィナに勝てるはずもないのだが、シィナは私を傷つけないよう無意識に力をセーブしているのか、私の腕を引っ張り合う力が拮抗する。
 いやでもめっちゃ痛いんだが! 私に怪我をさせないよう気を遣ってくれてるのはわかるんだけど、その瀬戸際を維持されるの普通にめちゃくちゃ痛いんだがっ!

 やめてやめてお願い待ってっ。両腕をそれぞれ別方向に引っ張られるシーンとか昔ハーレムモノのワンシーンで見たことあるけど、これこんな痛いの? やめて、私のために争わないで!
 ごめんなハーレム主人公! お前こんな痛い思いしてたんだな知らなかった! そんなモテモテなんだからそれくらい我慢しろ羨ましい引きちぎれろとか思ってたの謝るからこれマジでどうにかしてお願いほんと痛い。死にゅ。

「あっ……ご、ごめんなさいお師匠さまっ!」

 痛みで意識が飛びかけた頃、ようやく私の惨状に気づいてくれた片方ことフィリアが、ぱっと手を離してくれた。
 当然そうなるとシィナの方に突然体を持っていかれることになるわけだが、もはや瀕死の状態の私にはそれに逆らう力はなく、少し驚いたようなシィナに抱きとめられる。

「ご……ごめ、ごめん……なさい……(は、ハロちゃん……うぅ、わたし、なんてこと……ほんとにごめんね。痛かったよね……?)」
「……い、いいさ……」

 シィナから離れて、よろよろと壁に手を当てて一人で立つ。

 い、痛かった……とんでもないぞあれ……。
 ハーレム主人公は毎日をこんな痛みに耐えながら過ごしているのか……ちゃんとヒロイン全員に気配りもして……。
 ……これからは彼らのことは「さん」付けで呼ぼう。ハーレム主人公さんだ。私の人生の参考となる先輩がただからな。
 今度ハーレムモノの本も買い漁って勉強もしておこう……。

「お師匠さま。だ、大丈夫ですか……?」
「ああ……平気だ。ただ、少し疲れたな……今日は久しぶりに冒険者として活動したりもしたから」

 今日は本当にいろいろあった。
 久しぶりにシィナに会ったり、ファイアドラゴン惨殺事件が起きたり、フィリアにキスされそうになったり、シィナがフィリアを始末しようと乗り込んできたり、今みたいに引っ張られたり……。
 そうして今日のことを振り返ると、今までの疲れが急に押し寄せてきたかのごとく、体が重くなる。

「二人には悪いけど、今日はもう私は寝させてもらうよ」
「わかりました……本当にごめんなさい、お師匠さま……」
「ごめ……んな、さい……(わたしもごめんねハロちゃん……)」
「これから気をつけてくれるなら大丈夫さ。こんなことで二人を嫌ったりなんかしないから、ね? 誰にでも失敗はあるよ」

 そう微笑みかければ、二人も少しは安心してくれたようだ。

「シィナ。一緒に暮らすことに関しての詳しい話はまた明日するから、今日はこの部屋でぐっすり休むようにね」
「……う、ん(ほんとはハロちゃんのお部屋にお邪魔して夜更かししたかったけど……これからは毎日、好きなだけ一緒にいられるんだもんね。今日くらい我慢しなきゃ)」
「フィリアも、明日からはいつもとは少し違う生活になるだろうけど、少しずつ慣れていこうか」
「はいっ」
「よろしい。それじゃ二人とも、また明日ね」
「はいっ!」
「……ん……(また明日!)」

 元気に返事をするフィリアと、こくりと静かに頷くシィナ。
 対照的な二人の反応を尻目に、私は踵を返す。

 これからの生活は昨日までとはまた少し違った形になるだろう。
 しかし、私の最終目標は依然として変わらぬままだ。
 ずばり可愛い女の子と……フィリアかシィナ、あるいはその両方といちゃいちゃにゃんにゃんする関係になること。
 それを諦めるつもりなど毛頭ない。絶対に成し遂げてみせるぞ……!

 ……ところで。

 今、珍しくフィリアが寝室までついてきていないんですよね。
 直前に私を無理に引っ張ったことを気にして遠慮したのだろう。

 実に一ヶ月以上ぶりの、一人の夜。
 それはつまり、この一ヶ月で溜まりに溜まった、とある一つの欲を解消するチャンス……!
 ……ではあるのだが。

 …………うーん。
 いやでも、ほんとに今日は疲れたしな……。
 関節が外れるギリギリまで引っ張られ続けたせいで体の節々がまだ痛いし。眠気だって、ベッドに潜って一分もあれば眠れそうなくらいだし。

 これまでとは生活のサイクルが変わるんだから、またこうして一人静かに自室にこもることができる時もきっとすぐに来るだろう。
 その時でいいかな、うん。
 今日はもうさっさと寝ちゃうことにしよう。

「……おやすみ」

 今は私以外誰もいない。しかし、いつもはフィリアが寝る瞬間までそばにいたので、もはや癖になってしまったその言葉を誰ともなく口にしつつ、目を閉じる。
 そして早々にやってきた睡魔が、私の意識を早々に刈り取っていったのだった。