自分の屋敷まで帰ってきて、メロンの少女が恐る恐るといった具合で屋敷に入ってくると、ようやく「この子を私が買った」というような実感が私の内に湧いてきた。
 前世では奴隷制度などなかったので多少の罪悪感はあるが、今更の話だ。
 むしろだからこそ、この罪悪感の分だけ良い暮らしをさせてあげようと改めて奮起する。

 帰ってきた私はまず、メロン少女を連れて浴室へ向かう。
 別に浴室であれこれするためではなくて、格好が単純に不衛生だからだ。他意はない。
 うむ、他意はない。別に綺麗になってもらった後に早速お楽しみたいとか全然まったく思ってない。

 魔法でお湯を生み出して浴槽を一瞬で満たすと、目を丸くしている少女に向き直る。

「ここで体を綺麗にするといい。女の子なんだ。そういうのは気になるだろう?」
「い、いいんですか……? 私、奴隷なのに、こんな……」
「下手な遠慮はいらない。これから私の隣を歩く君には綺麗でいてもらわないと、君ではなくて私が困る」

 奴隷ってなんだか薄汚いイメージがあるし、あんまりに奴隷意識が高かったりして体を綺麗にすることに無駄に恐縮とか遠慮とかされたりしても逆に困る。
 なので、奴隷ではなくてあくまでも主人のため。
 とりあえずこういう言い方をしておけばちゃんと体を洗ってくれるはずだ。

「ああ、そうだ。これ、帰り道で買っておいた服だ。採寸していないから適当だが、一応着れる、はずだ」

 そう言い残して服を置いていくと、私は浴室を出て台所へ向かった。

 もう日が沈んで、今は月が空で輝くような時間帯だ。
 ささっと手早く夕食を作っていく。手早くと言ったが今日はいつもより少し豪華だ。

 この屋敷は一人や二人程度で暮らすには広すぎるくらいだが、使用人などは一人も雇っていない。
 そもそも奴隷を買うにあたって広い家が欲しかっただけで、別に豊かな暮らしをしたいわけじゃないのだ。

 それになにより、広い家だと大きな音を出しても周りには届かない。
 そう、音。
 うん。大声を出しちゃっても隣人に届かないっていうのは重要な条件だ。私は強くそう思います。

「あ、あの……」
「ああ、来たか。ちょうど夕食ができたから、一緒に食べようか」

 食事を食卓に並べていく。

 風呂上がりの少女はそれより前の何倍もの魅力を持っているように見えた。
 わずかな水気を纏い、光の加減できらきらと輝きを反射する髪は砂金のごとく美しい。
 ほかほかと、ほんの少しだけ赤らんだ肌は魔性の色香を放っている。

 買っておいた服はどうやら少々サイズが小さかったようで、大分胸元が苦しそうである。
 彼女の身長に合った服の中で一番大きなやつを買ったはずなのだが……どうやらオーダーメイドでないとダメそうだ。

「座って」

 正直今すぐにでもにゃんにゃんしたいというような胸の疼きを奥底に押し込めて、とりあえず冷める前にご飯を食べなければいけない、と対面の座席をすすめる。
 しかしその指示に、メロンの少女は少し戸惑ったように視線を左右にさまよわせた。

「す、座ってよろしいのでしょうか……奴隷なのに、ご主人さまと同じイスになんて……」
「さっきも言ったが、下手な遠慮はいらない。これは本心だ。そもそも私はある一点を除いて君をほとんど私と対等の存在として扱うつもりでいる」

 ある一点というのは当然夜のあれこれについてである。

「気になるようなら、そうだな……自分を奴隷だと考えるのをやめるといい。私たちはこれからは家族だ。そう思えばいいよ。無理にご主人さまだなんて呼ばなくてもいい。好きな呼び方でいいさ」

 それだけ告げて、私は自分の分の夕食に手をつけた。

 少女も最初は躊躇していたようだったが、やがておずおずといった具合に席についた。
 そして、ご飯に手をつけ始める。

「……おいしい」

 そう口にしてから、無言でぱくぱくと食事の手を進める少女を盗み見ながら、私はそろそろ頃合いかと感じていた。

 なんの頃合いかと言うと、この少女を買った本当の理由のことである。
 この少女もそろそろ落ちついてきた頃だ。

 私のちょっとアレな性的嗜好を満たすためだけに買ったことを告げるのは、ちょっとどころか大分後ろめたい。
 しかし、言わなくてはいけない。

 だって、もう本当に限界なのだ。
 この欲求からなんとか目を背けようと新しく魔法を開発しようとする時も、闇雲に強そうな魔物を狩ってみたりした時も。
 なんで私こんなことしてるんだろ。あぁ、可愛い女の子といちゃいちゃした日々を送りたいなぁ、って。
 もうそればっかり頭の中に浮かんでくるんだよ。
 というかむしろ魔物を倒しまくってる時ほど浮かんでくる。たぶん、危機に陥った時の子孫繁栄の本能的な感じなあれだ。
 まあ今の私の性別は女性なので女の子といちゃついたところで子孫なんて繁栄できないわけだけれども……。

 そんなこんなで私が話を切り出すタイミングを窺っていると、ふと、少女が食事の手を止めた。

 今がチャンスか。
 そう思い、声をかけようと口を開いたところで、しかし言葉に詰まってしまった。

 というのも、少女が無言のままぽろぽろと大粒の涙と嗚咽を漏らしていたためである。

「ご、ごめん、なざいっ……わ、私……」

 お、おう。

「えぇっと、その……どうかした?」

 なにが起こってるのかよくわからないが、とりあえず話を聞いてみないことには始まらない。

「違うんです……違うん、でずぅ……」

 なにが違うの……。

「わ、わだし……う、嬉しぐて……」
「は、はあ」
「ごんな……こんな温かいご飯、はじ、初めて、食べたからぁ……」

 次々と零れ落ちる雫を止めようと、ごしごしと目元を擦っている。
 しかしそれでも涙は止まらず、すぐにまたその頬を水滴が流れ落ちる。

「お、落ちついて……?」

 い、いいいったいなにが起こっているんだ。

 もしかして……というか、もしかしなくても今……これは大分シリアスなシーンなのではなかろうか?

 まずい。どうやってこの子と猫の鳴き声が隠語なあれこれをしようか頭がいっぱいだったせいで、全然状況についていけないぞ。
 わ、私はいったいどうすればいいんだ、これ?

「私……む、昔から、ドジで……な、なんにもでき、できなくて……おがあさんからも、煙たがられてて……」
「う、うん」

 なんか語り始めた。
 とりあえず無難な感じに相槌を打っておこう。

「ひ、ひどりでも、いっぱい、いっぱい勉強したけど、それでも全然みどめ、認めで、もらえなぐて……」
「た、大変だったんだな」

 少女は目元を服の袖に押し付け、自分の心を落ちつけようとするかのように、ぎゅぅっと胸の前で手を握る。
 そしてその際に、ぽにょん、と少しだけ胸が潰れた。

 ……うん。
 控えめに言って……素晴らしいですね。

「……お母さんに奴隷商の人のとこに売られて、暗いとこでずっと、一人で……外に出る時は、いっつも枷をつけられて、全然自由なんてなくて」
「ああ」
「このままずっとひとりぼっちで、最後には酷い辱めをしてくるような、酷い人に売られるんじゃないかって。ずっと、ずっと……なん、かげつも……」
「そうか」
「でも……でもぉ……!」

 一旦落ちついたはずが、すぐに堪え切れなくなったように、少女の眼から絶えず涙が溢れ出してくる。

「はじ、初めて……なんですぅ。ご、こんなに綺麗に、しでもらえたごと……あったかいご飯、だべたこと……ひ、ひどにやざしくしてもらって、か、価値があるだなんて、ぅ、言っで、もらえたごと……」

 ――買おう。値段など些細な問題だ。この子にはこの子にしかない、揺るぎない価値がある。
 きっと少女の脳裏には、この少女を買う時に私が言ったその言葉がよぎっているのだろう。

 ……う、うん。
 いや……ごめん……。
 違うんだよ……それ、その豊かな御本山さまへの感想だったんだよ。
 全然これっぽっちも深い意味とかないんだよ……。

 というか、酷い辱めをしてくるような酷い人、だったっけ?
 割と間違ってないよ。
 だって私、完全に体目当てで買ったし。えろいことする気満々だったし。
 見た目はちょっと小さめの女の子だけど、中身は違うんですよ。

 あまりに気の毒だったので、今すぐにでも真実を教えてあげたかったが、どうもそんなことを言えるような雰囲気ではない。
 必死にタイミングを探るけれども、もうあんまりに内心気まずすぎて全然タイミングが掴めない。

「私……わだし、頑張り、まずから……」

 何度も何度も絶え間なく流れる涙を、何度も何度も拭いながら。
 確かな強い意志を秘めた瞳で、少女は言う。

「ご主人、ざまの……ううんっ。お師匠さまの魔法……絶対、絶対っ、なにがあっても、ひっぐ、マスターじますっ、しまず、から……! 頑張って、勉強しますがらぁ……!」

 その……あの……。
 違うんだよ……?
 本当はね、別に魔法を教えるために買ったわけじゃないの……。
 それ、なんかちょっと体裁が気になったから軽い気持ちで言っちゃっただけの嘘だよ……。

 だからね、その心の奥底で固い決意固めてるような顔やめてくれませんか?
 めっちゃ真剣な目で自分の手のひらを見下ろすのやめてください。

 良心の呵責って言うの?
 そういうのが、なんかぐさぐさ胸に刺さってくるの。
 どんどん本当のことを言いにくい雰囲気が充満していくの。

「ぅ、うぅ……ごめん、なざい……こんなごと、きゅ、急に言われ、でも……ひっぐ……こ、困らせる、ぅ、だけ……です、よね……」

 う、うむ。大分困ってるぞ。

「……その……だな。実は、私はまだ一つ、君に言っていないことがあるんだ」

 なんとなく、これ以上放っておくとマジで言いづらいどころの騒ぎではなくなる予感がして、危機感に煽られた私は口を開く。
 すると少女の、うるうると揺らめく純真無垢な瞳が、まっすぐに私を見つめてきた。

 ……やばい。
 これからこの幸せと覚悟的なものに満ちた顔を絶望の淵に落とさなくちゃいけないと思うと、想像以上に心に来る。

 きっとすごい落ち込むんだろうな……。
 いや、落ち込むどころで済めばいい方だ。
 下手したら、生きる希望をもなくしてしまいかねない。

 そして私の方もまた、軽蔑とか失望とかの眼差しを向けられて、さらにぐさぐさと心が抉られること請け合いである。

 だけど、言わなくちゃいけない。
 それがこの子のためでもある。
 いつまでも嘘をつき続けるわけにはいかないんだ。

 さあ、言え! 言うんだ!
 動け私の口! 本当のことを言え!

「実は、君を買ったのは……」
「……私を、買ったのは……?」
「魔法を教えるた、め……じゃ――」