西の空に半ば太陽が沈んだ頃。
ファイアドラゴン討伐の依頼もなんとか無事に終わり、ようやく自分の屋敷の門の前まで帰ってきた私は、シィナと別れの挨拶を交わしていた。
「それじゃあ、またね。シィナ」
「……(またねハロちゃん! 今日は楽しかったね……!)」
しばらく会えていなかったからか、いつも以上に私にべったりだったシィナも、ここまで来ればようやく素直に身を引いてくれた。
もしかすれば家の中にまでついてくるかも、なんて心配もしていたけれど、どうやら杞憂だったようだ。
軽く手を振って見送ると、それに返事をするようにシィナは猫耳をぴょこんと一瞬だけ動かして、踵を返して去っていく。
「……行ったか……」
シィナの姿が完全に見えなくなったところで、私はシィナと会ってからずっと入れていた肩の力を抜いた。
あぁー、つ、疲れたぁ……。
一ヶ月以上ぶりなのに、偶然とは言えシィナと依頼を受けようとする日が重なってしまうとは……。
門を開けて、ふらふらとした足取りで玄関に向かう。
「ただ――」
「お師匠さま! おかえりなさいませっ!」
玄関の扉を開けると、私が「ただいま」と帰還を知らせるよりも先に、正面に立っていたフィリアが真っ先にお出迎えの挨拶をしてくれた。
がちゃ。一秒後「お師匠さま!」って感じだ。
さすがに早すぎて一瞬びびった。
「た、ただいま……えっと、フィリア……いつから玄関に……?」
「ほんの二〇分くらい前です」
それはほんのと言えるのだろうか……?
フィリアの背後にぶんぶんと勢いよく揺れる尻尾が幻視できる。
それはさながらご主人さまの帰宅を心待ちにしていた子犬のよう。というか、ほぼそのものだ。
「その、お疲れだろうお師匠さまを一秒でも早く労って差し上げたくて……ご迷惑、でしたか……?」
フィリアの瞳が不安げに揺れる。
私を労りたい。彼女は本当にきっと、ただそれだけを思って待っていてくれたのだろう。
「そんなことはないよ。とても嬉しい。ほら、おいでフィリア」
「え? はい……えっ!? お、お師匠さまっ……?」
フィリアを手招きして、近づいてきた彼女の頭に手を伸ばして、よしよしと撫でる。
私の方が頭半分くらい背が低いので、自分の頭より上に手を上げないと届かないのが難点だ。
……あ、違う!
これは対シィナ用兵器の一つだった!
私普段はフィリアにこんなことしてないっ!
はっとして、慌てて手を引っ込める。
今日はずっとシィナといたせいで、ちょっとばかり感覚が狂ってしまっていたようだ。
「す、すまない。まるで子どものような扱いをしてしまって……」
「い、いえっ! 大丈夫です! えっとっ、その、う……嬉しかった、ですからっ……!」
私がおろおろと弁解すれば、フィリアもおろおろと私をフォローしてくれる。
フィリアの顔が赤いのは、明らかにフィリアより身長が低い私から頭を撫でられたことが恥ずかしかったからだろう。
……私の手が頭から離れた時、フィリアがどことなく残念そうな顔をしていたのは、きっと見間違いだ。
「あ、お師匠さま、お風呂入れてありますよっ! どうぞお先にお入りください!」
少しでも私の役に立てるように、ということで、フィリアは生活の中で使うような魔法を他の魔法よりも優先して覚えるようにしている。
お風呂にお湯を入れるくらい、今のフィリアなら朝飯前だ。
「ああ、ありがとう。でもフィリア、こういう時は先に入ってくれていてもよかったんだよ? もしかしたら、今よりももっと帰りが遅くなったかもしれないからね」
「で、でも、私はお師匠さまの奴隷ですし、その私が先になんて……」
「フィリア。フィリアと私は奴隷とその主人である前に、家族だ。それは前にも言ったはずだよ。家族に遠慮なんていらない」
「お師匠さま……」
それにフィリアが先に入っていてくれたら、気づかなかったとかなんかそんな感じの言い訳してドサクサに紛れてお風呂に突入できるかもしれないじゃん?
フィリアのお胸さまの真の姿をこの目に収めるチャンスと正当な口実ができる……これ以上にフィリアに先に入ってほしい理由はない!
「わかりました、お師匠さま。もしもお師匠さまのお帰りが遅くなりそうなら、僭越ながらお先に入らせていただきます」
「ああ」
「えへへ……その……ごめんなさい、お師匠さま」
「ん?」
なぜ謝られたのかわからず、首を傾げる。
見れば、フィリアは笑いながらも、ほんの少し申しわけなさそうな、小さないたずらを告白する子どものような顔をしていた。
「私……お師匠さまに家族だって言ってもらえるのが嬉しくて……たまにちょっとだけ、わざと卑屈なことを言っちゃってるんです。今のもたぶん……半分はそれが理由でした。お優しいお師匠さまなら、先に入ってもいいと言ってくださることなんてわかってましたから……」
「わざと、か……」
「はい。だから、ごめんなさい……怒り、ましたか……?」
俯きながら、ちらちらと私の方を盗み見てくるフィリア。
きっとフィリアは、私が「怒ってないよ」と答えると半ば予想しているのだろう。
そんなフィリアに、私も少しばかりいたずらをしてみたくなる。
「ああ、怒った。まさかフィリアがそんなことするなんてね」
「っ、お、お師匠さまっ……ご、ごめっ、ごめんなさ――」
「悪い子にはお仕置きをしないと、ね?」
私がにやりと笑ってみせると、フィリアがぎゅっと目を閉じて縮こまる。
そうしてフィリアが見ていない隙に、私は魔法で異空間からファイアドラゴンの肉を取り出した。
「目を開けて、フィリア」
「は、はいっ……ふぇっ? こ、これは……?」
「竜の肉さ。お仕置きとして、フィリアにはこれを後で私と一緒に調理してもらう。そしてその料理を二等分したものを余さず食べて、おいしいって言ってもらう。それがフィリアへのお仕置きだよ」
「…………」
フィリアは目をぱちぱちと瞬かせた後、ぷっ、と小さく吹き出した。
「ふ、ふふっ、お師匠さま……わかりましたっ! そのお仕置き、誠心誠意受けさせていただきますっ!」
……そう答えるフィリアの目尻には、しかしながら、ちょっとだけ涙が滲んでしまっている。
その理由は明白だ。
「……フィリア。さっきはその、すまない。一瞬でも怒ったなんて言ってしまって……念のために言っておくけれど、あれは嘘だからね?」
「ふふ、わかってます。ちょっと怖かったですけど……でも、お茶目なお師匠さまなんて滅多に見られませんからっ。えへへ……新しいお師匠さまの一面を知られて、実は今、ちょっと嬉しいんです」
そう答える、きらきらとした笑顔が眩しい。
あぁ……ほんとフィリアは無邪気で純粋ないい子ですわ……。
まあフィリアがこんなだからなかなか手が出せないわけなんだけど……。
「それじゃ、私はお風呂に入ってくるよ」
「はい! お着替えをお持ちしてすぐ外で待ってますね」
「ああ」
すぐ外で待ってる必要あるのかという疑問はもう何度も感じて何度も問いかけたものなので今更である。
脱衣所で服を脱いでいく。
今日は血の雨にさらされたりと、汚れは結構浴びてしまった。しかし大抵は魔法ではじいてきたので服に跡はなく、匂いもないはずだ。
事実、フィリアは私が帰ってきても外見や匂いに関してはなにも言わなかった。気を遣われた可能性もあるけど。
魔法があるとは言っても、お風呂が不必要なわけではない。
血のように明らかな異物ならともかくとして、時間をかけて自然に付着した汚れは通常の清潔の魔法では落ちない。汗も同様だ。
そういう汚れを落とすことができる高性能な清潔の魔法も存在するが、下手をすると皮膚を傷つけたり体調が悪くなってしまう危険があるので、よほど環境が悪く切羽づまっていない限りは素直に風呂に入った方がいい。
あと単純にお風呂は気持ちいいし。
「今日は大変だったな……」
石鹸で体を洗った後、お湯に浸かって、ふわぁー、と脱力する。
ぽかぽかとした温もりが全身を包み込んで、溜まった疲労を少しずつほぐしてくれるようだ。
普通にファイアドラゴンを討伐するだけだったなら、ここまで疲れたりはしなかっただろう。
原因は、やはり。
「……シィナ、か」
ギルドについてから依頼の間、そしてこの屋敷に帰るまで、ずっと一緒だった少女の名前。
シィナ。猫の耳と尻尾、可愛らしいツインテールと、綺麗な真っ赤の瞳が特徴的な少女。
浴槽の端に背を預け、天井を見上げながら、シィナのことを考える。
シィナに懐かれている今の現状は、前世の価値観で例えるなら虎に懐かれているようなものだ。
甘えてくれることは素直に嬉しい。甘える姿だって確かに可愛い。
だけど私は虎の扱いのプロじゃない。完璧な意思疎通ができない以上、いつ噛まれるかわからない不安が付き纏い、もし噛まれた時のことを思うと身が竦んでしまう。
もっと長い時間、それこそ家族のように一緒に過ごしていればもう少し慣れることができそうだが……うーん……。
私はね、虎の手懐け方を知りたいんじゃないんだよ。
私はただ、可愛い女の子とにゃんにゃんしたいだけなんだ……。
無論、第一候補はフィリア。あのお胸さまを蹂躙する夢はまだ諦めていない。
第二候補は…………。
…………シ……シ、シィ…………。
……う、うぅん……。
…………正直……。
正直……痛いこととかグロいこととかされないなら……シィナも割とアリかな……とは思う。
だって見た目はめちゃくちゃ可愛いし。
甘えてくる姿も、怖いけどやっぱり可愛い。
ただシィナとそういう関係になるためには問題がいくつかある。
一つはトラウマを克服しなければいけないこと。
そしてもう一つ……それは、どうやってシィナの性癖……サディストに対処すればいいのかというものだ。
サディスト、つまりは他人が肉体的、精神的苦痛を感じている姿に性的興奮を覚えるという性質のことである。
シィナ自身がサディストと言っていたわけではない。だけど、あのシィナだぞ?
普段はほとんど無表情なのに、魔物を八つ裂きにする時だけ悪魔のような笑みを浮かべるシィナのことだぞ?
もはや確定的だろう。明らかだろう。確定的に明らかと二重に証明してもいいくらいだろう。
私は痛いのとか苦しいのとか全然これっぽっちも好きじゃないので、そういうことされるのは普通に嫌だ。
ましてやシィナは私なんかよりもはるかに膂力がある。押し倒されたりなんてされれば容易には抵抗できない。
フィリアなら痛いの好きな疑惑があるから問題なかったかもしれないけど……。
……いや、待てよ。
シィナがサディストだとして……どうして私は今もまだ無事でいられているんだろう。
シィナと出会ってから、これでもそれなりに経つ。
一緒に街を歩いたり、散歩したりもした。シィナを刺激しないようにすることに手一杯だったから、具体的なことはあんまりよく覚えてないけど。
私はシィナに懐かれている。これは自惚れなどではないはずだ。
シィナは好きな人が泣き叫ぶ姿を見て喜ぶサディストで……だけど、私は未だ一度もそういうことをされたことがない。
むしろ私に触れる時だけは、まるで壊れ物を扱うように気を遣ってくれていたような気も……。
……シィナは言っていた。いわく「あなた、が……わたしの、すべて……あなただけ、が……」と。
おそらくシィナには、これまで私しかまともに交流したことのある相手がいないのだろう。
それはつまり、誰ともにゃんにゃんしたことはないを意味する。
そうなると……。
……もしや……。
もしやシィナはまだ……自分がサディストだということを、明確に自覚はしていないのでは?
たとえどんな天才でも、それを知る機会がなければ、一生知らないままでいることだってある。
性癖だってそうだ。いざそういう場面になって、初めて自分の価値観を自覚することもあるだろう。
つまりなにが言いたいのかというと、だ。
私が常に攻めの立場でシィナとにゃんにゃんしてしまえば……シィナのサディストが覚醒することはないのでは?
……これはもしや、いける……?
なんやかんや言いくるめて、シィナを受けで満足させ続けることができれば……私の華麗なるテクニックによる攻めの虜にしてしまえば……!
……いける……! いけるぞ! これはいける……!
大分リスクは高い……! 一歩間違えば崖っぷちから転落する危険はある!
しかし、しかしだ!
シィナが可愛いのは確かなのだ!
怖くたって可愛いものは可愛い! ほんとマジ怖いけど!
あのシィナが恥じらいながら服をはだけさせる様子とか想像してみるんだ私よ!
私の服の袖を引きながら「……しよ……?」みたいな感じで甘えてくるシィナを想像してみるんだ!
とても……素晴らしいっ……!
「ふむ……もう少しシィナとも、ちゃんと向き合わないといけないな」
まずは時間をかけてトラウマと向き合いつつ、シィナという虎の手懐け方を知る。
別に私は虎の手懐け方を知りたいわけじゃないとは言ったが、その結果として安全にシィナとにゃんにゃんできる可能性があるのなら話は別だ。
ぶっちゃけシィナはめっちゃ怖い。ほんとマジで怖い。現状では襲おうとすら思えない。
だがそれはシィナのことをよく知らないからだ。
なにに対して怒って、なにに対して喜ぶのか。どこまでならセーフでどこからがアウトっぽいのか。
それらの境界の確信を得て、シィナの生態を把握し、危なげなく付き合うことができるようになれば……!
……いける!
恐怖がなんだ! その果てにシィナと安全にいちゃいちゃにゃんにゃんできる未来が待っていると言うのなら、私は必ず恐怖を克服してみせるぞ……!
よし……第一候補はフィリア。そして、第二候補はシィナ。
うむ。決まりだな。次からはこれらを念頭に置いて動こう。
あわよくば片方だけじゃなくて両方とそういうことできたらいいな。この世界は一夫多妻制も受け入れられてるしワンチャンいけるって。一夫っていうか今生私女だけど。
ふふふ……。
シィナに初恋したと思ったら粉々に打ち砕かれた上にトラウマを植え付けられ、フィリアにとんだ勘違いをされて一ヶ月以上ものお預けを食らい。淫魔の液体薬事件やファイアドラゴン惨殺事件、その他諸々……。
もうほんと最近は散々なことばっかりだなと思っていたが……やはり最後に笑うのは私なのだ!
必ず、必ず可愛い女の子といちゃいちゃにゃんにゃんしてやるんだっ!
私は絶対に諦めんぞ!
夢は見るものじゃなくて叶えるものだって前世でもなんか有名な人が言ってたしな!
ふふふ……ふふふふふ。
ふぅーっはっはっはっはっはっはっ! はーっはっはっはっはっは!
…………なお。
知らず知らず笑い声が漏れてしまっていて、のちにフィリアから微笑ましげな目線を向けられ、非常に恥ずかしい思いをすることになるとは、この時の私は思いもしていなかったのだった……。
ファイアドラゴン討伐の依頼もなんとか無事に終わり、ようやく自分の屋敷の門の前まで帰ってきた私は、シィナと別れの挨拶を交わしていた。
「それじゃあ、またね。シィナ」
「……(またねハロちゃん! 今日は楽しかったね……!)」
しばらく会えていなかったからか、いつも以上に私にべったりだったシィナも、ここまで来ればようやく素直に身を引いてくれた。
もしかすれば家の中にまでついてくるかも、なんて心配もしていたけれど、どうやら杞憂だったようだ。
軽く手を振って見送ると、それに返事をするようにシィナは猫耳をぴょこんと一瞬だけ動かして、踵を返して去っていく。
「……行ったか……」
シィナの姿が完全に見えなくなったところで、私はシィナと会ってからずっと入れていた肩の力を抜いた。
あぁー、つ、疲れたぁ……。
一ヶ月以上ぶりなのに、偶然とは言えシィナと依頼を受けようとする日が重なってしまうとは……。
門を開けて、ふらふらとした足取りで玄関に向かう。
「ただ――」
「お師匠さま! おかえりなさいませっ!」
玄関の扉を開けると、私が「ただいま」と帰還を知らせるよりも先に、正面に立っていたフィリアが真っ先にお出迎えの挨拶をしてくれた。
がちゃ。一秒後「お師匠さま!」って感じだ。
さすがに早すぎて一瞬びびった。
「た、ただいま……えっと、フィリア……いつから玄関に……?」
「ほんの二〇分くらい前です」
それはほんのと言えるのだろうか……?
フィリアの背後にぶんぶんと勢いよく揺れる尻尾が幻視できる。
それはさながらご主人さまの帰宅を心待ちにしていた子犬のよう。というか、ほぼそのものだ。
「その、お疲れだろうお師匠さまを一秒でも早く労って差し上げたくて……ご迷惑、でしたか……?」
フィリアの瞳が不安げに揺れる。
私を労りたい。彼女は本当にきっと、ただそれだけを思って待っていてくれたのだろう。
「そんなことはないよ。とても嬉しい。ほら、おいでフィリア」
「え? はい……えっ!? お、お師匠さまっ……?」
フィリアを手招きして、近づいてきた彼女の頭に手を伸ばして、よしよしと撫でる。
私の方が頭半分くらい背が低いので、自分の頭より上に手を上げないと届かないのが難点だ。
……あ、違う!
これは対シィナ用兵器の一つだった!
私普段はフィリアにこんなことしてないっ!
はっとして、慌てて手を引っ込める。
今日はずっとシィナといたせいで、ちょっとばかり感覚が狂ってしまっていたようだ。
「す、すまない。まるで子どものような扱いをしてしまって……」
「い、いえっ! 大丈夫です! えっとっ、その、う……嬉しかった、ですからっ……!」
私がおろおろと弁解すれば、フィリアもおろおろと私をフォローしてくれる。
フィリアの顔が赤いのは、明らかにフィリアより身長が低い私から頭を撫でられたことが恥ずかしかったからだろう。
……私の手が頭から離れた時、フィリアがどことなく残念そうな顔をしていたのは、きっと見間違いだ。
「あ、お師匠さま、お風呂入れてありますよっ! どうぞお先にお入りください!」
少しでも私の役に立てるように、ということで、フィリアは生活の中で使うような魔法を他の魔法よりも優先して覚えるようにしている。
お風呂にお湯を入れるくらい、今のフィリアなら朝飯前だ。
「ああ、ありがとう。でもフィリア、こういう時は先に入ってくれていてもよかったんだよ? もしかしたら、今よりももっと帰りが遅くなったかもしれないからね」
「で、でも、私はお師匠さまの奴隷ですし、その私が先になんて……」
「フィリア。フィリアと私は奴隷とその主人である前に、家族だ。それは前にも言ったはずだよ。家族に遠慮なんていらない」
「お師匠さま……」
それにフィリアが先に入っていてくれたら、気づかなかったとかなんかそんな感じの言い訳してドサクサに紛れてお風呂に突入できるかもしれないじゃん?
フィリアのお胸さまの真の姿をこの目に収めるチャンスと正当な口実ができる……これ以上にフィリアに先に入ってほしい理由はない!
「わかりました、お師匠さま。もしもお師匠さまのお帰りが遅くなりそうなら、僭越ながらお先に入らせていただきます」
「ああ」
「えへへ……その……ごめんなさい、お師匠さま」
「ん?」
なぜ謝られたのかわからず、首を傾げる。
見れば、フィリアは笑いながらも、ほんの少し申しわけなさそうな、小さないたずらを告白する子どものような顔をしていた。
「私……お師匠さまに家族だって言ってもらえるのが嬉しくて……たまにちょっとだけ、わざと卑屈なことを言っちゃってるんです。今のもたぶん……半分はそれが理由でした。お優しいお師匠さまなら、先に入ってもいいと言ってくださることなんてわかってましたから……」
「わざと、か……」
「はい。だから、ごめんなさい……怒り、ましたか……?」
俯きながら、ちらちらと私の方を盗み見てくるフィリア。
きっとフィリアは、私が「怒ってないよ」と答えると半ば予想しているのだろう。
そんなフィリアに、私も少しばかりいたずらをしてみたくなる。
「ああ、怒った。まさかフィリアがそんなことするなんてね」
「っ、お、お師匠さまっ……ご、ごめっ、ごめんなさ――」
「悪い子にはお仕置きをしないと、ね?」
私がにやりと笑ってみせると、フィリアがぎゅっと目を閉じて縮こまる。
そうしてフィリアが見ていない隙に、私は魔法で異空間からファイアドラゴンの肉を取り出した。
「目を開けて、フィリア」
「は、はいっ……ふぇっ? こ、これは……?」
「竜の肉さ。お仕置きとして、フィリアにはこれを後で私と一緒に調理してもらう。そしてその料理を二等分したものを余さず食べて、おいしいって言ってもらう。それがフィリアへのお仕置きだよ」
「…………」
フィリアは目をぱちぱちと瞬かせた後、ぷっ、と小さく吹き出した。
「ふ、ふふっ、お師匠さま……わかりましたっ! そのお仕置き、誠心誠意受けさせていただきますっ!」
……そう答えるフィリアの目尻には、しかしながら、ちょっとだけ涙が滲んでしまっている。
その理由は明白だ。
「……フィリア。さっきはその、すまない。一瞬でも怒ったなんて言ってしまって……念のために言っておくけれど、あれは嘘だからね?」
「ふふ、わかってます。ちょっと怖かったですけど……でも、お茶目なお師匠さまなんて滅多に見られませんからっ。えへへ……新しいお師匠さまの一面を知られて、実は今、ちょっと嬉しいんです」
そう答える、きらきらとした笑顔が眩しい。
あぁ……ほんとフィリアは無邪気で純粋ないい子ですわ……。
まあフィリアがこんなだからなかなか手が出せないわけなんだけど……。
「それじゃ、私はお風呂に入ってくるよ」
「はい! お着替えをお持ちしてすぐ外で待ってますね」
「ああ」
すぐ外で待ってる必要あるのかという疑問はもう何度も感じて何度も問いかけたものなので今更である。
脱衣所で服を脱いでいく。
今日は血の雨にさらされたりと、汚れは結構浴びてしまった。しかし大抵は魔法ではじいてきたので服に跡はなく、匂いもないはずだ。
事実、フィリアは私が帰ってきても外見や匂いに関してはなにも言わなかった。気を遣われた可能性もあるけど。
魔法があるとは言っても、お風呂が不必要なわけではない。
血のように明らかな異物ならともかくとして、時間をかけて自然に付着した汚れは通常の清潔の魔法では落ちない。汗も同様だ。
そういう汚れを落とすことができる高性能な清潔の魔法も存在するが、下手をすると皮膚を傷つけたり体調が悪くなってしまう危険があるので、よほど環境が悪く切羽づまっていない限りは素直に風呂に入った方がいい。
あと単純にお風呂は気持ちいいし。
「今日は大変だったな……」
石鹸で体を洗った後、お湯に浸かって、ふわぁー、と脱力する。
ぽかぽかとした温もりが全身を包み込んで、溜まった疲労を少しずつほぐしてくれるようだ。
普通にファイアドラゴンを討伐するだけだったなら、ここまで疲れたりはしなかっただろう。
原因は、やはり。
「……シィナ、か」
ギルドについてから依頼の間、そしてこの屋敷に帰るまで、ずっと一緒だった少女の名前。
シィナ。猫の耳と尻尾、可愛らしいツインテールと、綺麗な真っ赤の瞳が特徴的な少女。
浴槽の端に背を預け、天井を見上げながら、シィナのことを考える。
シィナに懐かれている今の現状は、前世の価値観で例えるなら虎に懐かれているようなものだ。
甘えてくれることは素直に嬉しい。甘える姿だって確かに可愛い。
だけど私は虎の扱いのプロじゃない。完璧な意思疎通ができない以上、いつ噛まれるかわからない不安が付き纏い、もし噛まれた時のことを思うと身が竦んでしまう。
もっと長い時間、それこそ家族のように一緒に過ごしていればもう少し慣れることができそうだが……うーん……。
私はね、虎の手懐け方を知りたいんじゃないんだよ。
私はただ、可愛い女の子とにゃんにゃんしたいだけなんだ……。
無論、第一候補はフィリア。あのお胸さまを蹂躙する夢はまだ諦めていない。
第二候補は…………。
…………シ……シ、シィ…………。
……う、うぅん……。
…………正直……。
正直……痛いこととかグロいこととかされないなら……シィナも割とアリかな……とは思う。
だって見た目はめちゃくちゃ可愛いし。
甘えてくる姿も、怖いけどやっぱり可愛い。
ただシィナとそういう関係になるためには問題がいくつかある。
一つはトラウマを克服しなければいけないこと。
そしてもう一つ……それは、どうやってシィナの性癖……サディストに対処すればいいのかというものだ。
サディスト、つまりは他人が肉体的、精神的苦痛を感じている姿に性的興奮を覚えるという性質のことである。
シィナ自身がサディストと言っていたわけではない。だけど、あのシィナだぞ?
普段はほとんど無表情なのに、魔物を八つ裂きにする時だけ悪魔のような笑みを浮かべるシィナのことだぞ?
もはや確定的だろう。明らかだろう。確定的に明らかと二重に証明してもいいくらいだろう。
私は痛いのとか苦しいのとか全然これっぽっちも好きじゃないので、そういうことされるのは普通に嫌だ。
ましてやシィナは私なんかよりもはるかに膂力がある。押し倒されたりなんてされれば容易には抵抗できない。
フィリアなら痛いの好きな疑惑があるから問題なかったかもしれないけど……。
……いや、待てよ。
シィナがサディストだとして……どうして私は今もまだ無事でいられているんだろう。
シィナと出会ってから、これでもそれなりに経つ。
一緒に街を歩いたり、散歩したりもした。シィナを刺激しないようにすることに手一杯だったから、具体的なことはあんまりよく覚えてないけど。
私はシィナに懐かれている。これは自惚れなどではないはずだ。
シィナは好きな人が泣き叫ぶ姿を見て喜ぶサディストで……だけど、私は未だ一度もそういうことをされたことがない。
むしろ私に触れる時だけは、まるで壊れ物を扱うように気を遣ってくれていたような気も……。
……シィナは言っていた。いわく「あなた、が……わたしの、すべて……あなただけ、が……」と。
おそらくシィナには、これまで私しかまともに交流したことのある相手がいないのだろう。
それはつまり、誰ともにゃんにゃんしたことはないを意味する。
そうなると……。
……もしや……。
もしやシィナはまだ……自分がサディストだということを、明確に自覚はしていないのでは?
たとえどんな天才でも、それを知る機会がなければ、一生知らないままでいることだってある。
性癖だってそうだ。いざそういう場面になって、初めて自分の価値観を自覚することもあるだろう。
つまりなにが言いたいのかというと、だ。
私が常に攻めの立場でシィナとにゃんにゃんしてしまえば……シィナのサディストが覚醒することはないのでは?
……これはもしや、いける……?
なんやかんや言いくるめて、シィナを受けで満足させ続けることができれば……私の華麗なるテクニックによる攻めの虜にしてしまえば……!
……いける……! いけるぞ! これはいける……!
大分リスクは高い……! 一歩間違えば崖っぷちから転落する危険はある!
しかし、しかしだ!
シィナが可愛いのは確かなのだ!
怖くたって可愛いものは可愛い! ほんとマジ怖いけど!
あのシィナが恥じらいながら服をはだけさせる様子とか想像してみるんだ私よ!
私の服の袖を引きながら「……しよ……?」みたいな感じで甘えてくるシィナを想像してみるんだ!
とても……素晴らしいっ……!
「ふむ……もう少しシィナとも、ちゃんと向き合わないといけないな」
まずは時間をかけてトラウマと向き合いつつ、シィナという虎の手懐け方を知る。
別に私は虎の手懐け方を知りたいわけじゃないとは言ったが、その結果として安全にシィナとにゃんにゃんできる可能性があるのなら話は別だ。
ぶっちゃけシィナはめっちゃ怖い。ほんとマジで怖い。現状では襲おうとすら思えない。
だがそれはシィナのことをよく知らないからだ。
なにに対して怒って、なにに対して喜ぶのか。どこまでならセーフでどこからがアウトっぽいのか。
それらの境界の確信を得て、シィナの生態を把握し、危なげなく付き合うことができるようになれば……!
……いける!
恐怖がなんだ! その果てにシィナと安全にいちゃいちゃにゃんにゃんできる未来が待っていると言うのなら、私は必ず恐怖を克服してみせるぞ……!
よし……第一候補はフィリア。そして、第二候補はシィナ。
うむ。決まりだな。次からはこれらを念頭に置いて動こう。
あわよくば片方だけじゃなくて両方とそういうことできたらいいな。この世界は一夫多妻制も受け入れられてるしワンチャンいけるって。一夫っていうか今生私女だけど。
ふふふ……。
シィナに初恋したと思ったら粉々に打ち砕かれた上にトラウマを植え付けられ、フィリアにとんだ勘違いをされて一ヶ月以上ものお預けを食らい。淫魔の液体薬事件やファイアドラゴン惨殺事件、その他諸々……。
もうほんと最近は散々なことばっかりだなと思っていたが……やはり最後に笑うのは私なのだ!
必ず、必ず可愛い女の子といちゃいちゃにゃんにゃんしてやるんだっ!
私は絶対に諦めんぞ!
夢は見るものじゃなくて叶えるものだって前世でもなんか有名な人が言ってたしな!
ふふふ……ふふふふふ。
ふぅーっはっはっはっはっはっはっ! はーっはっはっはっはっは!
…………なお。
知らず知らず笑い声が漏れてしまっていて、のちにフィリアから微笑ましげな目線を向けられ、非常に恥ずかしい思いをすることになるとは、この時の私は思いもしていなかったのだった……。