女の子といちゃいちゃしたい。
 あわよくばにゃんにゃんしたい。

 明確にそんな思いを抱くようになったのは、冒険者としての生活が順風満帆となってきた頃だった。

 冒険者にもなっていなかった初めの頃は、ただ単に魔法への興味ばかりが胸の内にあった。
 なにもないところから火を出したり、水を出したり、そういったことが楽しかった。
 前世では空想の産物でしかなかった力。それをこの手で確かに使えるという感覚は、私に大いなる興奮をもたらしてくれたものである。

 しかし、それはまだ魔法が未知だった頃の話だ。
 魔法を知れば知るほど、どんどん学ぶものがなくなっていく。できることとできないことの区別がついて、やがて私にとって魔法はただの常識の一部となった。

 そして魔法の次は、冒険者になってからの新しい生活が大変で、単に余計なことを考える暇がなかった。

 初期の慣れない頃の冒険者生活は本当に大変だった……。
 人の手が入っているわけでもない森や山の中。帰り道がわからず、幾度となくさまよい。
 現地で食糧を調達しなければいけないことが多いため、毒の有無を知らなければならず植生などについて勉強したり。
 冒険者にとって一番怖いのは狼などの動物型の魔物よりも、小さな虫型の魔物だ。
 気づかないうちに這い寄られていて、うっかり刺されたり噛まれたりして即効性の毒なんて食らったりしてしまったら、仲間がいなければその時点でもうお陀仏である。

 魔法があるおかげで、ただ強いだけの魔物程度なら容易に対処できたけれど、そういった地味な部分への対処は本当に面倒だった。

 というか、その強い魔物への対処だって別に楽しいわけでもない。
 ぶっちゃけ戦いなんて無駄に疲れたり怖かったり痛かったりするだけだ。
 ゲームでやるぶんには楽しいけど、残念ながらこれは現実である。

 魔物の絶叫、悲鳴。懸命に子を守ろうとする魔物さえ、人類にとって害になるのなら手を下さなくちゃいけない。
 どんなに取り繕ったって、殺しは殺しだ。そんなものが楽しいはずもない。

 そんな私が、人並みな一つの願望にたどりつくことはもはや必然だと言えただろう。
 そう。その願いこそ――女の子といちゃいちゃしたい……あわよくばにゃんにゃんしたい! 

 ただれた生活を可愛い、あわよくば胸も大きい女の子と過ごしたい!
 胸焼けしそうなくらい甘ったるい日常を過ごしたい!

 それを叶えるためにはどうすればいいのか……。
 最近はずっとそればかりを考えていた。

 今の私は前世とは違って、ほんの一〇代前半がいいところの小さな少女だ。
 普通なら同性と付き合ったり、R18なことをしたいなんて思わない……はずだ。

 こんな私が自分の願いを叶える方法があるとすれば、大雑把に分けて二つになるだろう。

 片方は、ギブアンドテイク――お互いに利益がある関係をつくること。
 たとえば、私の気が向いた時にえっちなことをさせてもらう代わりに、その生活のすべてを養うとか。

 ただこれはちょっと……正直、あんまり気は進まない。
 言い換えれば弱みを握っているだけだ。
 しかもにゃんにゃんできるにしても、いちゃいちゃの方ができない可能性が高い。

 にゃんにゃんもしたいけれど、いちゃいちゃもしたいのだ。
 できれば、恋人みたいな甘くてハッピーな関係が好ましい。
 ……とは言え、元々まともではない望みだ。妥協しなければいけない時もいずれは来るかもしれない。

 そして、それとは違うもう一つの案。
 こちらは至ってシンプルだ。私と同じ趣味嗜好の人を見つけ、その人と交流を深めて、付き合っちゃえる関係まで持って行っちゃえばいい。
 これならいちゃいちゃもにゃんにゃんも好きなだけし放題だ。後ろめたい気持ちを抱く必要もない。

 ただこちらの案の唯一にして絶対的な問題として、どうやってそんな人を見つけるかどうかということが挙げられる。
 私の趣味嗜好を公言するのが一番手っ取り早いけれど、さすがに恥ずかしすぎる。
 最悪の場合、社会的に死んでしまいかねない……心配しすぎかもしれないけど。
 いずれにせよ、私だって今はもう有名なSランク冒険者。変な噂が立つのは勘弁だ。

 しかしそうなると、私の方から同じ性癖の仲間を見分けて、それを探っていくという気長な方策を取らざるを得なくなる。
 だけど、その方法で見つけるのは至難の業だ。下手な手を打てば気持ち悪がられる危険だってある。
 好意を抱いていた相手から、そんな目や思いを向けられる。その時の心理的ダメージはきっと相当なものだ……。

 ……しかし、しかしだ。
 至難の業というだけで、可能性が〇であるわけではない。

「…………」

 今、私は冒険者ギルドの隅っこのテーブル席に腰を下ろしている。
 そしてそんな私の視線の先には、一人の少女がいた。

 彼女はランクAとS、上位二つのランクの高難易度依頼しか貼られていない掲示板の前に、ぽつねんと突っ立っている。
 猫耳と尻尾があるから、獣人だ。

 そんな少女を眺めながら、私は思っていた。

 ……やばい。
 あの子めっちゃ可愛い。

 噂程度には聞いたことがあった。この街には私と同じくSランクの、《鮮血狂い(ブラッディガール)》の二つ名を持つ冒険者がいる、と。
 むしろ私の方が新たにSランクになったくらいで、本当は彼女の方が先輩だ。
 ただ、Aランク以上の依頼はそのどれもが遠出しなければいけないものばかりのため、その事情で街にいることが少ない彼女と鉢合わせる機会がこれまでなかったのだ。
 むしろAランク以上の冒険者ともなると、一つの街を拠点に活動するスタイルの方が珍しい。高ランクでは、転々と街を移動していくスタイルが基本である。
 いや今は別に高ランクがどうとかはどうでもいい。

 とにかく、可愛いのだ。

 剣を身につけているのに、彼女の体はそれを扱う者とは思えないほど華奢で女の子らしい。
 動きやすさを重視した結果、露出が多くなっただろう衣装から覗く白く傷のない肌は、一種の聖域のよう。
 胸の大きさこそそこそこ程度だが、それ以外の部分は完璧に私の理想とマッチしていた。
 ツインテールもよく似合っていて……あれほどまでに可愛いと感じた女の子を私は今まで見たことがない。

「……ふふふ」

 そしてそんな彼女を見た時、私は思ったのだ。

 今の私がまともに女の子と付き合うのは至難の業? もしかしたら気持ち悪がられるかもしれない?
 だからどうしたというのだ!
 私はやってみせる……! なんと言っても、それが私の本当の望みなのだ!
 ならばいくら可能性が低かろうとも、やらずして諦めるわけにもいくまい。

 だからひとまずは、とりあえずあの子に声をかけてみようと思うんです。
 うむ、それがいい。
 ほら、同じSランクだから話しかけやすいしね。他意はない。
 別に一目惚れとかしたわけではない。うん……まだ惚れてはない。気になってるだけだから。

 そういえばあの子、なんかいろいろ危なそうな噂とかもあるらしいけど……まあ、その辺は問題ないか。
 だって、あんなに可愛いのだ。
 見てみてくださいよ、掲示板を眺めてる、あのボーッとした横顔。
 すごく可愛い。
 あんな子が噂のような危険人物のはずがない。

 思い立ったが吉日だ。席を立ち、あの子の方に向かう。

「ごめんね。少しいいかな」
「……!」

 私が横から声をかけると、彼女は今気づいたと言わんばかりに私の方に顔を向けた。
 うむ……やはり可愛い。遠目で見ても可愛かったけど、近くで見るともっと可愛い。

「突然すまない。私はハロと言う。少し前にSランクになった者なのだけど……君は、Sランク冒険者の《鮮血狂い》で間違いないかな」
「……」

 一拍の間を置いて、こくりと頷かれる。

 無口。無表情。これに関しては噂で聞いていた通りの特徴だった。
 聞いていた通りなのだが……うぅむ、これは思っていた以上にとっつきづらいな……。
 突然話しかけてきた私のことを、単に疑問に思っているのか、それとも警戒しているのか。
 表情からではまったく判別がつかない。

 少し臆してしまうが……ここは一つ、想像してみるのだ私よ。
 いつか(きた)るべき未来……そう。この目の前にいる人形のような少女が、まるで照れているような赤い顔で、懸命に私を求める姿を……!

 おお……これはいける! 俄然やる気が湧いてきた!
 人間なせばなる! 勢いさえあれば割とどうにかなる! 私人間じゃなくてエルフだけど!

「この街を拠点に活動するSランクの冒険者が私以外にいると聞いて、ずっと気になってたんだ。それで、よかったらなんだけど……少し、話をしていかないかい? その、君と親睦を深めたい、仲良くなりたいんだ」
「……!」
「もし時間がないなら、次に受ける依頼を私も手伝うから。これでも私は《至全の魔術師(シュプリームウィザード)》なんて大層な名前で呼ばれていてね、魔法の腕には結構自信がある。足を引っ張ったりはしないし、報酬だって、全部君に上げよう」
「…………」
「どう、かな」

 相手がなにもしゃべらないことをいいことに、一気にまくしたてた。
 とは言え、言い終わった後で少し不安にもなってくる。

 いきなり声をかけられたかと思えば、依頼を無償で手伝おうとまで言って関わろうとしてくる。見方によってはかなり怪しい。
 なにか変なことを企んでいると思われてもおかしくはない。
 そう思うと、依頼のことにまで言及したのは余計だった。親睦を深めたい、というだけでよかったはずだ。

 自分の行いを少し後悔していたのだが、幸運なことに、しばらく待った後の少女の返答は頷き――私の提案への了承だった。
 嬉しさを抑えきれず、私は思わず笑顔になる。

「ありがとう」
「……いら、い……これ……」

 お礼の言葉に、少女はさっと私から目線をそらす。そして歩き出したかと思うと、掲示板の一枚の貼り紙を指差した。
 ただし指差した掲示板はAランク以上のものが貼られた掲示板ではなく、CとBランク用の掲示板。そのうちのCランク、日帰りで行けるような近場の草原でのレイジウルフの討伐依頼だった。

「これは……わかった。それを一緒にやろうか」

 ここでCランクの日帰りが簡単な依頼を選んだということは、私が言った言葉をそのまま受け入れてくれていることの証明だろう。
 一緒に依頼をこなして、親睦を深める。私の提案通り、彼女はそういうつもりでいる。

 まだ警戒はされているかもしれないが……少なくとも悪感情は抱かれていないようで、内心ほっとした。

「じゃあ、行こうか」

 依頼を受けて、軽く支度を済ませて、少女と一緒に街を出発する。
 草原自体はすぐそこなので、移動は徒歩だ。
 大変なのは草原につくことではなくて、その広い草原で狼を見つけることにある。
 とは言っても、ある程度はすでに冒険者ギルドの方で場所を絞り込めている。私たちは今回、その場所付近で狼を見つけ出し、倒すことが仕事だ。

 少女は獣人としての優れた五感を、私は魔法で狼の存在を探査しながら、二人で草原を歩く。
 その間、親睦を深めると言った通り、私は少女と会話を重ねていた。
 まあ、この子は無口だから私が一方的に話をしているだけなのだが。

「――そういうわけで、この辺の料理はちょっと口に合わないものが結構あってね。自分で料理の勉強をして、自分の舌に合う料理を作れるようにしたんだ」
「……」
「まあ、まだ全然レパートリーは少ないんだけどね。エルフだから、あんまり肉とか魚とかは食べられなくて……あぁ、《鮮血狂い》は」
「し」
「し?」
「シ、ィ……シ、ィ……ナ。シ、ィナ…………シィナ……」
「シィナ?」

 聞き返すと、少女はこくりと頷く。

「もしかして……君の名前?」

 これまた、こくりと。

「そうか。ありがとう、教えてくれて」
「……」

 今度は頷かなかったが、ぴこぴこと猫耳が反応していた。
 私の思い込みかもしれないが、どことなく嬉しそうにも見えた。
 その様子があまりに可愛らしく、思わず手を伸ばしてさわりかけて、直前で引っ込めた。

 あ、危ない危ない。まだ会って数時間だ。いきなり耳をさわったりなんてしたら嫌われてしまう。
 そういうのはもっと進んだ関係になってからだな、うん。

「シィナは、獣人なんだよね。肉とか魚の方が好きなのかな、やっぱり」
「……」

 話を続ければ、さきほどまでと同様、彼女はしっかりと頷いてくれた。
 ただそれだけではなくて、わずかに口を開こうとして、声を出して自分の声も示そうとしてきてくれている。

「く……だ、もの……も」
「ん」
「きらいじゃ……ない……」
「そうか。それは嬉しいな。今度、一緒になにか食べに行きたいね」
「……う、ん……」

 うん、って! うんって言った!
 了承してくれたこともそうだけど、それだけじゃない……動作だけじゃなくて、ちゃんと口で応えてくれたのだ!
 これは好感度が相当上がってる証拠なのでは!?

 そんな内心の興奮をどうにか抑えて、にやつきそうになってしまいながら会話を続ける。

「でも、これまで時間が全然合わなくて会えてなかったからね。次に会って一緒に行けるのはいつになることやら……」
「……つく……る。じかん……」
「作る……時間を? それは……一緒に食べに行くために?」
「…………ん……」

 今度は少し恥ずかしそうな返事と、小さな首肯。
 ほんの少し頬が赤らんでいるようにも見える。

 ……ふぅー……。

 …………やばいこの子可愛すぎる。
 これは完全に惚れてしまったかもしれないな。

 胸が大きい方が確かに好きだけど、私ではない別の誰かのものであることが重要なのであって、シィナくらいのものでも私はありだと大声で言える。
 いややっぱ大声は無理。でも言えることは確かだ。ベッドの上でだけど。

 それにしても、シィナのこの態度……これ、もしかしてワンチャンある?
 い、いや、さすがに穿ち過ぎか。友達と一緒にご飯を食べに行くくらい誰でもする。
 しょせんは友情の直線上。そもそも、この子が私と同じ性癖の可能性なんてほとんどないのだ。

 それでも……うん。
 それでも、やっぱり可愛いよなぁ……。

 友達でもいいからそばにいたい。もっといっぱい話をして、一緒に街を歩いたりしてみたい。
 いつか、この子の笑顔が見てみたい。

 やばいな……本当に恋をしてしまった可能性がかすかだが大いにあるとかなり思われる。

「なら、私もその日を楽しみにしてるよ」

 なんとか平然を装って、そう告げた。
 シィナは猫耳をぴこぴこと動かして、やはり心なしか嬉しそう。

 ふふふ……あぁ、やっぱりな。
 《鮮血狂い》。風の噂によると彼女のこの二つ名は、血しぶきを浴びながら猟奇的な笑顔で魔物を惨殺していた姿からついた二つ名だということらしいが、やはりこれは出鱈目に違いない。

 いや、最初からわかっていたけどね。こんな子がそんなことするはずないって。
 不名誉な二つ名を与えられて、きっとシィナも内心ではさぞ不満に思っているかもしれない。二つ名のせいで避けられて、気味悪がられて……。
 くっ、シィナはこんなに可愛いというのに。こんな子のどこが不気味だと言うんだ。シィナに不名誉な二つ名を与える原因をつくったやつらを全員張り倒してやりたい。

 そんな風に思っていると、ふと、魔法の探知にあるものが引っかかる。
 あるものというか、今回の討伐対象なのだが。

「――シィナ」

 名前を呼ぶ頃には、彼女も私と同様にそれに気がついていたようだ。
 前を見据え、四本の小剣のうち、両腰のそれぞれに佩いていた二本の剣を引き抜いた。

 私も自分の中の魔力の流れに集中し、すぐにでもどんな魔法でも使える状態に持っていく。

「二〇、二一、二二……まだいるか。聞いていたより数が多いね。まあ、私たちなら問題はないけれど……」

 もしもこれが本来のCランクの冒険者が受けていたなら、あるいは命の保証がなかったかもしれない。
 こういうミスは本当に危険だからできるだけなくしていただきたいものではあるが……低ランクの依頼だと、目撃証言を資料と照合して依頼レベルを設定するのが基本のため、元の情報が曖昧だとしかたがない部分もある。
 魔物に追われていて慌てていたり冷静を欠いていたりして、情報が間違ってしまっていたり。

 なにはともあれ、今ここにいるのはSランク冒険者二名。
 まかり間違っても敗北はありえない。

「右半分、任せるよ。左半分を私が――」

 前に出ようとしたところで、不意にシィナに手で静止を促される。

「シィナ? いったいどうし……」

 シィナの顔を見て、言葉が止まってしまった。

 シィナは笑顔だった。
 ついほんの少し前に望んだ、いつか見たいと思ったはずの顔。
 だけどそれは想像していたやわらかいものとは、まるで異なっているように感じた。
 それはまるで、これから始まる殺しを楽しもうとしているような、そんな表情に……。

 ……い、いや、妄想だな。うん。あまりに妄想がすぎる。
 ちょっと笑顔が想像より外れてたからって、なにもそこまで思うなんて薄情だ。
 私最低だな。

「……わ、たし……が……やる……」
「っ……わ、わかった。後ろで見ているよ……」

 妙な威圧感に気圧されて、知らず知らず後ずさってしまっていた。
 呆然とシィナの後ろ姿を眺めていると、狼の群れが近づいてきて。
 ふと、シィナの姿がかき消えた。

 そして次の瞬間、シィナはすでに狼の群れの真ん中に立っていて、その直線上にいた狼はすべて真横に一閃されていた。

 ――まったく見えなかった。
 きっと彼女は魔力の循環による身体強化に空恐ろしいほどの適性があるのだろう。そしてその莫大な身体能力を完璧に使いこなす技量と感性も兼ね備えている。
 これがSランクの剣使いの力なのかと瞠目しながら、シィナの戦闘を見守る。

 シィナは、やはり笑顔だった。
 襲いかかってきた狼二体を一瞬で粉微塵に切り刻み、まだ温かい血やバラバラになった臓器が降り注ぐ。
 それを浴びるようにして足を踏み込みながら、さらなる狼の首を断ち。
 その血しぶきを浴びながら、やはり次の獲物へ。

 近接戦闘が得意なものでも、あれほどまでに激しく戦うことなど稀だ。
 群れの中心。わざわざ囲いの中に飛び込んで、一歩間違えば命の保証がない中、ひたすらに敵を斬り刻む。
 楽しそうな笑顔で。生き物の血を、無残な死に様を見るのが楽しくてしかたがないように。

 まるで舞うように、踊るように、遊ぶように。彼女は三〇秒とせずにすべての狼を斬り伏せた。
 その頃には彼女の全身は、ひどく凄惨なものになっていた。
 元々赤黒かった髪は返り血でさらなる深い色となり、全身も同じように血だらけ。
 体の節々に臓器の欠片が付着していて、ツインテールの左側には目玉の断片が、肩辺りには狼の胃かなにかが絡みついている。 

「シ……シィナ……?」

 とても戦闘とは呼べない惨殺が終わった後、彼女はその中心で笑みを浮かべたまま狼たちの無残な死骸を見下ろし、静かに佇んでいた。

 しかし私が名前を呼んだ途端、突如ピタッと動きを止める。
 かと思えばその直後、ぐりんっ! と一気に首を動かして、見開いた目でこちらを凝視してきた。

 さきほどまでは確かに笑顔だった。猟奇的ではあるが、楽しそうな笑顔だった。
 なのに今の彼女は完全な無表情で、なにをするでもなく、ただただ私をジーッと見つめてきている。

 そんな光景を眺めながら、私は思っていた。

 ……やばい。
 あの子めっちゃ怖い。

「…………」
「…………」

 え……え? なんなのこれは……。
 あれぇ? あっれぇ?
 おかしいな……さっきまでラブコメ的な波動を感じてたはずなのに……。
 私、友達でもいいからそばにいたいとか、恋する乙女的な思考をしてたはずなのに……。

 なんで急にジャンルホラーになってるの?
 こんな子のどこが不気味だと言うんだ、じゃないよ私。
 この子やばいって……マジでやばい子だったって。

 ど、どうしよう……こ、これ、どうしたらいいんだ……?

「……」
「……」

 シィナはあいかわらず、無表情で私を凝視してきている……。

 ……に、逃げる? 逃げるか?
 でも、本当に逃げて大丈夫か……? 急に逃げたりなんてしたら、逆に後ろからぶっ刺されたりするんじゃないか?
 一緒に依頼を受けようって誘ったの私だぞ? その私がいきなり逃げ出して、シィナがなにもしないとでも?

 に、逃げるのはダメだっ。
 仮にここで逃げ切れたとしても、その後また鉢合わせた時のことも考えると悪手だ。

 だが、このまま沈黙してるのが好ましい選択だと言えないのも事実だ。
 私は割とシィナの好感度を稼いだはず……その私がここで中途半端な態度を取ってしまえば、せっかく私のことをわかってくれたと思ったのに、みたいな感じで刺されかねない。

 だとしたら……いや、でも……。

 …………くっ、やるしかない!
 逃げるのがダメなら……!

「シィナ」
「……!」

 一歩、踏み出す。シィナもまたそれに呼応するように、ぴくりと体を震わせた。
 胸の内の逃げ出したい衝動を全力で押さえながら、シィナに一歩ずつ歩み寄る。
 正直、近づくたびにシィナの見開いた目が近づいてきてガチで怖いのだが、今はとやかく言っている場合ではない。

 シィナの目の前に立つと、私は……そっと、シィナを抱きしめた。

「シィナ」

 臓器とか血とかが付着して半端なく気持ち悪いのだが、今はとやかく言っている場合ではないんだ!

 シィナの名前を耳元で囁くと、彼女は少しだけ身じろぎをした。
 そんな彼女に、私はできる限り優しい声音になるようにして、言った。

「大丈夫」

 子どもをあやすように。なぐさめるように。
 泣いている子どもにするように、優しく背中をさすって。

「大丈夫だから……」
「…………ハ、ロ……ちゃ……?」

 からん、と音を立てて、シィナが持っていた二本の小剣が落ちる。
 動揺か困惑かはわからないが、シィナは少し震えているようだった。

 これはいけると確信した私は、そこでシィナを思い切り、ぎゅーっと力強く抱きしめる。

「大丈夫……大丈夫、だから」

 そう、大丈夫。
 なにが大丈夫なのかまったくわからんけど、とにかく大丈夫なんだ。

 逃げるのがダメなら、発想を逆転させればいい。
 つまり逆に近づいて、抱きしめる。この大胆な策なら逆に襲われることはないと、私は踏んだ。
 とは言え、それだけではなにか足りない感じもする。抱きしめるのに加えて、なんかいい感じの言葉があるともっといい感じになるはずだ。
 そうして私があの短時間で必死に考えた言葉が『大丈夫』。

 この大丈夫という言葉は非常に汎用性が高い。
 相手がどんな心理状態であろうとも、とりあえず抱きしめて大丈夫って言っておけば大体のことは丸く収まる……気がする。
 よしんば的外れだったとしても、私がシィナのことを心配している風なことは伝わってくれるはず。
 つまり、シィナに悪感情を抱かせてしまう可能性が激減するのだ。

 現に、シィナはなんか武器を取り落として、私の抱擁を受け入れてくれている。

 何度も何度も、大丈夫という単語を繰り返す。
 シィナの震えが止まるまで、ずっと。

 そうしていると、やがてシィナは彼女の方から、私を抱きしめ返してきた。
 彼女の力なら私の細い体くらい、へし折ることができる。
 しかしシィナはそれは決してしようとはせず、むしろ壊れ物を扱うように、そうっと……。

 ふっ……。
 よし。やったな。
 シィナがなにを考えてたのか、まるでまったくこれっぽっちもわからないが、どうやら私は正解のルートを導き出すことができたようだ。
 この様子なら、シィナが私を殺そうとすることはまずありえない。

 あとは適当に話を流して、依頼を終えて、この子と別れることさえできればミッションコンプリート……!

 もう恋がどうとかはどうでもいい。初恋は実らないものだと学んだ。
 というかね? あんな惨殺ホラー凝視劇場を見せられて、まだこの子に恋をしてるとか言う方がどうかしてますよ。頭おかしいんじゃねえの。
 吊り橋効果で恐怖を恋と勘違いすることもありえるかもしれないが、それにしたって限度がある。というか危険をもたらした吊り橋に恋なんてするわけがない。

 容姿は確かに可愛い。それは認めよう。
 だけどですね。あんなものを見せられて、まだ手を出す勇気があるかと言われると、私にはないです。
 ないんです。

 ……早くお家帰りたい。
 もういちゃいちゃとか二の次でいい。
 同じ性癖の仲間探しとかも、いい。
 もう、にゃんにゃんさえできれば、それだけでいいから……。

「……ハ……ロ……ちゃ、ん」
「ひっ、んんっ! ど、どうかした?」

 耳元での呟きに心臓を跳ねさせてしまいながら、平然を装う。
 そんな私に、シィナは言う。

 囁くように、この後の私と彼女の関係のすべてを決定づける言葉を、言う。

「…………あな、たは……もう、わたしの…………もの……」
「ぇ」
「ぜったい。きょぜつ……させない」

 とろけるように、心地のいい声音だった。
 たとえるのなら、それはまるで悪魔の誘いのごとく。

「はじ、めて。あなた、が……はじめ、て。わたしを……うけ、いれて……くれた……」
「は、初め……て?」
「う、ん…………あなた、が……わたしの、すべて……あなただけ、が……」

 ぽっと頬を朱に染めて、スリスリと猫のように頬や顎を寄せてくるシィナ。
 それはさながら、猫が自分のフェロモンを擦りつけて、その所有権を主張するかのように……。

 …………あ、あれ?
 これはもしや……正解どころか、かなりやばいルートを導き出してしまったのでは……?

「……ずっと……いっしょ……」
「…………うん」

 ここでもし逃げ出す選択をすれば、今度こそ間違いなく切り刻まれる。
 もはや私には逃げ道など残されていないのだ。
 足を踏み出し、シィナを抱きしめた時点で、もう……。

 渇いた笑いを浮かべながら、血の海の真ん中でシィナに抱きつかれ続ける。

 その日、私はまるで悪魔とでも契約してしまったような気分だった。