端的に自己紹介をしたいと思います。
 私の名前はフィリア。
 偉大なる魔法使いであらせられるお師匠さまの一番弟子であり、お師匠さまの奴隷でもあります。

 奴隷とは言っても、奴隷らしい扱いをされたことは一度もありません。
 隷属契約の術式でいつでも私を従えられるはずなのに、お師匠さまは私を買ってから一度だってその術式を行使したことはありません。
 お師匠さまはいつも私を気遣ってくれて、まるで家族みたいに扱ってくれます。

 さて、そんなお師匠さまと暮らす私の一日は日の出とともに始まります。
 窓から差し込む日差しで目を覚ますと、手早く着替えを終えて、身だしなみを整えます。
 そうしてすぐにお師匠さまのお部屋に向かいます。

 お師匠さまはまだこの時間は起きていません。
 日の出から大体二〇分くらい経ってから目を覚まします。
 それまでの間、お師匠さまのベッドの前で膝を立てて座って、お師匠さまの寝顔を眺めているのが私の日課です。

 こうして眠っているお師匠さまは、まるでお人形さんのようです。
 十代前半ほどの小さな体躯に、白く傷のない美しい肌。さらさらと一本一本が細やかで艶やかな銀の髪は、鼻を近づけると本当に良い匂いがします。

 あぁ……お師匠さま。今日もとっても可愛らしいです……。

 こうしてお師匠さまの寝顔を拝見することで、深い幸せを感じるとともに、今日も一日頑張ろうという気になれます。

「ん……フィリア……」

 あ、お師匠さまが起きたようですね。

「おはようございます、お師匠さま」
「ああ、おはよう」

 眠そうに半分だけ目を開いているお師匠さまも、寝ている姿と同様にとても愛らしい。
 瞼から覗く翠色の瞳は、まるで大らかな自然のように、見つめているだけで心が癒やされます。

「ふわぁ……フィリアはあいかわらず早いね」

 お師匠さまのあくびシーン……!
 これは貴重ですね。具体的には三日に一回くらいしか見られません。脳内にきっちり保存しておきましょう。

「お師匠さまのお手伝いをするためですから!」

 私はそう言って、お師匠さまの今日のお洋服を掲げます。
 以前、お師匠さまと一緒にオーダーメイドをした服です。この前ようやく製作が完了したようで受け取ることができました。
 お師匠さまは放っておくといつも同じような服を着ようとするので、お師匠さまのお洋服を選ぶのは私の役目です。

 決して、そう決して! その日の私の好みで選んでいるわけではありません!
 その日のお師匠さまの予定を考慮して、最適だと思われるお洋服を選んでいるだけです! 他意はありません!

「……フィリア。前にも言ったと思うけど、別に着替えまで手伝わなくてもいいんだよ?」
「ダメです! お師匠さまの身の回りのお世話は私の役目ですから!」
「しかし」
「ダメですっ!」

 そう、ダメなんです! もしもお師匠さまのお着替えを手伝わないとなれば、朝こうしてお師匠さまのお部屋に入る口実がなくなってしまいます……!
 そうなるとお師匠さまの寝顔を拝見することができません! 私の一日の活力の源がなくなってしまうんです! それだけは絶対に嫌ですっ!

「そ、そうか。その、無理はしなくていいからね……?」
「はいっ。お気遣いありがとうございます、お師匠さま」

 お師匠さまのお世話が無理なはずがありません。お師匠さまに関係することならなんだってできる自信があります。

「それじゃあ早速、今日もお着替え手伝わせていただきますね」
「……ああ」

 お師匠さまのネグリジェを脱がすと、それだけで大事なところ以外はすべてあらわになります。
 それはそれは一種の絵画や芸術品のように美しい光景で、いつまでも眺めていたい気分に駆られるのですが、お師匠さまに寒い思いをさせるわけにもいきません。
 丁寧に、お師匠さまの手を煩わせないよう、素早く新しい服をお師匠さまの袖に通していきます。

「終わりましたよ、お師匠さま」
「ああ。ありがとう」

 それからはお師匠さまがお顔を洗いになっている間、私は一足先に台所へ向かって、朝食の準備を始めます。
 本当は私一人で全部作ってしまいたいのですが、ろくに料理のことを知らない私ではまだお師匠さまを満足させるような料理を作ることができません……。
 今はまだお師匠さまから技術を盗んでいる最中です。

 朝食を作り終えると、次は当然それを食べる時間です。
 お師匠さまはエルフなので、野菜や果物が大好物のようです。なので、うちは野菜を使った料理が多いです。
 でも私のことを考えてなのか、最近は少しずつ肉や魚などのバリエーションも増えてきたように思います。
 お師匠さまのそうやって私のことを一所懸命考えてくれるところ、本当に大好きです。

 朝食の後は、少しゆっくり過ごしてから魔法の特訓の時間が始まります。

「魔法に魔力を繋いだまま操ることにも大分慣れてきたね」
「はい! お師匠さまのお教えのおかげです!」
「私はなにもしてない。フィリアの筋がいいんだよ」

 魔法の特訓は大変ですが、お師匠さまに少しずつでも近づいている実感は他のどんなものにも代えがたい充足感があります。
 それに、もとより私はお師匠さまの弟子になるために奴隷として買われた身です。
 この時間こそがお師匠さまへ恩を返せる一番の時間であり、それをめんどくさいなどと思うことは絶対にありえません。
 どんなに無理そうに見える課題でも、どれほど同じことの繰り返しでも、一秒たりとも集中は欠かしません。ここで怠けることはお師匠さまへの思いがその程度だったと認めることと同義ですから。

「少し休憩にしようか」

 お師匠さまは時折本を読んだりもしていますが、私が辛そうにしていると必ずこうして声をかけてくれます。

「はいっ!」

 私のことをちゃんと見てくれているからこそのお声は本当に嬉しくて、いつも元気に返事を返すようにしていました。

「お師匠さま。お師匠さまはいつ頃から冒険者としての活動を再開するつもりなんですか?」

 木陰になるガーデンベンチでお師匠さまとの二人で涼む時間はまさしく至福です。

「そうだね。実は、あと一週間もしないうちに再開しようと思ってる」
「そうなんですか……」

 お師匠さまが冒険者活動を再開するとなると、当然、一緒にいられる時間も減ってしまいます。
 私がしょぼくれていると、ふと、私の頭の上に心地のいい温もりが置かれました。

「大丈夫。私はSランクっていう結構すごい冒険者だからね。そんなに頻繁に活動しなくても、お金はじゅうぶん稼げる。フィリアをほったらかしになんてしないよ」
「お師匠さま……」

 そうです。いつまでもお師匠さまに甘えているわけにもいきません。

 初めて会った日、お師匠さまは一人が寂しかったと言いました。
 それなのに熱を出したあの夜は、一人にしてほしいと言いました……。

 それはきっと、私がお師匠さまにとってただ守るだけの対象で、頼れる相手ではなかったからなのでしょう……。

 だから私は決めたんです。
 お師匠さまに甘えるだけじゃない。逆にお師匠さまに甘えられて、頼られるような、そんな人間になるんだ、って。

「お師匠さま……! 私、頑張ります! いつか必ず、お師匠さまを支えられるようになりますから!」
「フィリアにはもう大分支えられている気がするけど」
「足りないんです! もっともっと、お師匠さまのためになれることを勉強します! というわけで、特訓を再開しましょう!」

 そうして休憩や昼食を挟みつつも魔法の特訓を続けていると、やがて日も沈んできます。
 本当は午後は自由時間にしていいと言われているのですが、お師匠さまがお出かけになる時以外はいつも魔法の特訓を自主的にやっています。そしてお師匠さまも、そんな私をいつも見ていてくれるのです。

 日が沈むと、お風呂の時間です。
 お師匠さまはお優しいので、訓練で汗をかいていた私に一番風呂を勧めてくださいます。
 しかし私ごときがお師匠さまよりも先に入るわけにはいきません。先にお風呂に入るのは絶対にお師匠さまです。

 以前、恐れ多くも一緒に入ろうとお師匠さまから誘われたこともありました。
 その時は本当に、ほんっとうにとても非常にこれでもかというほど葛藤したのですが、やはり私ごときがお師匠さまのあられもない姿を見ることなどできないという結論に至りました……。

 それに、お師匠さまの完璧に美しいお体と違って、私はアンバランスに胸にお肉が大きく詰まった浅ましい体です。
 こんなものをお師匠さまに無遠慮に見せることなどできません……。

 でもお着替えは手伝わせていただきます。

 お風呂に入り終えると、一緒に夕食を作ります。
 私の常識では一日は二食が基本だったのですが、お師匠さまは朝と昼と夜で三食を食べることを好みます。
 なんでも、その方が健康にも成長にもいいとのことです。さすがお師匠さまは物知りです!

「フィリア。今日もお疲れさま」

 夕食の時間になると、なんとお師匠さまがいたわってくれました!

「いえ、お師匠さまこそ!」
「……その、フィリア。別に魔法の特訓、一日とか二日とか休んでも私はなにも言わないよ?」
「ダメです! お師匠さま、努力は毎日こつこつと積み上げることが重要なんですよ? お師匠さまも言ってくれたじゃないですか。積み上げたものは裏切らないって。怪我や病気などの特別な理由がないなら一日だって欠かすことはできません!」
「そ、そうか。フィリアは真面目だね」

 えへへ……真面目っ! お師匠さまに褒められちゃいました! 今日は本当に良い日です!

 夕食の後のお師匠さまはお部屋で読書か、魔導書をお書きになります。
 私はいつもそんなお師匠さまと同じお部屋で、同じように魔法の基礎の本を読み込んでの読書か、魔導書の執筆を後学のために横から拝見させていただいています。

 お師匠さまいわく、魔導書の執筆はただの小遣い稼ぎだそうですが、今の私には書いてあることの二割も理解できません……。
 そういえば以前またお師匠さまと本屋に寄った時、お師匠さま著作の魔導書の複製本が売られていて、思わず欲しくなったのを覚えています。でもありえないくらい高額でした。
 お師匠さまにとってはあれが小遣い稼ぎなんですね……。

 このお屋敷も私を買う上で広い家が欲しかったから買ったとのことでしたけど、明らかに広すぎますし、他にもいろいろと……なんだかお師匠さまの金銭感覚って私とはかけ離れてそうです。
 お金が少なくなってきたから活動を再開するって言っていましたが、私からしてみたらまだ全然大金だったりしそうです……。

「ん……そろそろ寝ようかな」
「そうですか? ではお師匠さまがお眠りになるまで、ご一緒します」
「……いつも思うんだが、そのご一緒は必要なのだろうか」
「必要です! 絶対に!」

 朝にお師匠さまの可愛らしい寝顔を見て、夜にまた同じ寝顔を見る! そうして私の一日が終わるんです!
 これだけは譲れません! たとえお師匠さまのお言葉でも無理です!

「そ、そう。必要ならいいんだ。じゃあ、その……おやすみ、フィリア」
「はい。おやすみなさいです、お師匠さまっ」

 お師匠さまがベッドに潜り込んだことを確認して、明かりを消します。
 暗闇の中、私は小さな光の魔法を使って、あらかじめベッドの横に設置しておいたイスに腰を下ろします。

 ……ふむ。お師匠さま……まだ寝れてませんね? いつもの寝顔とはまだちょっと違います。
 でも、そうして寝ようと努めているお師匠さまもとても愛らしいです……!

 …………あ、段々と朦朧としてきて……寝ました。今寝ましたね。私にはわかります。今寝ました。
 えへへ、やっぱりお師匠さまの寝顔は最高です。これで今日も気持ちよく寝られそうです。

「……また明日です、お師匠さま」

 小声で呟いて、そっと部屋を出ます。
 自室に入ったら、私はすぐに机に向かって日記を書きます。
 今日のお師匠さまのご様子と、お師匠さまとのやり取りをページいっぱいに書き記します。記憶力はいい方なんです。

「できましたっ。えへへ、私も明日のために寝ましょう」

 日記帳を閉じて、しまって、明かりを消してベッドに入ります。
 明日も日の出と一緒に起きましょう。それからすぐに着替えて顔を洗って、お師匠さまが目を覚ます前にお部屋に向かうんです。
 そうしてお師匠さまの寝顔を見られれば、明日もいくらだって頑張れます。

「おししょ、う……さまぁ……」

 お師匠さまのことを考えながら、やってきた睡魔に身を任せます。
 今日は、本当に良い日でした。お師匠さまのあくびが見られて、お師匠さまに心配してもらえて、お師匠さまにいたわってもらえて、お師匠さまに褒めてもらえて……。

 あぁ、これならきっと、今日は素敵な夢が見られることでしょう。
 まあ一番素敵なのは、現実のお師匠さまなんですけどね。