そう言われて考えてみれば、値切ってくる人だって多いし、生きものだから買ってすぐに枯れたなんて、いちゃもんをつけられることもある。

 たいていは、花束なのに花瓶にも入れずにそのまま放置していたとか、真夏にサプライズをしようとして炎天下の車内に何時間も隠しておいたなんて無茶苦茶なことをしたせいだ。そのたびに、状況を聞いて枯れた理由を説明したり、場合によっては家まで見に行ったりすることもあるのだから、父のいかついオールバックも少しは意味があるのかもしれない。
 胡蝶蘭(こちょうらん)なんかの高額の品物の場合だと、注文主もお届け先もどこかの会社や店や、時々反社会的組織だったりもする。あるときはぼくひとりで店番中に、病院に入院中の組のお偉いさんのお見舞いにと、三万円ぶんの花籠を注文されてひとりでてんてこ舞いになったこともある。

 母さんが優しそうに見えるから、父さんはこれくらいでちょうどいいんだと、父は笑う。

「わかった、花持ってお見舞い行ってくる」

「それでいいんだ」

 父がてかてかと頬を光らせて微笑む。母はそれを見て同じように笑う。似た者同士の夫婦。
 お互いがお互いにべた惚れだってのはぼくが生まれたときから知っている。子どもがぼくひとりだけなのも、愛しあうふたりの世界を邪魔するのはひとりでじゅうぶんってことだ。
 ぼくにもそんな存在がいつか現れるだろうか。

「あの病院なら、お花の持ち込みも大丈夫よ。ねえ、お父さん? 何度か配達にも行ったわよね。ほら、明日太、早く作って行ってきなさい」

 急に機嫌がよくなった母親がぼくに言う。ちゃっかり入院先の病院の、花の持ち込みチェックまでしてあったらしい。