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 死ぬ前は、自殺以外にすることなんてなかった。

 仕事も消え、学校へもマスコミが押し寄せるため休学を進められ、休みだからとできる趣味もなかった。

 けれど、目が覚めてからはやらなければいけないことが山積みだった。

 周りの人たちへの謝罪に、リハビリ。人ひとりを協力して引っ張り上げたのが奇跡みたいに、ずっと意識不明だった私の身体は、ごっそり体力が落ちきっていた。

 謝りに外出することすらままならず、すぐ貧血を起こし、体力をつけようと運動をすることも出来ない。

 だから一人一人に手紙を書いた。その手紙も、手に力が入らなくて、テープで固定してみたりして看護師さんやマネージャーさんを驚かせてしまったけど。

「すみません。今日はわざわざお越し頂いて」

 私は、病室へと入ってきた統括チーフに頭を下げた。チーフはすぐに首を横に振った。

「これは退院祝いの……水だ。行きに君の好きな食べ物を彼に聞いたら、検索しだして焦ったよ」

 そう言いながら、チーフは黒い紙袋をサイドテーブルに置く。チーフの隣にはマネージャーがいて、肩を縮めながら俯いていた。

「すみません。もともと仕事以外で話をすることは苦手で……」

「ゴシップの心配もない分こちらとしてはありがたいが、気を抜くことや休むこと、何もしないことも覚えておきなさい。ファンはアイドルに娯楽性や救いを覚えるものだ。そのアイドルが娯楽を知らないのは、問題がある」

 統括チーフは、ベッドのそばの椅子に座った。そして私に体を向ける。

「今回の件に関して、根本の原因は事務所にあった。内部の人間が自分の一時の感情によってネットに嘘の情報を流した。そもそも事務所の管理体制がしっかりしていれば、君の炎上もそもそも起きなかった可能性がある。結果、こちらの都合であるにも関わらず君と遥だけが批判の的になってしまった。すまない」

「いえ、チーフは何も悪くないことなので……頭を上げてください」

 内部の人間が、アイドルを陥れるために、嘘の情報をリークした。誰かの成功を願って、誰かを蹴落とそうとした。

 そんなこと、予測できるはずもない。

「本件について、自社で公表し、記者会見も行う予定だ。私は統括チーフの任を降りる。それで──君の意思を最大限尊重したいと思ってはいるが、どうか君にはアイドルを続けてほしいと思っている」

 アイドルを続けるか、続けないか。

 目覚めたとき、答えは決まっていた。

 私は統括チーフの目を真っすぐと見た。

「私は、叶うのならばアイドルとして活動を続けていきたいと思っています」

 私はアイドルを、続ける。一度は諦め手放してしまったけれど、もう一度掴む。ファンの人に、笑顔を届ける最高のパフォーマンスがしたい。

 決意新たに伝えると、チーフの隣にいたマネージャーが、ぼろぼろと涙をこぼした。

「なんだ君は。みっともない」

 チーフが怪訝な顔をする。マネージャーは、「安心して」と、ハンカチで目元をおさえた。

 マネージャーとは、挨拶とお礼、業務以外で話をすることがなかった。

 仕事仲間であり、協力相手。それ以上でもそれ以下でもない。プライベートも何もかも、お互い踏み込もうとしないままが一番いい。

 そう感じる一方で、彼女のマネージャーの距離感は新鮮なものであり、息がぴったり合う関係性だと見ていた。

 けれど実際のところは違う。声に出さなきゃ伝わらない。言葉が無くとも繋がり合える関係性は、本来奇跡だ。

 そして言葉があったとしても、受け取り手の感情や状況で意味合いが屈折する可能性がある。

 そうして少しの認識のすれ違いで、ぐるりと物の見え方が変わってしまう。

「すみません。ありがとうございます。ご心配をおかけして、ごめんなさい。チーフも、マネージャーさんも、事務所の人たちがいなければ、私は何も活動できません。いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします」

 私はチーフとマネージャー、二人に頭を下げた。マネージャーが、「よろしくお願いします」と続いた。すると、チーフが目を細める。

「君、変わったな」

「そうですか?」

 私が、変わった?

 幽体離脱をしていた間、暗くなっていた。そこから明るくなったというのなら、理解できる。

 でも、チーフの知っている私の状態に変化はなかったはずだ。

「雰囲気が、柔らかくなった」

 思い当たる点は、ある。

 でもまさか、自分のファンの人の家に居候したり、不審者を捕まえようとしていたなんて、言えない。私は曖昧に首を傾げた。

「変化はいいことだ。今後に君に期待している」

 チーフは立ち上がって、ドアへと向かっていく。

 マネージャーはこちらへ振り返った。

「本当に、退院の送迎はいいんですか?」

「はい。どうしても寄りたいところがあるので。すみません」

 そう言うと、マネージャーはこちらに頭を下げ、病室を後にした。

 退院祝いに来てくれたといえど、緊張した。ほっと息を吐くと、すぐにまた扉が開いて気持ちを切り替えた。

「こんにちは! ここの警備やばいですよ! ザル! 先生にお願いしたら入れてもらえましたよ! 時間外なのにほら──ファンが入っちゃった! 推しの病室に一般人が入れちゃうのはちょっと複雑です!」

 縁川天晴が、自分の足を指さしてジェスチャー交じりに入場してくる。

 統括チーフとマネージャーの再入場ではなかった分、安心はするものの、別の意味で気が置けない。

「それはザルとは言わないしもう少し情緒整えてほしい」

「分かりました落ち着きます。でも僕たち普通に考えたら、ただのファンとアイドルじゃないですか。ザルじゃないですか?」

「噺田先生は知ってるからでしょう……外で話そう。声も大きいし」

「すみません病院通いは慣れてたはずなんですけど」

「返事し辛い事言わないで」

 私は起き上がって、ベッドのそばに置いてあったサンダルに足をかける。念のため、帽子も被った。髪も結んで眼鏡もかけて、変装を入念に行う。

「推しとデートか……」

「ここ病院だから。これから行く場所も、わかってる?」

 しみじみと目を閉じる縁川天晴に呆れながら私は病室を出る。彼が後ろを追いかけてきて、私たちはそのまま、病室を後にした。