「まつりが決まったドラマの番宣、本当は私の仕事のはずだったの。でもその前に、スポンサー……」

 七星まつりが、有名な女優さんのオフショットに一緒に写った。

 彼女はもともと捨て石や捨て駒なんじゃないかと言われていて、事務所からの扱いも悪かった。

 売れるアイドルにかける時間すら足りない中で、当初CDの売れ行きがあまり良くなかった彼女に目をかけるというのは、難しいことだったのだろう。

 でも、そのオフショットの公開から、周囲の態度が一変していた。彼女の口から「プロデューサーさんと食事に行った」と話題が増え、メイク室では忙しそうに台本を読んでいた。

「努力の差だったら諦めがついた。でも、全然そうじゃないじゃん」

 七星まつりの、拙さ。

 そんな面も含めて、彼女のファンは応援している。アイドルとしてではなく身近な隣人として彼女を応援している。だからか、歌やパフォーマンスを重視するファンは「話題性」だと厳しい目を向けることも多かった。

「皆、まつりがいればいいって思ってるよ。私なんかもういらないって。自分の上位互換が突然出てきた気持ちわかる? あっち、CDの予約トップだよ? わかるんだよ。言葉にされなくても期待されてないって、もう私なんて飽きられてるって、わかるんだよ。事務所のツイッター見た? CDも雑誌も、あっちの予約開始は絶対宣伝するのに、私は宣伝すらしてもらえない。私が告知していいか聞いて、マネージャーのほうに返答来るのなんか、発売ぎりぎりだよ。私に情報来る頃には、全部終わってる。準備すらさせてもらえない。売れないアイドルも、そのグッズも、全部ゴミ扱いされるしかない!」

 遥は、苦しげだ。ただ不平不満を口にしているのではなく、限界を見てしまったのかもしれない。

 アイドルという人に評価される仕事をしている以上、誰かに好かれなきゃ生きていけない。憧れられなきゃ、意味ががない。

 なのに炎上で救いを見出してしまうほど、彼女は追い詰められている。

「もう私には、後がないんだよ。炎上でもいい。叩き割る目的でもいい。CD買われたいよ。注目が欲しい。だって頑張っても全然誰にも見てもらえない。苦しい。応援してくれたファンの皆に顔向けできない。全然、何も返せない。後だってもう、落ちるだけじゃん。もうわかるの。自分の考えが最低だって。でも苦しい。頑張ったの認めてもらいたい」

 遥の感情すべてに、身に覚えがあった。応援してもらったファンに顔向けできない。このまま落ちぶれていく姿を見せるくらいなら死にたい。消えてなくなりたい。

 誰からも期待されてもらえなくなるのが怖い。前の自分のほうが良くできてる気がする。こんなはずじゃなかった。

 遥の苦しみすべてに、吐きそうなくらいの身に覚えがある。

「この世界に、居場所がない」

 遥は縋るように私を見た。そして手のひらを握りしめる。

「返事はしてくれてる。でも分かるんだよ。自分の存在意義が捨て駒として扱われてないの。適当なんだよ。全部。今度仕事について打ち合わせしましょうって、企画説明しますって言って、そのままなの。何度も。同じ事務所の子は打ち合わせとかしてるの。私に割く時間はない。人気ないから。それなら貴方を相手にする暇はないですって提示してくれるほうが優しくて親切なくらい、自分って相手にされてないんだなってわかる。それをファンの人に見える形で、どんどん放り出されるの。何もかも」

「で、でも、マネージャーは? 遥のマネージャーは、遥のことすごく思って」

「事務所、辞めたって。炎上の責任とって。自分が辞めるから、私のことは辞めさせないでって頼んだって」

 言葉を失った。

 マネージャーが、辞めたなんて。

 遥のマネージャーはいつだって、遥が活躍することを望んでいた。

 他人の私から見てもそう感じていたのだから、彼女は肌でその期待を感じていただろう。

 その心の支えが、ない。

 事務所から期待をされない彼女の心を守っていたのは、間違いなくマネージャーやファンの声だった。けれど炎上でどれほどその声は減ったのだろう。

 唯一の心の支えにしていた存在を失った彼女は、いま──、

「死にたい」

 平坦な声色で、遥は言った。懇願を微塵も感じさせないその声色は、約束した未来を示唆するものだった。

「生きていたくない。せめて今、かろうじているファンの心に残って死にたい。だってもう無理だもん。恩返しできる気がしない。私からファンの人を楽しませることができる何かを提示できない。みんなのこと見返す何かを持ってない。才能ないって気付いた。ここまで来れたのまぐれだった。分不相応だった。奇跡だった。間違いだった。だから私の前から本当に誰もいなくなる前に──終わる」

 遥の体が傾いた。

 気持ちは痛いほどわかる。私も同じだ。

 そうして私は逃げたくて、自分を殺そうとした。

 でも、

「駄目だって……!」

 私は身を投げようとしていた 彼女の腕を必死に掴んだ。 

「自分も死のうとしておいて、他人に死ぬななんて都合がいいのわかってるよ。これ以上どう頑張ればいいか分からないし、どうしようもなく生きてたくないって、絶対死ねば幸せだって思う気持ち分かるよ。でも、違うじゃん!」

 私は死ぬ気だった。

 死ななきゃいけないと思っていたけど、それ以上に死にたかった。だってどうしようもなく辛いから。

 世界の全部が私という存在を否定するような、もういらないって見放してくるようで、苦しかった。

「私も見ないふりしてた。自分が死んで悲しむ人のこと。 だって、何があっても遥には生きててほしい人いるでしょ? 遥がアイドルを続けるために、マネージャーは辞めたんでしょう? 遥の未来を、望んで遥から離れていったって、本当は分かってるんじゃないの?」

「うるさい」 

「生きてよ! 報われなくても生きろなんて言えないけど、それでも誰かのせいで死ななきゃいけないなんておかしいんだって。間違えてもいいじゃん。正しくなくていいよ。壊れてたって、許されなくても生きていいんだって。おかしくても関係ない。正しくなくてもそれでも、生きていいじゃん。間違ってもいいんだって! 私は、今思い知りそうになってる。大事な人がぱっと消えるのがこんなにも怖いって、死ぬほうはもう、死ぬことしか考えられないってわかってるよ。でも、死なないでほしいって思ってるよ。私は遥に死んでほしくない。誰にも死んでほしくないよ」

 死んでほしくない。

 賛美遥に死んでほしくない。縁川天晴に死んでほしくない。遠岸楽も死んでほしくなかった。誰も死んでほしくなかった。生きて会えたらって、一緒にいられたらって思っている。これから先、ずっと。

「死ぬほうが幸せを感じるかもしれない。苦しくてどうしようもないかもしれない。生きてるうちにしか出来ないこと、あるんだって。生きよう、一緒に。一緒に生きて」

 これから先、また死にたくなる瞬間はくるかもしれない。そんな私に、誰かに死ぬな、なんていう資格はきっと無い。それでも。

「お願い……」

 それでも、この手を離したくない。

 私は一生懸命、遥の腕を掴む。けれど病み上がりであることや重力も相まって、彼女の華奢な身体はどんどん夜の奈落へと導かれるようにずるずると落ちかけていく。

 私が自分を殺そうとしたことを、止めたいと思ってくれた人がいた。

 同じように、いま、遥が死のうとしてると知ったら、手を伸ばしたいと思う人間がいるはずだ。その人の分まで、私が遥の腕を掴まなきゃいけない。

 それなのに、両手でつかんでも、ずるずると私の身体も下へと下がっていく。手すりが骨にあたって痛い。早く引きあげなきゃいけないのに。一人じゃ力が足りない。

 真っ暗で、誰も見えない。

「あかりちゃん!」

 叫ぶような声に、目を大きく見開いた。私が遥を掴む手に、さらに縁川天晴の手が重なる。

 ぐんと引き上げる力が楽になって、そのぶん遥を思い切り引っ張り上げる。

 何度も何度も引っ張って、やがて遥の足がぺたりと屋上の地面についたことに安堵して、私は一気に脱力した。やがて噺田先生がやってきて、こちらに駆け寄ってくる。

「これは一体……」

「彼女が、飛び降りようとして」

 縁川天晴が、遥に目を向ける。先生は深刻そうに、私と遥を交互に見た。

「とりあえず、彼女を一度屋上から離さないと」

 先生は、躊躇いがちに私を見る。

 医者として、さっきまで昏睡状態だった人間と重い病気を抱えた人間屋上に置いておくのは忍びないのだろう。

「大丈夫です。ちゃんと戻れます」

「戻らなくていい。人を呼ぶから、そこにいなさい」

 先生は持っていた端末で、応援を求める。

 急に体全体に重力がかかったように重くなって、私はその場に倒れこんだ。

「あかりちゃん!」

 縁川天晴は、絶望を帯びた声で呼びかけてきた。私は首を横に振る。

「大丈夫だから。ずっと寝てて急に動くのに無理があっただけ……」

「でも」

「いいから。それより、そっちのほうが重症でしょ。おとなしくしときな」

 私は彼を制するように手を振る。けれど彼は、「生きてる……」と泣き始めた。

「あかりちゃん……、目が覚めて……本当に……本当によかった……」

 ぼたぼたと、頬に涙がふりかかる。何とか指を動かして、その頬へと手を伸ばす。

 触れた温度がこの間までのものと全く違っている。

 私は、帰ってきたのか。

 この、世界に。

「夢みたいです……あっ、握手しちゃった」

「ずっと前から、してたでしょ」

 私は呆れがちに言葉を返した。

「生きててくれて、ありがとうございます……」

 彼はそのままずっと、何度も何度も私の手を握る。

 空は真っ暗になっていたけれど、星の光に輝いていた。