一方、縁川天晴は、は浮かれた様子で廊下を進もうとし、すぐに立ち止まってこちらに振り向いた。

「うがいの音、推しに聞かれたくないので! ここでお待ちください」

 では! なんて走り去っていく背中を見送る。

 奥に人がいるらしく、ただいまと縁川天晴《えんがわあまはる》が挨拶する声とおかえりと少し年上の女性、おばあさんくらいの声もした。

 彼のお母さんとお婆さんだろう。廊下に突っ立ってるのも気後れするけど、どうせ透ける。障害物にはならない。かといって真ん中に陣取るのも嫌で、そっと隅に寄る。

 廊下の途中、障子戸で隔てられているらしい部屋は居間になっているらしく、テレビがついていた。食卓の上は夕食の準備がしてあり、落ち着いた色味の野菜料理が並んでいる。

 ここで食事をとっているのだろう。ご飯はまだ並んでいないけど、食器を見るに入院しているらしいお兄さんを除けば、彼と、お父さん、お母さん、おばあちゃんと人数ぴったりだ。

『先月末に死刑執行となった遠岸楽死刑囚の件を受け、国選弁護士の制度の見直しについて、国会で議論が行われました』

 つけっぱなしになっているテレビでは、私が見た時と同じように、最年少の死刑囚について報道されていた。

 さっとニュースで見ただけだと、高校を卒業した人が、自分の友達のお父さんと、その取引先の従業員をお金目当てで殺したというものらしい。

 高校の同級生で仲のいい友達の家族を殺したこと、お金目当てだったこと、そして犯人のお父さんが強盗事件で捕まっていたことから、かなり報道されている。血は争えないとか、トレンドでかなり見た。

 小学校の頃、私にも友達が確かにいた。でも、芸能界に入って疎遠になってしまった。私は毎日学校に通ってるわけじゃない。「あかりちゃんが休みの時、グループ組む授業のときとか、つらい」と他の子に相談しているのを聞いてからは、二人組の友達にはならないよう意識するようになった

 私は毎回授業を受けるわけじゃない。でもグループを組むことは頻繁にある。修学旅行や行事ごとは、誰とグループが一緒なのかということに直結する。成績もかかわる。学校生活のあらゆることで迷惑をかけてしまう。

 だから、特定の友達は絶対に作らない。芸能界で友達はいた。お互いドラマが初共演だった子や、年の近いお笑い芸人の先輩。でも、二人とも進路を考えたり、結婚を機に辞めてしまった。

 つらいことがあったらいつでも連絡してと言われたけど、迷惑をかけたくない。心配させたくないし。炎上してからは、なおさらだった。

「手洗ってきました! ぴかぴかですよ!」

 昔のことを思い出していると、縁川天晴がこちらに手をかざしながらやってくる。水滴でも飛ばしているのかと思えば、丁寧に水気を取ってから手を振っているらしい。

「じゃあこっちが俺の部屋です!」

 縁川天晴はぎしぎし足音を立てながら歩いていく。廊下の角を曲がれば中庭が出てきて、庭園を囲うような廊下を進んでいけば、突き当りにドアがあった。ずっと障子が並ぶ景色を見ていたからか、ドアノブがあるだけで違和感を覚えてしまう。

「部屋はいつも完璧にしてるんですよ! 推し部屋です! ど、どうぞ!」

 通されたのは、バラエティ番組で紹介されるようなオタク部屋だった。壁一面に私のポスターやブロマイドが飾られている。本棚にはCDと、雑誌が所狭しと並べられていた。余ったスペースにはアクリルスタンドが並んでいる。たまに初回限定版、A版、B版が未開封の状態で並んでいた。

「もしかして、観賞用と聴く用でわけてる?」

「そのとーりです!あかりちゃんがどこにいても推しますけど、自担がグループに入ってたりすると、こういう時大変そうだなって思いますよ。観賞用といえど、推しがセンターにいないのは寂しいので」

 グループを組んでいるアイドルは人数が多い分、どうしても写真を撮るとき目立たない人間が出てくる。たいてい人気があったり事務所が一押しの子が正面……センターの位置で映るけれど、グループ内で人気がわりと同じだったり、全員をプッシュしてるグループは、この子がセンターのA版、あの子がセンターのB版という売り方もしている。

 でも、うちの事務所は、私がソロであることからも場所を変えずに表情やポージング、雰囲気だけ……Aはかわいい系で、Bは大人っぽいとかでバリエーションをつけたりして、とにかく枚数を買ってもらう戦略だ。

「でも、揃えるの大変じゃない? 同い年……くらいだよね?」

 縁川天晴は、だいたい私と同い年か、年下あたりだろう。そう思って言ったけれど、「一歳年上ですよ!」と、距離を縮めてきた。

「じゃあ、高校三年生? 受験じゃないの……?」

「まぁ。受験もありますけど、卒業できるかすら微妙で。だから心の隙間を 埋めてもらってて。それに、推しにお布施出来るのって超最高じゃないですか? 俺の何かが、関わってると思うとそれだけで最高ですよ。新曲出るたびに、ヤッター! って思います」

 その笑顔に、きゅっと胸が切なくなった。

 私はソロだけど、同じ新曲でもプロモーションビデオのバージョン違いで売ったりとか、初回限定版では動画をつけたりと、とにかくいっぱい特典をつけることで売っていた。

 音楽性も大事だし、CDは音楽で勝負すべきだとは思うけど、発売した週のランキングに乗らないと次のCDが出せないし、売れないとライブ会場も借りれなくなる。

 儲かる儲からないじゃなく、皆の前に出る機会が消えるのだ。だけど、好きな曲じゃないのに無理やり買ってもらうわけにもいかないし、映画のブルーレイとか小説とかも同じようなシステムになっているらしいから、皆同じように戦っていると言われればそれまでだ。

 いいお知らせはしたいけど、負担に思ってしまう人もいるかもしれない。沢山買ってもらえるのは嬉しいけど、大丈夫かなと不安になる。でも番宣はあるし、何人ものスタッフの人が関わって、CDは出来てる。宣伝はつきものだし、私が宣伝しなきゃいけない。

 だから私は、見えない人の頑張りを、時間を代表していた。なのに。

 一瞬にして、燃えて灰になった。

「あかりちゃん?」

「……ありがとう」

 第一声に迷った末に出てきたのは、この世界で何百回と繰り返されていそうな、月並みとしかいえない言葉だった。

「こんな、並べて。学校の人とかその、遊びに来るときとかどうしてるの?」

「普通にいれますよ! 友達がいたら!」

「いたらって?」

「ネットは他担の友達とか……いるんですけど、学校は……推し活で忙しくて、あんまり」

 卒業できるか不安というのは、学力の意味合いじゃなかったのか。だとすると、思い当たる理由は──、

「不登校……?」

「いくらあかりちゃんでも直球すぎますよ。傷つきます。たまに、たまには行きますよ。あ、明日とか行きますし」

 縁川天晴は心臓を押さえて、さすって見せる。不登校、言われてなるほどとも思ってしまった。彼は、なんというか浮世離れというか、制服を着て学校に通っているのがイメージしづらい。