返事をする前に、「親が車で迎えに来るはずなんで!」と彼はそのまま私を引っ張りだした。
「いや……な、ど、どうして……?」
「だって肝試しで怨霊が出てくる病院とかあるじゃないですか。危ないですよ」
「危ないもなにも死んでるから……」
「まだ生きてます! 国宝をそんな病院に野ざらしになんてできません。意識が戻るまで、保護させてください」
「国宝って……」
「とにかく一緒に来てください!」
彼はぐんぐん私の腕を引いていく。
かと思えば立ち止まって、ぐるりとこちらに振り向いた。
「僕、縁川天晴っていいます! 天晴って呼んでくれませんか?」
「縁川さん……?」
「ありがとうございます!」
注文とは異なるのに、彼は笑みを浮かべる。腕を掴んでくる力は、色白で線が細いわりに確かな力だった。
縁川天晴の言う通り、病院の駐車場には彼とそっくりな男の人が立っていた。
助手席の扉が開いたのに、彼は私の腕を掴みながら素知らぬ顔でうしろの座席乗り込むと、そっけなく彼の父と話をして、車は発進した。
それからというもの、会話はない。
小学校のころ、明るい性格の男子生徒が授業参観で静かになる様子を見たことがあるけれど、それかもしれない。
あれほど饒舌に話をしていた縁川天晴《えんがわあまはる》は、ただ私の手を掴み、ネットで私が転落したとされているニュースを見ている。画面に映りこんだ「炎上」の二文字を見て、私は反対側の車窓へ振り向いた。
知り合ったとはいえど他人に連れられ、さらに知らない車に乗り込む。生きていたらありえない。
両親の車に乗ったことだって、数える程度しかない。
仕事では基本的に車移動だったけど、マネージャーの運転するワゴン車だったし、「乗る」というより運んでもらうことに近かった。
こうして車に乗った時は、私の身体がすり抜けて車だけ過ぎ去るんじゃないかとも思ったけれど、縁川天晴に腕を掴まれているからか、今もこうして彼と揺られている。
車窓を見る限り、家は都心から離れたところにあるらしい。高層ビルやマンション、飲食店が立ち並ぶ通りを抜け、次第に木々が風に揺れる光景が増えてきた。
景色が見慣れないものに変貌していくたび、降り積もるような息苦しさが募る。
どうしてついてきてしまったんだろう。
考えると同時に、病室から逃げたかったのだと思い至る。
病院に留まることは、私の身体を前にする人々を見なくてはいけないということだ。それから逃げた。死にぞこなっているくせに。
一番恐ろしいのは、私の意識が戻ることだ。
それだけが怖い。生きて戻って、死に直すことが出来るか分からない。
私の意識があの身体へ戻っても、目を覚ましてそのまま死ぬことが出来るか分からない。意識だけ身体に宿り、動かせないままかもしれない。
救急車に運ばれる間、お医者さんや看護師さんが懸命に治療してくれたのは分かるけれど、それでも死にたかった。
死ぬべきだった。
炎上は続いている。私を叩く声だって、死ねてないのだから納まるはずがない。
「もうすぐ到着ですよ!」
縁川天晴がこっそり声をかけてくる。
夢に、自殺に──唯一無二の、私の居場所。
私はいつも、あともう少しのところで目的地にたどり着けない。
●●●
いくつか遠くに山々が見えてきた頃、車はゆっくりと速度を落としていった。やがて車のドアが開かれて、私は促されるまま外に出た。
電灯に照らされた真っ赤な鳥居に、堂々とした木造りの社。石畳がすっと並ぶ先には枯山水が広がり、その周りは竹藪が茂っていた。そして隣には、黒い長方形の群れが並んでいる。墓地だ。
どこからどう見ても、ここは──、
「うち、お寺なんだ。だからだと思う。あかりちゃんが見えるの」
淡々とした声音で囁かれ、さっと前へ飛びのく。さっきまで私が立っていた真後ろに、縁川天晴がいた。
「び、びっくりした……」
「でもほら、俺しか見えないわけだし……」
「耳元で言う必要はなかった」
「でも……小さい声がいいかと」
縁川天晴は納得いかない様子だけど、さっき完全に二の腕同士がぶつかっていた。
そんな至近距離は、アイドル同士でしかしない。ファンに嫌な思いをさせてはいけないし、疑われる行動をとってはいけないと、ただでさえ異性には極力近づかないようにしていたのだ。
「一人で何ぶつぶつ言ってるんだ。車戻してくるから、先帰ってなさい」
彼のお父さんは首を傾げる。
困った様子で縁川天晴《えんがわあまはる》は私を見た。ばつが悪くなり、「ごめん」と友達相手のような謝罪が口をつく。
やがてお父さんは車を運転してお寺の裏、茂みの奥へと入っていく。お寺の裏に駐車場があるのだろう。
「家こっちなんだ。お寺の横。ほら」
縁川天晴が指さす先には、一軒家があった。彼はそこへ向かってゆっくり歩いていく。歩幅が小さくて、のんびりした足取りだ。
手ぶらで歩くなんて何年ぶりだろう。
出演するドラマの台本を読むだけじゃなく、原作があればそれをチェックするのももちろんだけど、SNSでファンの評判をチェックして次に生かしたりとか、事務所の人と連絡を取ったりとか……行儀が悪いけどスマホは手放せなかった。
ただ車に乗っただけなのも、久しぶりだ。
大体雑誌の取材をしたり、ファンクラブ限定の日記を考えたり……誰かが傷ついたり迷惑がかかる表現はないように何度も見直して、使ってる言葉に差別用語とかが無いよう何度も確認したり。お店のことを書くなら、そのお店の人や通っている人にデメリットが生まれないように。
あとはちゃんとファンの人が楽しんでもらえるよう、お金を払って見ようとしてくれてるんだからと沢山書いて文字数がオーバーになってしまって、削る作業を一番していた。
そこまで考えて、自分がまだアイドルであるかのような思考をしていたことに気付く。掌に爪を立てて、考えを改めた。
「……隣にある平屋は?」
「お父さんのお弟子さんが寝泊まりしてるんだ。俺もお兄ちゃんもお寺継がないからさ、あそこで寝てる誰かが、このお寺継ぐんですよ」
家がお寺で居住区が墓地に囲まれている。
初めて彼と出会ったとき線香の匂いが強かったから、幽霊だと誤解したのか。これだけ墓が並んでいたら、嫌でも線香の香りなんてつくだろうに。
「お寺、継がないんだ」
「はい! 僕は一生をかけて、あかりちゃんを推していきますから! 住職もいいですけど、俺が心も身も捧げるのはあかりちゃんなので」
宣言しながら拳を上へと突き上げる縁川天晴をちらりと見てから、私は一軒家を見据える。車に乗っていたときは見えなかったけれど、霧雨が降っていたらしい。石畳は微かに濡れ、一軒家の光を反射していた。
「推しが実家に来てくれるなんて感動ですよ。俺しか見えないの勿体ないっ!」
ぴょんぴょん跳ねながら、海外のアニメ映画みたいな動きで彼は引き戸を開く。ガラガラと音を立てて現れたのは、時代劇で武将とかが暮らしているような玄関だった。
靴箱の上には木彫りの置物があった。仏像だろうけど、詳しくないからどういうものかは分からない。
確か、色々厄除けとか、それぞれ意味があるらしいけど……。
「聖観音って言います。かんのんって響き、いいですよね。かのんって感じで、2ndシングルを思って僕は拝んでますよ」
ニタァ……と音が出てきそうな言葉に、罰当たりという言葉が思い浮かぶ。
「僕の部屋はこっちですよ。あっ手洗わないと、手洗いうがいっ!」