小学校も卒業の時がせまっていた。
僕は、あと何日くらいこの昇降口をくぐるのかなあ……、なんて考えながら、靴から上履きに履き替えた。
「おっす、しょうへいおはよ!」
「おお、こうたか」
「あさ、でっかいキリギリスいたぜ。たぶんクビキリギス。成虫で越冬するんだよなあれ」
「ああ、だからこの時期にせいちゅうなんだな」
「そう」
こうたは昆虫に詳しい。すごく熱中していて、割とほかの男子も詳しいクワガタやカブトムシ以外の知識もすごいある。
僕は、そんなに詳しいことはない。
何かにすごく詳しくなりたい気もするけど。
そうなるとしてもいつなのかって感じ。
今日は月曜で、一時間目から学活の時間だ。
しっかり者の学級委員の女子が黒板に今日話し合うことを書く。
今日話し合うことは……「卒業記念の作品について」らしい。
卒業記念の作品かあ。卒業記念の作品って、クラス全員で何かを作るってことだ。
まずは何を作るかを話し合いで決めるってところだろう。
「まず、何を作るか決めたいと思います。何か案のある人はいますか?」
予想通り学級委員がそう言った。
そして、すぐに一人の手が上がる。
クラスの中心人物的な男子だ。
僕とはあまり親しくはないけど、いいやつだとは思う。あと、授業の発言とかも含め、結構積極的にするイメージ。
その男子は当てられると言った。
「下駄箱でピタゴラスイッチを作りたいです」
下駄箱でピタゴラスイッチ? なんか謎だなと思っていると、その男子は説明を始めた。
「僕たちが使った下駄箱はかなり前から使われていてボロボロで、来年はもうかえるそうです。なので、その捨てられるはずの下駄箱を改造して、巨大ピタゴラスイッチを作るというのはどうかなと思いました」
僕は聞いていてなるほどと思った。
つまりは、僕たちが使った思い出の下駄箱を巨大ピタゴラスイッチにして、残そうということだ。
まあ楽しそうではあると思うけど。
でも、ちゃんとみんなは、認識しているのだろうか。
まだ一度もあの下駄箱を使っていない人が、このクラスにいるということを。
結局、卒業記念の作品は、下駄箱のピタゴラスイッチに決まった。
僕はランドセルを背負って教室を出て、1か月後にピタゴラスイッチになることが決定した下駄箱に上履きを入れた。
靴を履き、急ぎ目で図書館に向かう。
別に本が好きなわけではないし、勉強好きなわけでもない。
ただ図書館の三階のドアから出れるテラスに、今日もきっといるのだ。
まだ、下駄箱を使ったことのない、一人の女の子が。
☆ 〇 ☆
その女の子と出会ったのは、冬休みの宿題を終わらせに、図書館に行った時だった。
とても寒い日だったのに、外のテラスで本を読んでいて、すげーなあの女の子って思って見てた。
そしたら、目が合ってしまった。
それで、思い出した。
この女の子、一度だけ学校に来たことがあるって。
そう、確か社会科見学の日。
まさかの社会科見学の日に転校生がく来るってことが広まり、みんな二重にテンションが高かった。
その日は教室ではなく校庭に集合で、そのまま学校の前に止まったバスに乗り込む流れだった。
そして、校庭に姿を見せた見慣れない女の子。
みんなが転校生だと分かった。
しかし、その女の子は、ものすごいはやさでUターンをして、そのまま帰った。
そして、それからずっと学校を休みっぱなしだった。半年くらい。
僕はどうしようと思った。
けど、なんとなく、手を振ってみた。一応クラスメイトだし。
そしたら、手を少し向こうが振った。
なんのためにこのやり取りをしたのだろう。
よくわからないけど、せっかくお互いに認識したのだから、まあ向こうは僕のことクラスメイトだとはわかってないだろうけど、話しかけてみようかな。
そう思った。
だから、テラスに出てみた。
いや、寒すぎ。
「さ、さむくね?」
僕はとりあえずでかい声でそう言った。
女の子はうなずいた。
「あの……どうしてここで本読んでるの?」
「……ここにいつも居たから、くせ。いつの間にか寒くなってた」
「ああ……定位置だったんだな」
なんとなくわかる。
小五まで僕は野球をやっていた。
その野球の時、荷物を置く場所も休憩の時にグラウンドに座る場所もいつも一緒。
なんか固定になって、そこに泥があっても、まあここでいっかってなる。
それと似た感じかも。
それに、結構図書館の中は混雑してるし、意外とこっちのほうが落ち着くかもな。
僕は女の子が読んでいる本を見てみた。
知ってる本でしかもめっちゃ好きなシリーズ。
だからすぐに、
「その本ぼくも好き」
そう口が動いた。
すると、女の子は、
「うん」
そう小さく言って、ベンチの端に目をやった。
そっちには、ノートがあった。勉強のノートか? そう思ったけど、タイトルとか名前とか書いてない。
普通だったら「社会 〇〇 〇〇」と書いたりする気がするけど。
もしかして……僕と一緒なのではないだろうか。
どう一緒かと言えば、まあ……こっそりと、人に言えない趣味を持ってるってことだ。
でも、そのノートが何のノートなのかはさすがに聞きづらかった。
女の子が口を開いた。
「もしかして、同じクラス?」
「あれ、知ってるの?」
僕が女の子のことを知っているのは、転校生として、女の子が注目されていたからだ。あの社会科見学の日に。
けど、女の子から見たら、僕たちはただの人の集団だったわけで、だからどうして僕を見てクラスメイトだってわかったんだろう? って思う。
「うん。なんか、地面見てた」
「あ、ああ……」
僕は確かに、転校生の女の子に気づく前まで、地面を見てしまっていた。
足元にあるのは小さな花だ。
どうして花を見ていたのかと言えば、僕は花が好きだからだ。
男子だと珍しいと思うけど、道端に生えている、いわゆる雑草の扱いの花が好き。
そんな花を見るのが、僕の隠している趣味だった。
でも、この女の子には、地面を見てることはばれてるんだよな。
大体十分の一くらいばれたってところだろうか。
正直まだ全部ばれる気は全然しない。
けど、なぜか、全部ばれてもいいかもしれないと思った。
もしかしたら、僕のことを教えれば、女の子も何か教えてくれるかもって思ったのかもしれない。ありがちな考え方な気がするけど。
「あれは、花を見てたんだ」
「……お花?」
「そう、お花」
僕が丁寧な言い方で言いなおすと、女の子が面白そうに笑った。
「だったら、これ見てよ」
女の子は、いきなりノートを広げて見せてきた。
え? という感じだった。
それくらいいきなり。
だけど、ノートを見てみれば、そのいきなりすぎたことによる驚きは、飛んで行った。
ノートには、花の絵が描かれていた。
「わたしね、お花の絵描くのが好きなの」
「あ、そうなんだ。すげーうまいね」
「ほんと……? ありがとう」
実際うまかった。
それに、描かれている花が、雑草の扱いの花だった。
僕と、花の好みが合う気がした。
「名前……なんていうか聞いてもいい?」
仲良くなりたいと自然に思えた。何も考えていない無邪気な時代に戻ったみたいに自然だった。
「私は、こやま みはな」
「そうなんだ、僕はなしろ しょうへい」
僕と女の子は、お互いの名前を知った。
✰ 〇 ✰
そうして、僕とみはなは、図書館で時々会うようになった。 約束しているわけでもないし、なんとなく行って話すだけ。 だから親しい友達みたいになってるかといえば怪しいんだだけど。
……それでも、今日は何としてもみはなに会いたかった。 なんとなく納得がいかない。 みんながみんな下駄箱に思い出があるってわけじゃないってことを忘れてる。 このままみはなが学校に来ないまんまで、他のみんなで下駄箱ピタゴラスイッチを作って満足して、そして卒業だと、やっぱりダメだと思う。
僕は図書館にはいって、階段を急ぎめに登った。 じゅうたん記事なので、勢いよく上がっても足音がしない。 勉強しにきたと思われる高校生の集団の横をぬかしてさらに上にいくと……今日もいた。 僕は外へと出るドアを開けた。 まだ少しだけ寒い。
「あ、学校終わったの? しょうへいくん」
「終わった」
「うん」
今日はみはなは植物図鑑を読んでいた。植物図鑑は植物図鑑でも、写真があるタイプではなく、絵と手書き調の説明文がある、絵本のような雰囲気の図鑑だ。
「あ、あの、今日決まったことなんだけど」
「うん、なあに?」
「卒業制作難にしようかっていう話し合いがあってさ」
「ああ……卒業制作……」
みはなは少しぼんやりめに返事をした。
「それで、もう僕たちの代で捨てられる下駄箱でピタゴラスイッチを作ろうって決まったんだ」
「なるほど。面白そうだね」
「面白いとは思う。けど……」
けどなんだろう。なんというか、そもそもみはなは学校に行きたいと思ってないから。
続きがない。
だって、納得いってないのは自分だけかもしれないし。
だからいったんこの話は終わりにしようと思った。
だから別の話をしようと考えていたけど。
「しょうへいくんって、学校ではどんな感じなの?」
そう、みはなが訊いてきた。
「……たぶん普通かなあ。ドッジボールしたり、サッカーしたり、雨の時は、トランプしたり。授業は発言はあんましないな」
「そうなんだ」
みはなはうなずいた。
みはなはどうして学校に行きたくないという気持ちなんだろう。
知りたいけど、聞くのは失礼だと思った。
結局、その日はそれからは、図鑑に載ってる花の話を時々してすごして、図書館の入り口で別れた。
みはながどうして学校に来たいと思わないのか。いや、来たくないと思っているのか。
それは、やっぱりわからない。
けど、僕は、とにかく、みはな抜きで、みはなの気持ち抜きで、卒業制作を作って完成したねやったねばんざいっていうのは嫌だった。
なんでそんなみはなだけ、仲間外れみたいにならないといけないのか。
みんな、みはなのことを忘れてるか、意識してないかの状態だ。
うーん。どうすれば……。
「めっちゃ考えごとしてんじゃん?」
今は休み時間。こうたが話しかけてきた。
「まあな」
「なんか最近やたら落ち着いた雰囲気になってんな、中学生になってキャラ変でもしようとしてるのかしょうへい」
「いや別に。小学生の時のまんまで行くけど。別に中学生になったって大人になるわけじゃないだろ」
「そうだな」
チャイムが鳴る。このチャイムの音も、みはなはまだ聞いたことがないのかも。きっとない。
放課後になった。
僕はサッカーをせずに、一人で裏門から帰ろうとしていた。
やっぱり行き先は図書館のつもり。
みはなはいるかは知らない。
裏門に向かいながら僕は考えていた。
そうだ。
僕は裏門の脇の草原を見て思いついた。
きっとこれなら、何かしら、今よりは進むはず。
今日も図書館にみはなはいた。
「みはな、すごいよ」
「何が?」
「学校の裏門のところに、ピンクのオオイヌノフグリが生えてた」
「ピンク? 普通は青だよね」
「そう。だから普通じゃないんだ」
「すごいね」
「……あのさ、よかったら、一緒に見に行かない?」
「……うん」
まじか。あっさりうんって言われた。
けど、嘘なんだよな。しかも学校に一緒に行って裏門のところまで行った時点で、すぐにバレる。
今考えれば、僕はみはなを学校に連れて行って何がしたいんだろう?
けど言ってしまったからにはもう、戻れない。
あれから三日経った日が今日。
今日はみはなと図書館の前で待ち合わせていた。
そのまま二人で放課後の学校にこっそり忍び込む作戦だ。
というか作戦になってしまった。
嘘だった知ったら怒るかもしれない。もう言ってしまった方がいい気がする。
そんなことを考えて悩んでいると、向こうからみはなが歩いてきた。
みはなが図書館外から来て出会うというのは初めてだった。
「しょうへいくん、こんにちは」
「こ、こんにちは。行こうぜ、ピンクのオオイヌノフグリを探しに」
「それは、いいの」
「え?」
「だって、嘘なんでしょ」
「……」
バレていた。
じゃあなんで嘘だって知っていたのに今日待ち合わせ場所に来たんだ? なんで怒っていないんだ?
僕が申し訳ない気持ちになりながら困惑していると、みはながまた口を開いた。
「嘘いいの、私を学校に連れて行ってほしいなって思って。私が今まで出会った、一番優しい嘘だなあって思うよ」
「……ごめん」
みはなの方が優しい。
僕は心の中でそうつぶやいて、そして、みはなと学校の方へと歩き出した。
みはなはあたりをキョロキョロしていた。
多くの人にとっては通学路とかぶっているこの道だけど、みはなにとっては、きっと三回目くらいなんだろう。
歩き慣れた道を行くと、大きな門が遠くに見えてきた。あの門は正門。
僕たちは裏門から入るために、そっちは行かずに、校舎の裏に行くために右に曲がった。
裏門から見た学校は、なんかマンガとかで見るような真ん中に時計がついているような学校ではない。
畑と草原と、花壇。
そしてその向こうに、二階の職員室の前につながる階段と出入り口。
ここから先生や、偉い人が出入りしている。
もう四時も過ぎているので、あたりに生徒は誰もいなかった。
先生はきっと職員室かどこかで仕事をしているんだろう。
僕とみはなはとりあえず裏門を少しだけ開けて学校の中に入った。
「ふー」
みはなは小さいけど長めのため息をついた。
なんか緊張しているみたいだ。
「下駄箱、行ってみる?」
「……うん」
みはなはうなずいた。
「これが……いつもしょうへいくんたちが使ってる、下駄箱?」
「そうだよ」
「たしかに、ぼろい」
「うん」
みはなはあいうえお順になっている下駄箱を順に目で追って行って、そして自分の下駄箱を見つけた。
「私のところも十分汚いね」
「今まで使った人もいるしね」
「でもやっぱりよく見ると、掃除したあとそのまんまって感じだね」
「うーん、そうかも」
僕は自分の下駄箱と、みはなの下駄箱を比べてみた。
たしかに、みはなのは綺麗さがある。
「よごしてみちゃ、だめかな?」
「まあ、いいかも。でも、このままでも別に悪いってことはないじゃん。無理してみんなと同じにする必要はないよ」
「うん……ありがとう」
みはながお礼を言った。なんに対するお礼ががあんまりわかんなかったけど。
それから、僕とみはなは、さらに校舎の中に入った。
とりあえず、3階の教室まで行ってみる。
「ここが、六年一組だよ」
「うん……あの、机に何も入ってない席が、私の席?」
「あれは……違うな。単に机の中を綺麗さっぱりにしてる人の机。すごいしっかり者なんだ」
「そうなんだ……」
「みはなの机はね……」
僕はみはなの机に目をやった。
多分みはなの机にも何も入ってない……といいたいところだけれど。
中に何か入ってる。
「みはなの机の中に何かある」
「え」
みはなが驚いた顔をした。
僕とみはなは教室の中に静かに入って、それを確かめることにした。
なんか……大きな封筒。
それを僕はみはなに渡した。
「開けてみてもいいんじゃない?」
実は僕はその中身を知っている。クラス全員で書いた、寄せ書きみたいなものだ。
2日前に寄せ書きを書くことを提案したのは僕ではなくてこうた。
しかもいつ見てたのか知らないけど、僕とみはなが会ってるのを知ってるっぽくて、みはなをここに連れてくる人に、僕を推薦してきた。
みはなが封筒を開けた。
はっとしていた。手が震えていた。
僕はてきとうににくじを引くみたいにして一枚だけ取り出して、みはなに見せた。
クラスの誰かが、みはなに宛てて書いた手紙。
みはなはそれを読んでいた。
みはなの怯えていたような目は、少しずつ、丸くなっていった。
✰ 〇 ✰
私は、絶対転校した先でお友達ができる自信がなかった。
だってみんなもう仲良しなんでしょ。
むりだよ。私が入ったら、邪魔じゃん。
前の学校でもひとりぼっちだった私は、そう思うしかなかった。
たまに話しかけてくる人も、なんかちょっかい出すだけ。
馬鹿にしたりしてくる。
例えば、私がよく観察して、頑張って描いた絵とか。
お花の絵、雑草だけどちゃんとお花の絵。
その絵を馬鹿にする人とかにしか話しかけられない。
だから私は……学校が好きではなかったけど、でも前の学校にはたくさんお花があって、裏に原っぱもあって、授業は楽しかったから、私は通っていた。
だけど、新しい学校に行くってなると勇気が出なくて、私は……学校まで来たのに走って帰っちゃって、しかももうそれからこなかった。学校に。
新しい街は図書館がすごくて、だからそこが私の過ごす場所だった。
お花の図鑑もたくさんあるし、一人で落ち着けるところも見つけたし。
だからもう学校はいやだから忘れようって思ってたのに。
出会ったのはクラスメイトの男の子で。
その男の子と話すのが多くなって。
そして今、私はその男の子と二人で学校に来て、そして封筒の中のたくさんのお手紙を見つけた。
そのお手紙には、私に向けて、遊ぼうとか、いつでも来てねとか、こんなお話したいとか、そんなことが色々描いてあって。一人一人ちがくて。
だから私は……泣いちゃった。
いつのまにか、みんなに優しくされて。でもまだやっぱりみんなに会うのは怖くて。でも会ってみたくて。下駄箱に思い出を刻みたくて。
だから私は……男の子、しょうへいくんに言った。
「明日……明日の朝、一緒に学校行ってくれる?」
しょうへいくんはうなずいた。
大きく。
笑って。
そしてなんか安心するような雰囲気で、私の隣で少しだけ、私の肩に触れた。
だから私はそれから、涙はおしまいにして、手紙を読みまくった。
いろんなことが書いてあったけど、全部覚えちゃいそうなくらい読んだ。
私は、そして、それを封筒に戻した。
また明日朝行く前に読もう。
それはきっと、私を少し、ぐいっと、マッサージくらいの心地で、押してくれると思うから。
✰ 〇 ✰
「いったっ、翔平押すなって」
「だから横から押されてんだよ」
別に乗り気じゃないのにテンションがあがる。
卒業式のシンプルな看板の前での写真撮影だ。
これで高校生活もおしまいか。
美花(みはな)を僕は見つめた。
めっちゃ、制服が、綺麗だ。
これが、新しくない綺麗さというものか。
知らないけど。
とにかく僕は美花に身体を預けざるを得ない。制服を乱して申し訳ない。
でもクラスメイト全員で看板の周りに群がってるんだから、しょうがないこと。
高校の卒業式でも、美花はいつものように元気だった。
初めて美花と出会った時は、あんまり元気ってわけではなかったし、初めて美花と経験した卒業式は、まだ大人しい美花が、頑張ってる感じだった。
今は頑張ってる感じはない。
すっごい明るいタイプだったんだな、美花って。
別に明るいタイプがいいとかは全くないけど、美花らしい感じが出ているのは、とても素敵だと思った。
下駄箱のピタゴラスイッチ。
懐かしい。
小学校の時の卒業記念の作品だ。
そんな下駄箱のピタゴラスイッチが今どうなったかはわからないけど、高校の卒業記念ならわかる。
正門の真正面の校舎の壁。
そこにタイルのアートが作られている。
そしてそのタイルの一つは僕ので、また別の一つは、美花のだ。
卒業記念って、確かに卒業しても残るのはいいけど、実際卒業した人って、多分あんまり後からは見に行かない。
けど、その時の思い出は、振り返る。
だから僕はあのタイルの卒業記念を見て、下駄箱のピタゴラスイッチを思いだしていた。
下駄箱のピタゴラスイッチの製作には、美花も参加した。
なんかもう、みんながびっくりするくらい思い切って、下駄箱を思う存分に好きに改変していた。
靴を入れて普通に使っている日々は、美花だけ短かったかもしれないけど、結局最終的なインパクトは、みんなと同じだけあったと思う。
そしてそれを通して、美花がみんなと笑っていた。
僕と美花はそれからずっと仲良いままだったけど、話す多さのピークは、過ぎ去っていた。
高三の今は、話すけど、親しいけど、でも、それだけかも。今写真撮影の時に隣にいるのも、たまたま。
……もしかしたら、ちがうかもだけど。
卒業だし。僕は下駄箱のピタゴラスイッチを思い出して、それで今、美花のことを考えてるし。
写真を撮る保護者とか先生とかが沢山いる。
その人たちが満足したら、人の群がりは、なくなっていく。
僕と美花も、離れた。
いや、離れなかった。
美花が少し、僕を掴んだ。
「ねえ、今日一緒に帰らない?」
そしてそう言われた。
隣の美花はゆっくりと歩いていた。
だいたい、小学生が歩くくらいの速さな気がした。
だから一緒に歩いている僕も、小学生くらいの速さになった。
「なんか、変わったなあ、翔平」
「美花の方が変わってるよ、うん。絶対そう」
「そうなの?」
「うん」
僕は根拠のないうなずきをした。
僕も美花も、少しずつ変わってて、そしてなんだかんだでずっと関係をつないできたから。
どっちがどれだけ変わったかなんて、わかんない。
けど、下駄箱のピタゴラスイッチを思い出した時に、あの時と比べてとても変わってて、だけどいい方向とか悪い方とか、軸における正方向とかはなくて。
今方向が決まってるのは歩く方向のみ。
僕と美花が出会った図書館がよく見える、崖の上に向かっていた。
お互い何か話し合って決めたわけじゃないけど、僕は向かってるし、美花も向かってる。
そしてそれから崖についた。
この辺の人ならみんな知ってる場所だけど、今は二人だけだった。
「図書館……なんか少しだけ古びてるかも」
「たしかに」
美花の感想に、僕は同意した。
ふと足元を見れば。
オオイヌノフグリが咲いていた。
「ピンクじゃないね」
美花が言った。
「ピンクじゃないな」
僕は答えた。
「私……ピンクのオオイヌノフグリなんて、ないよね」
「うん」
「ないからさ……ないから、ないからっ……私、翔平が、好きなの」
「…………ありがと」
「……」
「僕も……好き」
美花の目は、あの手紙を見た時とも違った大きくなり方をした。
「私、変わったけどね、でも、ずっと翔平も変わっててね、その間、ずっと好きだった」
「うん、僕もそうなんだ」
でも……僕には言う勇気は出なくて。
言ってもらっちゃった。
紙じゃないけど、一番欲しかったお手紙をもらっちゃった。
「あの……僕、実はさ」
「なあに?」
「あの卒業記念のタイルの裏にさ、美花の名前を書いてた」
「えっ」
「なんか……チキンでごめん」
「あ、いやあの、私も書いた!」
「え」
美花と僕は笑った。もう爆笑なくらい。
また卒業記念の思い出ができた。
そして笑い終わった美花と僕は、卒業証書をもちかえ、手をつないだ。
オオイヌノフグリはピンクなわけないけど、美花も僕もピンクだなあ、と思った。