校庭の片隅に、ずっとこの学校を見守ってきた桜の木がある。
グラウンドの端、校舎の横。
正門からは見えなくて、駐輪スペースから昇降口に向かう、その向こうにその木はあった。
私たちが入学した日は、式典にふさわしい日本晴れとはいかなかったが、しとしとと降り続く雨の中で見事に一本、凛と立っていた。
花弁は静かな雨に打たれ、それに紛れてそっと地面へと落ちる。
花弁の落ちることも厭わず、花は咲いている。
まるで私たちを祝うかのように。
言い渡された教室へと向かう浮足立った生徒たちが今はもう仲間となった周りの生徒にそわそわしている。
見知った顔を見つけては声をかけるなど、あどけないながらの社交術を見る。
やがて指示された中、教室を出て式典のある体育館へと赴くと、厳かな雰囲気で式は始まった。
式典というのは厳かながら、退屈で苦行である。
これはおそらく、どの年代においても当事者としては共通の認識だろう。
親たちはちょっと感極まってるところも見受けられるけれど。
それを乗り越えるとある種の結束感が生まれなくもないのではないかと思うほどに。
少々長く感じる来賓挨拶や諸先生方の挨拶など定形通りの入学式を終え、緊張から解き放たれた私たち新入生の笑い声が、しとしと降る雨に吸い取られていくのを、その桜は温かく見守っていてくれたように思う。
滞りなく入学式を終え、早々に帰宅をするために正門を出て、母親と歩いていると、前でごそごそと鞄を探っている新入生であろう女の子がいた。
傘を肩で支えているのか、大きく傾いた傘からはポタリと滴が落ちている。
すれ違い際にそっと覗くと鞄から何かを見つけた女の子は、手に式次第を持ち、その顔をほころばせた。
その笑顔は、降り続ける雨に冷やされたものさえも温めてくれるようだった。
歩道のすぐ横はグラウンドで、雨に濡れた誰もいないグラウンドには、遠くから微かに「ファイトー!」と、声が聞こえた気がした。
遠くには、さっきの桜が姿を変えずに立っているのが見えた。