【2】
「ど、どういうことだ……」
翌朝、男はある知らせを受けて狼狽していた。
「ちゃんと私の指示したものを出してくれたのだろう?」
「はい。こちら、あなた様の目の前にございます冷め切ったご馳走の数々。わたくしが食べてしまいたかったくらいです」
家来の少女が淡々とそう言う言葉も、男の耳には届いていない。理解のできない不測の事態に男は膝を折っていた。
そしてある事に気づく。
「もしかして彼女は、昨日からまったく何も口にしていないと言うことか?!」
そうなりますね、と家来の少女が首肯する。
男は驚愕し、慌てて家来の少女に指示をした。
「水差しだけでいい、今から持っていってくれ。そして彼女の目の前で君が飲んで見せてほしい。何か人間の体によくない物が入っていると思われているのかも知れない!」
そう言いつつ急いで部屋を出て行く男に、
「どこに行かれるのです?」
と家来の少女がたずねる。
「亡き父上の書物庫だ」
それから男はしばらく書物庫で熱心に何かの本を探したあと、数冊持って厨房に駆け込んだ。
この城で料理を担当する召使の魔物たちが「魔王様、我々がやりますので……!」と止める中、「私にやらせてほしい」と言い張り、なんとか厨房に独りきりになったのだった。
張り切って両腕をまくり、食材庫で材料をあさる。
「えーっと、これが……米? この本に書いてある『炊く』ってなんだろう?」
柱の陰や扉の隙間からこっそりと、家来と召使たちが不安げな眼差しを送っている。
「人間も食べている食材はどれか……。これも違う……これも違う……。えっ、人間はネズミの尻尾食べないのかぁ。おいしいのにもったいないなぁ」
ひとりごちながら一生懸命、手元の人間用の料理本と見比べ、野菜や果物、凍らせた生肉を手にとっては探っていく。
仮にもこの男は〝魔王〟だ。今まで料理などしたことはない。
それでも、何も食べることの出来ていない女のため、自分が責任を持って料理することにしたのだった。
「私のせいで故郷からいきなり引き離されたのだ、さぞ寂しかろう。食事くらいいつも人間が食べているものを出してやるべきだったのだ……」
自分の配慮の至らなさを悔やみつつ、男は必死にあらゆるものと格闘していた。
指先一つ動かすだけで何であろうと均一に切り分けられるけれど、人間のやる方法で作ってやりたいと慣れない包丁をにぎり、ミスに鈍い悲鳴を上げながら下ごしらえをしていく。
また、指を鳴らすだけで幾らでも炎なんて起こせるけれど、それも「何か違う」と思い自分で火を焚いた。勿論、ヤケドするわ食材を焦がすわで効率は非常に悪かった。
指に増える怪我。服を汚して格闘する男。見守る召使たちは気が気ではない。
自分たちの管理する場所が盛大に汚されて散らかされていくことに対してなどではない。主人が一生懸命に頑張っていることが心配なのだ。
「双子竜様、魔王様は……」
その先の言葉を濁すしかない召使たち。それでも家来の双子竜たちは召使らが何を言いたいのか、何を心配しているのかが分かっていた。
「魔王様はこういうお方だから、わたくしたちが止めても無駄でしょう……」
「今は、魔王様がやりたいと思うことを応援するしかないと、僕も思います」
家来の少年が発する〝今は〟という言葉には、〝いずれ気づいてしまうであろう何か〟を包含するような切ない響きがあった。
しばらく、というにはあまりに長い間格闘したあと、疲弊しきった男が召使たちの前に一皿の料理を差し出してきた。
「あ、味を見てくれないか?」
料理本に「味見は絶対にしましょう!」と書いてあるのだが、人間と味覚が違い過ぎて魔族の自分の舌が全く参考にならなかったのだ。
しかし、それは魔物たちだって同じこと。代表してスプーンを取った二足歩行をする獣型の召使たちは、一口食べて首をかしげる。
「我々には少し、味が薄いように感じますが……」
「もう少し鉄分の臭みがほしいですね。コウモリの血でも加えたらいかがでしょうか」
そう口々にアドバイスをくれるのだが、男は戸惑ってしまう。
「人間はどうやらコウモリの血は飲まないらしいんだ。人間用の料理本に記載してある通りの材料とやり方でやってみたのだが、やはりまた失敗だろうか……」
悲しげに眉尻を下げる主を見て、家来の少女は厨房に立ち入った。
「あ、まだ火がついてるから危ないよ」
自分は幼い人間の少女の姿に擬態しているだけの竜の魔物だというのに、自然とそんな言葉をかけてくる変わり者の主人に呆れながら、火にかけられた鍋を見た。
辺りには色んな食材のかけらや調理道具が散らかっていて、主人が一人でどれだけ頑張っていたのかが分かる。
家来の少女はそれらを見回してからこう告げた。
「魔王様、これを皿によそってくださいまし。わたくしが女の部屋に持っていきますゆえ」
「でも」
「……わたくしたちには人間の料理のおいしさやまずさなどはよく分かりませんが、魔王様が愛情を持って作られたことだけはよく分かります」
家来の少女はいつも通り淡々と喋っているのだが、それゆえ変に慰めるような嘘には感じられなかった。
「もし女がこれを食べないと言うのなら、わたくしが無理にでも口に押し込んできます」
無理にはしないでくれ、と言いつつも、男は同意してくれる召使たちに嬉しそうな笑顔を見せて、一皿の料理をようやく完成させた。
家来の少女が女の部屋の扉を叩く。返事はないが、しばらく待ってからそのまま入った。
「お食事でございます」
先ほど水差しを運んだ際、目の前で水を飲んでみせ「わたくしが飲んだくらいでは証明にならないかもしれませんが、まずいものは何も入っておりませぬ」と軽いやりとりをした。
だからか女は幾分か家来の少女に気を許しているように見える。実際は家来の少女は人間の少女ではないが、同性同士と思っている気持ちもあるのだろう。
「人間の食べる食材を、人間の方法で料理したものです」
目の前に出された料理を、女はじっと見つめていた。
香り立つそれは女の知る〝いつものご飯〟そのものだった。しかし昨晩、直視するのもためらわれるようなあんな信じられない料理を出してきた者たちだ。何が入っているのか分からない。怖い。
それでも、女の手はゆっくりスプーンに伸びた。
どんな感覚よりも恐怖が勝っているとはいえ、あまりにも空腹が過ぎていた。
それに、この料理ならなんとなく大丈夫なような気がしたのだ。空腹すぎて都合のよい解釈をしているのかもしれないけれど、見た目や香りはいつものそれと相違なく感じられた。
スプーンの先にほんの少しだけすくって、恐々口に運ぶ。最初は思わず強く目をつぶってしまったが、すぐにそれが自分に問題のない食事であることが分かった。
もう一口、遠慮がちにではあるが、今度は少し多めにすくって口に運ぶ。
口に広がる懐かしい人間の味に、女の目から自然と大粒の涙がボタボタこぼれた。
「……お口に合いませんでしたか?」
目の前に立つ家来の少女がたずねるも、女は何も言わず首を横に振る。
女は何かを説明する代わりに、もう一度料理を一口食べてみせた。
どうやら口に合わなかったわけではないのだと理解した家来の少女は、ほっとして小さく息をついた。
無表情な見た目で分かりづらいが、彼女なりに繊細な主人のことを心配しているのだ。主人が心を込めて作ったものが受け入れられて、心底安心したようだった。
「味や食材に注文があればなんでも言ってくださいまし」
家来の少女の言葉に、女はじっと何か訊きたげな視線を送る。
「ああ、わたくしが作っているわけではないんですけれどね。伝えておきますゆえ」
当然のことながら、それは〝あの魔王〟が作ったものだとは言うつもりは絶対になかった。魔王が厨房で悪戦苦闘しながら人間の食事を用意しただなんて、どう考えても格好のつく話ではない。
「ど、どういうことだ……」
翌朝、男はある知らせを受けて狼狽していた。
「ちゃんと私の指示したものを出してくれたのだろう?」
「はい。こちら、あなた様の目の前にございます冷め切ったご馳走の数々。わたくしが食べてしまいたかったくらいです」
家来の少女が淡々とそう言う言葉も、男の耳には届いていない。理解のできない不測の事態に男は膝を折っていた。
そしてある事に気づく。
「もしかして彼女は、昨日からまったく何も口にしていないと言うことか?!」
そうなりますね、と家来の少女が首肯する。
男は驚愕し、慌てて家来の少女に指示をした。
「水差しだけでいい、今から持っていってくれ。そして彼女の目の前で君が飲んで見せてほしい。何か人間の体によくない物が入っていると思われているのかも知れない!」
そう言いつつ急いで部屋を出て行く男に、
「どこに行かれるのです?」
と家来の少女がたずねる。
「亡き父上の書物庫だ」
それから男はしばらく書物庫で熱心に何かの本を探したあと、数冊持って厨房に駆け込んだ。
この城で料理を担当する召使の魔物たちが「魔王様、我々がやりますので……!」と止める中、「私にやらせてほしい」と言い張り、なんとか厨房に独りきりになったのだった。
張り切って両腕をまくり、食材庫で材料をあさる。
「えーっと、これが……米? この本に書いてある『炊く』ってなんだろう?」
柱の陰や扉の隙間からこっそりと、家来と召使たちが不安げな眼差しを送っている。
「人間も食べている食材はどれか……。これも違う……これも違う……。えっ、人間はネズミの尻尾食べないのかぁ。おいしいのにもったいないなぁ」
ひとりごちながら一生懸命、手元の人間用の料理本と見比べ、野菜や果物、凍らせた生肉を手にとっては探っていく。
仮にもこの男は〝魔王〟だ。今まで料理などしたことはない。
それでも、何も食べることの出来ていない女のため、自分が責任を持って料理することにしたのだった。
「私のせいで故郷からいきなり引き離されたのだ、さぞ寂しかろう。食事くらいいつも人間が食べているものを出してやるべきだったのだ……」
自分の配慮の至らなさを悔やみつつ、男は必死にあらゆるものと格闘していた。
指先一つ動かすだけで何であろうと均一に切り分けられるけれど、人間のやる方法で作ってやりたいと慣れない包丁をにぎり、ミスに鈍い悲鳴を上げながら下ごしらえをしていく。
また、指を鳴らすだけで幾らでも炎なんて起こせるけれど、それも「何か違う」と思い自分で火を焚いた。勿論、ヤケドするわ食材を焦がすわで効率は非常に悪かった。
指に増える怪我。服を汚して格闘する男。見守る召使たちは気が気ではない。
自分たちの管理する場所が盛大に汚されて散らかされていくことに対してなどではない。主人が一生懸命に頑張っていることが心配なのだ。
「双子竜様、魔王様は……」
その先の言葉を濁すしかない召使たち。それでも家来の双子竜たちは召使らが何を言いたいのか、何を心配しているのかが分かっていた。
「魔王様はこういうお方だから、わたくしたちが止めても無駄でしょう……」
「今は、魔王様がやりたいと思うことを応援するしかないと、僕も思います」
家来の少年が発する〝今は〟という言葉には、〝いずれ気づいてしまうであろう何か〟を包含するような切ない響きがあった。
しばらく、というにはあまりに長い間格闘したあと、疲弊しきった男が召使たちの前に一皿の料理を差し出してきた。
「あ、味を見てくれないか?」
料理本に「味見は絶対にしましょう!」と書いてあるのだが、人間と味覚が違い過ぎて魔族の自分の舌が全く参考にならなかったのだ。
しかし、それは魔物たちだって同じこと。代表してスプーンを取った二足歩行をする獣型の召使たちは、一口食べて首をかしげる。
「我々には少し、味が薄いように感じますが……」
「もう少し鉄分の臭みがほしいですね。コウモリの血でも加えたらいかがでしょうか」
そう口々にアドバイスをくれるのだが、男は戸惑ってしまう。
「人間はどうやらコウモリの血は飲まないらしいんだ。人間用の料理本に記載してある通りの材料とやり方でやってみたのだが、やはりまた失敗だろうか……」
悲しげに眉尻を下げる主を見て、家来の少女は厨房に立ち入った。
「あ、まだ火がついてるから危ないよ」
自分は幼い人間の少女の姿に擬態しているだけの竜の魔物だというのに、自然とそんな言葉をかけてくる変わり者の主人に呆れながら、火にかけられた鍋を見た。
辺りには色んな食材のかけらや調理道具が散らかっていて、主人が一人でどれだけ頑張っていたのかが分かる。
家来の少女はそれらを見回してからこう告げた。
「魔王様、これを皿によそってくださいまし。わたくしが女の部屋に持っていきますゆえ」
「でも」
「……わたくしたちには人間の料理のおいしさやまずさなどはよく分かりませんが、魔王様が愛情を持って作られたことだけはよく分かります」
家来の少女はいつも通り淡々と喋っているのだが、それゆえ変に慰めるような嘘には感じられなかった。
「もし女がこれを食べないと言うのなら、わたくしが無理にでも口に押し込んできます」
無理にはしないでくれ、と言いつつも、男は同意してくれる召使たちに嬉しそうな笑顔を見せて、一皿の料理をようやく完成させた。
家来の少女が女の部屋の扉を叩く。返事はないが、しばらく待ってからそのまま入った。
「お食事でございます」
先ほど水差しを運んだ際、目の前で水を飲んでみせ「わたくしが飲んだくらいでは証明にならないかもしれませんが、まずいものは何も入っておりませぬ」と軽いやりとりをした。
だからか女は幾分か家来の少女に気を許しているように見える。実際は家来の少女は人間の少女ではないが、同性同士と思っている気持ちもあるのだろう。
「人間の食べる食材を、人間の方法で料理したものです」
目の前に出された料理を、女はじっと見つめていた。
香り立つそれは女の知る〝いつものご飯〟そのものだった。しかし昨晩、直視するのもためらわれるようなあんな信じられない料理を出してきた者たちだ。何が入っているのか分からない。怖い。
それでも、女の手はゆっくりスプーンに伸びた。
どんな感覚よりも恐怖が勝っているとはいえ、あまりにも空腹が過ぎていた。
それに、この料理ならなんとなく大丈夫なような気がしたのだ。空腹すぎて都合のよい解釈をしているのかもしれないけれど、見た目や香りはいつものそれと相違なく感じられた。
スプーンの先にほんの少しだけすくって、恐々口に運ぶ。最初は思わず強く目をつぶってしまったが、すぐにそれが自分に問題のない食事であることが分かった。
もう一口、遠慮がちにではあるが、今度は少し多めにすくって口に運ぶ。
口に広がる懐かしい人間の味に、女の目から自然と大粒の涙がボタボタこぼれた。
「……お口に合いませんでしたか?」
目の前に立つ家来の少女がたずねるも、女は何も言わず首を横に振る。
女は何かを説明する代わりに、もう一度料理を一口食べてみせた。
どうやら口に合わなかったわけではないのだと理解した家来の少女は、ほっとして小さく息をついた。
無表情な見た目で分かりづらいが、彼女なりに繊細な主人のことを心配しているのだ。主人が心を込めて作ったものが受け入れられて、心底安心したようだった。
「味や食材に注文があればなんでも言ってくださいまし」
家来の少女の言葉に、女はじっと何か訊きたげな視線を送る。
「ああ、わたくしが作っているわけではないんですけれどね。伝えておきますゆえ」
当然のことながら、それは〝あの魔王〟が作ったものだとは言うつもりは絶対になかった。魔王が厨房で悪戦苦闘しながら人間の食事を用意しただなんて、どう考えても格好のつく話ではない。