【1】

 満月が煌々と照らす不気味な古城。

 人を喰らうという獣たちが徘徊する深い森の真ん中にひっそりと、しかし圧倒的までの確かな存在感を持って、その城は立っていた。

 その最上階から、男が高らかに笑う声が響く。

「はーっはっはっはっはっは!」

 全てを得、それでもまだ満足しないとでも言うような強欲さを秘めた笑い。

「ふあーっはっはっはっはっはっ!」

 恐怖は己が感じるものでなく、他人に与えるもの。そう言わんばかりに堂々とした強気な笑い。

「うぅあーっはっはっはっはっはー……」

 城じゅう、森じゅうにこだましていた、自信にあふれた高笑いが不意に消えた。
 そして、城の最上階に座する男は目の前の姿見を覗き込んだ。

「……なんか違うなぁ。もっと男らしくてスタイリッシュで、でもって威厳を感じられるような……」

 そして何度か腹式呼吸の発声練習をしてから、もう一度叫ぶ。

「ふおぁーっはっはっはっはッ……ゴホッゲホッゲホッ!」

 盛大に喉を痛めて涙目でむせる男の部屋に、一匹の小さな竜が飛び込んできた。

 その暗いオレンジ色をした生き物がぽんっと煙に包まれると、その煙の中から一人の背の低い少年が飛び出してきた。見た目は齢5,6歳程度だが、少年は容姿にそぐわぬしっかりとした口調で男にこう言った。

「魔王様! 何をやってるんですか、早く来てくださいよ! こういうのはタイミングってものがあるんですから!」

「あ、ああ、すまない……。あの、これだけアドバイスをくれないか? 『あっはっは』の最後の『は』は、『はー!』と『はっ!』どっちが魔王らしくてカッコいいと思う?」

 怪訝な表情をしている家来の両肩をひしっとつかみ、男は詰め寄った。

 そこにまたもう一匹別の小さな竜が飛んでくる。そのスカーレットの竜も煙に包まれると、同じくらいの幼い少女が現れた。

 少女は呆れたように口にする。

「どっちだって変わりゃしないですよ。ほら、行きますよ」

 そう言って強引に手を引いて部屋の外に出そうとする二人の家来になんとか抗って、男は姿見に再度姿を写した。

「み、見た目だけでも最後に確認させてくれ……。このマント、どうだろうか? 実はもう一着、先々代の魔王の勝負服も用意しておいたんだが、そちらの方が高級感があっていいだろうか……? ああでも、〝高い服に着られてる〟みたいに思われたらどうしよう。やはりオシャレ上級者のように自分らしさなど追わず、潔く流行に乗ったデザインのマントに着替え直すべきか……」

 再度自分の迷宮に入り込む男に、家来の少年少女が一喝する。

「我々にはどれも同じに見えます!」

 男のベッドの上を占領する黒い布の地層を一瞥して、二人はため息をついた。

 小さな家来たちに引きずられ、男は身だしなみを気にしながら渋々部屋を出た。



 漆黒の細い髪を低く束ねて背中に流し、人間の貴族の服とほぼ同じそれをまとった上からマントをはおり、紅蓮の色をした瞳と、日光には縁遠そうな青白い肌を持つこの男。

 彼はこの地区一帯の魔族や魔物を治める、もう何代目とも知れない〝魔王〟である。

 この世界は、人間の居住区と魔族の居住区が暗黙の了解的に分かれている。

 人間の世界にいくつもの国がありそこに幾人もの王が存在するように、魔族の世界にもいくつもの国があり、そこには幾人もの魔王がいた。

 そんな魔王の一人がこの男である。

 魔族は人間と違い、自然法則を無視した特殊な力を使うことが出来る。重力に逆らって物質を飛ばしたり、何もないところに炎を発生させたり。

 しかしそんな特殊な力を持つ魔族にも唯一、決定的な弱点があった。それは〝ほとんどの魔族の家系には男子しか生まれない〟ということ。特殊な力を持つとはいえ、単性で子供を作れる魔族は非常に稀である。

 それゆえ子孫を残す為には〝人間の女〟を使う必要があった。

 今まで多くの魔王たちがそうしてきたように、この男も近くの人間の国から人間の女をさらってきたのであった。

 しかし。

「魔王様、何を今更及び腰になっているのです!」

 家来の少年にそう叱られ、男は困ったように頬をほのかに赤くして、どもりながら言った。

「や、やはり私はこういうのは向いていない……あちらの意思も確認せずに無理矢理連れてきて……よ、嫁にするなんて……ぐえっ!」

 潰されたカエルの断末魔のような悲鳴。後ろを歩く家来の少女が自分の主人の膝の裏に強烈なキックをかましたのだった。

「魔王様、さらっておいて往生際が悪いです。第一、人間の女に『魔王の妻になってくれませんか』などと訊いて首を縦に振る者などおりましょうか」

 家来の少女の言葉に間違いは一つも感じられない。男は受け入れがたいけれど口を結ぶしかない。

「いいですか、人間の女というものは堂々としている男に惹かれるものです。強引すぎるくらいが良いのです。そんな風にオロオロしていては、魔王としての貫禄はおろか、男としての魅力も全く感じられませんよ」

「それは、女の子の君が言うんだから間違いないだろうけど……。前に言われてから気をつけているつもりだよ」

 うろたえつつも頑張ってアドバイスを聞こうとする男が、目の前の家来に自然と〝女の子〟と口にする。

 家来の少女からすると、自分は幼い人間の少女の姿を擬態しているだけで本当は竜の魔物。性別の概念もないし、年齢だって魔王よりはるかに上だ。〝女の子〟だなんて呼ばれるような存在ではないのだが、この主人は自分をいつもそういう風に扱う。女の子なんだから重い物を無理して運ばないで、だとか、女の子なんだからかわいらしい洋服を着たらいいよ、とか。

 そんな、少し周囲とずれている変わり者の主人に小さくため息をこぼしてから、家来の少女は言葉を続けた。

「でしたらもっとシャンと胸を張って、キリリとした目つきになってくださいまし。魔王様は、他のどんな魔王よりも素敵な方であるのは間違いありません。一番家来であるわたくしたち双子竜が保証いたします」

「そうですよ! 魔王として男として、そして何より僕らの主人として、堂々としていて下さい!」

 家来の少女の言葉に、家来の少年も目をキラキラさせながら続く。

 先代の魔王以前よりこの城に仕えるこの双子の竜は、魔物の中でも力が強く、城の家来の中でもかなりの古株だった。見た目こそ幼い人間の子供に擬態しているが、男のことは彼が幼少の頃からよく知っている。

 二人の信頼できる家来にそう言われて、男の目に涙がにじみそうになる。それをごまかすように深くうなずき、男は決意を新たにした。

「頑張るよ……! 私は誰より魔王らしく振舞ってみせる!」



 そして、男が何度も練習したことを披露する時がきた。

「ふあーっはっはっはっはっはっ! 人間の女よ、我が城へようこそ。気に入ってくれたかね」

 女を幽閉している部屋のドアを強く押し開けると、力強く自信に溢れた声でそう言い放った。城じゅうに男の笑う声がこだまする。

 それを迎える女は、自分をさらった魔王の姿を直視して恐怖に表情を強張らせていた。

 ふわりとした白っぽいブロンドの髪と、宝石のような碧の瞳が小さく震えている。着の身着のままでさらわれ、自分の両肩を強く抱いて男を見ていた。

 その圧倒された様子を見て満足したように、男は口元に深い笑みを浮かべた。

「クックック……。ここは君がこれから暮らすことになる部屋だ。どうだ、窓からは血を溶かし込んだような真っ赤な月が見えるぞ。今宵は我々魔族の力が最も強大になる満月の夜だ。眼下に広がるは狼たちが徘徊する森、全てが私の配下だ」

 女は口を結んだまま何も発しない。発することができない。ただじっと、怯えて男を見つめていた。

「私は君を悪いようにするつもりはない……君の態度や心がけ次第だがな。フフフ」

 男も女の目を見すえ、薄く笑いながらそう言った。

 それでも女はひたすら恐怖に耐え、黙っていた。

「あとから食事を運ばせよう。必ず食べなさい。なあに、毒など混ぜたりはしない……フッ。私の妻となる女に倒れられたら困るからな。ふあーっはっはっはっはっはっ!」

 そう高笑いしながら男は部屋を出て行った。

 部屋には女だけが取り残され、男のそばに付き従っていた双子竜により外から鍵がガチャリと落とされる音が響くと、彼女は崩れ落ちるように泣き出した。



「ど、どうだった?! 魔王らしいワイルドな男らしさ、出ていたか?!」

 威厳ある態度のまま自室まで戻った男。しかし部屋に入るなり家来の少年に慌てて問いかけた。

「はい、ばっちりでございます! 流石は魔王様、やるときはしっかりやられるお方! 女はすっかり怯えた様子でありました!」

 信頼する家来から合格点を得て、男はようやく表情をゆるめた。ふうと深く息をつく。

「やっぱりこういう振る舞いは慣れないな……。今度、近隣の魔王に手紙を出して相談してみようか、『どうやって魔王の風格をかもし出していますか?』と……」

 腕を組んで真剣にそう悩む男に、そばに控える家来の少女がきっぱり言い放つ。

「他国の魔王にそんな相談をする魔王なんて聞いたことがありません。変な勘違いをされて戦いになりかねませんから、やめてくださいまし」

 そうか、と残念そうに肩を落とした男が、大事なことを思い出して少女にこう告げる。

「そうだ。あとで彼女のところに食事を持っていってくれないか?」

「わたくしがですか?」

「うん。やはり女の子の部屋には女の子が行った方がいいだろう」

 自分は本当は女の子なんかではない。しかし、彼の配慮にため息をこぼしつつ、主人がそう言うのならと家来の少女は「かしこまりました」と承知した。

「娯楽などほとんどないこの城だ、せめて食事くらいは楽しんでもらいたい。イモリではなくトカゲ、アオダイショウではなくマムシ、アマガエルでなくウシガエルを使うように厨房の者に言ってくれ」

 満面の笑みでそう言う男のもてなしの心は、盛大に裏目に出ることになる。