穏やかな秋の空は、鰯雲が綺麗に並んで泳いでいる。
 大地と別れて公園から帰る道すがら、私たちは充実感の中にも、どこか物悲しさを漂わせた。
「風天……、彼に会えて、よかった?」
 不幸にも死した雷地の行く末が幸せなものだったとわかり、当時の雷地の想いも知ることができた。
 だが、大地はもはや雷地ではなく、風天のつがいとして戻ってくるわけではないのだ。
 私に問いかけられた風天は目を伏せる。人形のような彼女のつるりとした頬には、涙の痕があった。
「わたくしは、ずっと後悔していました。なぜ雷地を死なせてしまったのかと。ですが、あの方は、わたくしを好きだと、夫婦だと言ってくれました。やはり雷地もそのように考えて、わたくしを守ってくれたのでしょう。彼の思いやりが身に染みました」
「そうね……。風天を大切にしていたから、雷地はあなたを守ったのだわ」
「感謝いたします。雷地の望み通り、彼は人間としての生を得ました。凜さまが、雷地の命のかけらをすくい上げてくださったおかげでございます」
「あのときのことは私も、うっすらとしか覚えていないの。でも、雷地を救いたいと思ったのだわ」
 忌避していた私の能力が、誰かを救った。そのことに、私自身が救われたのだった。
 ヤシャネコを連れた兄は、言いにくそうに切り出す。
「でもさ……ふたりは夫婦に戻れるわけじゃないよな。風天と雷地は別々の道を歩むことになったんだ。それはいいのかい?」
 あやかしの風天は現世に居続けられるわけではなく、夜叉の居城に戻り、引き続き城の守護にあたる。そして大地は前世の記憶を持つとはいえ、それは過去のことであり、彼のこれからの人生でほかの誰かと結婚するかもしれないのだ。
 風天は柔らかな笑みを浮かべた。
 いつも無表情だった彼女が見せた、初めての笑顔は穏やかなものだった。
「彼には人間として幸せな一生を送ってもらいたいのです。かつて私を守ってくれたように、大地さまの愛する人を守ってほしい。それがわたくしの願いでございます」
 風天の思いやりに満ちた言葉に、彼女の心が変化したのだと感じた。
 ふたりは惹かれ合って、つがいになったわけではないかもしれない。
 けれど雷地の勇気ある行動により、夫婦の絆は結ばれたのだった。
 私も……春馬と絆の結ばれた夫婦になりたい。
 自分の立場がどうなるかばかりを考え、不安に陥ってはいけない。彼への思いやりをもって接することが大切なのだと胸に刻む。
 春馬の碧色の双眸を愛しく思い出してしまう。
 彼に会って、話したい。子どものこと、そして、これからのことを。
 そっと、お腹に手を当てたとき、もみじがひらりと舞い降りた。
「ピュイ」
 ふと聞こえた鳥の鳴き声に、顔を上げる。
 真紅に染まったもみじの枝にとまったコマが、こちらに呼びかけていた。
「おかえり、コマ。ご苦労だったね」
 姿が見えないと思ったが、兄が用事を頼んでいたようだ。
 羽ばたいたコマは、なぜか兄の肩にはとまらず、道の向こうまで飛んでいく。
 落葉の敷き詰められた道に佇んでいた人物の姿に、はっとした。
「春馬……」
 静謐な双眸でこちらを見ている春馬に、胸が高鳴る。
 春馬の姿を示したコマは、ようやく兄の肩に降り立った。
「僕がコマに伝えさせたんだ。妹は現世に来ているってね。僕がさらったと思われたら、困るだろ?」
 見つめ合う私と春馬を置いて、兄はしもべたちを連れて帰っていった。
 真紅の道に、私たちは無言で佇んでいた。
 やがて春馬はこちらに歩み寄る。
 会いたかった――。
 あふれる想いが胸を占める。
 けれど、もう彼とはこれまでと同じ関係ではいられなくなる。お腹には、彼の子がいるのだから。
 いたたまれなくて、私は目を伏せた。
「心配したぞ」
 すいと私の手をすくい上げた春馬は、キャンパスで出会ったときのように、指先にくちづけた。
 彼の唇の熱さが、懐かしくて愛しい。
「どうして……来てくれたの?」
「俺の花嫁を、何度でも迎えに来よう」
「……あなたに、言わなくてはいけないことがあるの。とても大事なことなの……」