後ろには、ヤシャネコと兄が続く。ぶらりと散歩するといった様相で、彼らは木々の紅葉を眺めていた。
 紅葉の色づきを目にした私は、はっとさせられる。
 春馬と再会したときは紫陽花が咲いていたのに、いつの間にか季節は流れてしまったのだ。季節の移ろいに気づかないほど彼との恋愛に溺れていたのかと思うと、かつては友人すらいなかった自分の変化に驚いてしまう。
 ややあって、一行は公園に到着した。
 子どもの頃はよく遊んだ公園は住宅地のそばにあり、すべり台や砂場などがあるだけの小さなものだ。
 いつの間にか遊具がとても小さくなったと感じていると、ベンチのそばにいた人物がこちらに気づく。
 無邪気な表情を浮かべた青年は、私たちに声をかけた。
「凜ちゃん、悠! 久しぶりだね」
「……大地くん⁉ 身長が伸びたわね。誰なのかわからなかったわ」
 幼なじみの高梨大地は、すらりとした好青年に成長していた。小さな頃はよく遊んでいたが、小学生のときに彼は別の地区に引っ越していったので、会うのはそれ以来になる。もとは母親同士が会社の同僚で、子どもが生まれたら友達になろうと約束したそうだ。
 それに、彼と仲良く遊べたのにはもうひとつの理由がある。
「ヤシャネコだ! 変わらないなぁ」
「大地くん、久しぶりにゃ~ん。大人になっても、おいらが見えるにゃんね」
「今も、あやかしが見えるんだよ。子どもの頃だけかと思ってたのにな」
 大地はヤシャネコと握手を交わした。
 春馬に話したことがあるが、彼こそが生粋の人間なのにあやかしが見える、唯一の友人だった。そして生まれる前の記憶があると言って、私と兄に話して聞かせた不思議な男の子だ。
 その意味を、私は時を経て気づかされた。
 私たちの背後に佇む風天に、大地は目を向けた。
「その女の子も……あやかしだよね?」
 大地と目を合わせた風天は、ぶるぶると体を震わせる。常に冷静な彼女の双眸はいっぱいに見開かれ、表情には驚愕が浮かんでいた。
「ら、雷地……。あなたは、雷地なのですか……?」
 あやかしの雷地の姿を、おぼろげにしか覚えていない私にはわからないが、大地はかつての雷地とよく似ているらしい。
 彼女のそばに膝をついた大地は、まっすぐに風天を見た。
「きみは……やっぱりそうだ! ぼくが前世で一緒に暮らしていた女の子だ。何度もふたりで空を飛んだよ。夢じゃない。きみは本当に実在したんだね」
「あ……あ……覚えているのですか?」
「もちろんだよ。ぼくには生まれる前の記憶があるんだ。ぼくときみは夫婦みたいな関係で、城に住んでいたんだ。でも悪い鬼に襲われて、きみをかばったぼくは死んでしまう。そうだよね?」
 大地の話に息を呑んだ風天は、ぎこちなく頷く。
 私が空に捧げた命の核は現世へ向かい、高梨大地という人間として生まれ変わったのだった。前世があやかしだった名残で記憶のかけらが残留し、あやかしが見えるという体質を持って生まれたのだろう。
 母の同僚の女性から大地が生まれたのも、単なる偶然とは思えなかった。
 私は自らのてのひらを広げて、じっと見る。
『ずっと胎動がこなかったのに、高梨さんが触れたら動いてくれたんです!』
 嬉しそうな母の声が、記憶の彼方から届く。
 あのとき私は、子どものいない高梨さんの切ない告白を聞いていた。彼女が子どもを授かったらいいなと、母のお腹の中で思ったのだ。
 悲しい思いをした人たちが報われてほしかった。だから雷地の命の核を、高梨さんの胎内に宿した……。
 兄はヤシャネコを抱っこして、呑気にすべり台を滑っている。大地に連絡を取り、呼び出しただけであとは任せるつもりらしい。
 神妙な顔をした風天は、大地に訊ねた。
「わたくしは、ずっとあなたに問いたいことがありました。それを二十年、わたくしの胸に問いかけても答えは出ませんでした」
「どんなことかな?」
「なぜ、わたくしをかばったのですか? あのとき、あなたはわたくしと悠さまの前に出て、両手を広げました。そうしなければ死ぬのは、わたくしのほうでした。どうしてあなたはわざと犠牲になったのです」
 切々と訴えた風天に、大地は朗らかな笑みを見せる。
「そんなこと、答えは簡単だよ! きみのことが好きだからさ」
「……はい?」
「きみが大切だから、生きてほしかったんだ。だってぼくたちは夫婦なんだから」
 その答えに、風天の金色の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
 常に平淡な彼女が見せる感情の発露は、大地に見せるべく、ずっと抱え続けていたものではないだろうか。
 風天の涙はこの世のどんな宝石よりも美しく、そして切なかった。
 震える唇で、風天は声を絞り出す。
「……今、あなたは、幸せですか?」
「もちろん幸せだよ。ぼくは両親に愛されて、こうして大人になれた。それに……きみに、また会えたからね」
 風天の小さな手を取った大地は微笑みかける。
 流れる雫で頬を濡らしながら、風天は目を見開き、大地の姿を焼きつけていた。
「……ありがとう。わたくしは、その言葉をあなたに告げたかったのでした」
 ふたりは時を経て、巡り会えた。
 死が引き裂いた悲しい結末のその先に、温かい言葉を交わすふたりを見守る。
 真紅のもみじが、ひらりと舞い落ちる。
 あやかしの少女と人間の青年は、いくつものもみじが舞い散る中、手をつないで見つめ合っていた。