そういえば月経は遅れている。一週間ほど遅れることはよくあったので、気にとめていなかった。妊娠したら子宮に赤ちゃんがいるので、当然月経は来なくなる。
 お手洗いの棚を探った母は、細長い箱を取り出す。
「買い置きがあったよ。このスティックに尿をかけると、妊娠しているか判定できるから」
 母が取り出したのは、妊娠検査薬だった。
 これまで誰とも交際したことがない私は、検査薬を手に取るのは初めてである。
 どきどきしながら箱を開封して説明書を読む。検査薬の蓋を外して、採尿部に尿をかけると、hCGホルモンの濃度により妊娠の判定が行える。判定窓に青いラインが出ると陽性。終了の線は出ていても、ラインが出なければ陰性だ。
 もちろん、妊娠していたら陽性反応になる。
 hCGホルモンは妊娠中の女性特有のホルモンであり、受精卵の着床後に分泌が始まるそうなので、妊娠していないのに陽性反応を示すということは考えにくい。
 結果は、一分後に判定できると書かれている。
 つまり妊娠していたら、すぐに判別できてしまうほど、体は明瞭に作り替えられているのだ。
 検査薬を手にして顔を曇らせていると、母は応援するように拳を握りしめる。
「不安だと思うけど、すぐに調べたほうがいいと思うの。もし妊娠していたら、赤ちゃんを大切にお腹の中で育てないといけないから」
「検査してみるわ……。陰性の可能性もあるわけだしね」
 まだ妊娠と決まったわけではない。母は期待しているようだが、先ほどの吐き気は体調不良による胃の不快感だと思えてきた。そんなことは今までにも、よくあることだった。
 そんなにすぐに妊娠するものとも思えない。体調不良と月経の遅れが重なるのは珍しくもない。
 そう思い直した私は、お手洗いへ入った。
 緊張しつつ白い体温計のような検査薬の蓋を外し、尿をかける。カバーを戻すと、判定窓の白い箇所に水分が染み込んでいくのを確認できた。真っ白のままだ……。
 複雑な気分で検査薬を手洗い場に置き、身支度を調える。そうしてから、もう一度検査薬に目を向けた。
「……えっ⁉」
 検査薬の判定窓部分に、青いラインが浮かび上がっている。
 先ほどは真っ白だと思ったのだが、あれは尿をかけた直後だったからなのか。
 手に取って検査薬を凝視する。終了窓と、判定窓のそれぞれに青いラインがくっきりと刻まれていた。
 判定結果は、陽性――。
「私……妊娠しているの……⁉」
 春馬の子を、身籠もってしまった。
 それがとてつもない大ごとに思えて、青ざめる。
 夜叉姫が帝釈天派の重鎮とも言える鳩槃荼の子を産んだら、その子はどうなってしまうのだろう。果たして何者になるのか。夜叉なのか、鳩槃荼なのか。とても不安定な地位に陥ってしまいそうな気がする。
 それに春馬は政略結婚の条件として、必ず世継ぎが欲しいと宣言していた。彼の目的は世継ぎをもうけることだから、妊娠してしまったら、私はもう用済みになるのではないか。
 途端に、愛し合った日々が遠くなる。
 私が子を産んだら、もう彼のそばにはいられなくなる……?
 愕然としてドアを開けると、母が心配げな顔をして待っていた。
「お母さん……私……妊娠してた……」
 妊娠検査薬を見せると、母は喜びを弾けさせる。
「おめでとう、凜!」
 ぎゅっと抱きつかれた私は、訝しげに眉をひそめた。
 なにが、おめでとうなのだろう。
 母は人間だから、まったくわかっていないのだ。孕んだことで、私が不幸になるかもしれないことに。
 胸に不安が渦巻き、気分が悪くなる。
 母に支えられながらダイニングへ戻ると、廊下での会話が漏れ聞こえたのか、着席している父と兄の間には気まずい空気が満ちていた。
 父は険しい顔つきで、こちらをにらむ。
「妊娠だとか聞こえたが。誰が妊娠したのだ。説明を求める」
 言葉に詰まった私はうつむいた。そんな私と父を見比べた母は、明るい笑みを浮かべる。
「凜は、おめでたです!」
 母の祝福の声のあと、室内には沈黙が下りた。
 当然かもしれない。私が春馬の子を産んだら、夜叉一族の未来が変わるかもしれないのだから。
「鳩槃荼は懐妊を知っているのか?」
 父の質問に、力なく首を横に振る。