「そろそろ大学に行かないと卒業が危ないからね。帝釈天には、また来るって言っておいた。おじいちゃんは屋敷に戻ったし、とりあえず解散だろ。凜はどうするんだ?」
「私も行くわ。風天に……会ってもらいたい人がいるの」
「……だよな。僕も記憶がつながったよ。過去の決着を、つけにいこうじゃないか」
 頷いた私は、兄とともに、風天の手を引いて階段を下りた。

 夜叉の居城をあとにした私たちは現世をつなぐ闇の路へと入った。
 ふわりと跳び上がったコマが淡い光を放ち、道標となってくれる。
「僕たちは因果な身の上だと思うよ。おじいちゃんや父さんが作った様々な難題を、夜叉一族として解決しないといけないんだから」
「解決してくれって、おじいちゃんに頼まれたの?」
「いいや。僕が勝手に活動してるだけなんだけどね」
「……おじいちゃんも大変ね」
 そのとき、先行していたコマの輝きが明滅する。
 闇の路の紗を払うかのように、兄は手を伸ばした。
「出口だ。――ただいま」
 挨拶をした途端、闇が去り、光に包まれる。
 出現したのは自宅マンションのリビングだった。
 ソファには瞠目している両親が座っている。父が母を抱き込むような格好なので、また迫っていたのだろう。私は見ないふりをしているけれど、話の長い父は愛情表現にかける時間もとても長い。
「お、おかえりなさい。ふたりとも!」
 慌てて母が立ち上がろうとしたが、細腕で鬼神の父を突き飛ばせるはずもなく、搦め捕られたままもがいている。
 私も春馬に囚われて、あんなふうだったのかと思うと嘆息がこぼれた。
 そのとき、黙然と付き添っている風天に父が目を留めた。
「風天ではないか。なぜ現世に来た。なにかあったのか?」
「夜叉さま。わたくしのわがままを、お許しください」
「経緯を初めから話せ。ふたりとも、座りなさい」
 父に命じられ、私たちはダイニングテーブルに集まった。
 そこで、これまでの神世での出来事を話す。祖母の死の真相に、書庫で謝罪した帝釈天。過去に夜叉の居城が襲撃されたのを思い出したこと……。
 すべてを聞き終えた父は、深く長い溜息を吐いた。
「……そうか。帝釈天が非を認めるとはな。それもおまえたちの持つ魅力ゆえということなのだろう。おまえたちの祖母の死は、俺にとっても長年の疑問だった。解決を図ってくれて、礼を言う」
 兄は壁際にひっそりと佇んでいる風天を見やる。
「もうひとつ、解決しないといけない問題があるよ。風天の相方だった、雷地というしもべがいただろう?」
 はっとした母は、壁際を見た。
 けれど彼女の目は風天を捉えていない。母はもう、あやかしが見えないのだ。
「やっぱり、あの子が雷地の……!」
 母が目を輝かせた、そのとき。
 私の胸に吐き気が込み上げる。
「うっ」
 口元を押さえながら席を立ち、洗面台へ向かった。
「どうしたの、凜?」
 母が追いかけてきて、背中をさする。
 突然、嘔吐感に見舞われた。
 けれど、さほどひどくはなく、すぐに収まる。
「なんだか胸がむかむかして……もう大丈夫みたい」
「もしかして、つわりじゃない?」
 さらりと告げられた母の言葉に瞠目する。
「つわりって……妊娠すると出る症状よね」
「そう。個人差があるけど、早いときは妊娠四週で起こるよ。胃がむかむかして吐いたり、食欲がなくなったりするの」
 ――妊娠。
 その単語が衝撃をもって、私の身を貫く。
 春馬の子を、孕んだかもしれない。
 動揺した私はとっさに否定した。
「そ、そんなことない。だって、一緒に暮らして間もないし……子どものことなんて、なにも相談していないから……」
 けれど体をつないだら、妊娠の可能性があって然るべきだった。春馬は世継ぎを欲していたのだから。
 うろたえる私に、母は微笑みを向けた。
「お母さんは妊娠してから、柊夜さんの正体を知らされたの。だから授かってから相談しても全然平気よ」
「そうなの……。でも、たまたま吐いただけで、つわりとは限らないし……」
「まずは妊娠しているのか、きちんと確かめてみないとね」