水を飲んでいたシャガラが首をもたげた。「ブルルッ」と声をあげると弾けた水滴が飛び散り、きらりと光る。
「シャガラは凜に感謝しているぞ」
元通りの泉にはできなかったけれど、誰かのためになるのなら、この能力を疎まなくてもいいのだろうか。
春馬は私の能力を否定しなかった。価値あるものだと言ってくれた。
果たしてそうなのか、自信なんて持てない。今回は丸く収まっただけかもしれない。
だけど彼の柔らかな声が、私の胸にわだかまっていた澱をほぐしてくれる。
「ありがとう、春馬――」
ふと目を向けると、彼は体を傾けてこちらを見ていた。
下着姿の私は、頬を引きつらせる。
ばしゃりと、すくい上げた水を春馬の顔にかけた。
「見ないで!」
「……すまない。つい……」
てのひらで顔にかかった飛沫を拭っている春馬の耳朶が赤くなっている。
それを目にした私は顔を背けて、自分の耳を隠した。
きっと、赤くなっているだろうから。
ふたりの沈黙を、湖面を波打たせる風がさらっていく。
「……凜。寒くないか」
「……少し。でも、着るものはないから……」
いずれ服は乾くだろうけれど、乾かなければ、ずっとこうしていられるのだろうか。
問いかけた春馬は身じろぎをして、なにやら腕を動かしていた。
え、なに……まさか、抱きしめて温めるなんて、言わないよね……。
どきどきと鼓動が昂ぶってしまう。
すると彼は腕を伸ばしてきた。びくりとして足の爪先を強張らせる。
だが見ると、春馬の手は小さな桃色の花を差し出していた。
「しばし、これを着ているといい」
そう言って髪に挿してくれた彼は、さっと顔を背けて、また湖に目をやる。
「見ていないぞ」
「……うん」
髪に飾られた桃色の花に手をやると、なぜか温かみを覚える。
春馬の不器用な優しさは、水のごとくしっとりと、心に染み込む。
初めて知る愛しさが、私の胸に湧き上がった。
太陽が傾くと強い風が吹き、乾いた服がなびいた。
湖畔で休憩した私たちは服を着込むと、再びシャガラの背に乗り、森を抜ける。
辿り着いた丘の上からは、広大な森が見渡せた。遠くの山の稜線に、夕陽がその身を沈めようとしている。
出立したときは曇天だったが、晴れてよかった。
下馬した私たちは並んで、赤々と燃える夕陽を眺める。
「凜の瞳の色に似ているな」
「……そう? 私、この目が嫌いなの」
鬼みたいと忌避されるから。
同じ鬼でも春馬のように、綺麗な碧色の瞳だったらよかったのに。
瞳の奥に宿る真紅の焔は、まさしく凶悪な夜叉を表している。
夕陽を受け、双眸を橙色に染め上げた春馬は、首をかしげてこちらを見た。
「俺は、好きだ」
その言葉が沈みかけた心をすくい上げる。
ふと顔を横に向けると、彼の相貌が間近に迫っていた。
瞳を覗き込まれても、目を逸らさなかった。春馬の眼差しをまっすぐに受けとめる。
「好きなのは、瞳の色? それとも……」
「おまえのすべてだ」
優しく唇が触れ合う。
初めてのキスは胸を熱く焦がした。
春馬が……好き……。
彼への想いが胸にあふれる。恋心はたとえようもなく純粋で、甘美な衣をまとっていた。
春馬を、ずっと大切にしたい。私の、すべてをかけて――。
重ね合わされた唇は夕陽が沈んでも、離れることはなかった。
遠乗りから居城へ戻ったときには、空に星が瞬いていた。街の灯を遠くに見ながら、城門をくぐる。
「疲れたろう。花嫁を迎える儀式は、明日以降にしよう。しもべたちを広間にそろえて忠誠を誓わせる」
なぜか春馬の声が優しく私の鼓膜をくすぐる。背後から抱きしめている腕は、体を包み込んでいた。
「仰々しいことはしなくていいわ……。春馬がそばにいてくれるだけでいいから」
春馬は無言だった。私を抱きしめる腕に、ぎゅっと力が籠もる。
「シャガラは凜に感謝しているぞ」
元通りの泉にはできなかったけれど、誰かのためになるのなら、この能力を疎まなくてもいいのだろうか。
春馬は私の能力を否定しなかった。価値あるものだと言ってくれた。
果たしてそうなのか、自信なんて持てない。今回は丸く収まっただけかもしれない。
だけど彼の柔らかな声が、私の胸にわだかまっていた澱をほぐしてくれる。
「ありがとう、春馬――」
ふと目を向けると、彼は体を傾けてこちらを見ていた。
下着姿の私は、頬を引きつらせる。
ばしゃりと、すくい上げた水を春馬の顔にかけた。
「見ないで!」
「……すまない。つい……」
てのひらで顔にかかった飛沫を拭っている春馬の耳朶が赤くなっている。
それを目にした私は顔を背けて、自分の耳を隠した。
きっと、赤くなっているだろうから。
ふたりの沈黙を、湖面を波打たせる風がさらっていく。
「……凜。寒くないか」
「……少し。でも、着るものはないから……」
いずれ服は乾くだろうけれど、乾かなければ、ずっとこうしていられるのだろうか。
問いかけた春馬は身じろぎをして、なにやら腕を動かしていた。
え、なに……まさか、抱きしめて温めるなんて、言わないよね……。
どきどきと鼓動が昂ぶってしまう。
すると彼は腕を伸ばしてきた。びくりとして足の爪先を強張らせる。
だが見ると、春馬の手は小さな桃色の花を差し出していた。
「しばし、これを着ているといい」
そう言って髪に挿してくれた彼は、さっと顔を背けて、また湖に目をやる。
「見ていないぞ」
「……うん」
髪に飾られた桃色の花に手をやると、なぜか温かみを覚える。
春馬の不器用な優しさは、水のごとくしっとりと、心に染み込む。
初めて知る愛しさが、私の胸に湧き上がった。
太陽が傾くと強い風が吹き、乾いた服がなびいた。
湖畔で休憩した私たちは服を着込むと、再びシャガラの背に乗り、森を抜ける。
辿り着いた丘の上からは、広大な森が見渡せた。遠くの山の稜線に、夕陽がその身を沈めようとしている。
出立したときは曇天だったが、晴れてよかった。
下馬した私たちは並んで、赤々と燃える夕陽を眺める。
「凜の瞳の色に似ているな」
「……そう? 私、この目が嫌いなの」
鬼みたいと忌避されるから。
同じ鬼でも春馬のように、綺麗な碧色の瞳だったらよかったのに。
瞳の奥に宿る真紅の焔は、まさしく凶悪な夜叉を表している。
夕陽を受け、双眸を橙色に染め上げた春馬は、首をかしげてこちらを見た。
「俺は、好きだ」
その言葉が沈みかけた心をすくい上げる。
ふと顔を横に向けると、彼の相貌が間近に迫っていた。
瞳を覗き込まれても、目を逸らさなかった。春馬の眼差しをまっすぐに受けとめる。
「好きなのは、瞳の色? それとも……」
「おまえのすべてだ」
優しく唇が触れ合う。
初めてのキスは胸を熱く焦がした。
春馬が……好き……。
彼への想いが胸にあふれる。恋心はたとえようもなく純粋で、甘美な衣をまとっていた。
春馬を、ずっと大切にしたい。私の、すべてをかけて――。
重ね合わされた唇は夕陽が沈んでも、離れることはなかった。
遠乗りから居城へ戻ったときには、空に星が瞬いていた。街の灯を遠くに見ながら、城門をくぐる。
「疲れたろう。花嫁を迎える儀式は、明日以降にしよう。しもべたちを広間にそろえて忠誠を誓わせる」
なぜか春馬の声が優しく私の鼓膜をくすぐる。背後から抱きしめている腕は、体を包み込んでいた。
「仰々しいことはしなくていいわ……。春馬がそばにいてくれるだけでいいから」
春馬は無言だった。私を抱きしめる腕に、ぎゅっと力が籠もる。